想定
「お呼びでしょうか、紫様」
「藍、お前、あの“肉”の始末は済ませたの」
……マヨヒガ、幻想郷の賢者の仮住まい。
賢者とその式神はそこで生活のような、生息のような、ともかく存在し続けていた。
その仕事は多岐に渡る。
しかし目的は幻想郷の管理、ただ一つだ。
この場に於いてそれは行われる。
監視と、管理と、そして、干渉。
「……霊夢なら、確かに埋葬いたしました」
「そう……じゃ、これはなに?」
紫が彼女の異能である隙間――空間の穴を拡げ、そこに映像を映し出す。
異郷の服装をした妖怪。
たしか、紅魔館とかいう吸血鬼、レミリア・スカーレットが棲むようになった根城を護る妖怪だったはず……と、それに対峙する――
巫女。
「霊夢!?」
そこに立っていたのは、確かに博麗霊夢、そのひと。
黒髪を紅夜に靡かせ、意志の強そうな瞳を爛と輝かせ、藍の教えた術と体術とで、かの妖怪と戦っていた。
そのすがたは見紛うことなく、藍が少しの間だけ育てた巫女であり、しかし……藍が把握していた、未熟で可愛らしいことだと心配しつつも見守るつもりであった幼い児戯の如く術ではない、藍をして脅威を感じさせるほどの霊気を纏い、しかもそれを自在としている。
その強さは、藍の想定を遥かに超えた、驚嘆すべきものであった。
「こ、これ、は……私は識りません。確かに埋めたのです。それに、こんな――」
「そう……何が起こっているというのかしら」
主の声に疑問の色が見える。
この幻想郷に於いて彼女の識らぬがあってはならぬ。
それは管理の外、それは危険なものと同義である。
取るに足らぬものならば放置も良かろう。だが……。
ついさっき、諦めたものがまさかこうして――。
「藍、その埋めたものを探りなさい……よくないことが起こっているわ、私は原因を探します」
「畏まりました。あの……」
「なに?」
「もしも、もしもこの映像の霊夢が霊夢であったなら――」
「有り得ません。巫女はたしかになくなったのだから」
「なくな……しかし、しかし、たしかにそこに――」
「だから、探るのよ。あれがなんなのか。想定外の事象に対処するのは当然。最悪、私達で処理せねば」
藍は口を開きかけたが、紫の、名の如し紫瞳を見て、やめる。
隠しきれぬ悲哀と……歓喜がそこに視えたからだ。
彼女はそうだ、霊夢を見出したもの。
哀しくないわけが、嬉しくないわけが、ないのだ。己を恥じる。
すべてを識り、その上で、冷酷を振るうのだ、この方は。
処理。その言葉が重くのし掛かる。
駄目だ、この方にそれをさせたくは、ない。
「解りました。対処いたします」
「頼みましたよ」
八雲性と共に貸し与えられた空間制御を用いてあの墓標へと向かう。
あの遺骸をまた見るかもしれない不快に耐えねばならない。だが心の何処かで確信もあった。掘り起こしても、何も出ないのだろうと。
***
紫の魔女は急いでいた。
彼女にしては珍しく、小走りに歩き、やがて飛び上がり、苦笑した。
真紅の天鵞絨からふわり、飛翔が始まる。
――焦りから飛ぶことを忘れていた事に。
(まずい……拙いわ。あれは、あの巫女は、私の持つ知識の外にある)
賢者は直感に頼らない。
身に宿した知識と研鑽だけが彼女を動かす。
だが、悪魔の王は直感だけで動いている(ような気すらする)
間違いない、このままではあの巫女は今夜の内に悪魔の王と謁見に至る。
「あの子の能力に期待はできる……けれど、止めることは出来ない」
紅魔館の有能なメイドのことだ。
おそらく今頃巫女と対峙して、そして、その異質に気付き、対応している頃だろう。
それでも、それでもだ、メイドは巫女を“殺しきれない”
「レミィ……貴女、もしかして……」
言葉にはしない。
言霊とは怖ろしいものだ。口にしたことが現実に訪れるほどに。
賢者はおうさまを愛している。
だからそれは、けしてくちにしてはいけないことだ。
賢者は紅魔館の紅い廊下をやがて地下深く深くに続く階段に辿り着き、墜ちていく。
目指す先は、あの子が霧を望んだ原因。根本。
パチュリー・ノーレッジは美鈴が道を譲ったのを見届けた親友の顔を見たとき、部屋を後にした。
――あの巫女をレミィに合わせてはいけない。
賢者は直感に突き動かされる。
それは身に宿した知識と研鑽が与える想像、構想である。
その、知識と研鑽とが、あの巫女がおそらく悪魔の王を滅ぼすに至ろうとしていると警告してきた。それはつまり、魔女のちからを以てしても止められないことと同義である。
……あの回帰は、異常だ。
パチュリーの知るあらゆる再生、輪廻、回帰の術法でもあんなものは有り得ない。
死、という概念が根本から存在していない?
だがどうして?
