一・かみきりいへん
「お集まり頂いた事に先ずは感謝致します。手前は皆様、人里の暮らしに貢献することを至上の喜びとして粉骨砕身、商いに身を捧げてきたものでありまして……」
……この言葉から始まって、かれこれ小半時は経つだろうか。
昼から始まったこの集い、昼飯が振る舞われてからの開始を鑑みればもう一時ちかく(二時間)は此処に居る。
よくもまあ己を賞賛する言葉が次から次へと出てくるものだ。軽快なやりとり、言葉の応酬が好きな霊夢ではあったが、自分から一方的に話し続けるというのは喋るのも、聞くのも苦手だと気が付かされた。
とはいえ“依頼主”のお言葉である。面倒この上ないがこのまま静聴続けるほかはない……いやさ、もう面倒くさいし依頼やらなにやらほっぽっといて神社に帰るというのも手ではあったが……隣に畏まって座っているいまひとりの巫女をこの場に放っておいては帰れないという事情ができてしまっていた。
……真横で少しばかり緊張の面持ちを見せる守矢の巫女をちらと見る。
霊夢にとってはもう茶飯事になっている「依頼」だが、最近になって人里、ひいては幻想郷そのものに慣れ始めた山の神の使徒にとって、こうした“たのまれごと”としての事件は初めてらしい。
態々巫女の信奉するカミサマ自身が博麗神社の鳥居をくぐって頼みに来たのだ「心配だから一回だけでも様子見で付き合ってはくれまいか」と。
よくよく過保護なことだ。
少しだけ、羨ましくも思う。
誰かに心配されるというのは、愛されるというのはとても嬉しいものだ。
それを自覚するようになってしまったのは霊夢にとって良いのか悪いのか。まだこの複雑な問題には解を見出せてはいない。
それはともかく、ねむい。
……結局わがままお嬢様に付き合ってしまい、眠りにつけたのはいつ頃だったのか。空が白みがかってきていたのだけは憶えている。
アイツは大概満足して、今頃霊夢の布団のなかで健やかな寝息をたてている頃だろう(寝顔は可愛かったが)屋敷にも帰らず暢気なことだ、羨ましい。
こっちは、仕事だ。
色々恨み節あれど、結局許してしまったのは自分なので、それをどうこうはいえない。
欠伸を噛み殺していると、早苗が肘でツンツンと突いてきた。
此方の視線に気が付いたのだろうか、小声で答える。
「あー?」
「眠そうですね、霊夢さん」
「……まあね」
「それにしても長い話ですね……後に座って良かったですねえ」
「……まあね」
霊夢と早苗が肩を並べているそこは、人里のとある豪商、その邸宅だ。
通された趣味の良い座敷にはこれまた綺麗な畳が敷かれ、ふかふかの座布団が用意され、玉露とお茶菓子まで膝元に置かれている。
……この男、やり手の人物で知られ、様々な商売に手を付けては成功させているらしい。そこそこに黒い噂もあるようだが、それはこちらの関与する話でもない。
霊夢は人里に寄り添う事を大事に想っている反面、人の有り様に近付きすぎないことに注意もしていた。
己の立場を弁える、などと大袈裟に構えているわけでもない。博麗の神秘性を護るためだとか妖怪との距離も含めた付き合いをしているとか色々理由をひり出すことは出来るが、結局は、唯の面倒臭がりである。
ましてや人里のものは霊夢を見る眼からして違う。
此方もその視線にあった態度にせざるを得ないというのが正直なところだ…それでも、少なからず知り合いやともだちは増えてきた。それを素直に嬉しく思う。
……まあ、それはともかく、
この豪商とやらが呼びかけたことでこの茶の間というには広すぎる部屋に十人近い人間が座っている。どの面々もいつか見たことのある顔。
それも“仕事”で関わった見知り合いだった。
つまり皆、霊夢が此処に呼ばれたものと同じ理由で座っているのだろう。
“仕事”
即ち、妖怪退治だ。
