超人
「またきたの?」
黄昏の境内。
そこで一人泣いているわたし。
また、だ。私はこの光景をもう何度見たのだろうか。
夕闇の迫る長い影。
遠くで烏が鳴いている。
近くでわたしが泣いている。
……少しずつ、解ってきた。
これは望郷。走馬灯に近いものだ。
自分が作り出した幻想(まやかし)に過ぎない。
己の中に転がっている、追憶の破片を集めたつぎはぎのようなものだ。
だけど、どうしてこんなに哀しい場所を選ぶのだろう。
哀しくて、寂しくて、怖ろしくて、淋しい……。
ああ、そうか……そうね、これはわたしの、死のイメージなのか。
「そうね、わたしは……終りを想像できない。だから、別離か」
誰一人いない境内。ひとりぽっちのわたしが泣いている。
烏の鳴き声は死に神の呼び声か、それとも己を慰める唯一つの音楽か。
境内に立ち、俯いて涙をこぼすわたし。
……そこで泣いているわたしはわたし。
じゃあ、今此処に立っているわたしは?
「……今度も酷い無様ねえ」
は、と気が付く。
そうだった、これはまやかしなのだ。泣いているはずのわたしが、以前と同じように囁きかけてきた。
あれは泣いている少女ではない。わたしの記憶の映像を利用しているなにか、なのだろう。
小さなささやき声の筈なのに、その心地よい声色は、耳に、というよりも心に直接響き渡る。
きっと声、ですらないのだろう。
嘲った台詞だというのに、その声音の優しさは慰めの響きを奏でる。
だからだろうか、ひどく……ひどく安心できた。
母親に叱られる、というのはもしかしたらこんな塩梅なのかもしれない。
ふと、そんなことを想ってしまう。
……経験したことなどないけれど。
私の記憶を使って立つ少女は、いいや、少女ですら無いのかもしれないそれは、私の返答を待っているのかそれきり喋ることはない。
わたしの記憶を覗けるもの。
わたしのこころをのぞけるもの。
わたしを……わたし以上に理解しているもの……?
……あなたは、だれなの……?
口には出さないその疑問、彼女はそれなのに答えを返してくる。
「気付かなくて良いわ、まだ早すぎる」
そうか、この世界、いいえ、狭い閉じ込められた空間……部屋と表わす方が正しいだろうか?
此処には言葉は要らないのか。
だけど、此方の言葉だけが要らないというのは随分と不公平だ。
向こうの意想が解らないのにこっちだけはだだ漏れなのだから。
「何の話?」
「こっちのはなし……それで貴女、もう諦める?」
――あなたがそれをいうの?
一瞬、そう思ったが、これは違う、私を試しているのだとすぐに理解する。
何故私が試されるのか、とか、そもそもコイツは誰なんだとか、浮かぶべき疑問に及ばないのは、このあまりにも褪せた部屋でたったひとつの救いだったから。
そんな救いの手は、此方に伸びているのか、それとも言葉通りの手慰みに過ぎないのか……それはわからない。
だけど返す言葉は決まっていた。
「わたしがあきらめることはない――なにがあろうとも」
「そうね、それは、そうね」
「話が終りならもう行くわ。行かなきゃいけないの」
うそ
「まぁ待ちなさいよ、貴女。無策で戻っても【また】氷漬けのばらんばらんにされるのがオチだわ。もう少しだけ、ここでおべんきょうをしていくといいわ」
「みていたの?」
「みたというか、解るのよ。貴女のことだから」
その、優しい声色に、戻りかけた足が停まる。
