輪舞
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
悪い夢の中にいるようだった。
咲夜の世界。
其処は、誰にも侵略されることのない、文字通り十六夜咲夜だけの世界。
だが……この世界にとどまることが、こんなにもおそろしく感じるなんて……。
「次は……次は何処で時を動かせば……」
殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺した。
数えきれない地獄を味わわせたと云うのに巫女は、
唯の一度も地に伏さず、
ナイフの致命を受ける度、その致命をまるきり無視して咲夜に近付いた。
殺す度、投げる度、時を刻む度、その精度は少しずつ、少しずつ上がっていった。
時を止める度、殺した、と確信する度、巫女が、少しずつ、少しずつ……咲夜の傍に近づいてくる。
百を超えた辺りで気付いた。
この巫女は、咲夜の攻撃パターンを読んで、先回りするように突撃をしているのだと。
死ぬことに、一切の頓着をしていない。
まるで呼吸をするかのように、死を受け入れ……受け入れ? 否、死を拒んでいる。
否、死が拒んでいる。
巫女は、死で止まらない。
巫女は、死で終わらない。
千を越えた時、その精度の向上と共に咲夜の攻撃パターンは回避、間合いを離す事に集中を開始した。
それなのに――。
巫女は、時を止め、時が動き出した位置を予想して大幣を振るようになった。
咲夜の起動地点に置くように針を投げるようになっていった。
咲夜の回避に追い縋るように札が飛ぶようになってきた。
転じて至近距離を挑んだ時、待ち構えていたように陰陽玉に挟まれそうになった。
全て、咲夜は時を止めて対応し、そしてやり過ごした。
そう“やり過ごし”始めていた。
ナイフを投げ続けても止まらない。
撤退の二文字だけは許されない。
咲夜に出来ることは、この永い、永い、ガリアードを踊り続けることだけだった。
終わりなきガリヤルド。
いつか、針が尽きるのではないか、
いつか、札が尽きるのではないか、
いつか、命が尽きるのではないか、
そんな細い希望だけに縋って続く、楽しげにステップを刻む舞曲。
ワンミスで終わる陽気なダンスは、何処までも、何処までも続いた。
……咲夜の精神は限界に近付いていた。
戦闘時間にすればまだ十分も経っていないだろう。
だが、時を止めた時間を計算に入れるなら、既に二十四時間を超えていた。
巫女も驚異的な能力と狂気の戦闘力を示したが、この、未知なる脅威を前に此処まで戦えたのは、咲夜もまた、狂気の住人、人外に近しい精神力をもつ故であった。
だが出会ってしまったのが、人外どころではない、理外の存在であったのが、唯一つの不幸であった。
だがそれでも……それでも尚、恐怖に泣き叫びたいだろう、気を狂わせた方が寧ろ楽であったろう状況の中、踊り続けていた。
「……いつ頃からか、距離を無視するようになったのよ、この子」
止まった世界で、ともすれば叫びだしそうな恐怖を少しでも拭うため、肩で息をしながら戦況を整理する。
そうだ、自分と同じ技術ではないようだが……巫女は空間を跳躍した。
時間を止め、離れるというアドバンテージが殺された。
それで戦況は激変したと云っていいだろう。
何処に移動しようと、まるで読み切ったように巫女は其処にいるのだ。
どんな奇策を用いても、だ。心が読まれているのかとすら思った。
だが、万を超えた辺りで解ってきた。