「……と、いうわけでして、皆様にお集まり頂いたのは我が娘に害成す妖怪を退治てほしいと。あい、そういうわけです」
早苗と内緒話しているうちに商人の長い成功譚……じゃない、身の上話、でもない、蛇の足が長い長い依頼説明が終わったようだ。
眠気に霞がかった頭で要約すれば……この屋敷の娘、「かや」が妖怪の仕業で酷い目に合いそうになった。その場はたまさか近くに居た異能者によって妖怪を撃退することに成功したが、倒しきることはできず逃げ去ったとのこと。
再びの来襲はすぐとは言わぬが有り得るから注意せよ、自分も出直すと異能者は言い残し、その場を立ち去った。
事態を重く受け止めた商人は、思いつく限り全ての異能者をこの場に集めたのだ(そんなことができるが故の豪商なのだ)……とまあ、そんな背景のようだ。
……異能者と言えばそらおそろしく聞こえるが、歴々の中には霊媒を騙る不届き者も混ざっているようだ。過去にお灸を据えてやったのがちらほらと見える。
大方金に目が眩んで参席したのだろうが、既に被害の出ている事件だ。早急に詐欺師どもには退場願わねば無駄な怪我人、ともすれば死人が出かねない。
そんなもの放っておけば良い、というわけにもいかないのが辛いところだ。
中には本当に「使える」人間もいるようだが、霊夢にとってはどちらでもおなじことだ。妖怪が人を襲うことを防ぐのが巫女の仕事であってそれ以上でも以下でもないのだから。
まあ、そこまで面倒見なければならないのかもしれないと思うと今から気が重くなるのはしかたない。
……そして、肝心の「最初に撃退した異能者」の事には話の中で触れていない事も気に掛かる。
どうもこの場にいるものではないのだろう。
霊夢は、こういう状況なら必ずや列席していただろう筈の白黒衣装がこの場にいないことに、少なからず嫌な予感を憶えていた。
「御主人、かや――いや、娘さんにお目にかかりたいのだが」
商人の台詞終りとほぼ同時、先頭で正座している女性が手を上げた。
その背姿には見覚えがある。
――上白沢慧音。
この人里で寺子屋を営む人妖だ。彼女にまで声がかかっていたのかと、部屋に入った際に驚いたものだ。
かや、とはこの屋敷の娘の名だろう。そして、先の話では襲われたのは寺子屋の帰り道のことだとも。彼女が此処にいるのは、そのままそれが理由なのだろう。
「すいません、先生。娘はいま誰にも会いたくないと言っているのですが……」
「しかし直接話を聞かねばどのような妖異であったか判別できない。それに、私はあの子の教師として顔を合わせ、励ま……慰めたいと思っているのです。せめて取り次ぎだけでもお願いできないでしょうか」
「……確かに仰ることご尤もです。少しだけ時間を頂けますか? 娘…かやに聞いていきます」
慧音のやや強引な要求を商人は素直に受け取り、腰を上げる。
「皆様、少々お待ちください」
と、一言残して部屋の障子を空けて出て行った。
……一連の流れから察するに、話がうざったいくらい長いこと、少しばかり羽振りの良いこと以外は娘を心配する人の親だとの印象を持てる男だと受け取った。
その“羽振りが良い”点がまさしく霊夢の足を引っ張りそうな予感はしていたが、それは子を危ぶむ親の性だろう。否定することなどできはしない、それをこそ護らねばならないのだから。
……男が障子の向こうに消えていくのが合図になって、残った者達から漣のように受けた依頼についての所見や情報収集としてだろう、ひそひそ話が始まった。
盗み聞く気はないが、耳には「これ結構ヤバいんじゃないのか」「博麗の巫女様がいるぞ」等といったニュアンスの会話が忍び込んでくる。
良い傾向だ、出来ることなら危険性に勘づいてさっさと身を引いてほしいものだ。
霊夢は周囲のものたちに対し目立たぬよう、正座した足の儘で膝歩きしてこそこそ慧音に近付いていく。
早苗も同じ調子で付いてきた。
「慧音」