闇の妖怪に遺骸を貪られ、
妖精に氷漬けのばらんばらんにされてきたのを見た。
その度に蘇るのを見た。
其処までなら、理解の範疇にあったのだ。
美鈴との戦いで、なにかが変わった。
美鈴が変えたというわけではない、おそらくだが……あの巫女が今までの死から何かを学習し、変質したのだ。
「いや、死ではない……あれは……そう、コンティニュー、か」
強さだけなら御せる。
その自信も手段も術も知識もある。
今でもそれは揺るがない、ただ……。
あの回帰。
秒にも満たない死の克服。
否、再開。
再開の度にあの巫女は何かを得て戻ってくる。
そして、美鈴の前で自死を選んだあの姿で確信した。
あれはもう生物の枠すら超えようとするものだと。
世界のルールを超えたものだと。
生物は、死なねばならないのだ。それこそが必至である。
人間でも妖怪でもない、なら、アレはなんなのだ?
理解できない恐怖を感じた。
アレをレミリアに逢わせるわけには行かない。
そして……あの子は、おそらくあれをこそ待っていたのだ!
「…………まったく、馬鹿げた話だわ。コンティニューね……なら、やっぱり私の考えは正しい。うってつけの相手は、別にいる」
扉の前で、止まる。
自分が封印の術をかけた扉。
だが、いつだって“破壊”される事を解っている、建前の監禁。
だけど、その扉は静かに封印を護っている。
……姉への愛なのか、それとも、狂気なのか。
だが、今はどうでもいい。今必要なのは、後者なのだから。
「……フランドール。起きていて? 貴女の姉が……危険なの。貴女のちからが必要。全てを破壊する、貴女のちからが」
***
「貴女、人間なの?」
「それがなにか? ……お掃除の邪魔ですわ」
最初のやりとりは、こんな言葉だった。
目の前に忽然と現れたメイド……? そう、メイドというやつだ。銀の髪、蒼い瞳を持つメイドは、そういって霊夢の前に立ちはだかった。
美しい洋装、芸術的な調度品の数々、趣味の良い、かつ、くどくない程度に置かれる絵画、そして彫刻、手入れの行き届いた花瓶。
豪奢なる紅い館。
場違いなのは、ぼろぼろの巫女服を纏った自分だけだ。
「まあいいわ、そのお嬢様に会いに来たのだけれど」
「お嬢様は滅多にひととお会いになりませんわ。そも、どんな誤用でしょうか?」
「なんか言葉の趣旨が違う気が」
「同じですわ。此処に来た時点で誤っているのだから」
……雰囲気はある。
門番との戦いを経て、そういったものをすっかり見通せるようになったようだ。
雰囲気はある。あるが、先の妖怪よりも容易そうにも視えた。
殺さないで、か……。
つまり目の前のメイドは人間なのだ。
「御主人と会いたいのだけど」
「誰にも会わないと仰せつかっております。つまりは、止めろと」
「ああ、そう……ならすることは一つね」
「踵を返してお帰りになるという道もございますが」
「のーるっくばっく」
それが戦いの宣言。
霊夢はいつものように退魔針と、札を用意しようとして――
気付けば黄昏の境内にいた。
「……あれ?」
いま終わったのか、私は?
なにをされた? なにもしていないのに終わらされたのは初めてだ。
まあ、いいか。
「!」
一瞬の内に、巫女の喉にナイフが突き刺さって――いた筈なのに、手にした大幣が空を切り、メイドの元いた場所を一閃していた。
驚愕し、振り抜くのは巫女。
飛び退きつつ、驚愕するのは紅魔のメイド。
確かに殺した。だのに、一瞬の間の後、反撃してきた。
なにもしないのに死んでいた。
「「――なにをした?」」
同時の台詞であった。
一瞬の間があり、動き出したのは巫女の方だった――が、動き続けるのはメイドの方だ。
咲夜の世界――そこは彼女だけの動ける世界。
時間の止まった空間。紅魔館のメイド、十六夜咲夜は動き始めたままに止まっている巫女をじいっと観察する。
「何者なの、この子……? みたところ只の人間だわ」
いつものようにナイフを投げる。手元から離れた獲物は喉元に届かんところで時間停止の領域に入り、ピタリと止まった。
咲夜は巫女から間合いを離し、更に2、3、4とナイフを投げ、それから時間を動かした。
いつものように、それで終わる話。
次々に刺さるナイフ、斃れる――筈の巫女は驚いたように周囲を見渡し、そして此方を見付けて突撃してきた。
――速い!
再び時間を止めることに間に合った、ときにはすぐ眼前に、巫女の顔があった。
「……この子……」
何者だ?
主からは、巫女としか聞いていない。
咲夜は他者に興味を持たない。
メイドには必要のない知識だからだ。
ただ主のために命令をこなし、尽くす。それだけでよいのだ。
だから、彼女から「止めろ」とオーダーされたなら、ただそれをするだけ。
芥を片付けるに過ぎない。
だが……この芥は、塵箱から勝手に飛び出してきた。
その眼を見て、ぞくりと背中に怖気が走る。
その目は……多分、自分が“獲物”に相対したときの眼と同じだったから。
即ち、塵を片付ける、だ。
「それは、貴女がしていい眼ではないわね」
冷や汗を一筋。
口にしたのは、強がりだった。
人は理解の範疇を超えたものに恐怖する。だから、形骸化する。
“説明の付かないものだ”と、“説明を付ける”ことで、安心を得る。
それはやがて、妖怪と呼ばれるようになる……これは居候の魔女の言葉だ。あの賢者気取りの居候になら、目の前の摩訶不思議を解明できるのだろうか?
