五・傘柄之交(さんぺいのまじわり)
「御利用ありがとうございました」
「あ、ありがとうございましたぁ」
鍋蓋の取っ手修繕を依頼してきた客が「良い仕事だねぇ」と言葉と代金を遺し、立ち去っていく。小傘のちいさな鋳物屋には連日注文が寄せられ始めていた。
たったひとりで鋳造、修繕、販売までを、てんてこまいに回していた小さな店。そこに、可愛らしく、賢く、礼儀正しく、計算が出来て、愛想も良いという新人店番が現れた。
それは、人気の少ない長屋奥の荒ら屋に棲み着く胡散臭い金物屋、といったイメージを払拭するには充分だったらしい。
やはり「店の顔」というものは大事なのだろう。少なくとも、オドオドしながら注文を受け、逃げるように店奥に引っ込むような客対応はいただけない。
「はあ、そろそろ看板にしようか、小柄」
「はい、では表札を変えてきます」
「おねがーい」
可愛らしい妹分に甘えた声を出しつつ火床から小踏鞴を外す。
夢中で火床と付き合うと、あっという間に夕方が来てしまう。隣の小柄は静かに佇んでいるから尚更に、時の過ぎ行くに気付きにくい。
注文が増えるのも嬉しいけれど、あんまり忙しすぎるのも考えものだ。
自分が妖怪なのか、鍛治屋なのか解らなくなってしまう。それに、小柄ともっと遊びたい。充実した生活の中でそれが唯一の不満と云えよう。
「あるじさま、また御依頼が……」
「あら」
小柄が開いた戸口を見やれば傾き欠けた日差しを受けて、子供……女の子がひとり、取っ手の壊れた鍋の金蓋を持って此方を見上げている。
見たことのある子だ、小傘は近づきしゃがみ込む。
「いらっしゃいませぇ」
「なんかはんじょーしてるねっ」
「えへへ、ありがとう」
「もうしごと、いらない?」
「いるよぉ、コレを直せば良いのね?」
「うん、急がなくてもイイっておっ母が言ってた」
「だいじょぶ、すぐやるから、明日取りに来てね」
「わかった……もうお墓には来ないの?」
「いくよぉ、いまちょっと忙しいけど、だんだん慣れてきたから、行くよ!」
そうだ、墓地近くで知り合い、ちょくちょく遊ぶ子供のひとりだ。
小傘の才覚? を見出すきっかけを作ってくれたものでもある。
おどろかしには失敗したものの、なぜだか懐かれた子供達にからかわれ、やり返しているうちにすっかり子供達と遊ぶことが楽しくなって、いつしか生業にしたくなったのだ。
特に仲のいい子には、おうちを教えたり冶金の仕事を自慢したりもしていた。
……この子はこんな自分を心配してくれて、しかも仕事まで与えてくれるというのか。
「じゃ、まかせたから。またあそぼうね!」
「うん、約束ね!」
背を向けた少女に手を振って応える。
……小傘は子供好きだが、大人はやや苦手な向きがある。
妖怪としてそれはどうなんだとよく問われることだが、こればっかりはしょうがない。
例えば夜道で「ばあっ」っと驚かしたら驚くどころか棒でしこたま殴られたりとか、なんだか解らないけどガミガミ泣くまで怒られたりとか、とかく大人は怖いというのが先に立つ。
何度か衣服を剥ぎ取られ、なにやらはだかにされて、よくわからないことをされそうになった事もあった。
その時は巫女が何処からともなくやって来て、人間の方をやっつけてくれた。
そんなこともあったりしたが、それでも小傘は人間、それそのものは好きであったし、食料を得るためにも人の傍からは離れられないのも解っている。
女の子の姿が長屋の間隙から見えなくなって、小傘は手を下ろす。
「妖怪って、なんかよくわからないよねえ」
「どうしましたか、突然」
「んー、なんでかな。人間は、おっきな意味で私の餌なのに、だけど、いまはこうやって人間の真似事をして生きていけることが、嬉しい」
「……それは、私達の由来に依るものでしょう。人の役に立ちたかったが故に化け出るのが我等付喪神なのでしょうから」
「でも、人間は妖怪を恐ろしがるよね。だから正体を隠さないと人には交じれない」
「人間になりたいのですか?」
「とんでもない。あんなおっかないものになんかなりたくないよぉ」
ちいさなお店、そう呼べるようになった寂れた長屋の一角での会話。
新しい店番……小柄を自分の妹として紹介し、そのまま一緒に店を切り盛りするようになってからはやくも数日が経とうとしていた。
しあわせだった。
たった数日で怒濤のように押し寄せてきた幸運。
自分を慕うともだち、ようやくみつけたいきかた、なにもかもが、上手く回り出している気がしていた。
……小柄はどうだろうか?
いつも静かに馬鹿話を聞いてくれる自分と同じすがたをした少女からは、自分よりも遥かに高い知啓を感じ取れる…だが、心の奥底まで覗けていない気もする。
「それなら、こうして静かに暮らすのが一番なのでしょうね」
「小柄もそう思う?」
「……私はあるじさまといっしょなら、それが一番嬉しいです」
そう云って、優しく微笑む鏡合わせの、しかし自分にはない知性を湛える貌。
そこには何か、言い知れない深みがある気がする。小傘はそれを知りたいと思うのと同時に、それを聞いたら彼女は此処からいなくなるのではないかと感じ、それが怖くてそれ以上は聞けなかった。
「そっかあ……えへへへ」
「……あるじさまは……この生活でもおなかは満ち足りるのですか?」
「へっ? あ、うん。そりゃあ、びっくりさせるほうが断然おなかは膨らむけれど、今の方が美味しい気がしてきたよ。人間がさ、御馳走は少ない方がいいっていう気持ちがわかってきたっていうか」
「それなら、良かった」
(……小柄は平気なの?)
