Coolier - 新生・東方創想話

異譚・紅魔郷

2025/02/23 17:22:24
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回生

紅い霧が大きくなっているように思える。
とてもとてもおおきい……血の色をした紅い靄。
どんどん濃くなっていく色、そして、妖しげな空気。呼吸が不快だった。
急がねば、夜が明ける前にこの霧を元に戻す。
霊夢は紅い濃霧漂う湖上をひとり、飛んでいた。
夜の湖面は艶やかな闇黒を揺蕩い、薄く夜空を反射した宇宙を其処に産んでいる。
そんな小さな宇宙の中心、ぼうと澱んだ光を放つ、巨大な紅い霧がまるで妖怪達の太陽の如く天に地に、そのすがたを煌々と燃え上がらせていた。
そんな、炎をも連想させる紅の光の中を飛んでいるというのに、辺りの空気は酷く冷えていた。初夏を迎えようとする夜の空気とは到底思えない。

「それにしても寒いわね……それに、霧が濃くて嫌になるわ。濃い方に向かっていればいずれ着くとは思うけど――」
「道に迷うのは妖精の仕業!」
「!?」

唐突に、紅い霧の、とりわけ濃い部分から何かが飛び出してきた。
――妖精。

「私は霧のせいで迷っているのよ。あんたのせいじゃないと思うけど」
「霧を出したのは私じゃないけど、霧を操ってるのはあたいだよ! お前を此処でやっつける!」
「関係ないヤツはすっこんでてよ」
「なんだとー!」

里近くなら、取るに足らない相手だが、恐らくコイツも先の妖怪のように、本当の意味で“妖怪”となった存在だろう。行動、言動は足らずの妖精そのもの、だが――油断してはいけない。
怒気と共に、妖精から噴き出したものは、吹雪であった。
これが冷気の正体か!
霊夢はまともに浴びたらたちまち凍傷になりかねない白く紅い霧混じりの吹雪を右に左に避け、上下に移動し、残弾僅かの針を撃ち込んでいく。
先までのように、適当な手数撃ちではない、一撃、一撃に霊力を篭めて、だ。この撃ち方もかなり慣れてきた。いずれ、この撃ち方で手数撃ちできるようにならなくてはいけないのだろう。
だがそれを実現したら、こんどは弾数を気にして立ち回りを要求されることになる。
人間とは、常識の範疇で戦うとは、兎角足枷が多すぎる。
……吹雪はなんとか躱しきれる。
宵闇の妖怪との戦闘で、霊夢は紙一重の回避と、攻撃による二次被害の範囲というものを身を以て経験した。
あの吹雪は、躱しきった後にもしばし冷気が残る、其処に近寄るのは危険だと直感できるようになっていた。
ひとつ幸いなことは、この妖精、先の妖怪よりも攻撃が広範囲なせいなのか、攻撃自体の密度は薄い。これならもはや今の霊夢を捕らえることは出来ない。

躱し、溜めて、撃つ
躱し、溜めて、撃つ

単調な作業のようで、怖ろしく神経の磨り減る作業を霊夢はやってのけた。
どうあれ此方は一撃でも受ければ死ぬ。
どうあれ向こうはいつになったら消えてくれるのかも解らない、タフネス。

躱し、溜めて、撃つ
躱し、溜めて、撃つ

それでも、その単調を、終りの見えない作業を霊夢は頑なに、健気に続けた。
そして、ついに妖精の腕が一瞬ぼろりと綻びた――が、すぐに氷が発現し、その“傷口”を塞いでしまう。

「痛い!痛い!痛い! くっそ~やったなあ!」
「…………」

さっきよりは、効いている。
これでもう十全だ、とは到底言えぬが自分は着実に強くなっている。
これならいける、霊夢は手応えを感じ、いつでも現状最も頼れる陰陽玉を投げつけられる必殺の距離まで近付いて、相手の攻撃を避けつつ霊力を篭めた針を、札を打ち込み弱らせていく。
イメージ通りに身体が動く、イメージ通りに戦えている。
先の妖怪で培った経験が既に霊夢の中で能力へと昇華されていた。
恐るべき成長速度、類い希なるセンス。
だが、所詮それは人間の速度だ。妖怪を相手にそれではまるで足りないことはもう解った。
足りない。必殺の域には達し得ない。
もっと、もっと磨かねばならない。
もっと集中して、
もっと研ぎ澄ませて、
もっと――

