八・かみきりいへん
「やれやれ……身動き取れんな」
神奈子は忌々しげに呟いた。
守矢神社、本殿。
煌びやかなその建物の中には、たまさか訪れていた河童と天狗、それから里人が幾数名。
二十は超えるだろう人数が怯えきったままに本殿の扉を見据えていた。
「出てこい建御名方ァ……何処まで逃げても追い詰めて、斃してくれるわ……我が刃により伏せられよ! 我が身、我が血肉となれ! 我を強くしろ!」
本殿を護る強固な結界を斬っては弾かれ、再び立ち上がっては斬り付ける。
その一撃が結界補強の注連縄にぞぶり、ぞぶりと食い込んでいく。
三本あるうちの二本までもが切り落とされた。
残りは一つ、そして、神奈子自身。
本殿にまで攻め込まれるようならば、この信者達に累が及ぶ前に自ら討って出る他ないだろう。
……諏訪子からの報せがない。
早苗はどうなった?
髪切りの異変とコイツには何か関係があるのか?
突然守矢神社の中参道に降り立ったこの妖異は、運悪い哨戒天狗を一撃のもとに斬り伏せた。
パニックを起こして逃げ惑う人々をなんとか纏めて本殿に逃げ込む時間を稼ぐため、天狗に避難を任せて数合打ち合ったが、その凍気纏った刀身に、神奈子の術は悉く凍らされ、腐らされた。
その打ち合いで相手の化生に気が付き、本殿に篭もったまでは良かったが……。
「さてどうしたものか」
……おそらく戦えば無傷では済むまい。
縛りのようなものだ。妖異としての格はおそらく此方に分があるだろう……だが、向こうにはそれら全てを覆す相性が合った。
高笑いと共に結界が斬り付けられる度、里人達の悲鳴があがる。
だが、信者達を煩わすことを我慢するのも限界だ。
「まったく都牟刈など、何処から出てきたのか」
三本目の注連縄がぞぶりと嫌な音を立てて、凍り腐り切り落とされる。
――やるしかなかろう。
神奈子が胡座を解いて立ち上がろうとしたその時――
亜空が割れ、狂える笑み浮かべた刃の妖異が顔面を蹴り飛ばされて中参道へと吹っ飛んでいった。
「硬った……いてて、蹴ったこっちの足が痛いとはね」
「博麗霊夢……?」
中腰になっていた神奈子が声をあげると、空間から現れた紅白巫女は夥しい大量の結界札を亜空から産み出し、落とされた注連縄の代わりに結界の周囲をぐるり本殿を取り囲ませる。
薄皮一枚になっていた結界が、再度補強され、いいや、先の結界よりもより強固となった、物理的手段だけではない、概念、精神、空間、時間、次元をも超えねば超えられぬ大結界を創り上げる。
「――博麗式大結界。神奈子、やり方はちょっと違うけどあんたならこれ維持できるでしょう? 私があれを調伏するから、中でちょっと待ってて」
「霊夢、これは一体――」
「説明は後。とにかくその中は安全だから。もしも、万が一、有り得ないとは思うけど私がやられたら、その結界を維持し続けていて……そのうち紫か誰かが来るでしょ。其処の人達を避難させにね」
「霊夢――」
「もう来る、問答は終わったらね」
霊夢は其処まで言って、本殿階段をひらりと降り立ち賽銭箱の上に仁王立ちした。
「……神を足蹴にするとは不届きものが!」
「誰が神だ! あんたはただの鋏だろうが! 成り上がりも甚だしいわ、今すぐとっちめてやるから覚悟しなさい!」
鋏の怪、いや、最早あれは都牟刈と称すべきなのだろう。
都牟刈モドキは、全身から白い凍気を噴き出し、まずは小手調べとでも言いたげに片手を此方へと向けてきた。凍気が噴き出し霊夢に向かってくる。
「ふん……」
亜空を通るまでもない。霊夢は凍気が影響を与えない弾幕の擦れ擦れを駆け出し、接敵、今度こそは、亜空から呼び出した大幣でブッ叩いた。
再び吹き飛ぶ都牟刈モドキ。
だが――吹き飛びながら、尾を引くようにして凍気の霧を周囲に撒き散らす。
「凍気の霧、ってのが厄介ね……避けにくいったら」
霊夢は追撃を諦め陰陽玉を取りだして自動攻撃モードに設定する。
