Coolier - 新生・東方創想話

異譚・紅魔郷

2025/02/23 17:22:24
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夢幻

くちゃ、くちゃ、と音立て臓物を喰らう。
宵闇の妖怪は、幸運に恵まれた自分を喜びながら、はらわたを食い終えたら肉を切り分け川の何処かにおいて新鮮なままに保存しようと思っていた。
三日くらいかけて、ゆっくり、美味しく頂く。今まで食ったどんな肉より美味しいそれを、丁寧に丁寧に、ともだちとも分け合って食べようと、思っていた。

……その遺骸を、食事する背中を、一人の女が僅かな険を美貌に浮かべながら、見下ろしている。

「妖怪が人を食うのを悪いとは言わないのだけど――」
「あ?」

唐突に響いた声に少女が振り向いた。
口は真っ赤な鮮血に染めあげっている。
いつからいたのか。ついさっきまで、気配は自分と……この物言わぬ巫女、肉だけだったはずなのに。
背の高いその女は夜だというのに、晴れた星空が宙にあるというのに日傘を持って、ただただ物静かに少女を見下ろしていた。
宵闇の妖怪である少女は、なりたての妖異となら比べるべくもないが、しかし数ある妖怪の中では然程強いわけではない。
故に、彼我の妖力差に気付けない。
空間が瘴気で歪むほどの、強大な妖気を発する女の怒りの気配に気付けない。

……周囲にむっとするほどの甘ったるさを錯覚とさせる、生臭さが漂っている。
空腹感を、僅かに刺激する匂い。
女は、いよいよ不機嫌に呟いた。

「悪いけど、その子を諦めて貰えないかしら」
「あー? やだよ、折角美味しいお肉なのに」
「――そう。さよなら」

一瞥。
次の瞬間、宵闇の妖怪、少女の身体が唐突に洗われた空間の亀裂に飲み込まれた。
問答すら面倒だとでも言うように、一方的な戮殺はそれで終わる。
そして……美貌の女は眼下の肉塊を見ながら溜息を吐いた。

「藍」
「はい――およびで……れ、れい、む……?」

女の能力によって生まれた亀裂の入った空間から、九尾の狐が現われ、そして――目の前の凄惨に眼を見開いた。
主に乞われ、術を、飛行を教えた少女。
少し生意気だったけど、とても、とても素直で、賢く、ときどき、あまえてきて。
天才的な才覚と、少しばかりのんきすぎてサボり気味で、でもそこが可愛かった。
その少女が、骸となって転がっていた。

「藍、この“肉”を片付けなさい」
「し、しかし、しかし――紫様」
「見込みもあったし憶えも良かったし才覚も感じられた。だのにこの様……選別の仕方にも、もっと何らかの手立てが必要なのかもね」
「紫様――」
「私は選別の方法を精査し直します。後は任せましたよ」

それきり、美貌の女は自らの作った空間の隙間へと消え去った。
後に残ったのは、九尾の狐、唯一人。
こちらの女も美貌の妖であった。しかしその顔は、先の女より余程悲哀に充ち満ちている。

「……霊夢……ああ……ああ、なんてこと……」

食い散らかされ、散乱する肉片。辺り一面を染め上げる鮮血。ぐちゃぐちゃになった臓物。
……両腕がない。
どれだけの陵辱を受けたらこんな有り様になるのだ。
ああ、だのに、それなのに――。
その顔は、奇跡的に傷一つなかった。

そして、その顔には――けして、焦燥でも、後悔でも、諦観でもない――
戦うことを決めた少女の決意だけがありありと浮かんでいた。

「霊夢……霊夢……お前は……お前は最後の最期まで戦おうとしていたのね……ごめんなさい……もっと、もっと鍛えてあげていれば……もっと、もっと妖怪の恐怖を教えていれば……」

なにもかもが無駄になってしまった。
なにもかもが泡沫と消えてしまった。
修業の日々も、淡い想い出も。
異変にはまだ早すぎたのに……どうして……紫様は待ってくれなかったのか……。
仕方のないことなのは、解っていた、過酷な運命が、成長を待ってくれるわけもないことを。

