Coolier - 新生・東方創想話

私は如何にして心配するのを止めて幻想郷を愛するようになったか

2026/07/07 01:48:06
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第五章「邑の暮らし」


 「子供の重りなんかごめんだ、と申し上げたんですがねえ」

 坂の上の一軒家の戸を開けながら、射命丸文さんは言いました。私の身元引受人になった、新聞記者の鴉天狗です。

 「命令とあらば、です。天魔様の印のある命令書に、否とは言えません。宮仕えというのはそういうものです。……ようこそ、狭い家ですが」

 口では嫌そうに言うのに、上がり框には新しい藁草履が、私の足に合いそうな大きさで、ちゃんとそろえてありました。

 家の奥で、水音が止まりました。

 台所の暖簾の下から、黒い髪の女の人が半分だけ顔を出して、私を見ました。私と同じ、耳も羽も尻尾もない——人間です。天狗の邑に来て初めて見る人間でした。彼女は私を上から下まで見て、それから文さんを見ました。

 「……ああ。先客です。霊夢。わけあって居候中の」

 文さんの紹介は、それだけでした。わけ、の中身は言いませんでしたし、名字も言いませんでした。霊夢さんは小さく頭を下げて、暖簾の奥に引っ込みました。目を伏せがちな人だな、というのが最初の感想です。悪い感じはしませんでした。ただ、学校で見たことのある目だ、と思いました。保健室の常連の子が、廊下ですれ違うときにする目です。

 私は詮索しないことに決めました。私だって、わけあって、の側の人間なのです。




 天狗の邑の暮らしには、驚くほどすぐに慣れました。

 邑は石垣と杉木立の段々にできていて、朝は太鼓で始まります。烏の羽音が通勤の音です。文さんは毎朝、刷り上がったばかりの新聞を抱えて飛んでいきます。「文々。新聞」という新聞で、書くのも刷るのも配るのも、ぜんぶ一人でやっているそうです。

 ある朝、文さんがよその新聞を睨んでいました。「花果子念報」という題字の横に、御柱の前に立つ私の写真が載っていました。撮られた覚えのない写真です。

 「念写ですよ。姫海棠はたて——取材にも来ないで、居ながらにして写真だけ撮る。それで部数がうちに迫るんだから、嫌になります」

 「あの、これ、私は怒ったほうがいい記事ですか」

 「怒らなくていいです。事実関係が三箇所間違ってますから、記事としては負けです」

 悔しさの基準がよくわかりませんでしたが、新聞記者というのはそういうものらしいのです。




 空の飛び方は、文さんに教わりました。

 「取材のたびにあなたを抱えて飛ぶのは御免です。歩かれると、もっと御免です」

 というのが理由でした。邑はずれの草の斜面で、文さんは腕組みをして言いました。曰く、飛ぶのは力ではなく釣り合いである。曰く、風には目方を預けられる場所とそうでない場所があって、預けられる場所を足の裏で探せ。曰く、落ちそうになったら、あわてて掴むな、譲れ。

 わかったような、わからないような教えでした。一度目は、膝の高さでひっくり返りました。

 二度目に、体がすっと持ち上がって、そのまま、杉のてっぺんと同じ高さに立てました。

 風のどこに目方を預ければいいのか、探すまでもなく、足の裏が先に知っていたのです。理屈は説明できません。十円玉が立つのと、たぶん同じ棚にある出来事です。下を見ると、文さんが腕組みのまま、ぽかんと口を開けていました。

 「……本当に、初めてですか」

 「初めてです。あの、これ、変ですか」

 「変です」

 文さんは断言して、それから、なぜだか少しだけ声を落としました。

 「——まあ、いいでしょう。呑み込みの早い生徒は、嫌いじゃありません」




 取材には、よく連れて行かれました。人間の里にも行きました。

 里は、教科書の挿絵から抜け出してきたような場所でした。土の道、木と紙の家、天秤棒、井戸。夕方になると子供たちは走って家に帰ります。鬼ごっこの終わりではなくて、暗くなると妖怪に見つかるから、です。里はずれの道端には小さな祠があって、欠けた饅頭と、お酒が供えてありました。文さんに聞くと、あれは道を通る妖怪の取り分です、と当たり前の顔で言いました。