――――だが

「これでもくらえ!」

氷を司っているのだろう青い妖精は、じわじわと効いてきた霊夢の攻撃を煩わしそうにしつつ、何事か力を溜め、そして、その力を一気に解放した。
白い爆発――そう形容するしかない、吹雪の強烈な膨張だった。全方位に広がるそれに、有利な位置取りをと中距離に近付いていた霊夢の身体はあっさりと飲み込まれてしまう。

「しま――ッ」

極低温の轟風に翻弄される。
天地不覚、宙空七転、またしても、だ。
激しい回転の最中、痛みにも似た、強烈な寒気が身体を襲う。
――寒い! 凍えてしまう!
はやく、はやく体勢を戻してこの吹雪から逃げ出さないと――
焦れば焦るほど動きが鈍る。

寒い、寒い、寒い……

そうだ、吹雪!
風が吹いているのだ。なら、風の流れに逆らわなければ――
この極限の状況下で、身体の力を一瞬抜いた。
風に逆らわず、敢えて流される。たちまち身体の回転が安定を得た。
そうか、時には風に乗ることも大事なんだ……。
学びを得るも、強烈な寒さの中、そんな自覚も余裕もすぐに消え去って、脳裏に浮かぶのは寒さから逃げなければと心中叫ぶ、生命危機の警告だけとなる。
滑空飛行に気付くまでの僅か数秒、霊夢の身体は霜塗れになってしまっていた。
外が何所かも解らない、ホワイト・アウトの状態だ。

痛い、痛い、痛い……

歯の根がガチガチ鳴る。全身の震えが収まらない。
外は……どこ?
今出しうる全力の速度で、ただ一方に向けて飛翔する。
方向にあてなどない。とにかく一方向に向かえばこの恐るべき凍気の領域から脱出できると必死だった。寒さで朦朧としはじめた意識でできることはそれが限界だったのだ。

ぼふっ、と、身体が元の空間に飛び出たのはそれから数秒――それは、健常な人間を凍死させるに充分な時間だった。

「あ、あ、あ……」

寒い、寒い、寒い……吹雪の中にいた方がマシだった。
それは低体温症の意識障害を起こしかけている混乱によるものだ。
“寒さ”という本来感じるべき痛苦が霊夢を襲う。
だが――戦闘は待ってはくれない

「あ、くそー、逃げられた!」

ぼふっと、白い凍気の中から追いかけるように現われた青い服の妖精が、此方を見据えて次弾の準備に入っている。
やめて――思わず口走りそうになるのを堪え、寒さに上手く動かない指で必死に針を懐から探す――あった! と、指で挟んで出そうとしたら、力が入らず、針を落としてしまう。
残った僅かな針が――ゆっくり、ゆっくり、湖面へと吸い込まれるように落ちていく。

「あっはっは! 武器を落とすなんて間抜けー! これで終り!」

青い妖精が頭上に手を掲げると、それに連動するように巨大な氷塊が創りあげられていく。
呆然としながら仰ぎ見る。
……なんだ、あれは……
もはや恐怖すら感じる余裕は無い。
これが彼我の力量差だというのか。
……あんまりではないか。
さんざ躱し、撃ち続け、ようやっと効いたと思ったら、訳の解らない事象がひとつ。
気付けば殺されかけている。
アイツは、これから、まるで虫でも踏みつぶすように私を殺す。

「あ、あ、うわああああっ!」

凍える手で、陰陽玉を握りしめた。びき、と指に嫌な感覚が奔るが構わず構え、青い妖精が打ち込む、巨大な氷塊に向けて陰陽玉を、いまできる、ありったけを投げつけた。
怒り、混乱、迷い、そんな負の感情すら載せることが出来るようになった。
強烈な感情、霊力を溜め込んだ陰陽玉が、恐るべき威力を伴い妖精へと飛んでいく。

「うわっ……力比べか! 負けないぞー!」

対するは氷の妖精。
小柄なその姿、自身の数倍はあろうか巨大な氷塊を、まるでハンマーのような仕草で振り下ろし、そのまま投げつけてくる。
陰陽玉、そして氷塊が激突した。