ここでもわたしはうそをついてしまった。
だけど、虚勢をはらなきゃ立っていられない。
立ち止まったら、蹲ってしまう。
それが、なによりもこわい。
そんな自身の感情に気付いているのかどうなのか、彼女はあくまで優しい。
だからだろう、こころのなかに抑えていたモノが溢れ、言葉に、こころになってしまう。
……決意も、自覚もある、それでも、それでも、足りなかった。
これ以上何を望めというのか。
「…………攻撃がてんで効かないの」
「そんなことないわ。しっかり効いていた。ただ、相手もまた強靱な生命を盛っていただけ」
「……あんなじゃ全然足りないのよ。海に塩を投げ入れているような気分だわ。そんなのを待ってはいられない。満ち引きなんて待っていられない、わたしの血潮には限りがある」
「焦っちゃ駄目。大丈夫、貴女は良くやっているわ」
――あ、
だめだ……ここで、ここでそんな優しさをくれるなんて、貴女はなんてだめなことをするの。
わたしは泣いてはいけない。
痛みに気付いてはいけない。
弱さを出しちゃいけない。
立ち止まってはいけない。
それなのに……。
その、優しい声色に、急に鼻の奥がつんとしてきた。
だめだ……こぼれる。
目から流れ落ちゆくもの、ふたすじ。
口から流れ出すもの、こころ。
「……どうしてわたしはこんなによわいの? もっと、もっとちからがほしいのに。こんなじゃだれも、なにも護れない……」
「そんなことはないわ」
「あんな! あんな妖精、妖怪如きに立ち止まっていてはいけないのよ、私は! 異変を解決しなきゃ……皆を、明日の野良仕事を控えた田夫さんを、何も知らずに寝床に着いた子供達を、明日を明日の侭に訪れさせねばいけないのに!」
たまらず心中を吐露してしまう。
そんなことしたって意味ないのに激昂までして。
だが、目の前にあったなにかは、いや、いつのまにか……
ちいさな私がわたしになって、俯き泣き続ける。そんな私をあなたは見下ろして、優しく頭を撫でられていた。
「……焦っては駄目よ。貴女は強い。戦い方を学べば、ちからの振るい方を知れば、もっともっと、もおっと強くなれるわ。現に、戦いの結果だけで言えば貴女は妖怪を倒した。妖精を圧倒したじゃない」
「でも……でも……こんな戦い方じゃ……」
「貴女は識った。識ったことを全てそのままに自分の糧に出来る。それは貴女のつよさのひとつ。とっても素直な可愛い子」
「…………」
唐突に「可愛い」だなんて云われ、驚きつつも、はにかんでしまう。
そんな状況じゃないはずなのに、このひとの声はあたたかくて、安心できた。
夕闇迫る境内に居るはずなのに、のどかで春の日の縁側でひなたぼっこしているときのような、そんな暢気でしあわせな時間を思い出せてしまう。
「だいじょうぶ。貴女は良くやっている…だけど、そうね、もう少しだけ……識りましょう」
「なにを……?」
「貴女自身を――だいじょうぶ、貴女はつよい……さあ行きなさい。あなたがあなたの使い方を識れば、だれにも、神にも、悪魔にも、定めにも、せかいにだって負けはしない」
「どうすれば自分を知れるというの?」
「どうもしなくていいわ。ただ、信じて、疑って、問いかけを続けるのよ。今までと同じ。ただ、もっと、もっと深く――」
言葉を反芻して確かめようとするが、それ以上を問うことが出来ない。
急速に目覚めようとする自分を感じたからだ。
あなたは、だれ?
