Coolier - 新生・東方創想話

異譚・紅魔郷

2025/02/23 17:22:24
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修練

だめだ――。

届かない。
技術も理力も経験も直感も度胸も、なにもかもが、とどかない。
妖怪も、妖精も、斃されたとき、すぐさま対策を見付けることが出来た。
だが目の前の妖怪にはそれが見えない。

針は、札は、弾かれる。
およそ考え得るあらゆる死角を狙い、変則的な撃ち方を試したが、悉く防がれた。ごく稀に命中しても、それは精々がかすり傷。相手へのダメージになっていない。
ただ大木を穿つ樵ならまだよかった。その手には、斧(己)があるから。
だが、巨大な山、そう、泰山だ。それを前に、斧でどうにか山の向こうへと貫き通れと云われても、無理が過ぎる。
なにより、霊夢には時間制限があるのだ。
この夜の内に、夜を夜の侭に終わらせねばならない。
紅魔の夜を赦してはならない。
地面に転がされ、すぐさまたちあがり、そして蓄積した痛みに脚をよろめかす。

「けふっ……」
「……貴女の諦めを知らない根性だけは認めますよ。しかし、私は存外忍耐深い方です。あなたが此処を通れる頃には、我が主の、貴女の云うところの異変は完遂していることでしょう」
「――黙れ!」
「話くらいは聞いてくれても良いでしょう? なに、貴女にとっても損な話ではありません」
「……?」

美鈴は門を背にして後ろ手に立っている。
まるでその余裕を崩せないまま、もう何合打ち合ったことか。
何度だって立ち上がって、
何度だって黄泉返って、
何度だって命の炎を燃やし尽くす。
そう決めているのに、薪を焼べても焼べてもほむらは泰山を焼くどころか山にある一本の大木に伝う朝露の前に焼失する。
そんな、たたかいだった。
一番腹が立つのは……手加減されていることだ。
いままでのように食いもせず、凍死もせず、
この妖怪は、霊夢が立ち上がるのを待っている。
……随分と長い時間戦った。
だから、解ってしまうのだ。
手加減され、しかも回帰のために命を燃やしきることがゆるされないことに。
戦い方を、いつしか教わっていることに。
あの妖怪の言葉や態度を受け入れることは、霊夢にとってどれほどの屈辱であるか。
だが……悔しいがあの妖怪の言葉は当たっている。
そして、あらゆる事象を材料にして自分はこの異変を解決すると決めている。
敵から送られる塩であろうと舐め尽くさねば、今の自分は、そういう存在に過ぎない。
霊夢は渋面を作りつつも、身体を数歩、後ろに下げた。

「……悔しいけど、聞くわ」
「それがよろしいでしょう――貴女は人間、私は妖怪。ここにどうしたって埋められない差があります。それは運動能力や筋力などと言われる基礎的な身体能力です」
「……体術で……」
「誤魔化せませんよ。技術――一で十程度なら九くらいは埋まるでしょう。ですが、一で百は無理。それに、私もそこそこに技術を持っている。まず技術同士で引き算が成されます。残った結果は私に勝っていますか?」
「…………」

彼我の差を其処までに見積もられるのは癪に障ったが、奥歯を噛み締めつつ、頷いた。
目の前の妖怪は――少しだけ意外そうな顔を作ってから言葉を続ける。

「貴女は……驚嘆すべき事ですが、生身のまま、なんの対策もせずに此処まで辿り着いた。私は正直驚いています。到達したこと、気付かなかったことに」
「……?」
「貴女に術を教えたものは高位の相手と戦う術を教えなかったようですね。わざとなのか、どうなのか。里の小妖精程度なら貴女はそのままでも充分働けたでしょうからね」
「回りくどいわ」
「つまり、身体能力は技術と――霊術、或いは魔術、或いは気力、様々な手段で埋められるのです。人間は、いいや、異能者は基本的にそれを己に施す。貴女が生身の侭、というのはそういう意味ですよ」

はっとした。
闇の妖怪を一撃で屠った、唐突に霊力が跳ね上がった時のことを思い出す。
あの時の高揚感を維持しろという意味か? それなら、やってやれないことはない。
霊夢は一度身に宿った技術なら確実に再現できる。
だが、集中して維持するのでは駄目だ。さっきこの妖怪が言っていたじゃないか。敵を前に集中している暇があるのかと。
だから……身に宿せば良いのか。
納得、得心した。
だが霊夢はその術を見出すことに僅かの逡巡を感じる。
妖怪に習ったことだから、というのは正直、ある。
かつて自分にものを教えた狐のように、いつ裏切られるか解らない。
教えですら、信じられない。

――自分がたった一つ信じたものは自分だけだ。

手の中にあった針を握り締める。
……そう、そうね。
私が信じるのは私だけ。
私は諦めない。
この、たった一つの矜持に縋るのが、わたしだ。
時間が、今、私の敵になっているならば、それを攻略せねばならない。