この巫女は咲夜の一挙一動全てを盗み見ている。
筋肉の動き、目の動き、能力発動のタイミング、ナイフを投げた時の体幹、回避に飛び跳ねた時の着地予想点。全て、統べてだ。
それを巫女の中で計算があって、予想する。
究極的な戦術眼、未来視にも近い能力。
だが、それは彼女にとって戦闘勘で片付けることなのだろう。
……思えば巫女は自分とタイプが似ている。
ひとつの強力な能力を起点にしてあとは体術のみで戦うという点だ。
おそらく空間跳躍はあの不死性となにか関係があるのだろう。自分の時間干渉と同じように。
「全て見破られているという事は、戦闘技術で上を行かれているという事よね……甚だ不愉快なことだわ」
脅威から身を避けるならば間合いをずっとずっと遠くに離せばいい。
だが、何処まで離れればいいのか解らない。
そして離れすぎては其の儘奥へと向かわれた時に止められない。
咲夜の世界の出入りには、入る時、そして出る時に僅かのタイムラグがある。その、僅かな時間を、巫女は最大限利用しているのだ。
間合いを離しすぎたら当然それは更なる利用をされるだろう。
「お嬢様……」
膝が僅かに震え始めていることに気付いていた。
恐怖では、けしてない。
疲労である。
こんな精神を摩耗する戦いを強いられたのは初めてだ。
「狡すぎるのよ……こっちはワンミスで終わるのに、コイツは何回繰り返せば終わるの……終わるのよ!」
ナイフを投げ――ようとして、止める。
効くが、利かないことはもう十二分に解っているからだ。
手の中に輝く銀のなんと心細いことか。
どうすれば死んでくれるのだ、このけものは。
どうすれば終わってくれるのだ、この舞曲は。
答えはひとつのように思えた。
「いいえ、いいえ……咲夜は何処までも貴女のメイドです」
一瞬だけ、
千の万に近付いた時に過った楽になる方法を、頭を振って、拒む。
――時を、動かした。
ひゅおっと空を切る大幣。
咲夜の頬から血の花が咲く。
遂に掠った。
捕らえられた。
大きく、大きく跳躍する。巫女は針を投げこそすれ追っては来なかった。
此方の意図まで読みきっているというのか……。
あと、数回だな。
その攻防の一瞬で最期を理解した。
間合いを離し、会話を試みる。
案外、この巫女はそれに応えてくれる。これも、咲夜にとっては屈辱であると同時に僅かな救いの時間となっていた。
「……貴女……なにものなの?」
「博麗の巫女」
「そう……私には、ただのバケモノにしか見えないわ」
「それでも良いわ。この異変が収まるならば」
決死を覚悟する。
だが、命を燃やす如きでこの巫女は止まらない。
ひとつの案があった。
自分の身体ごと、あの巫女に縫い付ける。
それで動きを止めることが出来るなら、少しでも、あの御方の元へ巫女が向かうのを阻止できるなら。忠義。咲夜の命は、ただそれだけのためにあるのだ。
「でも、最期まで貴女の時間はわたしのもの……そこだけは、譲らない」
「……? どうでもいいわ、続けるのね?」
巫女の、前触れの見えない稼働。
これも、厄介であった。
古武術とかいうものの奥義にそんなものがあると聞く。
秒に満たない攻防では、その無拍子は覿面に効果があった。
だがそれも最早此処まで。
咲夜は、敗北よりも、これで楽になれるという開放感と、やりきったという使命感とに満足すらしていた。
巫女が迫る。
すぐ手前、時を止め――られない、早すぎる!?
無拍子で、空間を超えてきたのか!