自らの装備は――針。あの子が鍛えたものだ。
気休めにでも成れば良いが。そう思っているうち、霧の中から妖異が再び……微笑みながら姿を現した。
「なんだ、お前は……神威を超えて攻撃を届かせるとは」
「だからさァ、あんたのそれは神威でもなんでもないってのよ。唯のイキった鋏の怪如きが、神を騙るな! 片腹痛いわ!」
「小癪!」
今度こそ始まる弾幕戦闘、相手は噴き出す凍気を中心にした直線的な攻撃。
対する霊夢は要所要所で針を撃ち込みながら、陰陽玉の自動攻撃に任せつつ凍気によって周囲のが凄まじい勢いで凍土と変えられていくことに舌打ちした。
数回、飛び上がって空中戦を仕掛けるが、乗ってこない。
霊夢を無視して本殿に攻撃を仕掛けようとするのが解り、地上戦に付き合うほかない事を理解した。
「あくまで狙いは建御名方か……どんだけ粘着質なんだか。然程に國(誉れ)が欲しいかよ!」
スペルカードルールのない戦闘である。
夢想の奥義で一気に決める事も可能ではあった。
だが……霊夢はそれを選ばない。
神威を纏った相手から、それを奪う方法なんてあるのだろうか?
霊夢は思いつく手を試すしかない。
相手は、神を騙る憐れな妖怪だ。
凍気を、凍弾を躱しながら考える。
最初は……小傘と出逢った事から始まるのか。
おそらく魔理沙との戦闘で半方破壊された鋏を、天目一箇神の零落ともされる多々良の縁が打ち直した事で唯の鋏が神性を帯びた。
鋏の出自、それそのものまでは調べていないが、なんとなく香霖堂辺りを探ってみれば、きっと嫌な情報が出てくる予感がする。神鉄混じりとかね。
そして、とどめは早苗を切った事で髪ではなく神斬りに目覚めた、と。
「……馬鹿馬鹿しい、駄洒落かっての……まあ神代のおはなし、あれやこれやなんて、どれも似たり寄ったりだけどさあ!」
何が馬鹿馬鹿しいって、それに気付けずここまで話を大きくしてしまったこの状況だ。
我ながら間が抜けているというか、早く終わらせたくって焦っていたというのもある。
それがまた苛つくのだ。
自分の不手際を、運命がチクチクと厭味ったらしく指摘しているかのよう。
神モドキが笑いながら大きく手を振り上げた――大技が来る。
やや遅れ、巨大な凍気の霧が、不可能弾幕として落ちてきた。
「無粋ね」
鼻息一つ、亜空を超えて霧の範囲の更に上に出現し、そこから山勘で下に向かい大技を放つ。
「襲え……陰陽鬼神玉!」
霊夢の霊力を受け入れた陰陽玉が巨大化し、凍気の霧の只中へと撃ち込まれていく――手応え有り、陰陽鬼神玉が作ってくれた霧の大穴に降り立ち、青い大霊気の威力に苦しんでいた鋏の怪の脳天を、再び大幣で思いっきりぶっ叩く。
「とっとと思い出せ! お前は唯の鋏の怪だ! 多々良小傘に打たれた付喪神だ!」
「不敬也!!」
急ッ!
高周波の音が後から響く。
霊夢の右腕が肩から下を喪い、切り飛ばされ――たのを、肩から夥しい札が噴き出し、あっというまに“くっつけた”。
退散、退散、
そのまま、左手で退魔針を連射しながら距離を取る。
まったく、異常なタフさには辟易する。苦しむ素振りは見せているが……底はまだ見えない。
退避しながら撃つ針――軽い金属音がして、防がれているのがわかる。
音に頼らねば白い霧のせいで前後左右が曖昧になっていく。
凍った地面が踏み込みを邪魔する。
「糞ッ……白兵戦は流石に不利か」
擬い物であれ相手は剣神。
仕込んであった加護札は良い仕事をしてくれた――が、あっさりと加護を超えて身体が斬られた以上、首を切られたら一環の終わりらしい。
くっついた肩から激痛が走れど一切顔にも動きにも出さず、霊夢は地面を蹴る事をやめて超低空飛行で滑るように地面を移動する。
追い縋るように次々繰り出される剣閃。
どうやら怒らせたようだ。
霧ではなく、剣、それも怖ろしく伸びる間合いの剣が相手になったようだ。
あれこそがかの有名な韴霊剣かな?