「そうね、理解できたわ」
「そうですか……なにを?」

異郷の雰囲気漂わす礼儀正しい妖怪に向けて一度微笑む。
……ヤツの余裕を崩せるだろうか。
いや、違う。私の敵は……。

「つよさのもとめかたよ」
「――いけません」

間合いを離しすぎたことを後悔する美鈴。
妙な動きは封じねばならない筈だのに、あまりに巫女が憐れでその身を自由にさせすぎた。
初めて全力を出し、駆ける。
巫女が手にした針が、投げるのではなく、巫女自身の喉元に突き刺さるのを止めるため。
――その手は、空しく宙を切った。


「…………」

黄昏の境内。
もうあの声は聞こえない。
たったひとり、そこに立っていた。

「そう、此処は私の心、走馬灯……解ってしまえば随分寂しいものよね。映す影絵がないのだから、こんなになるのもしかたないか」

……回帰はいつでもできる。
要は、ある特異点があって、わたしが終わったら此処を経由し特異点に巻き戻る。
それがわたしの異能? なのか? 解らないが、

――わたしはどうやらおわれないものらしい。

自分がそんなわけのわからないものだとは思いもしなかった。
否、自分で自分が解らないことは、あまりに多い。
……わたしという曖昧なものには似合いの異質ではないだろうか。自嘲する。
氷の妖精で弾の補充のために咄嗟に行ったことを、自らの意志で成した。

「さて……」

そして、此処に来たのは巻き戻るためではない。
此処は、おそらく……私が戻る意志を示さねば無限に揺蕩うことの出来る場所。
「向こう」では刹那の時も経っていないのだろうが。
足りない威力を引き出すために様々な道具があり、魔術や奇跡や霊力があり、それらを引き出すために人は修練を重ねるのだ。よく解った。
だがそれでも納得していないことがある。

「怪物を超えるにはより強い怪物になれば良いだけの事よ。幸いなことに、私にはその才能があるようだしね」

そう言って、心象風景の中、手にした針を握り締める。

誰も彼も、私に求めるのは強さだけ。

わたしはそうあれかしと呟き応えるだけ、

とどのつまり、わたしとは、ただそれだけのものだ。

――もう、それでいい。

「あの異郷の妖怪に追いつくには、何回こなせばいいかしら」

少しだけ、愉しげに声が揺れ、そして――己の首を貫いた。
……始まったのは、無限の苦輪。
だがその顔に浮かぶのは……恍惚。

「私は絶対に諦めない」
「もう飛べない? それなら歩け」
「もう歩けない? それなら這いずってでも進め」
「もう札が持てない? 武器なら他にもあるではないか」
「もう手がない? 手がなければ足で蹴れ、足がなければ歯で喉笛に食らいつけ」
「このからだのありったけ、全て悉く燃やし燃やし燃やし、それでももう、おわれない」
「まだ、たかが腕を喪ったことがあるだけだ」
「まだ、たかがはらわたを食い破られたことがあるだけだ」
「……戦え。たとえ命尽きることなくなっても」
「戦え! たとえひとのありさまからはずれたとしても」
「……戦え。この心だけは、絶対に、絶対に折れることはない」
「たたかえ……身体がないなら、魂だけで燃えていけ。もしも魂が枯れるなら、想いだけで良い。想いだけで、戦い続けろ」

「……私は絶対に諦めない。もうそれだけ、それだけなの」

少女は、深淵に自ら飛び込んだのだ。
より深い奈落に向かって。

***

……崩れ落ちる巫女の身体を受け止めた次の瞬間、美鈴の身体が駆け抜けた距離と同じだけ吹き飛んだ。
そのまま紅魔館の正門をひしゃげさせ、止まる。

「ぐっは……!」
「……ただいま」

殴られた、と理解するのに数秒の時間を要した。
恐らく霊力を籠めたものだったが、つい先程までの可愛らしい、赤子の如き灯火のような霊力の瞬きどころではない。
――黄金のオーラが巫女の前身から迸るように放たれていた。
一体全体、どんな修練を詰んだら、どんな研鑽を超えたらあんなに美しい気を放てるようになるのだ……。
巫女は正門の鉄柵に絡んだ腕を外す美鈴を、先程の美鈴と同じように余裕を見せて“待っていた”それに気付いた美鈴は、鉄柵を破壊しながら巫女と距離を空け、対峙した。

――とんでもないな、あれは。

破れた胎の再生を感じながら、与えてはいけない切掛を施してしまった気がしていたが、それも後の祭りであった。

――いいや、おそらくお嬢様は此処まで予想していらっしゃったことだろう。

だが、此処までとは……視えていらっしゃるのだろうか?
今し方の威力は、容易く低俗な妖怪を屠れるものだった。今迸らせる黄金の気は、洗練され、輝き……もしかしたら神をも屠る域にあるだろう。
およそ人間が身に纏えるものではない。
纏っていいものではない。
あれは、一秒、いや、刹那の前に狼狽えていた巫女とはまるで違ういきものなのだ。