そんなもの、誰にも捕らえられるわけがない――。
なんて、狡い……咲夜が敗北を理解したその時、
ぱぁん、と――
巫女が、はじけて消えた。
「……え?」
「なにをやっているの? 駄目メイド」
「……! あ、あ、妹様……」
巫女が消えた其処。床にぽっかりと大穴が空いていた。
フランドール・スカーレット。
敬愛する主の妹。
咲夜はわずか数回程度しかそのお姿を見たことはなかった。
恐らく、わざと会わせないようされていたのだと思う。
巫女の消えたことよりも、戦闘がもう終わったのだと言うことに、安堵の息を吐くと同時に両脚の力が抜け、ぺたりとへたり込んだ。
「だらしないなあ」
「も……申し訳ございません」
「……立てないの?」
「も……申し訳ございません、だらしない姿を」
「めーりん! 見ているんでしょう?」
フランドールの声にいつからいたのか。すうっと、空中から忽然と門番、紅美鈴が出現する。
驚き、いつから其処に……と聞こうとしたが、今はそのような状況でないと口をつぐむ咲夜。フランドールはさもそれが当たり前のように咲夜を指差した。
「使えないメイドを運びなさいよ、気が利かないわねぇ」
「はあ、すいません」
「も、申し訳ございません……! も、もうすぐ立てますから」
「じゃ、後は任せたわよ。おっきな穴あけちゃったし」
「ちょ――何処に行かれるのですか、妹様」
出口の大扉にとことこ歩きだすフランドールを見て、咲夜を抱き起こした美鈴が驚き声をあげる。
「決まっているじゃない、巫女を片付けてあげたでしょ? お外に遊びに行くのよ……小癪な魔女の雨はしばらく降らないだろうしねえ」
「お待ちください、そんなことをされては私が怒られてしまいます」
「怒られりゃ良いじゃない。私がどれだけ閉じ込められてきたのか、知らないとは言わせない」
「…………」
「ふふ、美鈴。あんたも好きよ。毎日ずうっと、お部屋の前でお話ししてくれたわよね。あのね、あのおはなしがあったおかげで、私は死にそうな退屈から救われた」
「私に出来ることは、それくらいですから」
「だけどね、そのせいでお外に興味が尽きないの……今日は頭痛も酷くないわ。それに、見て、この見事な暗夜! 妖怪なら、外に出なくっちゃあでしょ?」
「いや、それは……」
「話はそれだけ? だったらそのメイドと一緒に下がりな……あんたをこわしたくはない」
「…………」
腕の中の咲夜が「美鈴、私を降ろして」と、小さく囁く。
……そうだ、この腕の中のだいじなものを棄てることは出来ない。
美鈴が館主に対する不徳を決意したその時――
二つの妖怪に怖気が奔る
「……私、たしかにちゃんと壊したわ」
「……しかし、これは確かに……」
「めーりん、その駄メイドをつれていきな」
「解りました」
フランドールの声と共に美鈴は咲夜を「失礼します」と抱いたまま持ち上げ、走り出す。
事の次第を読めない咲夜だったが、フランドールと美鈴のやりとりから察する。
……馬鹿な、破壊されたものが戻ってくると?
だが、心の何処かでそれを認めてもいた。あれほど死から遠い人間だ。破壊すら超えてきたのだ、と。
「ま……待ちなさい美鈴! 妹様に戦わせるわけにはいかないわ! 頭が痛いと――」
「いいえ、もう貴女は戦えませんよ、咲夜さん。そしてアレはもう、私達でどうにかなる域にありません」
「何を……それでも紅魔館のしもべなの?」
「ええ、忠節を誓うしもべです。故に、逃げます。偉大なおうさまは、私達の誰が欠けても哀しむと思うのですよ。なら、拾える命は拾わねばなりません」
「妹様を放っておいて!? 貴女、貴女だけでも行きなさい、私は――」
「それも止めておきましょう。恐らく……邪魔になります。妹様が本気で戦うのなら」
「…………」
瞬く間に玄関ホールから遠く離れていく――その、視界から消えゆこうとする空間が揺らぐのが、視えた。
「戻ってきた」