妖夢を連れてきたら、どんな顔するかしら。
あの剣――鋭い剣筋だからくっつき、すぐに癒やせたものの、凍気との合わせ技だったらこうはいかないだろう……今度こそ、攻撃が当たったら終わりのつもりでいかねば。
その判断をした上で――それでも霊夢は特攻した。
迫り来る剣閃を避け、避け、亜空を使って躱し、接敵。
相手は苛立っている。
それは、そうだろう。まさか神であるなどと嘯きながら、建御名方を前にしながら、たったひとりの巫女相手に苦戦しているなど、神あろう身には有り得ない。
「何故だ……何故当たらない!」
「そりゃ、あんたがザコだからよ。ひいふうみいしごむつななやあ……八方龍殺陣!」
接敵と同時、大技を展開する。
大破魔札を地面に打ち付ければ、それを基点に間欠泉の如く大霊撃が噴き出して、都牟刈モドキの身体を宙空へと押し上げた。
追撃――!
霊夢は跳躍し、回転しながら霊力を篭めた全力の回旋蹴を一、二、三と蹴り当て、更に大幣で地面へ叩き付ける。
そして、地面に向けて転がった妖異へと目掛けて目一杯の退魔針を撃ち込んだ。
「思い出せ! お前は付喪神だ! 荒神ではない! 鎮まり給え!」
投げ針が切れる。
――それと同時、守矢神社の全部を覆い尽くさんばかりの巨大な凍気の爆発が起こった。
「このっ……出鱈目出力……ッ」
白い渦の中に呑み込まれていく境内、鳥居、参道、本殿、拝殿、社務所……。
霊夢は、一回目の切り札を切らざるを得なかった。
「ははははははは! 遠からんものは色に見よ、近くは因って、神威を知れ! これぞ神成る力よ!」
…………白い死が支配した空間に、笑い声が響く。
春先の山の中腹が、そこだけ真白に染め上がっていた。
だが……本殿も、その他の建物達も、健在。
神奈子の加護と、博麗式大結界は見事に周囲を守りきっていた。
……外側の氷だけは防ぎようがなかったが。
「……大出力持ちって、状況が不利になるとすぅぐに狂った弾幕出すのよねえ。わかりやすいったらないわ」
「なにぃっ」
――霊夢もまた健在であった。
凍気の爆発に呑み込まれる寸前、回避目的で使った奥義「夢想天生」
しかし、連発は出来ない。可能なら、術の行使のままに斃しきるべきなのだが――。
敢えて、しない。
「遠からんものはなんだって? 近くは寄ってなんだって? 私は此処にいるわよ」
「おのれ……おのれえぃっ!」
剣閃と凍気、同時攻撃が始まった。
しかし解りやすいヤツだ、その全ての攻撃が霊夢を狙って撃ち込まれる。
どうにもコイツは弾幕の美学をわかってない。
……幼いのだろう。
自分を見てくれ、
自分の力を知ってくれ、
自分がいれば、もう安心だよ……
自分が、貴女の安全な場所(國)を造る……
全てが、小傘へのメッセージなのだろう。
ただ道筋を間違えただけだ。
きっと、悪い妖怪(ヤツ)にはならない。
凍気弾を悉く躱し、針を撃ち込む――数が減ってきた。
剣は、最早受けても流しても即死だろう。ひたすらに躱す、躱す、大幣を投げ、隙を作って蹴り飛ばす。
顔面を抑えて数歩よろける。
「何故だ……何故斃れない!」
「それは、あんたがちからの使い道をわかっていない雑魚だからだ! 何度言えば解る! お前は唯の付喪神だ! 功名漁りが偶レガリアを手にしたところで皇に成れはしないのよ!」
「黙れええっ! わたしは……わたしは……あの方に安心して欲しいんだあっ!」
――来た!
