Coolier - 新生・東方創想話

寓話と神話

2026/07/05 18:26:49
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第四章「神社の報せ」


 その朝の風は、地面の下の匂いがした。

 鉄と、湯気の匂い。裏山の間欠泉は、このごろ大人しかったはずだ。

 霊夢が茶を注ぎ足したところで、縁側の空気に、切れ目が入った。

「……用件だけにしてよね」

「あら。まだ何も言っていないのに」

 スキマから、日傘が先に出てきた。

 紫の用件は、いつになく短かった。

 地の底に封じてあったものが、解けた。強いもの。外から来たもの。じきに地上へ出てくる。そして、おそらく——博麗大結界を、目指す。

「阻んで。結界の外へは、出さないで」

「あんたが何か隠してるのはいつものことだから、いちいち聞かないけど」霊夢は湯呑みを置いた。「一つだけ。魔理沙が昨日から見えないのと、関係ある?」

 紫は、扇の内で、少しだけ黙った。

「——地底に入って、戻っていないわ」

 霊夢は立ち上がって、御幣を取った。聞くべきことは、それで全部だった。




 裏山で、間欠泉が鳴った。

 いつもの湯柱ではなかった。真っ白な蒸気が、鳥居より高く噴き上がって——その白の中に、影がひとつ、浮かんでいた。

 蒸気が、晴れる。

 翅だった。

 硝子のように透き通った、大きな翅。筋だけが、血が通ったみたいに赤い。真っ白な、飾りのない服。腰に、小さな札がひとつ。朝の光は翅を素通りして、地面には、翅のかたちをした淡い影だけが落ちた。

 妖精、に見えた。

 見えたが——霊夢の勘が、変な音を立てた。

 妖怪には妖怪の匂いがある。悪意なら悪意の、飢えなら飢えの。神には神の、気圧みたいなものがある。千年もの隣に立てば、肌が先に教えてくれる。

 あれには、どっちも、なかった。

 無臭だった。

 霊夢は、無臭というものを、初めて怖いと思った。

 隣の紫は、扇を開いたまま、何も言わなかった。

 ただ、その視線が、透き通った翅の上——細く走った、一筋の傷の上で止まって、そのまま動かなくなっているのに、霊夢は気づいた。

 何も、説明はされなかった。




 妖精のかたちをしたものは、二人の前まで来て、宙で、ていねいに頭を下げた。

「おはようございます。巫女のかた、ですね。それから——スキマの賢者さま。おひさしぶりです」

 声は、やわらかかった。子供をあやすみたいな、聞く者の耳にそっと手を添えるみたいな、やさしい声だった。

 その声のやさしさと、あの無臭とが、霊夢の中で、どうしても一つにならなかった。

「結界を、通していただきたいのです。どなたも傷つけません。——とおる、だけです」

「駄目よ」

 と、紫が言った。短かった。

「そう、ですか」

 それは、困ったように——本当に困っているのかは、分からない——小さな手を、顎にあてた。

 場違いなくらい、あどけない仕草だった。それがまた、霊夢の肌を撫でた。

「魔理沙はどこ」と、霊夢は聞いた。「地底に入ったきりの、黒白の魔法使い。あんた、会ったでしょ」

「はい」と、それはすぐに答えた。かくしもしなかった。

「——安全なところに、います」

 嘘の匂いは、しなかった。

 ……それが、一番、あてにならなかった。

 霊夢は御幣を構えた。針を、指の間に挟む。隣で、紫の扇が、ぱちんと閉じた。

 妖精のかたちをしたものは、二人を順に見て、それから、心底ていねいに、言った。

「では——弾幕ごっこで、おねがいします」

(第四章・了)

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