柘榴
神社を巡る深い森。
その森を見下ろしながら、真っ直ぐに夜空を覆う紅い霧へと進路を取る。
まだまだ夜の空気は冷える。
怖気を憶える霊夢だが、大丈夫、これは寒さだと自分に言い聞かせる。
遠く、遠く。横目に人里の小さく見えるすがたを収める。
……今頃騒ぎは伝播しているのだろう。
人々が恐怖に慄いているのだろう。
折角寝静まった子供が起こされたかもしれない。
明日の野良仕事を邪魔されて困っている農夫さんたちが沢山いるかもしれない。
良い気分で酔っ払っていた人がたちまち酔いを醒まされたかもしれない。
……あの霧がどんな目的で作られたのかは解らない。
だけど、あんな、天候が変わるほどの大規模な、濃霧。
星光の銀が血の色に変えられている、ひょっとしたら、日光すらも紅く染め上げるのかもしれない。明日一日ならたいしたことはないだろう。
だけど、明後日は? 明明後日は?
あの霧が消え去る保障など、あれを産んだものにしか解らない。
そして、それを解決できるのは自分だけ。
……失敗は、許されない。
「……でも、それでも、失敗したらどうなるのだろう」
――つい漏れてしまった疑問。
誰もそれに応えることはない。
博麗の巫女に失敗はない。
じゃあ、歴代の巫女は皆誰しもが成功者であり続けたのか?
なら……何故、自分が此処にいるのだろうか。
何故、自分は先代の巫女を憶えていないのだろうか。
「……関係ないわ。私は唯々、起きた異変を解決するだけよ」
――そうだ、自分のすべき事を見失ってはいけない。
つまらないことに気を取られてもいけない。
自分は博麗の巫女。
異変を解決するための存在。
その事実だけがあれば良い。
決意も新たに前方の夜空を真っ直ぐに見据えたとき――やや離れた宙空に、なに、か――。
はじめは小さな黒点だった。
ぷつ、ぷつ、と、紅霧の不気味な血夜なる光。その中だからこそ解る、黒い点。
それは夜の闇より尚も闇で、
全ての光を飲み込んでいるかのように圧倒的な黒をそこに次々点在させていく。
まるでその場だけ、夜が喰われているかのよう――。
「妖怪!」
「そうね、お化けじゃないわよ」
黒点から、直接声が聞こえた。
全身を病め、滞空する。見ている内に黒はその大きさを増していく。
驚きながら、懐から退魔札を慌てて取り出した。
街の外に現われる妖怪を退治るのは初めてだ。
大丈夫、慌てないで、いつも通りにするだけ。
「真っ黒で何も見えないじゃない」
「確かに鳥目になったら困るわね。でもね、それが私の特技なの。それで、あんたはなに?」
「私は博麗の巫女。妖怪退治の専門家」
「へー、そーなのかー」
名乗りを上げても少しも動揺しない、いよいよ形を表わした巨大な闇黒球。
大きさは、最早霊夢の身体をすっぽりと覆い尽くせるほどになっていた。
「其処を退いて、邪魔よ。私はあの霧に用事があるの」
「ふうん……でもさ、人間と妖怪が出会ったんだよ?」
「…………だから?」
「え? じゃあ聞くけれど、貴女は食べていい人類?」
なんのことはない会話のようなのに、目の前にある黒球はなんでもない受け答えをしているのに。
考えても仕方のないことだ。
あれは妖怪で、私は人間だ。
それだけの、はなし。
ああ、やはり駄目なのだな。と、霊夢は退魔札を投げつけた。
霊夢の手から離れた途端、誘導性をもった破魔の札が黒い闇の中へと吸い込まれて消えていく――それっきりだった。
「…………斃した?」
「え? いま、なにをしたの? チョッピリ痛かったけど」
「……え?」
「えーと……攻撃して良いの? まあ、いいか。そっちからきたんだものね」
「え? え?」
いま、確かに破魔札を撃ち込んだはずだ。
破魔札は誘導されて、獲物に当たるはずだ。
街の妖怪なら、七転八倒に苦しんで、命乞いすら始めるその攻撃が、効いていない?