だがのんびりと聞きに行くつもりはない。
この巫女を放置すれば、次に控えているのは忠義を誓う主のみ。
「……かんたんなことよ、殺して、殺して、殺して、殺す」
……永いガリアードになりそうだ。
大丈夫だ。万象は滅ぶ、死ぬ。
この理だけは、妖怪であろうと、人間であろうと変わらないと主に教わった。
そして咲夜はその理を半歩ほどはみ出した人間だ。
アドバンテージはいつだって此方にある。
咲夜は懐に忍ばせる銀の懐中時計を握り、そして、時を動かした――。
破壊
開かれた封印。
砕けた壁、床、内臓のぶちまけられたテディ・ベア。
これ見よがしに転がっている“外”の品々。
床の血風呂。その中央、身体全部をばらばらにされ、なお密かに息をしている司書の悪魔。
そして……隣で蹲る魔女。
魔女を見下ろし、くすくすと、愉しげに嗤う少女がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
「何しに来たのかと思ったら、わたしに闖入者をころせ、ですって? 馬鹿なお師匠様(マエストラ)。わたしがあんたの言う事なんて、聞くわけないでしょぉ? わたしを――」
よっつめの少女が、魔女の頭を蹴り抜いた。
気を失いかけていた魔女が、呻き声を上げ、意識を戻す。
「わたしを封じ込めておいて、わたしを此処に独りにしておいて、都合の良いときだけ利用したいっていうの? お前も! アイツも!」
「ぐっ……が……き、聞いて、フランドール……」
「またお小言? 聞き飽きたわ、先生(プロフェッソーラ) あんた達はいつもそうやって私を狂人扱いするのね。……まっ、私はたしかに狂っているわ。だけどね、おまえたちはどうなの? 人妖のことわりだなんて、つまらないことを必死に護って、人間どもから逃げて、逃げて、ようやっと辿り着いたところで隠れ住む。ふふ、バカみたい。王者でも賢者でもないわ、ただのめそめそした隠者よ、愚者よ。ねえ、どこに安寧があるというの? どこにいったっておなじことよ。外と中、やつらとおまえら、あなたとわたし、正しいのは、どっち?」
「き……聞いて、フラン」
「お前がその呼び方をするな!」
ぶち、と音がする。
みっつめの少女が魔女の脚を踏み砕いた音。
くぐもった悲鳴が部屋に響き、血風呂の“かさ”が増えていく。
「パチュリー様になにをする!」
「うるさい」
司書の悪魔が再生を終えた瞬間に立ち上がり、主を護ろうと――する前に弾け飛んだ。
かれこれ数十回めになろう、空しい再生を繰り返し始める小悪魔。
それはただただ忠実さから、否、契約から魔女を護ろうとし、護れないならば唯の一瞬でも標的となって魔女の痛みを和らげようと回帰し続けた。
……あれが、普通の妖怪だ。
魔女は片脚を失った気も狂わんばかりの痛みの中で、思う。
この脚だって、そうだ。痛い、痛いがやがて戻る。治る。再生する。それは魔女が妖怪だからであり、回帰する魔術があるからだ。
小悪魔も同様である。
だがあの巫女は――あれは、魔術でも奇跡でも霊力でもない、別の何かを以てして、戻ってくる。その謎が解けない限り、あの巫女は悪魔を斃しうる存在である。
その常篇を覆すには、やはりこの子の破壊が最適解だと思う。
この子のそれは、存在の核を破壊する。
如何にあの巫女がしなずのものであろうとも……。
「ねえ、お師匠様、ダルマになっちゃう前にごめんなさいの一言も言えないの?」
「……謝るという行為は、間違ったときにだけするものよ」
「ふうん」
魔術詠唱の阻止のつもりだろうか首を掴まれ持ち上げられる。
ふたつめの少女が、魔女の右手を握りしめる。
――今度は引っこ抜く気のようだ。
魔女は、痛みの伝導回路を切る魔術を識っている。
識っているが、使わない。
ぶちり、と音がして、魔女の嫋やかな腕が“もげた”
新たに増えた壊れたテディ・ベア。
魔女の形は歪なシルエットを浮かばせ、フランドールの腕一本で浮いていた。
あまりも容易く取れてしまうそれは、防御の術もかけていないからであり、即ち魔女はその身体をそのままに危険に過ぎる狂った吸血姫の前に晒していた。
「――アッ、があああ!」
「あははははは! 凄い声っ、お師匠様、無様な泣き声。鼻水まで垂らしてどうしたのぉ?」
気絶しそうになるが、歯を食いしばり、堪える。
好きなだけ、弄ぶが良い。そうされるだけの罪を背負っている自負はある。
――だが、間違ってはいない。だから、謝らない。
師は、弟子に正しきを教えねばならないものだ。
涙と鼻水とでくしゃくしゃになったまま、パチュリー・ノーレッジはひゅうひゅうと息を吐き、声を少しずつ紡ぐ。
「お願いよ、フランドール……あなたのちからが必要なの……貴女の、姉が、死なないために」