「ああ、霊夢か。来てくれていたのか」
「そりゃ勿論、生業だしね……むしろあんたが此処にいることの方が驚きだわ。どうやら、人里で妖怪相手になにかしらの見識を持つもの全てに声をかけた感じね」
「……そのようだ。お前がいるなら私の出番はなさそうだが……協力は惜しまないよ」
「ありがとう。それじゃあ、知っていることだけでも教えてくれる? 私の勘だけど、最初に撃退した異能者って……魔理沙じゃない?」
「もう知っていたのか、あ、いや、勘か」
「その魔理沙が此処にいない事情も知っているの?」
「なんらかの被害を受けたと聞いている」
「被害……」
「いや、深刻なものではないらしいよ。商人宅までかやを届け、それから帰ったという話だから」
「そう……」
安堵する。
声が掛からなかったとはいえ、自分がいない間に知り合いが被害を受けたというのは気持ちの悪いものだ。
ましてそれが魔理沙(ゆうじん)とあっては心中波立つのは仕方ない。
「それで、かや……ちゃんの様子を見に来たのね」
「ああ、先の話では触れていないが魔理沙が駆けつけたのは既にかやが被害を受けた後だったらしい…幸い、怪我らしい怪我はしていないとのことだが……」
慧音がまず気にしたのは教え子の安否なのだろう。
自分が魔理沙を気に掛けたように。
しかし言葉の内容とは別に、慧音の顔は酷く沈んでいた。
「……髪をな、ばっさりと切られたらしい」
「髪、ですって?」
「……可哀想に、良いところのお嬢さんらしく、黒艶の髪を綺麗に揃え、お洒落な髪飾りを付け、それをよく皆に羨ましがられていた……それを、根元から…魔理沙が確認したという。私が知っているのは、それだけだ」
「…………」
「酷い……」
背中に控える早苗が小さく呟く。
霊夢は髪を切る妖怪なるものを記憶に探っていたが、見付けることが出来ない。
そこまで妖怪たちに造詣は深くないのだ。
友好関係やらナニヤラは深いのだが。
勉強不足だと、隙間妖怪やら仙人やらに怒られることが多々あるが、結局目の前にした悪さする妖怪を退治すれば良いだけじゃないかと開き直っている……からこそこういうときに困ることになる。
「……おそらく、髪切りの妖ではないかと思う」
「かみきり? そのまんまね」
「狐狸妖魅の類か、はたまた天牛(かみきりむし)の妖異と言われるものだ。私も阿求の著書からの受け売りでしかないが、女の髪を唐突に切り裂く妖異があるのをそのように見たことがある」
「……髪さえ切ることが出来れば身体は大丈夫ってことかしら」
霊夢の呟きに、慧音が呆れた声を出す。
「あのなあ霊夢、おんなのこが髪を切られる。それも、自慢の黒髪をだぞ? それがどれほどの恐怖と哀しみか……想像するだけで胸が痛いよ。身体は大丈夫かもしれない、だがどれほどこころが傷付いたか。私はひとまずこの一件を「なかったこと」にするつもりだ。霊夢、お前の立場も解るが邪魔だけはしてくれるな」
「あ……あー……うん、解った」
慧音の怒気に充てられ、ややたじろぎつつ応える霊夢。
……こういうとき、自分がまだまだ“人の側”にきちんと立っていないのかもしれないと朧な気持ちにさせられてしまう。
背中で同情を奮起へと転換している早苗にしてもそうだ。
勿論可哀想だと思えたし、なんとかせねばとも思うが、それを己の怒りへと変える事が出来ない――共感性に欠けているのだろう。
こんなだから、妖怪巫女だの言われてしまう。
少しだけ、胸の奥がちくりと疼いた。
そんな様子を察してかどうか、背中に控える早苗が慧音に声をかける。
「「なかったこと」ってなんですか?」
「慧音はそういう能力を持っているのよ。まさしく起きた出来事を起きていなかったことにするの……まあ、実際に起きた事象が変わるわけじゃないから妖怪に襲われたという事実を広めないという抑制程度の効果ね」