「そんな――ッ!」
言葉は最後まで続かない。
黒い球が唐突に特攻してきたのだ。
慌てて宙空を回避し、そのままバランスを崩してじたばたもがく。
違う! 今私は飛んでいるんだ!
必死に平静を取り戻し、今度は退魔の針を撃ち込んだ。全て命中、アイツは、思ったよりも動きが遅い。昼間、二本の針だけで狢を殺傷した針を五本も闇の中へと撃ち込んだ。
「これでどうだ!」
「?」
黒い球が、ふわりと慣性を付け停まる。
今度こそ斃したのか、と思ったら――それは振り返る所作ということだったのだろうか、逆方向、つまり、再び霊夢に向かって突進してくる。
「クッ……!」
「くそー、見えないから当てづらいなー」
妖怪の、あまりにものんびりした、普段通りの声に戦慄する。
私の攻撃が、本当に通用していないのだ、と。
焦りが心中渦巻く。なにか、なにか何か落ち度はあったろうか。
出撃前にちゃんと装備の確認はした。
修業だってこなしてきた。
空だって、こうして飛んでいる。
それなのに、あの妖怪はどうして斃れない?
頭の中の混乱を、氷よりも冷たい恐怖が満たしていく。
――私は、あの妖怪を斃せないのか。
「よし、こうだ!」
は、と我に返る、先の黒球が、体当たりに失敗して再び慣性を付け停まって、概ね此方の位置を把握してから何事か呟いてから特攻してくる。
躱せる、大丈夫。あれを躱して、何度でも躱して、そうだ、何度でも攻撃すれば良い。
さしずめアイツは大木だ。
どんなに腕の良い樵も、斧の一振りで大樹を倒すなんて出来っこないじゃないか。
躱せる、躱す、それから反撃――。
黒い球から、なにか、ひかりのようなものが伸びてきた。
それは黒い球の体当たりを躱すため、黒球の動きの観察に集中していた霊夢の右半身を捕らえる。
「あたりー」
「がっ!」
――衝撃、
今までに感じた事のないほどの激しい熱と衝撃が身体全部を駆け巡る。それは感覚だけではない、物理的な指向性を伴って霊夢を翻弄した。
空中で、ぐるぐると制御を失った身体が回転する。滅茶苦茶な軌道で目を回しながら、必死になって、天と地を意識する。
落ち着け! 体勢を立て直せ!
はじめて宙を手に入れたときのように。
世界の全てを手に入れたような気持ちになったあのときのように。
万能感を思い出せ。
私なら、出来る!
落ち着け、今こそそれが必要なんだ!
数秒とも永遠とも取れない混乱が去る。
やがて、なんとか回転を収めることができた……相当に時間をかけた隙だらけの状態だったのに、黒い球は何故か動いていなかった。
……それなら大丈夫、攻撃がちょっとかすっただけ、すぐ反撃に移ろう。
決めた通り、躱して、躱して、躱し続けながら、撃つ。
懐から取り出そうとした札を意識したとき、気が付いた。
右の腕が肘から下、なくなっている。
「……え?」
すかすかと、喪ったものを宙空で前後させるが、そこにないものはどうしようもない。
何度か振っている内……やがて、気が付いたかのように血が噴き出してきた。
「あ、あ、ああああああ!」
「ん、ん、ん……美味しい」
黒い球がその姿の形成を変異させていた。
其処に先までの闇はなく、代わりに……可憐な印象を与える金の髪の幼げな少女が浮かぶ。
……霊夢の右腕を貪りながら。
「あ、あ、あ、あ、糞ッ! 糞ッ!」
「美味しいね、もっとちょうだい?」
「うああーっ!」
泣き叫びながら左腕で札と針を投げつける。
妖怪は、避けることすらしなかった。
札が当たって燃え上がり、針が当たって突き刺さる。
妖怪少女は、少しだけ煩わしそうな顔を作りながら、手にした右腕部肉の親指をぶちりと噛み砕いていた。
「食べるなーッ! 返せ! 返せ! 返せーっ!」
「……うるさいなあ」
それが、針と札を言ったものなのか、
それとも霊夢の叫びを言ったのか。
それはもはや霊夢には判断できなかった。無数に打ち込む針と札を、怯みもせずに突進してくる妖怪。
何故死なない?