おねがい、もっと話をして。
問いかけが泡沫と消えていく。
「ごぼっ!?」
唐突な覚醒は、水中だった。
肺腑の空気を思わず吐き出す。
慌てて四肢をもがこうと――そこで、身体を制止した。強い意志が、肉体を支配する。混乱を制御し、状況を見定める。
そうだ、未知なる脅威の対処。これはもう憶えた。
異常から自らを取り戻す術。
或いは自失を打ち消す術。
戦闘に於いて重要となるのは、常に己を在り続けることだ。僅か数秒の忘我が生死に、勝敗に関わる世界にわたしは身を投じている。
此処は水中、そしていままさに、呼吸を必要としている。
緊急に空気が必要な状況にありながらも冷静に思考が回転してくれる。
自分に何が起きたのか、何があったのか――おぼろに憶えている。
わたしは、そう、あの氷の妖精に負けたのだ。
――だが、もう負けない。
わたしは諦めない――【上】を理解し、飛翔を開始する。水中であろうとも、その力は浮力を加え、急速に己の身体を上昇させていく。
たちまちに、昏い水に色が戻ってきた。
最初は澱んだ昏い紅。それはやがて紅夜となって、水面と思しき境界線が近付いてくる。
ごばあっ、と水柱を噴き上げて、再び空へと舞い戻る。
「ぶはあっ!」
大きく深呼吸。
周囲の空気は冷え切ってはいたが、先の吹雪はやんでいたようで、肺腑に新鮮で安全な空気が流れ込んできてくれる。
多少飲んでしまった水は、いまは無視しよう。呼吸に問題なければそれで良い。
つよく、つよく上昇しながら氷の妖精を見付ける。
ソイツは未だ上空で高笑いを続けていた。
……妖精にしてはほんとうに凄い力を持っているヤツだ。だからこそ、此処で叩き伏せねばならない。
漲る霊力を充分に篭め、退魔の針を投げつけた。
それはあっさりと命中し、妖精の右腕辺りを吹き飛ばした。
「あぎいっ!? え、なに!?なに!?」
攻撃が効く事はもう解っている。
先よりも霊力が漲っていることに理解が及ぶ。
わたしは、“もどってくる”事でより強くなる。
望めば望むほどに、その力は増していく。その速度は遅くとも……いいや、その成長速度ですら、本当にそうであろうか? あるひとつの仮定を立て、そして……覚悟する。
退魔針を撃ち続けながら、妖精が苦しむ姿を見ながら同じ高度まで登っていく。
――懐の、退魔の針の数が、戻っていた。
自身の仮説は確信へと至っていた。
霊力を篭め、針を撃つ。
弾数など気にせずに撃ち続ける。
必死で気付けなかったが、宵闇の妖怪との戦闘時からそれは起きていたのだ。
反撃の余地なく氷の妖精の身体が削れていき、その度に氷が身体を再生し、その上から更に針が突き刺さる。
削る、凍る。
削る、凍る。
削る、凍る。
「そういえばそろそろかき氷の季節ね」
針が――尽きた。
すぐさま退魔札を取りだし攻撃を切換えようとするが、その僅かな隙が氷の妖精の反撃を許してしまう。
やはり威力。
威力さえあればいまの連射で斃し切れたはずだ。
反撃などさせることもなく、
針が尽きることもない。
まだまだ私は、妖異を圧倒できる高みには、ない。
威力が足りない。だから、もっと強くならなきゃいけない。
その方法は、もう手元に転がっている。
わたしはその答えに行き着いた。
「ぎ、ぎいっ! や、やった……ぐっ、なああああっ!」
「やったがどうした。偉大な生命そのものでありながら自らの尊さを識らないモノよ。わたしがあんたを識ったように、おまえは痛みを識るが良い」
「あー? 何言ってるかわかんない! これで……やっつけられろ!」
再び白い爆発が発生する。
あの妖精の得意な術なのだろう。
大雑把で、いかにもそれらしい。
もう三度目だ。すでに回避方法も攻略方法も“憶えた”が……敢えて“避けなかった”。
白い爆発に飲み込まれる。
寒気、痛撃、衝撃。
濡れたままの身体は超強度の凍気にあっさりと凍り付いていく。
先よりも酷い凍傷、
身体が凍り付き、氷に包まれ、瓦解していく。
霊夢はそれを、まるで他人事のように受け入れた。
――――
「――そう、そうしてしまったのね」
それが、最初の一声だった。
「“それ”をすら武器にする。私が保ちうる全てを使ってわたしは斗う」
声に応える。
そうだ、最初から、飛び立つときから決めていたことだ。
自分が博麗の巫女、博麗霊夢たるために。
わたしは他者とは違う。
里人とは違う。
ふつうとは違う。
ふつうではないものは、ふつうを守るために責務を負うのだ。
それが責任だと、そう思っている。
誰に習ったわけでもない、自分で決めた、たったひとつのことだ。
――いつからそうしていたのかは、もうおぼえていないけど。
それに……それに、ここに来れば、又貴女に会える。
“彼女”は優しい声の侭に、微笑んだ……ような、気がした。
だけど、その声には哀しさが、あった。
……どうして?