神威が通じないことへの畏れに付喪神の相が戻ってきた。
神(妖怪)の自尊を崩し、自我を揺らがせる。そうすれば、呑み込まれた本来の自分が戻るはず。
霊夢の考えは当たっていた。
だが、
「私は――わたしは、わたしは……こわい……私は誰……? わたしは、わたし、わたしはああああっ!」
「え、ちょ――」
一瞬の期待が霊夢を油断させた。回避行動が僅かに遅れた。
この至近距離で、またアレか――強情なヤツだ、ラストスペルまで使い切る気か!
亜空を開いていては間に合わない、
まずい、夢想天生はさっき使ったばかりだ、凌ぐ術が――。
「霊夢!」
神奈子の声。
横目で見れば、神奈子が自ら近づいて、大結界の基点として領域を一気に拡げていくのが見てとれた。
「無茶して――!」
その、広げられた領域へと奔り飛び込む。
同時に、背中を、強い冷気が襲いかかった――。
再度の白い大爆発が、守矢神社全域を包み込んだ。
……………………
ひゅおおおお……。
こんどこそ、白き死だけがそこにあった。
深い雪に埋もれる神社の建物達。
結界を拡げすぎた事で、破壊された部位から神気の吹雪を受け倒れた神奈子、そして……霊夢。
……立っているのは、独りだけだった。
「ふ……ふははははは! これぞ神代のちから! わが国譲りは、ここに成せり!」
ちからの大部分を消費し、よろめく身体で剣を引き摺り白雪の荒野を歩く。
その先には、建御名方が横たわる。
そうだ、近づき、その手首を断ち切れば、終わる。
平伏させる。
そして、國を得るのだ。
あの方を……あの方と、ずうっと一緒に居ると、そう約束したのだから。
あの方……あの方って……だれだっけ……。
「待、ち……なさい……」
「!?」
小柄が振り向く。
そこに、雪と氷とで全身真っ白に染め上げた巫女が立っていた。
ガチガチと歯を鳴らし、身体の殆どは凍り付いているだろう。それなのに、か細い命の炎を灯して立っていた。
「馬鹿な……」
「云った……はず、よ……あんた、は、雑魚、だって……ちか、ら、に、振り、ふり回されて、馬鹿の一つ覚えに、どっかんどっかんと……」
霊夢は、弱まったとはいえ尚吹雪く空間で、黒髪を翻しながら小柄へと足を引き摺り歩み始める。
半ば凍り付いたその手には、一本の退魔針。
「うそだ……嘘だ! 我が神威を前にして、貴様……貴様は……! 貴女は……?」
「私は博麗霊夢、ただの巫女よ……そして、お前、を、斃すものだ……!」
「く、来るな……来るな!」
「こわ、こ、怖いの? か、か、かみさまの……くせに?」
……最後の賭けだ。
霊夢はずっと、ずっと鋏の付喪神を救う事だけを念頭に戦い続けていた。
神威に捕らわれた妖怪の意識を目覚めさせ、本来あるべき己の有り様を取り戻す。
全力で戦わせ、
全力を凌ぎきり、
一方的にボコボコにして、
己の自尊を崩壊させる。
……流石に、無理のある目論見だった。
借り物とはいえ、神威だ。
消耗戦になってしまったのは否めない。
最初から勝つつもりなら、初手から夢想の奥義を出せば良いだけ。
だがそれでは、小傘の想いに応えられない。
約束したから。
「できるだけのことをする」……って。
「もうお互い、ラストスペルも使い終わった出涸らしどうし、どうする? それでも私を無視できる?」
「…………」
小柄は――倒れる神奈子と、ゆるゆると近付く霊夢とを見比べ、そして、
「うわあああああっ!」
霊夢へと剣を振りかざし、突進した。
神威ではない、小柄が、恐怖に負けたのだ。
さあ、後は――凍り付き、鈍い身体に叱咤しながら最後の一合、唯その一瞬に命を預ける。
「ごめんね……レミリア……」
剣が、振り下ろされた。
針が、貫いた――。