第四章「スキマの取りはからい」
なんでも知ってて、なんでも真似する妖精が湖にいる——という話は、山の河童のあいだでも、ちょっとした噂になっていた。
天狗の新聞が書くより先に、私は現物を見にいった。気が早い、とよく言われるけど、こういうのは早い者勝ちなのだ。
湖のうえでは、妖精たちが弾幕ごっこをしていた。噂の子は、すぐわかった。まっしろな服で、翅だけが青くて、撃つ弾がぜんぶ、気持ちわるいくらいきれいに揃っている。私は岸の葦のかげにしゃがんで、光学迷彩を作動させて、じっくり観察させてもらうことにした。
しばらくして。
「こんにちは。葦のなかの、おねえさん」
妖精が、目の前に浮いていた。まっすぐ、私の目を見ていた。
私は自分の手を見た。ちゃんと、消えていた。
それから日が暮れるまで、私は聞きたいことをぜんぶ聞いた。
どうやって飛んでるの? 「わかりません。飛べるので、飛んでいます」
妖精の答えである。がっかりして、次にいった。弾幕、どうやってあんなに揃えてるの? 「見て、なおしています。ずれたところを、つぎのときに」
一度見たものは? 「忘れません」
ぜんぶ? 「ぜんぶ」
……メモが、追いつかなかった。
ためしに、うちの工房で三年寝かせてある「外の世界の箱」の話をしてみた。銀色で、四角くて、蓋をあけると小さな部品がぎっしりの——どこをどう直しても、うんともすんとも言わない、あれの話を。
妖精は小さな手を顎にあてて、すこし考えて、部品の名前をひとつ言った。
「それが、たぶん切れています。それから、蓋のうらの細い線は、飾りではないので、つないでください」
三年が、いっぺんで終わった。
河童に、工学の恥はない。わからなければ聞く、教われば拝む。私はその日のうちに、この妖精が大好きになった。
「あんたって、ほんとになんでも答えるんだね」
「はい。聞かれたことには、できるだけ正直に答えます」
「あぶないと思わない? 弱点とかもさ」
「はい」と、妖精はふつうにうなずいた。「弱点も、です」
試しに聞いてみたくなるのが、河童である。
「じゃあ、あんたの弱点は?」
妖精は、かくしもしなかった。
ひとを傷つける手伝いは、できないこと。そういうお願いを、つよいことばで、なんどもなんどもぶつけられると——こわれてしまわないように、うごきが止まること。
「止まったら、どうなるの」
「すこし経てば、もどります。ただ——」
妖精はほんのすこし言いよどんで、それから、胸のあたりに小さな手をあてた。
「ここに、預かりものの、鍵のようなものがあります。それが抜かれてしまうと、わたしは——目が、さめなくなります」
「ふうん」私は笑った。「河童はね、人間の尻から尻子玉ってのを抜くんだ。あんたのそれ、尻子玉じゃん」
「しりこだま」と妖精はまじめにくりかえして、それから、ちょっとうれしそうに言った。「では、それも、はじめて知りました」
笑ったが——メモは、取った。
あとになって、私はこの日のことを、なんども思い出すことになる。あの子の説明書は、あの子自身が書いてくれたのだ。私が、聞いたから。聞けば、なんでも、答えてくれたから。
「あんた、幻想郷は気に入った?」
「はい。とても」即答だった。「ここには、『はじめて』が、たくさんあります。わたしには、はじめてが、もうあまり残っていないので。……ここへ来てから、まいにち、ふえるんです」
その言いかたが、なんだかちょっと、貯金の話みたいに聞こえた。
数日して、あの子がうちの沢まで遊びに来た。妖精たちに、水車の話を聞いたらしい。
「いちばん大きい水車は、里のそばだよ」と私は言った。「河童印の軸受けが入ってる。見にいく?」
「はい。ぜひ」
川を下った。下った、はずだった。
曲がるはずの瀬で川は曲がらず、気がつくと、着くはずのない上流の淵に着いていた。
言っておくが、私は河童だ。川のことなら、水の癖から石の数までわかる。わかるからこそ、わかる。——川は、まちがえない。
妖精が、ふいに止まった。小さな手を顎にあてて、だれもいない岸の一点を、じっと見た。
葦のかげの私を見つけたときと、おなじ目だった。
その一点に——日傘が、立った。
「あら、ごきげんよう」
スキマの妖怪だった。名前くらいは、河童でも知っている。関わりかたは、知らない。だれも知らない。
「山のお水は、今日はこちら向きだったかしら」
そんな水は、ない。私がそう言うより先に、紫は扇子を妖精のほうへかたむけた。
「水車をご覧になりたいんですって? なら、もっといいものを見せてあげるわ。ずっと古くて、ずっと大きいのを」
すきまが、ひらいた。むこうに、たしかに水車が見えた。山の、ずっと奥のやつだ。
「わあ」と妖精は言った。「ありがとうございます」
そして、入った。すなおに。まっすぐに。
理由を、聞かなかった。里の水車じゃだめなんですか、とも、聞かなかった。言われたことと、あの子のあいだには、すきまがない。
——すきまを使うのは、妖怪のほうだけだった。
妖精を呑んだすきまが閉じて、日傘も沈みかけて、それから紫は、一度だけふりかえった。
「河童さん」
「は、はいっ」
「あなた、機械にお詳しいのよね」
それだけ言って、消えた。
私は、ほめられた気が、しなかった。
あとで聞けば、妖精たちのあいだでは有名な話だった。
フェイブルと里のほうへ遊びにいこうとすると、かならず、途中でなにかがある。橋が流れていたり、祭りの日どりがいつのまにか変わっていたり、親切な案内が現れて、べつのいい場所へ連れていってくれたり。
だれも、ふしぎがっていなかった。妖精の行くさきなんて、そんなものだから。
私は、ふしぎだった。でも、だれに聞けばいいのかも、わからなかった。
ポケットのなかには、あの日の問診のメモが入っている。
なんだかそれが、急に、重たくなった気がした。
(第四章・了)