「そう、そうよね……そうでなくてはならない。貴女は博麗の巫女なのだから」
「わたし……ねえ、わたし、間違っているの?」
「――いいえ」
哀しい声で、しかし、はっきりと答えた。
その言葉に、安堵する。
だが……やはり何処かで選択を誤ったような気がした。
だって、彼女は哀しそうにしているから。
答えがわからない。正しい答えを、わたしはいつだって正しい選択をしてきたのに。
だって、誰もわたしに正解を教えてなんてくれなかった。
わたしはわたしだけでわたしを生きるほかなかったのに!
苛立ち、戸惑う、その全てを受けとめているだろうはずの彼女は哀しげに微笑んだまま。
だからだろう。急速に怒りにも似た感情は萎んでいく。
「……この言葉を贈るわ、霊夢。さんざ手垢の付いた言葉ではあるけれど、至言のひとつよ」
「ことば?」
「そう、ことば。私達を繋げる唯一つの鎖。貴女は、哀しいくらいにそれが少ない……」
「すくない……」
「でも、だいじょうぶ。これから増やせば良いのよ」
「…………」
何も言えずにいると、
彼女は静かに囁いた。
――――
怪物と戦うものは
その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい
深淵を覗きこむということは
深淵もまた、君を覗き込んでいるのだ
――――
「……」
「それじゃあ、お別れよ。貴女はこれから何度となく此処を訪れるでしょう。貴女に此処を譲るわ」
「え――どうして? 貴女ともっと話したい」
「……もう“扉の開き方を憶えた”貴女には、案内人は必要ないわ……それに、いつか又会えるって約束したでしょう? 貴女なら、きっと辿り着くわ」
「でも――」
「霊夢。貴女は強い……貴女はきっと、この世の誰より強くなる。だけど、どうか……」
声が、薄れていく。
何を言いたいの?
――貴女もわたしから離れていくの?
わたしは、わたしは何も求めてはいけないの――?
また、ひとりぽっちの、黄昏の境内にもどるの?
――――
気付けば、上空で佇んでいた。
……慣れてきた。
別離にも、孤独にも。
……もうあの部屋は要らないのだろう。
黒髪を翻し、懐を探る。
……少し離れた宙空、紅夜の下で弱々しくも勝利を喜んでいる氷の妖精がいた。
先の掃射で相当には削れていたのか。なら、これで本当に終わらせられるだろう。
数秒にも満たない死。そして回帰。
妖精のそれを識り、憶えた。
“補充”された退魔の針を用意し、強めの霊力を篭め、その後頭部へと、一閃。
声もなく、氷の妖精が砕け散った。
――今度こそ、再生しないようだ。
妖精達の一回休みにも、被害深度のようなものがあるのだろう。
まあ、もうどうでもいいことだ。
だが随分と教えて貰えたことにだけは感謝しよう。
「少しは懲りてくれれば良いのだけれど」
思えばアレも大概だ。
妖精、生命を循環するもの。死をもたないもの。
無邪気で幼い彼等には、ひとのあらましなど知ったことではない。
だから、せめて教えなくてはいけない。
人間を襲うと、手酷いしっぺ返しを受けると。
とはいえ、まあ、妖精が懲りることなど、学習することなどないだろう。
ならば、わたしはアレを圧倒できるようにならねばならない。
まだまだ足りない。
わたしは、もっと、もっと、もっと強くなければならない。
「……あの言葉なんて、とっくのとうに超えてしまっているわ」
苦笑しつつ、独り言ちた。
「またきたの?」
黄昏の境内。
そこで一人泣いているわたし。
また、だ。私はこの光景をもう何度見たのだろうか。
夕闇の迫る長い影。
遠くで烏が鳴いている。
近くでわたしが泣いている。
……少しずつ、解ってきた。
これは望郷。走馬灯に近いものだ。
自分が作り出した幻想(まやかし)に過ぎない。
己の中に転がっている、追憶の破片を集めたつぎはぎのようなものだ。
だけど、どうしてこんなに哀しい場所を選ぶのだろう。
哀しくて、寂しくて、怖ろしくて、淋しい……。
ああ、そうか……そうね、これはわたしの、死のイメージなのか。
「そうね、わたしは……終りを想像できない。だから、別離か」
誰一人いない境内。ひとりぽっちのわたしが泣いている。
烏の鳴き声は死に神の呼び声か、それとも己を慰める唯一つの音楽か。
境内に立ち、俯いて涙をこぼすわたし。
……そこで泣いているわたしはわたし。
じゃあ、今此処に立っているわたしは?