「へえ……凄いですね」
「まあ、かやちゃんのことは慧音に任せることが出来そうね。私達は事件の解決のために動きましょう」
「そうですね! 妖怪退治はお任せ下さい」
「君は……ああ、守矢の巫女というのは君か。そうだな、私はまず、かやと逢って、少しでも慰めたいと思う。それに、もしやまた狙われることがあるやもしれん、許されるなら此処に残るつもりだ」
慧音が自分の方針を語っていると、障子が少しばかり開いて商人が顔だけ覗かせる。
「先生、先生にだけなら逢ってもいいとのことです」
「そうですか、ではお父さん、よろしいでしょうか?」
「勿論です。あの子が自分から誰かに会いたいと言ってくれた……どうか娘をよろしくお願いします」
慧音は「では後は任せたぞ」と言い残し、商人に連れだって部屋を後にする。
……後にはいまださざめきを続ける雇われもの達と、霊夢と早苗が残された。
連中が遠巻きに此方に関心を寄せているのは悟っていたが、敢えて無視する。眼中にないというアピールのつもりだ。自分のことは自分で面倒見ろと暗に告げておく。
変に此方の動き、庇護に期待されては適わない。
それでも金に目が眩む奴、名誉に先走る奴はいるかもしれない。結局、気付かないふりして目を向けては居なければならないだろう……面倒なことだ。
「霊夢さん、これからどうしますか?」
早苗が聞いてくる。
なにしろ今回は異変と違って明らかな現場があるわけではない。
捜査とか調査とか、そういった類が必要な事で、そのノウハウを学ぶために早苗は此処にいるのだ。自分が動き方を示さねばならない……のだが、既に被害者が出ている以上、あまりのんびりとはしていられない。
それに、友人のことも気にかかった……先のやりとりで、かやという娘にこだわれなかったことが小さな棘になっているのかもしれない。
自己分析しつつ、霊夢は捜査に当たるものが二人いるという利点を活かすことにした。
先ずは、動かねば。
「早苗、私はひとまず魔理沙の処に行ってみるわ。話では直接やり合っているみたいだし、きっと有益な情報があるはず。あんたは里に残って次の被害がでないように見張りをしてくれる? できることなら髪切りの妖について調べられると尚良いわ……狐狸妖怪の類、そうね、命蓮寺辺りを訪ねると良いかもしれない」
「解りました!」
「……あんたの腕は知ってるけど、あんまり無茶なことはしないでよ。いちおう、守矢の二柱から面倒見てくれってお願いされているんだから」
「あはは、あんなの通り一遍、挨拶みたいなものじゃあないですか」
「そ・れ・で・も、万一あんたがヘマしたら、あいつらの矛先は私に来るでしょうが」
「はーい、了解です」
何が楽しいのか殊更明るく振る舞う早苗。
本当に解っているのか少し心配ではあったが、自分と戦えるだけの技量を持っているのは間違いない娘だ。ここは信用するとしよう。
「霊夢さん」
「あー?」
「霊夢さんは、優しいですよ」
「な、何よ突然」
「そうでなきゃ、どうしてまず友達の心配が出来ようものですか。大切なものの差異に過ぎないと思います。慧音先生にとっては、教え子の被害はとても重いものだったんですよ……霊夢さんにとっての、魔理沙さんのように」
「…………」
まったく、どこが心配なんだか。
わたしなんかよりよほどしっかりしているじゃあないか。
早苗の微笑みに霊夢は苦笑を返す。
「ありがとう、早苗。それじゃ、さっさと終わらせるために動き始めましょう」
「ふふふ、霊夢さんが里に戻る頃には解決させて見せますよ」
「くれぐれも、調子に乗るんじゃないわよ」
「解ってますって」
やれやれ本当にわかっているのだか。
霊夢は腰を上げ、歴々を軽く見渡してから宣言した。
「さっさと終わらせちゃいましょう。行くわよ」
「はいっ」
こうして、二人の巫女は行動を始めたのだった。