「……アイツが死ぬ? そんなこと、あるわけないでしょう? あんたが何を言っているのか、てんで理解できないわ。アイツは悪魔の王。恐怖で夜を統べる凶王、串刺し公の末裔(すえ)、此の世で最も著名な吸血種のなれのはてなのよ? 馬鹿馬鹿しい。私を閉じ込めるための狂言はもう、うんざり!」
「……それでもなお、ころせるものがあらわれたとしたら」
「うそだ!」
血溜まりに叩き付けるように落とされる。
緩やかな再生を開始したその身体の上に、小悪魔が覆い被さってくる。
「お止し小悪魔」
「嫌……です」
悪魔の妹は、眼下で繰り広げられる怖気湧く三文劇を見下ろしながら魔女の言葉を反芻していた。
何度も何度も反芻し、そして、くすっと微笑んだ。
「アイツが死ぬなんて有り得ない。だって、まだ私に会いに来てくれていないもの」
「フランドール……レミィはこの部屋に訪れない、来られない理由があるの」
「それ、もう何千、何万も聞いたわよ? さあ此処で一つ、クイズです。その台詞だけで私が解ったと素直に待てるだけの時間は何日? 何時間? 何分? ……ハハッ! アイツは……私を数百年放置した! 封印した! ねえお師匠様? あんたに教わった数々には感謝しているし、教鞭を振ってくれたあんたも好きよ。だけど、憎いのは別のことなの」
近づく。そこで、再生もおぼつかなくなってきた、しかし上半身だけで魔女に覆い被さり盾となっている小悪魔を蹴り飛ばす。
その威力、悪魔の低級とはいえパチュリーが呼び出し召喚に応じたそれなりの位階をもつ悪魔だ。それをいとも容易く破壊する。
壁にべちゃりと、四つの紅い花がオブジェとなった。
「まったく、よわっちいくせにしつこいったらないわ」
「そう、私も……最初はそう思っていた」
「…………?」
「小悪魔……あの子は今尚私を護ろうとしている。それは契約によるものよ。だけど、魔力が尽きかけ最早再生も鈍亀のようになっている。それでも、肉塊となったあの状態でもなお私を護ろうと動いている……あの巫女は、契約もなく動き、霊力も魔力もないのに無限の回帰を見せている……一切の、衰えを見せずに」
「…………みこ?」
「そう、巫女……博麗の巫女」
「はくれいの、みこ……」
「あれは、常軌の外にある」
「……………………」
「そして、それが貴女の姉を狙っているの」
「……そ、そんなの……あんたが斃せば良いじゃない」
「そうできたら、此処でこんな、芋虫の真似事はしていないわ。私は無間の殺し方など探れない」
「美鈴は?」
「あの子では無理だった」
「メイドは?」
「今戦っているわ……おそらく永くは保たないでしょう」
悪魔の真紅の瞳に困惑が浮かぶ。
死ぬ……? 死ぬって、何?
お姉様が死ぬ?
自分の吐いた言葉なのに、自分こそが酷い狼狽をしていた。
だって、私達はノスフェラトゥ。
イモータルなるもの。
死、などというものが訪れるわけはない。
それなのに……この魔女の見せた切実は、フランドールの中に疑念と恐怖を湧かすには充分に過ぎた。
姉が、死ぬ。
あんなに憎んだ姉なのに。
あんなに焦がれた姉なのに。
姉が、死ぬ?
死ぬって、なんだ?
「お師匠様……死ぬって、なに?」
「……もう逢えなくなることよ」
「あれから一度だって、逢ってくれなかったくせに?」
「気付いているのでしょう? レミィが何千、何万と、扉の前に立っていたことに」
「…………」
「そうじゃなければ、貴女は姉を憎めない……好きだから、憎むのだから」
「……詭弁よ。私を閉じ込めた行為が変わるわけじゃない」
「そうね……でも、その理由をすら識ってしまったらいけないことなの。フランドール。貴女に姉の苦悩が解らないはずが、ないのよ。あんなに賢い貴女なのだから」
言葉の意味は解る。
だけど、それを信じるには数百年は永すぎた。
大好きだった姉、愛していた姉。その想いが本当かどうか、もう自信が無い。
だけど、それでも――。
「どいつもこいつも……好き勝手する奴等ばっかりで嫌になる」
ぽい、と血溜まりの中に魔女の残骸を投げ落とす。
くぐもった声を挙げる魔女に向け――
「さっさと再生しなさいよ。当てつけのつもり? 防御法も、再生法も、痛苦を忘れる術さえも外してさ! そういうところがだいきらい!」
「貴女にはどれも意味ないことだから、最初から外しちゃうのよ」
「うそつき」
「貴女こそ、嘘吐きね……本当に嫌いなら、最初から心臓を壊せば良いでしょうに」
「…………いいわ。もう一回、騙されてあげる……だから、二度とこんな真似はしないで。あんたの性癖を疑うわ」
「……優しい子。どうか、あの巫女を止めて――だけど、けして使い過ぎては駄目よ」
応えず、悪魔の妹は天井に手を翳した。
――途端、崩れ落ちていく壁、階層、露わになるフロア。
ふわりと浮かび、真っ直ぐに、上へ。上へ。
まったく使えないやつらだわ。
お姉様を御守りできるのは、結局このわたしだけ!