「そうですか……厄介ですねえ。あれはもう、人の範疇にはないのかもしれません」
「美鈴、駄目よ、妹様が危なくなったら……」
「その時になったら、行きます……咲夜さん、その時は、どうか……巫女へと降るよう、お嬢様にお願いしてみては頂けませんか?」
「え……何を言っているの?」
「確かにお願いしましたよ」
美鈴はそう言って、咲夜をセフティ・ルームへと放り込み、外から鍵をかける。
唐突なことに対応が遅れた咲夜は自分がされたことを僅かに遅れて理解し、ふらつく脚でドアへと縋る。
「何をしているの美鈴! 開けなさい!」
返事は戻らない。
美鈴は……最初からそれが目的だったと気が付いた。
紅魔館に、なんの為にあるのかずっと不思議だったセフティ・ルーム。
この部屋は、咲夜のためにあったのだ。
唯一人の人間の為に。
「美鈴! 美鈴! 開けて! 私もそっちに行かせて!」
返事は、戻らなかった。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
悪い夢の中にいるようだった。
咲夜の世界。
其処は、誰にも侵略されることのない、文字通り十六夜咲夜だけの世界。
だが……この世界にとどまることが、こんなにもおそろしく感じるなんて……。
「次は……次は何処で時を動かせば……」
殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺した。
数えきれない地獄を味わわせたと云うのに巫女は、
唯の一度も地に伏さず、
ナイフの致命を受ける度、その致命をまるきり無視して咲夜に近付いた。
殺す度、投げる度、時を刻む度、その精度は少しずつ、少しずつ上がっていった。
時を止める度、殺した、と確信する度、巫女が、少しずつ、少しずつ……咲夜の傍に近づいてくる。
百を超えた辺りで気付いた。
この巫女は、咲夜の攻撃パターンを読んで、先回りするように突撃をしているのだと。
死ぬことに、一切の頓着をしていない。
まるで呼吸をするかのように、死を受け入れ……受け入れ? 否、死を拒んでいる。
否、死が拒んでいる。
巫女は、死で止まらない。
巫女は、死で終わらない。
千を越えた時、その精度の向上と共に咲夜の攻撃パターンは回避、間合いを離す事に集中を開始した。
それなのに――。
巫女は、時を止め、時が動き出した位置を予想して大幣を振るようになった。
咲夜の起動地点に置くように針を投げるようになっていった。
咲夜の回避に追い縋るように札が飛ぶようになってきた。
転じて至近距離を挑んだ時、待ち構えていたように陰陽玉に挟まれそうになった。
全て、咲夜は時を止めて対応し、そしてやり過ごした。
そう“やり過ごし”始めていた。
ナイフを投げ続けても止まらない。
撤退の二文字だけは許されない。
咲夜に出来ることは、この永い、永い、ガリアードを踊り続けることだけだった。
終わりなきガリヤルド。
いつか、針が尽きるのではないか、
いつか、札が尽きるのではないか、
いつか、命が尽きるのではないか、
そんな細い希望だけに縋って続く、楽しげにステップを刻む舞曲。
ワンミスで終わる陽気なダンスは、何処までも、何処までも続いた。
……咲夜の精神は限界に近付いていた。
戦闘時間にすればまだ十分も経っていないだろう。
だが、時を止めた時間を計算に入れるなら、既に二十四時間を超えていた。
巫女も驚異的な能力と狂気の戦闘力を示したが、この、未知なる脅威を前に此処まで戦えたのは、咲夜もまた、狂気の住人、人外に近しい精神力をもつ故であった。
だが出会ってしまったのが、人外どころではない、理外の存在であったのが、唯一つの不幸であった。
だがそれでも……それでも尚、恐怖に泣き叫びたいだろう、気を狂わせた方が寧ろ楽であったろう状況の中、踊り続けていた。
「……いつ頃からか、距離を無視するようになったのよ、この子」