続けてそう聞けない。
このくらしを気に入ってくれているなら、そのままが一番良いはずだ。
余計な事を言って、この子がいなくなるのがいまはなによりもこわい。
まだたった数日だけれど、孤独が癒やされる歓びを知ってしまった。自分を慕う瞳を識ってしまった。抱き返してくる温もりを識ってしまった。
このしあわせを、手放したくない。
満ち足りているのに、喪うのが怖くなる。
満ち足りているから、喪うのが怖くなる。
それがたとえ、心の奥底のどこかで「いけないことだ」と感じていながらも。
「小柄、おやすみしよっ」
「はい、あるじさま」
戸を閉めて、狭い荒ら屋で二人、抱き合って横になる。
泣きたくなるくらいのしあわせ。
抱くと、抱き返される。
微笑むと、微笑み返される。
それなのに、どうしても不安が拭えない。
あの扉が突然開いて、巫女が現れて、小柄を――。
そんな恐怖が、想像が、常に小傘を蝕んでいた。
どうすればいいのだろう。
この子は、人を手にかけた。
だけど、それは、妖怪が妖怪としての有り様を全うとした。ただそれだけだ。
産まれたばかりだから、此処が人里だなんて気付けるわけがない。
だから、なかったことにはならないだろうか?
人の役に立っているじゃないか。
だから、見逃しては貰えないだろうか?
この子は鋏だった。
ひとのすがたを得たことで、或いはもう気付かれないのではないだろうか?
小柄に危険を教えなくてはいけないのかもしれない。
だけど、教えたら、この小屋から出て行くかもしれない。
いやだ。
私が、私がこの子を産んだのだ。
私がこの子を打ったのだ。
寄る辺なきいのちを私が救ったのだ。
あるじさま、と呼んでくる子をどうして手放せようか。
私がされたかなしいことを、この子に味あわすことなんて絶対に出来ない。
……どうすればいいのだろう。
自分には解らない。
命蓮寺を頼るほかない。
だけど……人を手にかけたこの子を聖様は、マミゾウ親分はどう処遇するだろうか。
小傘は自分が頭の悪いことを只管に呪った。
もっと頭が良ければ、もっと強い妖怪だったなら、きっと良い方法を見付けることが出来たのに。
「あるじさま」
「……なに?」
「……どうしていつも心配そうにしているのですか……?」
「え……」
眼を見開くと、すぐ傍に紅い瞳があった。
唯一自分と違う、色違いではない紅二つ。
小柄が自分とは違う意味を持つ妖怪である証左。
「あるじさまは、いつも不安そうにしています……私が……迷惑ですか?」
「違うよ!? 違う!」
「そうですか、よかった……」
「小柄を迷惑だなんて思ったことがない。絶対に違う。ずっと一緒にいて欲しい。ずっと、ずっと、離れたくない。貴女がいなくなることが、怖いの……」
「…………」
大切な言葉を言えないままに、心情だけを吐露してしまう。
自分は狡い妖怪だ。
こんな事を言ったら……言ってしまったら……。
「良かった……私は、私も、あるじさまとずうっと一緒に居たいです。何処にも行ったりしませんよ。あるじさまが望む限り、私は此処にいますから」
「……ほんとう?」
「本当ですとも」
「……約束してくれる?」
「はい」
小柄はいい子だ。
こう言ったら、こう応えてくれることなんて、解りきっているのに。
ぎゅっと抱きしめる。
優しく抱き返される。
……自分がこんなに悪い子だったなんて気付かなかった。
どうすればいいのだろう。
答えが出せないまま、日々は幸せに過ぎていく。
だけど、いつか必ずこのしあわせは終わる。続かないものだ。
なんとかしなければいけない。
このしあわせをまもるために、自分は何をすれば良いのだろうか……。
悩みはいつだって意識の泥の中に沈んでいく。元より考えることは不得手なのだ。
そんな風に、無為に日を過ごす小傘だった。
「むにゃ……」
………………。
小傘が眠りについたのを見計らい、小柄はそっと身体を布団から起こす。
大事なあるじの眠りを妨げないよう、細心の注意を払って、音を立てず、立ち上がる。
……充分深い眠りについている。
これならまだ間に合うだろう。
小柄は静かに小屋を出て行く。
扉をそっと閉めるとき、寝返りを打つ小傘を見つめた。
「行って参ります、あるじさま」
……先程尋ねてきたあの女の子の黒髪。アレは実に良いものだった。
小柄は急ぎ歩く。
妖怪を妖怪たらしめるには、どうあっても必要なこと。それは、食事だ。
あの方はそれを摂らずに暮らしていこうとしている。
それがどれほど困難なことか。
妖怪でありながら妖怪であることに疑念を抱き、行動する。
まるで、人間のように。
「なんと、愚かしいことだ」
小柄は誰にいうでもなく呟きながら、妖怪が妖怪であるための道をひた進む。
身体の力は十二分に漲っていた。だが、それだけでは足りないだろう。
もっと、もっと強くならなければ。
そのためには、摂らねばならないのだ。
――妖怪である証を。
「――お待ちを」
「……?」
たそがれどき。
人気少ない路地裏で、女の子に追いついた。
その子は、己の影を踏み遊びながら帰途の道をのんびりと歩いていた。
きっと、いつも遊ぶ友達にでもふられたのだろうか。それは本当に好都合だ。
「あなた、さっきいた小傘のおともだちね」
「はい、そうです……ちょっとおはなしがありまして」
「……あたしに?」
小首を傾げる少女。
傾く小さな頭と共に、艶のある黒髪がさらさらと流れ落ちていく。
「はい……あなたの、髪を、切らせて貰ってもよろしいでしょうか」