終章・かみおとすみこ・弐
霊夢が目を覚ますと、そこは……ベッドの上だった。
身体中が……なにか布に包まれている。
コレは酷い。木乃伊女だ。
思わず冗談のような姿を想像し、おそらく、その想像通りの有り様だろう自分に苦笑する。
……誰かが永遠邸に運んでくれたことは憶えている。
ベッドというやつは、なんだかふかふかし過ぎて落ち着かない――なあんて思ってたのは、いつまでだったろうか。紅魔館に通うようになってからは、むしろベッドに好みを嘯くくらいになっていた。
霊夢の好みは枕もスプリングもやや固め。
自分のとこの布団に近い方がいい。
それに……激しくなってもあんまり身体が揺れないから、あんまり恥ずかしくない。
……からだがこんな有り様なのに、悶々としたことを思ってしまうのは逆に身体が動かないからこそ、なのだろうか。
ほんの少しだけ、首を動かすだけで激痛が襲う。
動いた視界の端に、
――泣き腫らした目の、悪魔の王がいた。
「……レミ、リア……?」
「霊夢!?」
声をかけられた吸血幼女ががばっと身体をあげ、此方に身を乗り出し、身体に触れようとして、手を慌てて退けた。
「霊夢……霊夢、霊夢、霊夢……良かった……」
「レミリア……私、どれくらい眠っていたの……?」
「あのヤブ医者……! いつ起きるか見当も付かないなんて云ったのよ……! 貴女の報せを受けてから今日で三日目……良かった、霊夢、本当に……わた、し……もう、逢えないかと……」
紅い目が涙に揺れる。
ああ……こんなときだってのに、凄く可愛い……。
髪を撫でてあげたいけれど、指一本、動かせそうにない。
……また、泣かせてしまった……。
「いま、咲夜を……あのヤブもセットで呼ぶわ」
「ま……待って……」
潤んだ目を誤魔化すように振り向きかけた吸血幼女を呼び止める。
レミリアは――ほんの少しだけ顔をぐしぐしと擦った後、此方を向いた。
ほんとうに、申し訳ない思いだ。
おうさまを、泣かしたりしたくはなかったのに――。
「ごめんね、レミリア……ほんとうに、ごめんなさい」
「なんで謝るの? 貴女は立派に務めを果たしたのよ。私は貴女を心から誇りに思うわ……泣いてなんていない、貴女と逢えたのがうれしい、それだけよ」
「ううん、違う……あの……あのね……」
霊夢は数秒……
彼女にしては実に珍しい、長いながい逡巡を経て、やがて、絞り出すように声を吐く。
「わたし、貴女の好きを受けられなくなった」
「……え? ど、どうして……」
「見て……首の、後」
…………
剣が振り下ろされた――それを、最後の力を振り絞って回避し、その切っ先に、己の髪を薙ぎさせた。鋭い剣の一閃は、霊夢の黒艶の髪を肩下から寸断して白雪の野へと散らばせていく。
そして……最後の退魔の針が、小傘の鍛えた最後の針の一本が、小柄の眉間に突き刺さっていた……。
…………
「……髪が、ね……かみ、が……ごめん、なさい……あなたが、すき、って、いってくれた、のに……き、きれい、って……なのに……」
「……霊夢……」
レミリアは……しゃくりあげる、年端も行かない少女の「少女」を初めて見た気がしていた。
ついさっきまで、自分の方が嬉しさにこみあげるものを堪えていたのに。
でも――
レミリアは、悪魔の王は、幾万の言葉よりも雄弁に、唇で巫女の嗚咽を塞いでやった。
凍傷でがさがさになった唇。でも、柔らかくて、なにより甘い。
巫女は……すぐに泣き止んで、重なる柔さを受け入れた。
やがて、ゆっくりと離れる二つの花弁。
「……絶対に患者には触れるなってあれほど言われたのに、あっさり破っちゃった」
「レミリア……」
「貴女は綺麗よ、霊夢。此の世のなにもかもよりなお綺麗。貴女の眼が、貴女の声が、貴女の心が……私を魅惑して離さない。髪を愛でることが出来ないのは悔しいわ。ええ、それはもう、地団駄踏むくらいに悔しい。でも――」
……もう一回、
「でもね、パーツなんて大したことないの。私は「博麗霊夢」を心から愛しているのだから。髪なんておまけよ、オマケ。だって……」
……もう一回、
「こうしてくちづけできることが、なによりしあわせだもの」
「レミリア……」
……もういっか
「こら! なにをしているの!」
「げ、ヤブ医者」
「若い吸血鬼、あれほど言ったでしょう? 患者には触れるなって!」
「いいじゃない、ボディケア以上にメンタルケアが必要だったの!」
「んまっ、医者の前で何を偉そうに……」
吸血鬼と月の薬師が喧しく罵り合いを始める。
月の薬師――八意永琳は、くすくすと笑う霊夢を見つめ「もう大丈夫そうね」とだけ呟き、吸血鬼との舌戦を続けるのだった。
……こうして、一つの事件がまた終わる。
巫女にはかみの大事さを教え、
吸血鬼には巫女の大事さを教え、
付喪神には互いの大事さを教える、
そんな事件が。
余談だが、守矢の神々は今回の一件でまた随分と株を上げたそうだ。
己の身をなげうってでも信者と部下の河童に天狗を護りきった偉大な軍神とかナントカ。
後日霊夢はそれを聞き、
「アイツは結界の中で応援してただけじゃん! 結局また守矢が持っていくのか!」
と、酷く腹を立てたらしい。
おわり
更に余談
例の暴漢と称された街のはぐれ拝み屋は、
上白沢慧音の追求を逃れるため人里から出て――すぐに行方を何処かに消し去り、二度とその姿を見たものはいなかったという。
霊夢も早苗もこの一件は知らない。
知るのは悪魔と、その飼い犬だけだ。
ひとつの事件に対して誰も彼もが本気で挑んでいく姿がカッコよかったです