「……今度も酷い無様ねえ」
は、と気が付く。
そうだった、これはまやかしなのだ。泣いているはずのわたしが、以前と同じように囁きかけてきた。
あれは泣いている少女ではない。わたしの記憶の映像を利用しているなにか、なのだろう。
小さなささやき声の筈なのに、その心地よい声色は、耳に、というよりも心に直接響き渡る。
きっと声、ですらないのだろう。
嘲った台詞だというのに、その声音の優しさは慰めの響きを奏でる。
だからだろうか、ひどく……ひどく安心できた。
母親に叱られる、というのはもしかしたらこんな塩梅なのかもしれない。
ふと、そんなことを想ってしまう。
……経験したことなどないけれど。
私の記憶を使って立つ少女は、いいや、少女ですら無いのかもしれないそれは、私の返答を待っているのかそれきり喋ることはない。
わたしの記憶を覗けるもの。
わたしのこころをのぞけるもの。
わたしを……わたし以上に理解しているもの……?
……あなたは、だれなの……?
口には出さないその疑問、彼女はそれなのに答えを返してくる。
「気付かなくて良いわ、まだ早すぎる」
そうか、この世界、いいえ、狭い閉じ込められた空間……部屋と表わす方が正しいだろうか?
此処には言葉は要らないのか。
だけど、此方の言葉だけが要らないというのは随分と不公平だ。
向こうの意想が解らないのにこっちだけはだだ漏れなのだから。
「何の話?」
「こっちのはなし……それで貴女、もう諦める?」
――あなたがそれをいうの?
一瞬、そう思ったが、これは違う、私を試しているのだとすぐに理解する。
何故私が試されるのか、とか、そもそもコイツは誰なんだとか、浮かぶべき疑問に及ばないのは、このあまりにも褪せた部屋でたったひとつの救いだったから。
そんな救いの手は、此方に伸びているのか、それとも言葉通りの手慰みに過ぎないのか……それはわからない。
だけど返す言葉は決まっていた。
「わたしがあきらめることはない――なにがあろうとも」
「そうね、それは、そうね」
「話が終りならもう行くわ。行かなきゃいけないの」
うそ
「まぁ待ちなさいよ、貴女。無策で戻っても【また】氷漬けのばらんばらんにされるのがオチだわ。もう少しだけ、ここでおべんきょうをしていくといいわ」
「みていたの?」
「みたというか、解るのよ。貴女のことだから」
その、優しい声色に、戻りかけた足が停まる。
ここでもわたしはうそをついてしまった。
だけど、虚勢をはらなきゃ立っていられない。
立ち止まったら、蹲ってしまう。
それが、なによりもこわい。
そんな自身の感情に気付いているのかどうなのか、彼女はあくまで優しい。
だからだろう、こころのなかに抑えていたモノが溢れ、言葉に、こころになってしまう。
……決意も、自覚もある、それでも、それでも、足りなかった。
これ以上何を望めというのか。
「…………攻撃がてんで効かないの」