「だけど……だけど、これじゃあ、あんまりだわ……」

九尾の狐は丁寧に、丁寧に血肉を片付けていくのだった。


***


…………くちゃり、くちゃりと音がする。
……目を覚ます。
何か、湿った音が聞こえて、自分の身体が、自分のものではないくらいに力が抜けていて
むくり、と起き上が――れない。
腹に力が入らない。
呼吸が……できない。
今、自分はどんな状態なんだろう?
目、そうだ、目だ。目だけは、動く。
眼球を目一杯に動かして、視界を出来うる限りに拾う。そして先ずは自分の身体を確認した。
腕が――ない。
両の腕共に、肘から下を喪って、力なく胸の上に転がっている。
そして……その、胸が……胸から下が、ぽっかりと空洞になっていた……そこに、宵闇の妖怪が……顔を埋めて自分のはらわたを喰らっているのが、見えた。

やめろ……やめろ!
私を喰うな……私を辱めるな!
叫ぶが、声はでない。
声帯すらが潰れているのかもしれなかった。
こひゅう、こひゅうと、呼気の空しい音だけが、聞こえてきた。
どうして、どうしてこんなことに――
そこで気付く。私のはらわたを喰らうものと、もう一人、誰かが立っている。
喰らわれる私を、見下ろしている者がいる――

紫……?

その貌が、告げていた。
何もかもが、足りなかったと。

違う!

確かにちからは足りなかった。
それに伴う修業も、心の準備も、その他諸々足りなかった、認めよう。
だが、だが――覚悟だけは、できていた。

逸る心を猛きしと翳して、何処かの誰かの安寧のために斗うを決めた。

私は絶対に諦めない。
もう飛べない? それなら歩け。
もう歩けない? それなら這いずってでも進め。
もう札が持てない? 武器なら他にもあるではないか。
もう手がない? 手がなければ足で蹴れ、足がなければ歯で喉笛に食らいつけ。
このからだのありったけ、全て悉く燃やし燃やし燃やし尽くしてはじめて遂げたと言えよう。
まだ、たかが腕を喪っただけだ
まだ、たかがはらわたを食い破られているだけだ
戦え。たとえ命尽きようとも、
戦え。この心だけは絶対に折れることはない。
戦え。身体がないなら、魂だけで燃えていけ。
私は絶対に諦めない。

私が成し遂げたと認めるその時まで!

立て。

この心が折れるその時まで。
立ち上がれ。そして、立ち向かえ。
待ち受ける大理不尽を、無限の滞留で乗り越えよ。


たった一つ、諦めないという、武器だけで。


………………
………………
……目を覚ます。
むくり、と起き上がって、自分の身体を見た。

「両手が……ある?」

夢だった?
いや、あんなリアルな夢があるわけない。
いいや、そもそも此処は……何処だ?
霊夢は周囲を見渡した。

……夜の森だ。
秋虫の合掌が耳に心地よい。
見渡す限りの木々の闇。
――闇

「糞ッ!」

地面を拳で打ち付けた。

「何もかもが足りなかった。何が博麗の巫女だ、何が負けられないだ……! アイツは、私なんて相手にすらしていなかった……ただの……ただの餌としか思っていなかった……」

――悔しい。
だが、どうすればいい?
そうだ、地面をボコボコ叩いている場合じゃない。
霊夢は、黒髪を翻して立ち上がる。
問題なく立てる。
両腕はある。痛みは身体の何処にもない。
理由はさっぱりわからない。だが――

「私は此処にいる」

見上げる――。
此処が何処だかも解らないが、宙に紅霧が、木々の隙間から覗いている。
状況把握はそれだけでもう充分だ。

飛ぼう。
行かねばならない。この霧を消すために。

霊夢が地面を蹴ろうと踏み出したその時――
背後から「痛いっ」と、声がした。
ついさっきまで、聞いていた声。
霊夢に絶望を運んだ声……。

「あー、びっくりしたあ……あれ? なんで生きてるの?」
「――ッ!?」

どういうわけだか解らない。
だが、すぐ後に「宵闇の妖怪」が現われた。この事実だけは間違いない。
霊夢は――右手。
其処にちゃんとある右手で退魔針と破魔札を取りだし、構える。

「まあいいか、肉を横取りされちゃったと思ったから、ラッキーかも」

再び、戦闘が始まろうとしていた。

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