その使命を思い出した狂える悪魔の妹の顔には元来の朗らかさが戻っていた。
「お呼びでしょうか、紫様」
「藍、お前、あの“肉”の始末は済ませたの」
……マヨヒガ、幻想郷の賢者の仮住まい。
賢者とその式神はそこで生活のような、生息のような、ともかく存在し続けていた。
その仕事は多岐に渡る。
しかし目的は幻想郷の管理、ただ一つだ。
この場に於いてそれは行われる。
監視と、管理と、そして、干渉。
「……霊夢なら、確かに埋葬いたしました」
「そう……じゃ、これはなに?」
紫が彼女の異能である隙間――空間の穴を拡げ、そこに映像を映し出す。
異郷の服装をした妖怪。
たしか、紅魔館とかいう吸血鬼、レミリア・スカーレットが棲むようになった根城を護る妖怪だったはず……と、それに対峙する――
巫女。
「霊夢!?」
そこに立っていたのは、確かに博麗霊夢、そのひと。
黒髪を紅夜に靡かせ、意志の強そうな瞳を爛と輝かせ、藍の教えた術と体術とで、かの妖怪と戦っていた。
そのすがたは見紛うことなく、藍が少しの間だけ育てた巫女であり、しかし……藍が把握していた、未熟で可愛らしいことだと心配しつつも見守るつもりであった幼い児戯の如く術ではない、藍をして脅威を感じさせるほどの霊気を纏い、しかもそれを自在としている。
その強さは、藍の想定を遥かに超えた、驚嘆すべきものであった。
「こ、これ、は……私は識りません。確かに埋めたのです。それに、こんな――」
「そう……何が起こっているというのかしら」
主の声に疑問の色が見える。
この幻想郷に於いて彼女の識らぬがあってはならぬ。
それは管理の外、それは危険なものと同義である。
取るに足らぬものならば放置も良かろう。だが……。
ついさっき、諦めたものがまさかこうして――。
「藍、その埋めたものを探りなさい……よくないことが起こっているわ、私は原因を探します」
「畏まりました。あの……」
「なに?」
「もしも、もしもこの映像の霊夢が霊夢であったなら――」
「有り得ません。巫女はたしかになくなったのだから」
「なくな……しかし、しかし、たしかにそこに――」
「だから、探るのよ。あれがなんなのか。想定外の事象に対処するのは当然。最悪、私達で処理せねば」
藍は口を開きかけたが、紫の、名の如し紫瞳を見て、やめる。
隠しきれぬ悲哀と……歓喜がそこに視えたからだ。
彼女はそうだ、霊夢を見出したもの。
哀しくないわけが、嬉しくないわけが、ないのだ。己を恥じる。
すべてを識り、その上で、冷酷を振るうのだ、この方は。
処理。その言葉が重くのし掛かる。
駄目だ、この方にそれをさせたくは、ない。
「解りました。対処いたします」
「頼みましたよ」
八雲性と共に貸し与えられた空間制御を用いてあの墓標へと向かう。
あの遺骸をまた見るかもしれない不快に耐えねばならない。だが心の何処かで確信もあった。掘り起こしても、何も出ないのだろうと。
***
紫の魔女は急いでいた。
彼女にしては珍しく、小走りに歩き、やがて飛び上がり、苦笑した。
真紅の天鵞絨からふわり、飛翔が始まる。
――焦りから飛ぶことを忘れていた事に。
(まずい……拙いわ。あれは、あの巫女は、私の持つ知識の外にある)
賢者は直感に頼らない。
身に宿した知識と研鑽だけが彼女を動かす。
だが、悪魔の王は直感だけで動いている(ような気すらする)
間違いない、このままではあの巫女は今夜の内に悪魔の王と謁見に至る。
「あの子の能力に期待はできる……けれど、止めることは出来ない」
紅魔館の有能なメイドのことだ。
おそらく今頃巫女と対峙して、そして、その異質に気付き、対応している頃だろう。
それでも、それでもだ、メイドは巫女を“殺しきれない”
「レミィ……貴女、もしかして……」
言葉にはしない。
言霊とは怖ろしいものだ。口にしたことが現実に訪れるほどに。
賢者はおうさまを愛している。
だからそれは、けしてくちにしてはいけないことだ。
賢者は紅魔館の紅い廊下をやがて地下深く深くに続く階段に辿り着き、墜ちていく。
目指す先は、あの子が霧を望んだ原因。根本。
パチュリー・ノーレッジは美鈴が道を譲ったのを見届けた親友の顔を見たとき、部屋を後にした。
――あの巫女をレミィに合わせてはいけない。
賢者は直感に突き動かされる。
それは身に宿した知識と研鑽が与える想像、構想である。
その、知識と研鑽とが、あの巫女がおそらく悪魔の王を滅ぼすに至ろうとしていると警告してきた。それはつまり、魔女のちからを以てしても止められないことと同義である。
……あの回帰は、異常だ。
パチュリーの知るあらゆる再生、輪廻、回帰の術法でもあんなものは有り得ない。
死、という概念が根本から存在していない?
だがどうして?