何故斃せない?
私は博麗の巫女、妖怪退治の専門家。
それなのに――。
迫る少女の顔、その口が耳元まで裂け、悍ましい牙と顎が迫る。
痛みと混乱で涙と鼻水を流しながら、それでも霊夢は攻撃を止めなかった。
攻撃が通用しないんじゃ、
戦うことが出来ないんじゃ、
どうして博麗の巫女を名乗れる?
どうして人々を守れる?
此処は退けない。
私はまだ何も成していない。
心が、身体が、悲鳴をあげ、冷静な判断を見失わせていた。
惨酷な現実を受け入れたくなくて退却を拒否していた。
悔しさが全ての感情を殺した。
なにより、喪っていく血が霊夢から刻一刻と命と意識を奪い取っていた。
「つーかまえーたー」
「あっ!」
投げつける札と針をもっていた左腕を捕まえられる。
やめて――
「やめて――お願い止めて――」
「いやだよ、チクチク鬱陶しいんだもの」
その声と共に、思いっきり蹴られた。
肺腑から全ての空気が吐き出され、血と共に吐き出された。
先の衝撃など比にならない強烈な強圧が霊夢の華奢な身体を真っ直ぐ地上、黒い森へと真っ逆さまに落とす。
苛烈な衝撃のみがある。痛みは感じない。身体が最早それを拒否していた。
――墜ちていく。
どんどん墜ちていく――どこまでも。
急速に、一気に小さくなっていく妖怪のすがた。
此方を見つめる顔には微笑みがあった。そして、新たに増えた肉にかぶりつく。
ああ……私の左腕……。
こうげきができなくなっちゃった……。
それが、霊夢の最期の記憶。
僅かに遅れ――
宵闇の妖怪がふわりと着地する。
「……うるさいヤツだったなあ」
そう言って、見下ろす。
そこに、巫女の、頭から墜ちたのだろう、
鮮血に染まった岩に後頭部を砕けさせ、物言わぬ肉の塊となったからだが横たわっていた。
神社を巡る深い森。
その森を見下ろしながら、真っ直ぐに夜空を覆う紅い霧へと進路を取る。
まだまだ夜の空気は冷える。
怖気を憶える霊夢だが、大丈夫、これは寒さだと自分に言い聞かせる。
遠く、遠く。横目に人里の小さく見えるすがたを収める。
……今頃騒ぎは伝播しているのだろう。
人々が恐怖に慄いているのだろう。
折角寝静まった子供が起こされたかもしれない。
明日の野良仕事を邪魔されて困っている農夫さんたちが沢山いるかもしれない。
良い気分で酔っ払っていた人がたちまち酔いを醒まされたかもしれない。
……あの霧がどんな目的で作られたのかは解らない。
だけど、あんな、天候が変わるほどの大規模な、濃霧。
星光の銀が血の色に変えられている、ひょっとしたら、日光すらも紅く染め上げるのかもしれない。明日一日ならたいしたことはないだろう。
だけど、明後日は? 明明後日は?
あの霧が消え去る保障など、あれを産んだものにしか解らない。
そして、それを解決できるのは自分だけ。
……失敗は、許されない。
「……でも、それでも、失敗したらどうなるのだろう」
――つい漏れてしまった疑問。
誰もそれに応えることはない。
博麗の巫女に失敗はない。
じゃあ、歴代の巫女は皆誰しもが成功者であり続けたのか?