止まった世界で、ともすれば叫びだしそうな恐怖を少しでも拭うため、肩で息をしながら戦況を整理する。
そうだ、自分と同じ技術ではないようだが……巫女は空間を跳躍した。
時間を止め、離れるというアドバンテージが殺された。
それで戦況は激変したと云っていいだろう。
何処に移動しようと、まるで読み切ったように巫女は其処にいるのだ。
どんな奇策を用いても、だ。心が読まれているのかとすら思った。
だが、万を超えた辺りで解ってきた。
この巫女は咲夜の一挙一動全てを盗み見ている。
筋肉の動き、目の動き、能力発動のタイミング、ナイフを投げた時の体幹、回避に飛び跳ねた時の着地予想点。全て、統べてだ。
それを巫女の中で計算があって、予想する。
究極的な戦術眼、未来視にも近い能力。
だが、それは彼女にとって戦闘勘で片付けることなのだろう。
……思えば巫女は自分とタイプが似ている。
ひとつの強力な能力を起点にしてあとは体術のみで戦うという点だ。
おそらく空間跳躍はあの不死性となにか関係があるのだろう。自分の時間干渉と同じように。
「全て見破られているという事は、戦闘技術で上を行かれているという事よね……甚だ不愉快なことだわ」
脅威から身を避けるならば間合いをずっとずっと遠くに離せばいい。
だが、何処まで離れればいいのか解らない。
そして離れすぎては其の儘奥へと向かわれた時に止められない。
咲夜の世界の出入りには、入る時、そして出る時に僅かのタイムラグがある。その、僅かな時間を、巫女は最大限利用しているのだ。
間合いを離しすぎたら当然それは更なる利用をされるだろう。
「お嬢様……」
膝が僅かに震え始めていることに気付いていた。
恐怖では、けしてない。
疲労である。
こんな精神を摩耗する戦いを強いられたのは初めてだ。
「狡すぎるのよ……こっちはワンミスで終わるのに、コイツは何回繰り返せば終わるの……終わるのよ!」
ナイフを投げ――ようとして、止める。
効くが、利かないことはもう十二分に解っているからだ。
手の中に輝く銀のなんと心細いことか。
どうすれば死んでくれるのだ、このけものは。
どうすれば終わってくれるのだ、この舞曲は。
答えはひとつのように思えた。
「いいえ、いいえ……咲夜は何処までも貴女のメイドです」
一瞬だけ、
千の万に近付いた時に過った楽になる方法を、頭を振って、拒む。
――時を、動かした。
ひゅおっと空を切る大幣。
咲夜の頬から血の花が咲く。
遂に掠った。
捕らえられた。
大きく、大きく跳躍する。巫女は針を投げこそすれ追っては来なかった。
此方の意図まで読みきっているというのか……。
あと、数回だな。
その攻防の一瞬で最期を理解した。
間合いを離し、会話を試みる。
案外、この巫女はそれに応えてくれる。これも、咲夜にとっては屈辱であると同時に僅かな救いの時間となっていた。
「……貴女……なにものなの?」
「博麗の巫女」
「そう……私には、ただのバケモノにしか見えないわ」
「それでも良いわ。この異変が収まるならば」
決死を覚悟する。
だが、命を燃やす如きでこの巫女は止まらない。
ひとつの案があった。
自分の身体ごと、あの巫女に縫い付ける。
それで動きを止めることが出来るなら、少しでも、あの御方の元へ巫女が向かうのを阻止できるなら。忠義。咲夜の命は、ただそれだけのためにあるのだ。
「でも、最期まで貴女の時間はわたしのもの……そこだけは、譲らない」
「……? どうでもいいわ、続けるのね?」
巫女の、前触れの見えない稼働。
これも、厄介であった。
古武術とかいうものの奥義にそんなものがあると聞く。
秒に満たない攻防では、その無拍子は覿面に効果があった。
だがそれも最早此処まで。
咲夜は、敗北よりも、これで楽になれるという開放感と、やりきったという使命感とに満足すらしていた。
巫女が迫る。
すぐ手前、時を止め――られない、早すぎる!?
無拍子で、空間を超えてきたのか!
