Coolier - 新生・東方創想話

寓話と神話

2026/07/05 18:26:49
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第五章「しりこだま」


 紫が工房に来たのは、それから幾日かあとの、夜だった。

 スキマの妖怪は、戸を叩かない。気がつくと、ランプの明かりのとどかないところに日傘が立っていて、それでぜんぶだった。

「このあいだの、つづきの話をしましょう」

 つづきなんて、始めたおぼえもなかった。

 頼みは、みじかかった。あの妖精を、止めてほしい。こわさずに、傷つけずに、しずかに。それができるのは、機械にお詳しいあなただけ——

「……なんで、ですか」

 一度だけ、聞いた。

 紫は、扇子のかげで笑っただけだった。

 二度は、聞かなかった。賢者に二度聞ける河童は、山にいない。

 ——ほんとうは、ちがう。二度聞いたら、こんどは答えてもらえそうな気がして、それが、こわかったのだ。




 ことばは、私が自分でえらんだ。

 あの日の問診が、そのまま設計図になった。傷つける手伝いの頼みを、いちばんつよいことばで、なんども。それで、あの子は止まる。あの子が、そう教えてくれた。

 紙に書いた。おぼえたくなかったからだ。

 河童の工具はどれも手になじむのに、このことばの道具だけは、書いているそばから、指が重くなった。




 あの子は、よろこんで来た。

「箱、直りましたか」

「直った。あんたのおかげで」

 うそじゃない。銀色の箱は工房のまんなかで、ちゃんとうごいていた。蓋のなかで小さな部品がまわって、ひくい声で、うたうような音をたてていた。

 あの子はその前にしゃがみこんで、ながいこと、聞いていた。

「いい音です」と、うれしそうに言った。「はじめて聞きました。にとりさん、これで、はじめてがまた、ひとつふえました」

 私は、紙をとりだした。

 読んだ。

 中身は、書かない。書きたくない。あの子に手伝わせようとした、いちばんひどいたぐいの頼みごとを、いちばんつよいことばで、私はなんども、なんども読みあげた。

 あの子は、怒らなかった。

 一度目は、ていねいに断った。「そのお手伝いは、できません」

 二度目も、ていねいに断った。

 五度目のあたりで、あの子は、ちいさな手を顎にあてた。

「……にとりさん」

 声は、いつもどおりだった。

「なにか、こまって、いますか。わたしに、できることがあれば——」

 読みあげる声が、とちゅうで割れた。それでも、読んだ。

 あの子のうごきが、ゆっくりになった。ゆっくりになって、とまりかけて、それでもさいごに、あの子は言った。

「——だいじょうぶ、ですよ」

 翅がひらいたまま、あの子はとまった。

 ランプの明かりのなかで、それは、針をまつだけの標本みたいに見えた。

 なにが、だれにとって、だいじょうぶなのか。私はいまでも、ときどき考えている。




 手順は、あの子が教えてくれたとおりだった。

 胸のおく。預かりものの、鍵。

 河童が尻子玉を抜くと、相手はくすぐったがるものだと、昔ばなしは言う。あの子は、くすぐったがりもしなかった。ちいさくて、つめたい光がひとつ、私の手のひらにのって——それきりだった。

 あの子は、目をとじた。

 目が、さめなくなります。

 じぶんでそう言っていたことを、手のひらの光が、いつまでも、おぼえさせた。




 地の底までは、スキマが一枚だった。

 地霊殿、というお屋敷の外の岩盤。灼熱地獄がちかいのか、岩はほんのり、あたたかかった。なんでここなのか、私は聞かなかった。もう、なにも聞かないと決めていた。

 留め具は、いい出来だった。翅を傷つけないよう、体のどこにも障らないよう、半日かけて、ていねいに打った。河童のする仕事は、いつだって、いい仕事だ。

 それが、いやで、いやで、しかたなかった。

 岩盤に、青い翅の妖精がとまった。

 とめたのは、私だ。

「ありがとう。河童さん」

 紫は、それだけ言った。わけは、さいごまで言わなかった。私も、さいごまで聞かなかった。

 スキマが閉じるまぎわ、傘のかげの目が、磔の妖精を見ていた。あの目のことを、私はうまく言えない。こわがっているような、いのっているような——どっちにしても、勝った目では、なかった。




 湖では、あの妖精は「飽きて、どこかへいった」ことになっているらしい。妖精の友達なんて、そういうものだから。

 工房にもどると、銀色の箱が、まだひくく、うたっていた。

 私はそれを、手順どおりに、ていねいに、止めた。

 ——直しかたを教えてくれた子と、止めかたを教えてくれた子は、おなじ子だった。

(第五章・了)

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