「……おかえりなさい。私には少しの時間も感じませんでしたが」
「あら、そうなの? 一回に一秒としたって丸一日は頑張ったのだけど」

一回……?
意図は解らないが、なんらかの工夫があったことは確かのようだ。
工夫、如きであんなものが生まれてたまるか、とも思うが。

「……なんだか、身体が軽いわ」
「貴女は一体……いいえ、まあいいでしょう。どのみちすることは変わりません。もう明かしてしまいますが、貴女を、お嬢様の前に相応しいものとせよ、というのが与えられた命令でした。無理なら殺してしまえとも」
「そう……あんたの主は優しいのね」
「優しい、ですか」
「だって、失敗したら終わらせてやれと言っているのでしょう? 終われるものならそれにこしたことはないのよ」
「…………貴女、変わりましたね」
「どうかしら」
「お試しになりますか?」
「勿論よ」

霊夢は大幣を構え、すうっと一回深呼吸。
そして――突撃した。

速い!?

世界が小さくなった。
一挙動の動きに自身がついて行けない。
――速すぎるのだ。認識がまだそれを自覚し得なかった。
突撃の勢いに美鈴の焦った顔が眼前に――迫ったところで彼女の功夫がかろうじて太極を描いて、その威力を空へと受け流しつつ霊夢の身体を地面に転がす。
今度は霊夢が驚いた。
自分でも予想できない巨大な力が身に宿ってしまったことに。
……それをすら御した、この妖怪の強さの底が視えたことに。

「……いやはや、ちょっと信じられない飛躍ですね……」
「わ、わたし……」
「どうしました?」

妖怪は、不思議そうに此方の反応を待っている。
少しはあんたを驚かせることが出来たかしら?
そう、呟きかけたとき……彼女の、紅美鈴と名乗った妖怪の微笑みの向こうに、なにか……べつの、なにものかが視えた。見たのではない、

“視えた”

“その子”は……紅い瞳で、その瞳に何処までも深い情景を湛えて此方を見ている。
心の奥底まで覗かれているような、不安さと気恥ずかしさに身を捩りそうになる。

黄昏の下で出会ったあの子を思い起こす。

……なあんとなく、あの子と似ている気がする……。
違う子なのは、解るけれど。
でも、暖かさとか、心地良さが……似ている。身を委ねたくなるような、いとしさ――いや、違う、落ち着け博麗霊夢。
これはまやかしか、なにかか――
一瞬の邂逅は霧散し、目の前の紅い髪と蒼い瞳を持つ妖怪を再認識した。
転がされた身体をそのまま勢い立ち上がる。

「――いいえ、それより続けましょう」
「いいえ、降参します」
「……はぁ?」

突然の戦闘中断に拍子抜けとなる。
確かに手応えを感じたのに、これならばいけるという、自分の成長を。だのに、中途半端で止められたことに不満を憶える。

「戦う意味が無くなりましたので。それに……これは私の勝手で恐縮ですが、貴女にこれ以上強くなられると、あの方を裏切る行為になりますので」
「……何を言っているのか、意味が解らないわ」
「次の貴女の相手ですよ。私はその方が大好きなので、貴女にこれ以上贔屓はできないと云うことです……いや、もう手遅れかもしれませんが……」

美鈴は、其処まで言って、頭を垂れた。
戦闘を中断されたことに、怒りを覚えている自分がいた。
その心理の発現に自分自身が驚いていた。
此処を通って良いと言われたことを、さも当然と受け止めきれない。
出発したばかりの自分だったら、何の感情も感慨も持たずに通っていたことだろう。
おのれのこころが歪んでいた。
……“感情”そんなものがはっきりと育っていることに驚かされる。
怒りとか哀しみとか、いとしさとか……此処に来るまでどれだけのものを身に孕んでしまったのか……。

「……概ね貴女のちからも解ります。既に私と並ぶか、少し上でしょう。ここからは、本気のやりとりになる……止めておきましょう」
「私は最初からお本気だったわ。いまのいままで、ずっと」
「そうですね……正直に言いますと、私、貴女を嫌いになれません。できれば死んで欲しくない……ねえ貴女、此処で引き返す事は出来ませんか?」
「…………」

返ってきたのは、穏やかな微笑みだった。
美鈴は溜息をひとつ。

「ならば、せめて次の“人間”を殺さないで下さい……お願いします」
「……どうしたの? まるでらしくない」
「私は妖怪らしくないですか? よく言われます……ですが、大切な人なのです」
「…………努力はするわ」
「ありがとう」

話はそこまで。
霊夢は再び地を蹴り宙のひととなる。
……新たな糧は自分をどう変えたのだろうか。
紅い瞳の子の、哀しげな微笑みが強く心に残っていた。
眼を閉じても残る残像のように。

いいや、ただの幻だ。わたしはなにもまちがっていない。
さあ、行こう。
目前に聳える紅魔の館へ――。


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