闇の妖怪に遺骸を貪られ、
妖精に氷漬けのばらんばらんにされてきたのを見た。
その度に蘇るのを見た。
其処までなら、理解の範疇にあったのだ。
美鈴との戦いで、なにかが変わった。
美鈴が変えたというわけではない、おそらくだが……あの巫女が今までの死から何かを学習し、変質したのだ。
「いや、死ではない……あれは……そう、コンティニュー、か」
強さだけなら御せる。
その自信も手段も術も知識もある。
今でもそれは揺るがない、ただ……。
あの回帰。
秒にも満たない死の克服。
否、再開。
再開の度にあの巫女は何かを得て戻ってくる。
そして、美鈴の前で自死を選んだあの姿で確信した。
あれはもう生物の枠すら超えようとするものだと。
世界のルールを超えたものだと。
生物は、死なねばならないのだ。それこそが必至である。
人間でも妖怪でもない、なら、アレはなんなのだ?
理解できない恐怖を感じた。
アレをレミリアに逢わせるわけには行かない。
そして……あの子は、おそらくあれをこそ待っていたのだ!
「…………まったく、馬鹿げた話だわ。コンティニューね……なら、やっぱり私の考えは正しい。うってつけの相手は、別にいる」
扉の前で、止まる。
自分が封印の術をかけた扉。
だが、いつだって“破壊”される事を解っている、建前の監禁。
だけど、その扉は静かに封印を護っている。
……姉への愛なのか、それとも、狂気なのか。
だが、今はどうでもいい。今必要なのは、後者なのだから。
「……フランドール。起きていて? 貴女の姉が……危険なの。貴女のちからが必要。全てを破壊する、貴女のちからが」
***
「貴女、人間なの?」
「それがなにか? ……お掃除の邪魔ですわ」
最初のやりとりは、こんな言葉だった。
目の前に忽然と現れたメイド……? そう、メイドというやつだ。銀の髪、蒼い瞳を持つメイドは、そういって霊夢の前に立ちはだかった。
美しい洋装、芸術的な調度品の数々、趣味の良い、かつ、くどくない程度に置かれる絵画、そして彫刻、手入れの行き届いた花瓶。
豪奢なる紅い館。
場違いなのは、ぼろぼろの巫女服を纏った自分だけだ。
「まあいいわ、そのお嬢様に会いに来たのだけれど」
「お嬢様は滅多にひととお会いになりませんわ。そも、どんな誤用でしょうか?」
「なんか言葉の趣旨が違う気が」
「同じですわ。此処に来た時点で誤っているのだから」
……雰囲気はある。
門番との戦いを経て、そういったものをすっかり見通せるようになったようだ。
雰囲気はある。あるが、先の妖怪よりも容易そうにも視えた。
殺さないで、か……。
つまり目の前のメイドは人間なのだ。
「御主人と会いたいのだけど」
「誰にも会わないと仰せつかっております。つまりは、止めろと」
「ああ、そう……ならすることは一つね」
「踵を返してお帰りになるという道もございますが」
「のーるっくばっく」
それが戦いの宣言。
霊夢はいつものように退魔針と、札を用意しようとして――
気付けば黄昏の境内にいた。
「……あれ?」
いま終わったのか、私は?
なにをされた? なにもしていないのに終わらされたのは初めてだ。
まあ、いいか。
「!」
一瞬の内に、巫女の喉にナイフが突き刺さって――いた筈なのに、手にした大幣が空を切り、メイドの元いた場所を一閃していた。
驚愕し、振り抜くのは巫女。
飛び退きつつ、驚愕するのは紅魔のメイド。
確かに殺した。だのに、一瞬の間の後、反撃してきた。
なにもしないのに死んでいた。
「「――なにをした?」」
同時の台詞であった。
一瞬の間があり、動き出したのは巫女の方だった――が、動き続けるのはメイドの方だ。
咲夜の世界――そこは彼女だけの動ける世界。
時間の止まった空間。紅魔館のメイド、十六夜咲夜は動き始めたままに止まっている巫女をじいっと観察する。
「何者なの、この子……? みたところ只の人間だわ」
いつものようにナイフを投げる。手元から離れた獲物は喉元に届かんところで時間停止の領域に入り、ピタリと止まった。
咲夜は巫女から間合いを離し、更に2、3、4とナイフを投げ、それから時間を動かした。
いつものように、それで終わる話。
次々に刺さるナイフ、斃れる――筈の巫女は驚いたように周囲を見渡し、そして此方を見付けて突撃してきた。
――速い!
再び時間を止めることに間に合った、ときにはすぐ眼前に、巫女の顔があった。
「……この子……」
何者だ?
主からは、巫女としか聞いていない。
咲夜は他者に興味を持たない。
メイドには必要のない知識だからだ。
ただ主のために命令をこなし、尽くす。それだけでよいのだ。
だから、彼女から「止めろ」とオーダーされたなら、ただそれをするだけ。
芥を片付けるに過ぎない。
だが……この芥は、塵箱から勝手に飛び出してきた。
その眼を見て、ぞくりと背中に怖気が走る。
その目は……多分、自分が“獲物”に相対したときの眼と同じだったから。
即ち、塵を片付ける、だ。
「それは、貴女がしていい眼ではないわね」
冷や汗を一筋。
口にしたのは、強がりだった。
人は理解の範疇を超えたものに恐怖する。だから、形骸化する。
“説明の付かないものだ”と、“説明を付ける”ことで、安心を得る。
それはやがて、妖怪と呼ばれるようになる……これは居候の魔女の言葉だ。あの賢者気取りの居候になら、目の前の摩訶不思議を解明できるのだろうか?
