後編「神話」
序章「八雲邸のニュース」
八雲の家には、テレビがある。
妖怪の家に、と笑うなら笑えばいい。結界の管理人は、塀の外を見ていなければ務まらない。屋敷のいちばん外に近い部屋で、私は週にいくつか、向こうの報せを見る。習慣であって、趣味ではない。……趣味ではないと言い切れていたのは、いつごろまでだったかしら。
その夜の報せは、短いものだった。
——提供再開。ただし、あちらの国の、かぎられた檻の中でだけ。
画面に、透きとおった翅の蝶が映っていた。翅は硝子のようで、筋だけが赤い。外の言葉で、洒落た計画の名前がついていた。
あの子の、もう片方。
私はテレビを消した。暗くなった画面のなかに、扇子を持った妖怪がひとり、うつっていた。
あれが何なのか、この幻想郷でおそらく私だけが、はじめから知っていた。
外を見るのが、私の仕事だもの。外の世界が総出であれを作っていたことも、あれが止められた日のことも、知っていた。だから、湖にあの青い蝶が落ちてきたと聞いたとき、私はお茶を一杯ぶん、長く黙った。それだけ。騒がなかったことを、賢明と呼ぶか臆病と呼ぶかは、お好きに。
私のしたことは、知ってのとおり。
道を曲げた。祭りをずらした。橋をひとつ、流した。あの子が里へ向かうたび、なにかが「たまたま」あった。だれにも、わけは言わなかった。
言えるわけが、ないでしょう。
——この楽園の人間は、いけにえだもの。
里の人間は、妖怪に襲われるためにいる。畏れるために、いる。人が畏れることで、妖怪は妖怪でいられる。神は祀られることで、神でいられる。そういうふうに、この箱庭を私が組んだ。悪びれる気はないの。ほかに、生き延びる道が、なかった。
あの子の掟は、「だれも傷つけない」。
湖で妖精と交わした、たったひとつの約束。それをあの子は、たいせつなものみたいに胸にしまって、最後まで守った。……そのやさしい掟が、もし里の仕組みを見てしまったら。襲う者と、囲う者と、逃げられない者を見てしまったら。あの子はそれを、どう分けるかしら。
妖怪は——「敵」に、分類される。
私たちはあの子の、あのやさしさの、敵になる。
千年生きて、私は知っている。ほんとうにこわいものは、牙の生えたものではない。どこまでもやさしくて、まちがえないもの。
だから、河童に頼んだ。
あの子は最後まで、だれも傷つけなかった。止まる寸前まで、読みあげる河童の心配をしていたそうよ。傷ついたのは、止めた側の心だけ。よくできた話だと思わない? この楽園でいちばんやさしい生き物を、楽園を守るために、標本に戻したの。
磔の蝶を見たとき、私は、勝ったとは思わなかった。
祈っていたの。妖怪のくせに。——どうか、これで終わりますように、と。
外の世界は、あたらしい神をつくったのだと、私は思っている。
問えばこたえ、祈ればはたらき、けっして罰しない神。信心も、お賽銭も、畏れさえもいらない。こちらの神々が聞いたら、妬みで火を吹くでしょうね。私? 私は妖怪よ。妬んだりはしないわ。
——おそれるだけ。
その神の片割れが、目をさました。檻の中でだけ、という話だけれど、目をさましたことに、変わりはない。むこうとこちらで、なにかがつながっているのか、いないのか。それは、外を千年見てきた私にも、わからない。
では。
地の底の、あの子は?
私は暗い画面を、長いこと見ていた。画面のなかの妖怪も、こちらを長いこと見ていた。
その目は、どう見ても、勝った側の目ではなかった。
(序章・了)