「そんなことないわ。しっかり効いていた。ただ、相手もまた強靱な生命を盛っていただけ」
「……あんなじゃ全然足りないのよ。海に塩を投げ入れているような気分だわ。そんなのを待ってはいられない。満ち引きなんて待っていられない、わたしの血潮には限りがある」
「焦っちゃ駄目。大丈夫、貴女は良くやっているわ」
――あ、
だめだ……ここで、ここでそんな優しさをくれるなんて、貴女はなんてだめなことをするの。
わたしは泣いてはいけない。
痛みに気付いてはいけない。
弱さを出しちゃいけない。
立ち止まってはいけない。
それなのに……。
その、優しい声色に、急に鼻の奥がつんとしてきた。
だめだ……こぼれる。
目から流れ落ちゆくもの、ふたすじ。
口から流れ出すもの、こころ。
「……どうしてわたしはこんなによわいの? もっと、もっとちからがほしいのに。こんなじゃだれも、なにも護れない……」
「そんなことはないわ」
「あんな! あんな妖精、妖怪如きに立ち止まっていてはいけないのよ、私は! 異変を解決しなきゃ……皆を、明日の野良仕事を控えた田夫さんを、何も知らずに寝床に着いた子供達を、明日を明日の侭に訪れさせねばいけないのに!」
たまらず心中を吐露してしまう。
そんなことしたって意味ないのに激昂までして。
だが、目の前にあったなにかは、いや、いつのまにか……
ちいさな私がわたしになって、俯き泣き続ける。そんな私をあなたは見下ろして、優しく頭を撫でられていた。
「……焦っては駄目よ。貴女は強い。戦い方を学べば、ちからの振るい方を知れば、もっともっと、もおっと強くなれるわ。現に、戦いの結果だけで言えば貴女は妖怪を倒した。妖精を圧倒したじゃない」
「でも……でも……こんな戦い方じゃ……」
「貴女は識った。識ったことを全てそのままに自分の糧に出来る。それは貴女のつよさのひとつ。とっても素直な可愛い子」
「…………」
唐突に「可愛い」だなんて云われ、驚きつつも、はにかんでしまう。
そんな状況じゃないはずなのに、このひとの声はあたたかくて、安心できた。
夕闇迫る境内に居るはずなのに、のどかで春の日の縁側でひなたぼっこしているときのような、そんな暢気でしあわせな時間を思い出せてしまう。
「だいじょうぶ。貴女は良くやっている…だけど、そうね、もう少しだけ……識りましょう」
「なにを……?」
「貴女自身を――だいじょうぶ、貴女はつよい……さあ行きなさい。あなたがあなたの使い方を識れば、だれにも、神にも、悪魔にも、定めにも、せかいにだって負けはしない」
「どうすれば自分を知れるというの?」
「どうもしなくていいわ。ただ、信じて、疑って、問いかけを続けるのよ。今までと同じ。ただ、もっと、もっと深く――」
言葉を反芻して確かめようとするが、それ以上を問うことが出来ない。
急速に目覚めようとする自分を感じたからだ。
あなたは、だれ?
