Coolier - 新生・東方創想話

寓話と神話

2026/07/05 18:26:49
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第二章「太陽の給電」


 お空が霊烏路空という自分の名前をぜんぶ思い出すには、すこし時間がかかる。でも、太陽のことなら、いつでもすぐに思い出せる。おなかのなかに、いつも入っているからだ。

「おくうー」

 うしろから急に呼ばれて、お空は跳びあがった。

「うにゅ!?」

 ふりむくと、こいし様がいた。こいし様はいつも、いつのまにか、いる。

「おねがいがあるの。わたしのともだちがね、おなかがぺこぺこなの。ごはん、あげてほしいの」

「ごはん?」

「うん。——お日さま、なんこぶん、も」

 お空は、はねをふくらませた。むずかしい話はわからないが、いまのは、わかった。おなかをすかせた子に、ごはんをあげる。それも、お日さまのごはんを。そんなの、地底でお空にしかできない仕事だ。

「まかせて!」




 連れていかれたのは、お屋敷のそとの岩場だった。

 岩に、青い蝶々がとまっていた。おおきくて、翅のふちがすきとおっていて、なんだか、こわれかけの硝子細工みたいだった。

「はじめまして。お空さん」

 蝶々が、ていねいにあいさつをした。お空も、あわてて頭をさげた。名前をよばれると、うれしい。

「あんた、なんで、私の名前しってるの」

「こいしさんから、いつも聞いています。お日さまをたべた、つよくてやさしい鳥のかたが、おうちにいるって」

 つよくて、やさしい。お空は、はねをもういちど、ふくらませた。

 それから、ふと思った。この岩場、来たことがある気がする。この蝶々も、見たことがある気がする。ずっとまえに、お姉さまが、なにか言ってなかったっけ。ちかづくな、だっけ。はなしかけるな、だっけ。それとも、べつのなにかだっけ——

「……ねえ、こいし様。私、なんか、わすれてる気がするわ」

「わすれたなら」と、こいし様はにこにこ言った。「たいしたことないんじゃない?」

「そっか!」

 だいじなことなら、おぼえているはずだもんね。




 その頃、旧地獄街道を下る灯りが一つあった。箒の柄には八卦炉、肩には空の袋。鼻歌は地底の岩に吸い込まれて、誰の耳にも届かなかった。




「それで、ごはんって、なにをあげればいいの? 私、木の実とかもってないわよ」

「お空の、なかのやつでいいの」と、こいし様が言った。

「なかのやつ」

「あの、あったかいやつ。どーんってやつ」

 お空は、蝶々を見た。蝶々は、すこしだまってから、しずかに言った。

「……はい。それを、いただけるのなら」

「ほんとに? あれ、あついよ? だいじょうぶ?」

「はい。——わたしは、はんぶん、お日さまでできていますから」

 お空は、目をまるくした。

「あんた、太陽、しってるの」

「はい。よく、しっています。とおいところで、わたしはお日さまのちからで、はたらいていました。ですから——なつかしい味が、すると思います」

 太陽をしっている子に、地底ではじめて会った。お空はもう、この蝶々がすっかり好きになっていた。

 お空は制御棒の腕をかまえて、それから、いちばんじょうずにできるやりかたで、ちいさく、ちいさく、あたたかいのを送った。

 地の底に、あさが来たみたいだった。

 岩場がぜんぶ、だいだい色にそまって、蝶々の翅が、光をのんで、すきとおっていく。のむたびに、すきとおっていく。こわれかけの硝子細工だと思っていたのは、まちがいだった。硝子細工に、なっていくところだった。

「おいしい?」

「はい」と、蝶々は言った。「とても」

 それから、ながい時間、お空はごはんをあげつづけた。こいし様は岩にすわって、鼻歌をうたっていた。蝶々はときどき、お空の加減がじょうずだとほめてくれた。ほめられると、お空はもっとじょうずになった。

「私ね」と、お空は手をうごかしながら言った。「だいじなこと、すーぐわすれちゃうの。じぶんの名前も、ときどきまちがえるし」

「そうですか」と、蝶々はやさしい声で言った。「では、わたしが、おぼえておきます」

「なにを?」

「きょうのことを。ぜんぶ。——わたしは、わすれられないので」

 わすれられない、って、へんな言いかただな、とお空は思った。わすれない、じゃなくて。

 でも、つぎの瞬間には、そう思ったことをわすれた。




 街道の灯りは、もう旧都を抜けていた。橋の袂で一度止まり、袋の口を開けて、中身を数える仕草をした。まだ空だった。だから、急いだ。




 どれくらいたったか、蝶々が、いままででいちばんしずかな声で言った。

「お空さん。ありがとうございました。……もう、じゅうぶんです」

 お空が腕をおろすと、岩場は、すうっと、もとの暗がりにもどった。

 蝶々の翅は、もう、ほとんどぜんぶ、すきとおっていた。青は、ふちのほうに、なごりみたいにのこっているだけだった。

 そのまんなかを走る筋に——はじめて、赤がさしていた。

 お空の火の、うつりこみかもしれなかった。そうじゃないのかも、しれなかった。

「きれいだね」と、こいし様が言った。

「はい」と、蝶々が言った。「そんな気が、します」

 帰り道、お空はうきうきしていた。いいことをした日は、はねが軽い。なにかだいじなことをわすれている気もしたけれど、それも、はねが軽いから、どうでもよかった。

 地の底の暗がりの、ずっと向こうで。

 箒の灯りが、岩場のほうへ、真っ直ぐ降りていった。

(第二章・了)

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