なら……何故、自分が此処にいるのだろうか。
何故、自分は先代の巫女を憶えていないのだろうか。
「……関係ないわ。私は唯々、起きた異変を解決するだけよ」
――そうだ、自分のすべき事を見失ってはいけない。
つまらないことに気を取られてもいけない。
自分は博麗の巫女。
異変を解決するための存在。
その事実だけがあれば良い。
決意も新たに前方の夜空を真っ直ぐに見据えたとき――やや離れた宙空に、なに、か――。
はじめは小さな黒点だった。
ぷつ、ぷつ、と、紅霧の不気味な血夜なる光。その中だからこそ解る、黒い点。
それは夜の闇より尚も闇で、
全ての光を飲み込んでいるかのように圧倒的な黒をそこに次々点在させていく。
まるでその場だけ、夜が喰われているかのよう――。
「妖怪!」
「そうね、お化けじゃないわよ」
黒点から、直接声が聞こえた。
全身を病め、滞空する。見ている内に黒はその大きさを増していく。
驚きながら、懐から退魔札を慌てて取り出した。
街の外に現われる妖怪を退治るのは初めてだ。
大丈夫、慌てないで、いつも通りにするだけ。
「真っ黒で何も見えないじゃない」
「確かに鳥目になったら困るわね。でもね、それが私の特技なの。それで、あんたはなに?」
「私は博麗の巫女。妖怪退治の専門家」
「へー、そーなのかー」
名乗りを上げても少しも動揺しない、いよいよ形を表わした巨大な闇黒球。
大きさは、最早霊夢の身体をすっぽりと覆い尽くせるほどになっていた。
「其処を退いて、邪魔よ。私はあの霧に用事があるの」
「ふうん……でもさ、人間と妖怪が出会ったんだよ?」
「…………だから?」
「え? じゃあ聞くけれど、貴女は食べていい人類?」
なんのことはない会話のようなのに、目の前にある黒球はなんでもない受け答えをしているのに。
考えても仕方のないことだ。
あれは妖怪で、私は人間だ。
それだけの、はなし。
ああ、やはり駄目なのだな。と、霊夢は退魔札を投げつけた。
霊夢の手から離れた途端、誘導性をもった破魔の札が黒い闇の中へと吸い込まれて消えていく――それっきりだった。
「…………斃した?」
「え? いま、なにをしたの? チョッピリ痛かったけど」
「……え?」
「えーと……攻撃して良いの? まあ、いいか。そっちからきたんだものね」
「え? え?」
いま、確かに破魔札を撃ち込んだはずだ。
破魔札は誘導されて、獲物に当たるはずだ。
街の妖怪なら、七転八倒に苦しんで、命乞いすら始めるその攻撃が、効いていない?
「そんな――ッ!」
言葉は最後まで続かない。
黒い球が唐突に特攻してきたのだ。
慌てて宙空を回避し、そのままバランスを崩してじたばたもがく。
違う! 今私は飛んでいるんだ!
必死に平静を取り戻し、今度は退魔の針を撃ち込んだ。全て命中、アイツは、思ったよりも動きが遅い。昼間、二本の針だけで狢を殺傷した針を五本も闇の中へと撃ち込んだ。
「これでどうだ!」
「?」
黒い球が、ふわりと慣性を付け停まる。
今度こそ斃したのか、と思ったら――それは振り返る所作ということだったのだろうか、逆方向、つまり、再び霊夢に向かって突進してくる。
「クッ……!」
「くそー、見えないから当てづらいなー」
妖怪の、あまりにものんびりした、普段通りの声に戦慄する。
私の攻撃が、本当に通用していないのだ、と。
焦りが心中渦巻く。なにか、なにか何か落ち度はあったろうか。
出撃前にちゃんと装備の確認はした。
修業だってこなしてきた。
空だって、こうして飛んでいる。
それなのに、あの妖怪はどうして斃れない?
頭の中の混乱を、氷よりも冷たい恐怖が満たしていく。
――私は、あの妖怪を斃せないのか。
「よし、こうだ!」
は、と我に返る、先の黒球が、体当たりに失敗して再び慣性を付け停まって、概ね此方の位置を把握してから何事か呟いてから特攻してくる。
躱せる、大丈夫。あれを躱して、何度でも躱して、そうだ、何度でも攻撃すれば良い。
さしずめアイツは大木だ。
どんなに腕の良い樵も、斧の一振りで大樹を倒すなんて出来っこないじゃないか。
躱せる、躱す、それから反撃――。
黒い球から、なにか、ひかりのようなものが伸びてきた。
それは黒い球の体当たりを躱すため、黒球の動きの観察に集中していた霊夢の右半身を捕らえる。
「あたりー」
「がっ!」
――衝撃、
今までに感じた事のないほどの激しい熱と衝撃が身体全部を駆け巡る。それは感覚だけではない、物理的な指向性を伴って霊夢を翻弄した。
空中で、ぐるぐると制御を失った身体が回転する。滅茶苦茶な軌道で目を回しながら、必死になって、天と地を意識する。
落ち着け! 体勢を立て直せ!