おねがい、もっと話をして。
問いかけが泡沫と消えていく。
「ごぼっ!?」
唐突な覚醒は、水中だった。
肺腑の空気を思わず吐き出す。
慌てて四肢をもがこうと――そこで、身体を制止した。強い意志が、肉体を支配する。混乱を制御し、状況を見定める。
そうだ、未知なる脅威の対処。これはもう憶えた。
異常から自らを取り戻す術。
或いは自失を打ち消す術。
戦闘に於いて重要となるのは、常に己を在り続けることだ。僅か数秒の忘我が生死に、勝敗に関わる世界にわたしは身を投じている。
此処は水中、そしていままさに、呼吸を必要としている。
緊急に空気が必要な状況にありながらも冷静に思考が回転してくれる。
自分に何が起きたのか、何があったのか――おぼろに憶えている。
わたしは、そう、あの氷の妖精に負けたのだ。
――だが、もう負けない。
わたしは諦めない――【上】を理解し、飛翔を開始する。水中であろうとも、その力は浮力を加え、急速に己の身体を上昇させていく。
たちまちに、昏い水に色が戻ってきた。
最初は澱んだ昏い紅。それはやがて紅夜となって、水面と思しき境界線が近付いてくる。
ごばあっ、と水柱を噴き上げて、再び空へと舞い戻る。
「ぶはあっ!」
大きく深呼吸。
周囲の空気は冷え切ってはいたが、先の吹雪はやんでいたようで、肺腑に新鮮で安全な空気が流れ込んできてくれる。
多少飲んでしまった水は、いまは無視しよう。呼吸に問題なければそれで良い。
つよく、つよく上昇しながら氷の妖精を見付ける。
ソイツは未だ上空で高笑いを続けていた。
……妖精にしてはほんとうに凄い力を持っているヤツだ。だからこそ、此処で叩き伏せねばならない。
漲る霊力を充分に篭め、退魔の針を投げつけた。
それはあっさりと命中し、妖精の右腕辺りを吹き飛ばした。
「あぎいっ!? え、なに!?なに!?」
攻撃が効く事はもう解っている。
先よりも霊力が漲っていることに理解が及ぶ。
わたしは、“もどってくる”事でより強くなる。
望めば望むほどに、その力は増していく。その速度は遅くとも……いいや、その成長速度ですら、本当にそうであろうか? あるひとつの仮定を立て、そして……覚悟する。
退魔針を撃ち続けながら、妖精が苦しむ姿を見ながら同じ高度まで登っていく。
――懐の、退魔の針の数が、戻っていた。
自身の仮説は確信へと至っていた。
霊力を篭め、針を撃つ。
弾数など気にせずに撃ち続ける。
必死で気付けなかったが、宵闇の妖怪との戦闘時からそれは起きていたのだ。
反撃の余地なく氷の妖精の身体が削れていき、その度に氷が身体を再生し、その上から更に針が突き刺さる。
削る、凍る。
削る、凍る。
削る、凍る。
「そういえばそろそろかき氷の季節ね」
針が――尽きた。
すぐさま退魔札を取りだし攻撃を切換えようとするが、その僅かな隙が氷の妖精の反撃を許してしまう。
やはり威力。
威力さえあればいまの連射で斃し切れたはずだ。
反撃などさせることもなく、
針が尽きることもない。
まだまだ私は、妖異を圧倒できる高みには、ない。
威力が足りない。だから、もっと強くならなきゃいけない。
その方法は、もう手元に転がっている。
わたしはその答えに行き着いた。
「ぎ、ぎいっ! や、やった……ぐっ、なああああっ!」
「やったがどうした。偉大な生命そのものでありながら自らの尊さを識らないモノよ。わたしがあんたを識ったように、おまえは痛みを識るが良い」
「あー? 何言ってるかわかんない! これで……やっつけられろ!」
再び白い爆発が発生する。
あの妖精の得意な術なのだろう。
大雑把で、いかにもそれらしい。
もう三度目だ。すでに回避方法も攻略方法も“憶えた”が……敢えて“避けなかった”。
白い爆発に飲み込まれる。
寒気、痛撃、衝撃。
濡れたままの身体は超強度の凍気にあっさりと凍り付いていく。
先よりも酷い凍傷、
身体が凍り付き、氷に包まれ、瓦解していく。
霊夢はそれを、まるで他人事のように受け入れた。
――――
「――そう、そうしてしまったのね」
それが、最初の一声だった。
「“それ”をすら武器にする。私が保ちうる全てを使ってわたしは斗う」
声に応える。
そうだ、最初から、飛び立つときから決めていたことだ。
自分が博麗の巫女、博麗霊夢たるために。
わたしは他者とは違う。
里人とは違う。
ふつうとは違う。
ふつうではないものは、ふつうを守るために責務を負うのだ。
それが責任だと、そう思っている。
誰に習ったわけでもない、自分で決めた、たったひとつのことだ。
――いつからそうしていたのかは、もうおぼえていないけど。
それに……それに、ここに来れば、又貴女に会える。
“彼女”は優しい声の侭に、微笑んだ……ような、気がした。
だけど、その声には哀しさが、あった。
……どうして?