そんなもの、誰にも捕らえられるわけがない――。
なんて、狡い……咲夜が敗北を理解したその時、
ぱぁん、と――
巫女が、はじけて消えた。
「……え?」
「なにをやっているの? 駄目メイド」
「……! あ、あ、妹様……」
巫女が消えた其処。床にぽっかりと大穴が空いていた。
フランドール・スカーレット。
敬愛する主の妹。
咲夜はわずか数回程度しかそのお姿を見たことはなかった。
恐らく、わざと会わせないようされていたのだと思う。
巫女の消えたことよりも、戦闘がもう終わったのだと言うことに、安堵の息を吐くと同時に両脚の力が抜け、ぺたりとへたり込んだ。
「だらしないなあ」
「も……申し訳ございません」
「……立てないの?」
「も……申し訳ございません、だらしない姿を」
「めーりん! 見ているんでしょう?」
フランドールの声にいつからいたのか。すうっと、空中から忽然と門番、紅美鈴が出現する。
驚き、いつから其処に……と聞こうとしたが、今はそのような状況でないと口をつぐむ咲夜。フランドールはさもそれが当たり前のように咲夜を指差した。
「使えないメイドを運びなさいよ、気が利かないわねぇ」
「はあ、すいません」
「も、申し訳ございません……! も、もうすぐ立てますから」
「じゃ、後は任せたわよ。おっきな穴あけちゃったし」
「ちょ――何処に行かれるのですか、妹様」
出口の大扉にとことこ歩きだすフランドールを見て、咲夜を抱き起こした美鈴が驚き声をあげる。
「決まっているじゃない、巫女を片付けてあげたでしょ? お外に遊びに行くのよ……小癪な魔女の雨はしばらく降らないだろうしねえ」
「お待ちください、そんなことをされては私が怒られてしまいます」
「怒られりゃ良いじゃない。私がどれだけ閉じ込められてきたのか、知らないとは言わせない」
「…………」
「ふふ、美鈴。あんたも好きよ。毎日ずうっと、お部屋の前でお話ししてくれたわよね。あのね、あのおはなしがあったおかげで、私は死にそうな退屈から救われた」
「私に出来ることは、それくらいですから」
「だけどね、そのせいでお外に興味が尽きないの……今日は頭痛も酷くないわ。それに、見て、この見事な暗夜! 妖怪なら、外に出なくっちゃあでしょ?」
「いや、それは……」
「話はそれだけ? だったらそのメイドと一緒に下がりな……あんたをこわしたくはない」
「…………」
腕の中の咲夜が「美鈴、私を降ろして」と、小さく囁く。
……そうだ、この腕の中のだいじなものを棄てることは出来ない。
美鈴が館主に対する不徳を決意したその時――
二つの妖怪に怖気が奔る
「……私、たしかにちゃんと壊したわ」
「……しかし、これは確かに……」
「めーりん、その駄メイドをつれていきな」
「解りました」
フランドールの声と共に美鈴は咲夜を「失礼します」と抱いたまま持ち上げ、走り出す。
事の次第を読めない咲夜だったが、フランドールと美鈴のやりとりから察する。
……馬鹿な、破壊されたものが戻ってくると?
だが、心の何処かでそれを認めてもいた。あれほど死から遠い人間だ。破壊すら超えてきたのだ、と。
「ま……待ちなさい美鈴! 妹様に戦わせるわけにはいかないわ! 頭が痛いと――」
「いいえ、もう貴女は戦えませんよ、咲夜さん。そしてアレはもう、私達でどうにかなる域にありません」
「何を……それでも紅魔館のしもべなの?」
「ええ、忠節を誓うしもべです。故に、逃げます。偉大なおうさまは、私達の誰が欠けても哀しむと思うのですよ。なら、拾える命は拾わねばなりません」
「妹様を放っておいて!? 貴女、貴女だけでも行きなさい、私は――」
「それも止めておきましょう。恐らく……邪魔になります。妹様が本気で戦うのなら」
「…………」
瞬く間に玄関ホールから遠く離れていく――その、視界から消えゆこうとする空間が揺らぐのが、視えた。
「戻ってきた」
「そうですか……厄介ですねえ。あれはもう、人の範疇にはないのかもしれません」
「美鈴、駄目よ、妹様が危なくなったら……」
「その時になったら、行きます……咲夜さん、その時は、どうか……巫女へと降るよう、お嬢様にお願いしてみては頂けませんか?」
「え……何を言っているの?」
「確かにお願いしましたよ」
美鈴はそう言って、咲夜をセフティ・ルームへと放り込み、外から鍵をかける。
唐突なことに対応が遅れた咲夜は自分がされたことを僅かに遅れて理解し、ふらつく脚でドアへと縋る。
「何をしているの美鈴! 開けなさい!」
返事は戻らない。
美鈴は……最初からそれが目的だったと気が付いた。
紅魔館に、なんの為にあるのかずっと不思議だったセフティ・ルーム。
この部屋は、咲夜のためにあったのだ。
唯一人の人間の為に。
「美鈴! 美鈴! 開けて! 私もそっちに行かせて!」
返事は、戻らなかった。