だがのんびりと聞きに行くつもりはない。
この巫女を放置すれば、次に控えているのは忠義を誓う主のみ。
「……かんたんなことよ、殺して、殺して、殺して、殺す」
……永いガリアードになりそうだ。
大丈夫だ。万象は滅ぶ、死ぬ。
この理だけは、妖怪であろうと、人間であろうと変わらないと主に教わった。
そして咲夜はその理を半歩ほどはみ出した人間だ。
アドバンテージはいつだって此方にある。
咲夜は懐に忍ばせる銀の懐中時計を握り、そして、時を動かした――。
破壊
開かれた封印。
砕けた壁、床、内臓のぶちまけられたテディ・ベア。
これ見よがしに転がっている“外”の品々。
床の血風呂。その中央、身体全部をばらばらにされ、なお密かに息をしている司書の悪魔。
そして……隣で蹲る魔女。
魔女を見下ろし、くすくすと、愉しげに嗤う少女がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
「何しに来たのかと思ったら、わたしに闖入者をころせ、ですって? 馬鹿なお師匠様(マエストラ)。わたしがあんたの言う事なんて、聞くわけないでしょぉ? わたしを――」
よっつめの少女が、魔女の頭を蹴り抜いた。
気を失いかけていた魔女が、呻き声を上げ、意識を戻す。
「わたしを封じ込めておいて、わたしを此処に独りにしておいて、都合の良いときだけ利用したいっていうの? お前も! アイツも!」
「ぐっ……が……き、聞いて、フランドール……」
「またお小言? 聞き飽きたわ、先生(プロフェッソーラ) あんた達はいつもそうやって私を狂人扱いするのね。……まっ、私はたしかに狂っているわ。だけどね、おまえたちはどうなの? 人妖のことわりだなんて、つまらないことを必死に護って、人間どもから逃げて、逃げて、ようやっと辿り着いたところで隠れ住む。ふふ、バカみたい。王者でも賢者でもないわ、ただのめそめそした隠者よ、愚者よ。ねえ、どこに安寧があるというの? どこにいったっておなじことよ。外と中、やつらとおまえら、あなたとわたし、正しいのは、どっち?」
「き……聞いて、フラン」
「お前がその呼び方をするな!」
ぶち、と音がする。
みっつめの少女が魔女の脚を踏み砕いた音。
くぐもった悲鳴が部屋に響き、血風呂の“かさ”が増えていく。
「パチュリー様になにをする!」
「うるさい」
司書の悪魔が再生を終えた瞬間に立ち上がり、主を護ろうと――する前に弾け飛んだ。
かれこれ数十回めになろう、空しい再生を繰り返し始める小悪魔。
それはただただ忠実さから、否、契約から魔女を護ろうとし、護れないならば唯の一瞬でも標的となって魔女の痛みを和らげようと回帰し続けた。
……あれが、普通の妖怪だ。
魔女は片脚を失った気も狂わんばかりの痛みの中で、思う。
この脚だって、そうだ。痛い、痛いがやがて戻る。治る。再生する。それは魔女が妖怪だからであり、回帰する魔術があるからだ。
小悪魔も同様である。
だがあの巫女は――あれは、魔術でも奇跡でも霊力でもない、別の何かを以てして、戻ってくる。その謎が解けない限り、あの巫女は悪魔を斃しうる存在である。
その常篇を覆すには、やはりこの子の破壊が最適解だと思う。
この子のそれは、存在の核を破壊する。
如何にあの巫女がしなずのものであろうとも……。
「ねえ、お師匠様、ダルマになっちゃう前にごめんなさいの一言も言えないの?」
「……謝るという行為は、間違ったときにだけするものよ」
「ふうん」
魔術詠唱の阻止のつもりだろうか首を掴まれ持ち上げられる。
ふたつめの少女が、魔女の右手を握りしめる。
――今度は引っこ抜く気のようだ。
魔女は、痛みの伝導回路を切る魔術を識っている。
識っているが、使わない。
ぶちり、と音がして、魔女の嫋やかな腕が“もげた”
新たに増えた壊れたテディ・ベア。
魔女の形は歪なシルエットを浮かばせ、フランドールの腕一本で浮いていた。
あまりも容易く取れてしまうそれは、防御の術もかけていないからであり、即ち魔女はその身体をそのままに危険に過ぎる狂った吸血姫の前に晒していた。
「――アッ、があああ!」
「あははははは! 凄い声っ、お師匠様、無様な泣き声。鼻水まで垂らしてどうしたのぉ?」
気絶しそうになるが、歯を食いしばり、堪える。
好きなだけ、弄ぶが良い。そうされるだけの罪を背負っている自負はある。
――だが、間違ってはいない。だから、謝らない。
師は、弟子に正しきを教えねばならないものだ。
涙と鼻水とでくしゃくしゃになったまま、パチュリー・ノーレッジはひゅうひゅうと息を吐き、声を少しずつ紡ぐ。
「お願いよ、フランドール……あなたのちからが必要なの……貴女の、姉が、死なないために」