「そう、そうよね……そうでなくてはならない。貴女は博麗の巫女なのだから」
「わたし……ねえ、わたし、間違っているの?」
「――いいえ」
哀しい声で、しかし、はっきりと答えた。
その言葉に、安堵する。
だが……やはり何処かで選択を誤ったような気がした。
だって、彼女は哀しそうにしているから。
答えがわからない。正しい答えを、わたしはいつだって正しい選択をしてきたのに。
だって、誰もわたしに正解を教えてなんてくれなかった。
わたしはわたしだけでわたしを生きるほかなかったのに!
苛立ち、戸惑う、その全てを受けとめているだろうはずの彼女は哀しげに微笑んだまま。
だからだろう。急速に怒りにも似た感情は萎んでいく。
「……この言葉を贈るわ、霊夢。さんざ手垢の付いた言葉ではあるけれど、至言のひとつよ」
「ことば?」
「そう、ことば。私達を繋げる唯一つの鎖。貴女は、哀しいくらいにそれが少ない……」
「すくない……」
「でも、だいじょうぶ。これから増やせば良いのよ」
「…………」
何も言えずにいると、
彼女は静かに囁いた。
――――
怪物と戦うものは
その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい
深淵を覗きこむということは
深淵もまた、君を覗き込んでいるのだ
――――
「……」
「それじゃあ、お別れよ。貴女はこれから何度となく此処を訪れるでしょう。貴女に此処を譲るわ」
「え――どうして? 貴女ともっと話したい」
「……もう“扉の開き方を憶えた”貴女には、案内人は必要ないわ……それに、いつか又会えるって約束したでしょう? 貴女なら、きっと辿り着くわ」
「でも――」
「霊夢。貴女は強い……貴女はきっと、この世の誰より強くなる。だけど、どうか……」
声が、薄れていく。
何を言いたいの?
――貴女もわたしから離れていくの?
わたしは、わたしは何も求めてはいけないの――?
また、ひとりぽっちの、黄昏の境内にもどるの?
――――
気付けば、上空で佇んでいた。
……慣れてきた。
別離にも、孤独にも。
……もうあの部屋は要らないのだろう。
黒髪を翻し、懐を探る。
……少し離れた宙空、紅夜の下で弱々しくも勝利を喜んでいる氷の妖精がいた。
先の掃射で相当には削れていたのか。なら、これで本当に終わらせられるだろう。
数秒にも満たない死。そして回帰。
妖精のそれを識り、憶えた。
“補充”された退魔の針を用意し、強めの霊力を篭め、その後頭部へと、一閃。
声もなく、氷の妖精が砕け散った。
――今度こそ、再生しないようだ。
妖精達の一回休みにも、被害深度のようなものがあるのだろう。
まあ、もうどうでもいいことだ。
だが随分と教えて貰えたことにだけは感謝しよう。
「少しは懲りてくれれば良いのだけれど」
思えばアレも大概だ。
妖精、生命を循環するもの。死をもたないもの。
無邪気で幼い彼等には、ひとのあらましなど知ったことではない。
だから、せめて教えなくてはいけない。
人間を襲うと、手酷いしっぺ返しを受けると。
とはいえ、まあ、妖精が懲りることなど、学習することなどないだろう。
ならば、わたしはアレを圧倒できるようにならねばならない。
まだまだ足りない。
わたしは、もっと、もっと、もっと強くなければならない。
「……あの言葉なんて、とっくのとうに超えてしまっているわ」
苦笑しつつ、独り言ちた。