はじめて宙を手に入れたときのように。
世界の全てを手に入れたような気持ちになったあのときのように。
万能感を思い出せ。
私なら、出来る!
落ち着け、今こそそれが必要なんだ!
数秒とも永遠とも取れない混乱が去る。
やがて、なんとか回転を収めることができた……相当に時間をかけた隙だらけの状態だったのに、黒い球は何故か動いていなかった。
……それなら大丈夫、攻撃がちょっとかすっただけ、すぐ反撃に移ろう。
決めた通り、躱して、躱して、躱し続けながら、撃つ。
懐から取り出そうとした札を意識したとき、気が付いた。
右の腕が肘から下、なくなっている。
「……え?」
すかすかと、喪ったものを宙空で前後させるが、そこにないものはどうしようもない。
何度か振っている内……やがて、気が付いたかのように血が噴き出してきた。
「あ、あ、ああああああ!」
「ん、ん、ん……美味しい」
黒い球がその姿の形成を変異させていた。
其処に先までの闇はなく、代わりに……可憐な印象を与える金の髪の幼げな少女が浮かぶ。
……霊夢の右腕を貪りながら。
「あ、あ、あ、あ、糞ッ! 糞ッ!」
「美味しいね、もっとちょうだい?」
「うああーっ!」
泣き叫びながら左腕で札と針を投げつける。
妖怪は、避けることすらしなかった。
札が当たって燃え上がり、針が当たって突き刺さる。
妖怪少女は、少しだけ煩わしそうな顔を作りながら、手にした右腕部肉の親指をぶちりと噛み砕いていた。
「食べるなーッ! 返せ! 返せ! 返せーっ!」
「……うるさいなあ」
それが、針と札を言ったものなのか、
それとも霊夢の叫びを言ったのか。
それはもはや霊夢には判断できなかった。無数に打ち込む針と札を、怯みもせずに突進してくる妖怪。
何故死なない?
何故斃せない?
私は博麗の巫女、妖怪退治の専門家。
それなのに――。
迫る少女の顔、その口が耳元まで裂け、悍ましい牙と顎が迫る。
痛みと混乱で涙と鼻水を流しながら、それでも霊夢は攻撃を止めなかった。
攻撃が通用しないんじゃ、
戦うことが出来ないんじゃ、
どうして博麗の巫女を名乗れる?
どうして人々を守れる?
此処は退けない。
私はまだ何も成していない。
心が、身体が、悲鳴をあげ、冷静な判断を見失わせていた。
惨酷な現実を受け入れたくなくて退却を拒否していた。
悔しさが全ての感情を殺した。
なにより、喪っていく血が霊夢から刻一刻と命と意識を奪い取っていた。
「つーかまえーたー」
「あっ!」
投げつける札と針をもっていた左腕を捕まえられる。
やめて――
「やめて――お願い止めて――」
「いやだよ、チクチク鬱陶しいんだもの」
その声と共に、思いっきり蹴られた。
肺腑から全ての空気が吐き出され、血と共に吐き出された。
先の衝撃など比にならない強烈な強圧が霊夢の華奢な身体を真っ直ぐ地上、黒い森へと真っ逆さまに落とす。
苛烈な衝撃のみがある。痛みは感じない。身体が最早それを拒否していた。
――墜ちていく。
どんどん墜ちていく――どこまでも。
急速に、一気に小さくなっていく妖怪のすがた。
此方を見つめる顔には微笑みがあった。そして、新たに増えた肉にかぶりつく。
ああ……私の左腕……。
こうげきができなくなっちゃった……。
それが、霊夢の最期の記憶。
僅かに遅れ――
宵闇の妖怪がふわりと着地する。
「……うるさいヤツだったなあ」
そう言って、見下ろす。
そこに、巫女の、頭から墜ちたのだろう、
鮮血に染まった岩に後頭部を砕けさせ、物言わぬ肉の塊となったからだが横たわっていた。