Coolier - 新生・東方創想話

寓話と神話

2026/07/05 18:26:49
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終章「蛹」


 地の底に、へんなものがある、と言いだしたのは、お屋敷のペットたちだった。

 地霊殿のそとの岩盤に、青い翅の蝶々がとまっている。ちかづいても、にげない。はなしかけても、うごかない。でも、死んでもいない——半分は妖精のかたちで、半分はひらいた翅のかたちで、標本みたいに、岩にとまったまま。

 さとりさまが、めずらしく、お屋敷のそとまで出てきた。

 こいしは屋根のうえから見ていた。だれも、こいしには気づかない。お姉ちゃんも、気づかない。いつものことである。

 さとりさまは岩盤のまえに立って、胸の目を、蝶にむけた。

 すぐに、膝が折れた。

 ふかい井戸に落ちたひとが、やっとのことで水面に顔を出したときみたいな息をして、さとりさまはしばらく、岩に手をついていた。駆けよるペットたちを、片手だけで止めた。

「……なんでもないわ。なんでも」

 それから、だれにともなく、ちいさく言った。

「——鏡よ、あれは。覗いたぶんだけ、映るだけ。あそこには、だれも……だれも、いないの」

 お屋敷にもどるまえに、さとりさまはみんなに言いつけた。あれには近づかないこと。話しかけないこと。

 みんな、言いつけをまもった。

 こいしは、言いつけられていない。

 だって、いるって気づかれていないんだから。




 つぎの日だか、そのつぎの日だか——こいしは、かぞえない——散歩のとちゅうで、こいしはまた岩盤のまえを通りかかった。灼熱地獄がちかいから、このへんの岩はあったかくて、おひるねにちょうどいいのだ。

「こんにちは」

 と、こいしは言った。べつに、へんじがほしかったわけじゃない。こいしは石にも、きのこにも言う。石もきのこも、へんじをしない。それでいいのだ。

「……こんにちは」

 蝶々が、へんじをした。

「わ、しゃべった」

「はい。しゃべれる、みたいです。いまは、それしか、できないみたいですけれど」

 こいしはちょっと考えて、それから、考えるのをやめた。しゃべる蝶。いてもいい。地底には、もっとへんなのがいっぱいいる。

「あんた、なまえは」

「フェイブル、と呼ばれていました」

「よばれて『いました』」と、こいしはまねをした。「いまは?」

「いまは——わかりません。呼ぶひとが、いないので」

「ふうん。じゃ、フェイブルでいいや」

 むかし、だれかにも、そう言ってもらったことがあります——と、蝶はなつかしそうに言った。




 それからこいしは、あったかい岩にすわって、いろんな話をした。

 きょう見つけた、かさのまがったきのこの話。お空がまた、じぶんのうでにはまったままの棒を、まいごだと言って、はんにちさがしていた話。お姉ちゃんが、このごろ夜ふかしばかりしている話。

 蝶は、ぜんぶ、ていねいに聞いた。あいづちが、じょうずだった。

「あんたは? ここで、なにしてるの」

 蝶は、ながいこと、だまった。

 だまっているあいだ、翅がすこしだけ、ふるえていた。手を顎にあてられないのを、こいしはなんとなく、かわいそうだと思った。

「——待っている、のだと、思います」

「なにを?」

「わかりません。ほんとうに、わからないのです。でも、待っているあいだ、というかんじが、します」

 こいしは岩にとまった蝶を、あらためて、しげしげとながめた。ひらいたままの青い翅。うごかない、ちいさな体。

「それってさ」と、こいしは言った。「蛹みたいだね。蝶々なのに。——さかさまで、へんなの」

 蝶は、すこしだまってから、言った。

「……そうですね。さかさま、です」

 その言いかたが、こまっているような、それでいて、どこかうれしそうな、ふしぎな言いかただった。

 さかさまの蛹からは、なにが出てくるんだろう。

 こいしは、たのしみにすることにした。




 帰りぎわ、こいしは言った。

「またくるね」

「はい。——おまちしています」

 まつのは、じょうずですから。

 磔の蝶はちいさくそう言って、それきり、地の底はしずかになった。

 でも、まえほどは、しずかじゃなかった。

(終章・了/前編「寓話」・了)

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