――勝負は、あっさりと決着する。

氷塊は霊夢の手前で瓦解していき、消え去る。
氷塊を貫通し、尚も霊力を燃え上がらせた陰陽玉が真っ直ぐに青い妖精の身体を捕らえる。
一撃、威力を損なわないままにそれは、妖精の胴体を半方吹き飛ばした。
びき、と嫌な音がする。
痛みはない。それだけは多少マシだったか――投げつけた右腕が、罅割れ、肉を裂かれ、血を噴き出していた。凍傷の酷い状態を無視しての酷使に耐えきれなかったのだろう。
痛みはともかく、何所か地上を探して手当てしなければ……。
それに、武器を失ってしまった。
これからどうすればいいのか……。

「あーあ、人間の癖に強いなーおまえ」
「!?」

宙空で考えをまとめようとしたときに聞こえてきた声。
それは、確かに陰陽玉で斃したはずの青い妖精だった。いや、今この瞬間も、半方を吹き飛ばした身体……その身体が、氷と共にぺき、ぺきと小気味良い音を立てて再生していく。

「いっかいやすみ、おしまい! さあ、次行くぞ!」
「…………ああ、そういうこと……」

……畜生。
そうだ、妖精は、つきつめれば自然現象と同じ。
けして死ぬことはない。
彼等に死の概念は存在しない。
僅かな時間、自然に返り、やがて回帰する。
それは妖怪のあらましにも似ていたが、おそらく妖精の方がその輪廻を軽く受け入れているのだろう。
凍えるからだを無理矢理動かし、妖精から距離を取る。
武器は僅かの札と、陰陽玉だけ。
右手はもう使えそうに無い。
……この状況で、どうやって勝てば良い?
考えろ、戦いを捨てることは出来ない。

「これで、どうだ!」

青い妖精の身体から、雹弾、氷の礫が無数に生まれるのが見えた。
今度のは、密度が濃い――!
明らかな、霊夢を狙っての攻撃だった。
躱す、躱す、溜めて、左手で投げる。
破魔札には追尾の霊力が篭もっている。針を落としたのは不幸中の幸いか。
札が妖精の身体を僅かに燃やす。
繰り返す、繰り返す。
天地に迫る雹弾を、周囲を囲む氷を避けて、必殺の機会で陰陽玉を――。
どうやって、投げようか……左手で?
狙い通りに投げられるだろうか。

「くそーちょこまかとー!」
「はあっ……はあっ……はあっ……」

目眩がする、頭痛がする。強烈な凍傷からの無理な全身稼働に全身が悲鳴をあげていた。
冷え切った血液が体内を駆け巡って霊夢のすべてを鈍らせていた。
それでも、躱す。躱し続ける。
武器はなく、満身創痍。
視界が緋に染まっていく。
眼球の血管が破裂したのだ。
度重なる空中での急制動と高速旋回の繰り返し。胃の腑からこみあげるものを堪え、尚も雹弾を躱し続ける。
たとえ死の淵にあろうとも、絶対に自分から放棄はしない
ただひとつ、頼りの陰陽玉に霊力を溜め続け。
決めていた瞬間が、やってきた。
――最後の札を、投げ尽くす。

「あうっ!」

札を、妖精の顔に当て、僅かな霊力のほむらが見えた瞬間、霊夢は最後の力を振り絞って接近する。もう、もうさっきの陰陽玉を投げたとき、全てを出し尽くしていた。
右手はもう使い物にならない。今頃痛み出してきた。
正直、助かる。
その腕の、泣き叫びたいほどの激痛が、霊夢の生を引き止める綱になってくれた。気を失わずに済む楔になってくれた。
いまできるのは――もう、これしかない。

陰陽玉に、のこった僅かな出し殻のようなちからを篭め、身体全部で玉と一緒に――

「かかったな! ばーか!」

二度目の白い爆発が、青い妖精の付近で轟音を立て拡がった。

「ああ、そうかあ、畜生……」

呟きを終える間もなく霊夢は吹雪の嵐に飲み込まれ――
……数秒後、真っ白な霜だらけの巫女のからだが、飛翔を忘れて墜ちていく。
既に巫女は、意識を喪っていた。
そして、黒い湖面に消えていく。
水面に落ちた衝撃で、凍った身体のあちこちが“ばらけた”
彼女がそれに気付くことは、なかった。


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