 取り分。

 茶屋で出された白湯は、ぬるいものでした。湯気の立たない白湯を両手で持って、私はぼんやり、変な計算をしていました。ストーブが一台あれば。やかんを載せれば。この茶屋のおばあさんは、薪を割らずに済むのに。配線と、発電と——山には川がいくらでもあるから、水車の発電機で——頭の中だけで、電線が里じゅうに伸びていきました。文明化してやらないと、なんて、ずいぶん上から目線の感慨が湧いて、私は白湯と一緒に飲み込みました。

 私がここで見たものの話は、まだ、うまく言葉になりません。里の人たちは、貧しそうでしたが、不幸そうには見えませんでした。ただ、彼らの暮らしの勘定書きには、私の知らない項目が一つ載っていて、誰もそれを変だと言わないのです。祠の饅頭。暗くなる前の家路。あれは、何かの掛け金です。保険料みたいなものです。何に対する、とまでは、そのときの私はまだ考えないようにしていました。




 邑の家での日々は、静かでした。

 家事は、ほとんど霊夢さんがやっていました。料理が上手なのです。山菜の下ごしらえも、囲炉裏の火加減も、繕い物も。文さんが締切前で殺気立っている晩などは、二人分の膳をさっと出して、さっと下げて、まるで——

 「まるで、お嫁さんみたいですね」

 と、ある晩、私は他意なく言いました。

 台所で、妙な間がありました。霊夢さんは手を止めて、こちらを見ないまま、「……あんた、ねぎ切って」とだけ言いました。文さんは新聞の校正刷りから顔を上げませんでしたが、耳のあたりが、心なしか赤いようでした。私は何かまずいことを言ったらしいと察して、黙ってねぎを切りました。

 教わってばかりでは悪いので、私も何か教えようとしました。外の学校の勉強は、見事に何の役にも立ちませんでした。二次方程式は囲炉裏を温めませんし、英単語は山菜のあくを抜きません。唯一役に立ったのは、理科より前にうちで覚えた、ゆで卵をつるんと剥くこつです。霊夢さんは「……ふうん」と言って、次の日から、卵は私の係になりました。

 係、というものが、あの家にはだんだん増えていきました。卵は私。火加減は霊夢さん。買い出しと愚痴は文さん。取り込みそこねた洗濯物のことで叱られるのは、なぜかいつも私でした。

 夕食どきは、文さんの取材話を聞くのがならわしでした。河童の市で相場がどうの、山の上の寄り合いで誰それがどうの。半分もわかりませんでしたが、霊夢さんがときどき「それ、この前も聞いた」と箸も止めずに口を挟むので、新聞記者というのは家では記事を使い回すものなのだと知りました。文さんはそのたび、うちは事実しか載せない新聞なので事実は何度でも事実です、と負け惜しみを言いました。

 夜は、霊夢さんと同じ部屋に布団を並べて寝ました。

 「外って、湖、そんなに大きいの」

 と、あるとき暗がりで聞かれました。私は諏訪湖の話をしました。冬に全部凍ること。氷がせり上がって、対岸まで道みたいになること。自転車で堤防を走ると、風がまっすぐ顔に当たること。

 「自転車って、なに」

 「えっと……車輪が二つある、足で漕ぐ乗り物です。座って漕ぐと、走るより速いんです」

 「ふうん。……飛べばいいのに」

 「飛べる人ばかりじゃ、ないですから」

 「そう」

 それきり黙ったので、寝たのかと思ったら、しばらくして、ぽつんと言いました。

 「氷の上の道、いいね。誰も掃除しなくていい」

 どういう意味か聞き返す前に、今度こそ寝息が聞こえました。私はその寝息を聞きながら、妹というのがいたら、こういう感じだろうか、と思いました。姉かもしれません。年上なのか年下なのか、ついに聞きそびれたままでした。

 洗濯物を並べて干すと、私の装束と、霊夢さんの赤いリボンが、同じ竿で乾きました。そういう日々でした。




 その夕暮れも、私は一人で、庭先の洗濯物を取り込んでいました。

 文さんは締切で山の上、霊夢さんは味噌を分けてもらいに隣家へ。竿から取った霊夢さんのリボンが、ふいに、風もないのにひらりと揺れました。

 空気が、縦に裂けました。

 畳一枚ぶんくらいの裂け目の奥に、暗がりと、いくつもの目と、リボンがたくさん見えました。声を上げる暇はありませんでした。裂け目は、洗濯物ごと、私を呑みました。

(第五章・了)

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