「……アイツが死ぬ? そんなこと、あるわけないでしょう? あんたが何を言っているのか、てんで理解できないわ。アイツは悪魔の王。恐怖で夜を統べる凶王、串刺し公の末裔(すえ)、此の世で最も著名な吸血種のなれのはてなのよ? 馬鹿馬鹿しい。私を閉じ込めるための狂言はもう、うんざり!」
「……それでもなお、ころせるものがあらわれたとしたら」
「うそだ!」
血溜まりに叩き付けるように落とされる。
緩やかな再生を開始したその身体の上に、小悪魔が覆い被さってくる。
「お止し小悪魔」
「嫌……です」
悪魔の妹は、眼下で繰り広げられる怖気湧く三文劇を見下ろしながら魔女の言葉を反芻していた。
何度も何度も反芻し、そして、くすっと微笑んだ。
「アイツが死ぬなんて有り得ない。だって、まだ私に会いに来てくれていないもの」
「フランドール……レミィはこの部屋に訪れない、来られない理由があるの」
「それ、もう何千、何万も聞いたわよ? さあ此処で一つ、クイズです。その台詞だけで私が解ったと素直に待てるだけの時間は何日? 何時間? 何分? ……ハハッ! アイツは……私を数百年放置した! 封印した! ねえお師匠様? あんたに教わった数々には感謝しているし、教鞭を振ってくれたあんたも好きよ。だけど、憎いのは別のことなの」
近づく。そこで、再生もおぼつかなくなってきた、しかし上半身だけで魔女に覆い被さり盾となっている小悪魔を蹴り飛ばす。
その威力、悪魔の低級とはいえパチュリーが呼び出し召喚に応じたそれなりの位階をもつ悪魔だ。それをいとも容易く破壊する。
壁にべちゃりと、四つの紅い花がオブジェとなった。
「まったく、よわっちいくせにしつこいったらないわ」
「そう、私も……最初はそう思っていた」
「…………?」
「小悪魔……あの子は今尚私を護ろうとしている。それは契約によるものよ。だけど、魔力が尽きかけ最早再生も鈍亀のようになっている。それでも、肉塊となったあの状態でもなお私を護ろうと動いている……あの巫女は、契約もなく動き、霊力も魔力もないのに無限の回帰を見せている……一切の、衰えを見せずに」
「…………みこ?」
「そう、巫女……博麗の巫女」
「はくれいの、みこ……」
「あれは、常軌の外にある」
「……………………」
「そして、それが貴女の姉を狙っているの」
「……そ、そんなの……あんたが斃せば良いじゃない」
「そうできたら、此処でこんな、芋虫の真似事はしていないわ。私は無間の殺し方など探れない」
「美鈴は?」
「あの子では無理だった」
「メイドは?」
「今戦っているわ……おそらく永くは保たないでしょう」
悪魔の真紅の瞳に困惑が浮かぶ。
死ぬ……? 死ぬって、何?
お姉様が死ぬ?
自分の吐いた言葉なのに、自分こそが酷い狼狽をしていた。
だって、私達はノスフェラトゥ。
イモータルなるもの。
死、などというものが訪れるわけはない。
それなのに……この魔女の見せた切実は、フランドールの中に疑念と恐怖を湧かすには充分に過ぎた。
姉が、死ぬ。
あんなに憎んだ姉なのに。
あんなに焦がれた姉なのに。
姉が、死ぬ?
死ぬって、なんだ?
「お師匠様……死ぬって、なに?」
「……もう逢えなくなることよ」
「あれから一度だって、逢ってくれなかったくせに?」
「気付いているのでしょう? レミィが何千、何万と、扉の前に立っていたことに」
「…………」
「そうじゃなければ、貴女は姉を憎めない……好きだから、憎むのだから」
「……詭弁よ。私を閉じ込めた行為が変わるわけじゃない」
「そうね……でも、その理由をすら識ってしまったらいけないことなの。フランドール。貴女に姉の苦悩が解らないはずが、ないのよ。あんなに賢い貴女なのだから」
言葉の意味は解る。
だけど、それを信じるには数百年は永すぎた。
大好きだった姉、愛していた姉。その想いが本当かどうか、もう自信が無い。
だけど、それでも――。
「どいつもこいつも……好き勝手する奴等ばっかりで嫌になる」
ぽい、と血溜まりの中に魔女の残骸を投げ落とす。
くぐもった声を挙げる魔女に向け――
「さっさと再生しなさいよ。当てつけのつもり? 防御法も、再生法も、痛苦を忘れる術さえも外してさ! そういうところがだいきらい!」
「貴女にはどれも意味ないことだから、最初から外しちゃうのよ」
「うそつき」
「貴女こそ、嘘吐きね……本当に嫌いなら、最初から心臓を壊せば良いでしょうに」
「…………いいわ。もう一回、騙されてあげる……だから、二度とこんな真似はしないで。あんたの性癖を疑うわ」
「……優しい子。どうか、あの巫女を止めて――だけど、けして使い過ぎては駄目よ」
応えず、悪魔の妹は天井に手を翳した。
――途端、崩れ落ちていく壁、階層、露わになるフロア。
ふわりと浮かび、真っ直ぐに、上へ。上へ。
まったく使えないやつらだわ。
お姉様を御守りできるのは、結局このわたしだけ!
その使命を思い出した狂える悪魔の妹の顔には元来の朗らかさが戻っていた。