「ここが、守矢神社…」
少し涼しくなってきた昼下がり、私は鳥居の前で呟いた。鳥居の前で一礼してから、境内に足を踏み入れる。すると、奥の方から一人の少女がやって来た。
「――ようこそ、守矢神社へ!」
歓迎の言葉を述べた少女は、霊夢さんと同じような、巫女装束を着ていた。ふわりと風に揺れるボリュームのある緑の髪に、デフォルメされた蛙のカチューシャと、蛇の形をした髪飾りをつけている。ぱっちりとした目に、鼻筋の通った血色のよい顔。霊夢さんから聞いていた特徴と一致する。東風谷早苗さん。妖怪の山にあるこの守矢神社の巫女さんだ。
「霊夢さんから話は聞いていますよ!さあ、どうぞどうぞ」
早苗さんに促されるまま、本殿裏手の玄関口に通される。博麗神社と同じく、早苗さんも神社に住居を構えているらしい。
「お邪魔します」
玄関で草履を脱ぎ、早苗さんについていくと、居間に通された。
「やあ、お前が霊夢のところにいるっていうかさねか」
「うわー、背が高―い。私より二回りはあるかな?」
居間には既に二人の女性が座っていた。先に声を発した方の女性は、紫がかった髪に、注連縄を茨の冠のように身に着けている。赤い上着にゆったりしたスカート。もう一人の女性は、頭に珍妙な帽子…目玉つきの市女笠を身に着けている。黄金色のショートヘアに、大きな瞳と柔らかそうな頬。蛙の描かれた上着とスカート。八坂神奈子さんと、洩矢諏訪子さん。どちらもこの守矢神社の祭神である。
「きょ、今日はよろしくお願いいたします」
「はは、そんなに緊張するな。私もお前とは一度話してみたいと思っていたのだ。山を荒らしていた彭侯を退治したという人間が、一体どのような人物なのか知りたかった」
一体どこまで拡散力があるのだろう、文さんの新聞は。
「それじゃあ、早速始めましょう!かさねさんの記憶を取り戻そう会!」
そう、私が守矢神社を訪れたのは、記憶喪失である私の、外の世界に居た頃の記憶を呼び起こすためである。私が幻想郷に流れ着いてから、それなりに月日がたった。しかし、私がどこの誰なのかということについては、まるで進展が無い。博麗神社への居候生活も、区切りを見出せぬまま、ずるずると続いてしまっている。
最初の頃は苦手だった家事も今ではすっかりうまくなったが、いつまでも居候の身分に甘んじるわけにはいかない。霊夢さんは気にしないでと言っていたが、財政的にも心理的にも負担はかなりのもののはずだ。記憶を取り戻せば、私は外の世界に帰ることが出来る。
…正直、幻想郷を離れると考えるのは辛いものがある。人・妖怪・神が入り乱れる神秘の世界。心が震える弾幕ごっこ。そして霊夢さんや魔理沙さん、妖夢さんなど、ここで出会ったたくさんの友人達。外の世界に行けば、もう二度とそれらを見ることはない。
だが、それでも私は自分が何者なのかを知らなければならない。先日の異変で、残無が私に残した影。私の内に潜む獣。あれから不安が止むことはない。もしあの残虐性が、霊夢さんや魔理沙さんに向けられたら。そうならないために、自分に責任を持つために、私は過去を思いださなければならない。そう思って私は霊夢さんに(残虐性うんぬんというのは言わずに)記憶を取り戻したいと相談したところ、早苗さんたちを紹介してくれたのだ。商売敵なのに私の為にアポを取ってくれた霊夢さんには感謝してもしきれない。早苗さんたちはつい最近まで、外の世界で暮らしていたのだという。彼女たちと会話することで何か思い出すことがあるのではないかということだ。
「まず確認です。「外の世界」が、どんなところかというのは理解していますか?イメージがつきますか?」
「え、うーん…?」
思わず答えに詰まる。確かに、「外の世界」の具体的ビジュアルイメージが私の中には無い。「外の世界」にも人間が暮らしていて、幻想郷と違い神や妖怪は普通見えないということくらいは分かっているのだけれど。
「そもそも幻想郷は、博麗大結界によって外の世界と分け隔てられていますが、場所としては地続きで日本に存在しています。この当たりはもしかしたら霊夢さんから聞いているかもしれませんが」
「日本に…」
「まずはそこでしょう。その顔立ちと話している言葉から、かさねさんはほぼ間違いなく日本人だと思いますが、念のため」
そう言って早苗さんは大きな紙を一枚広げた。
「世界地図です!さあ、あなたの出身地はどこですか!」
――妙な感覚だった。早苗さんに見せられるまで、頭の中にこの世界地図の図像は思い浮かんでいなかった。しかし、それらが何を意味するのかは分かる。アメリカ、ユーラシア、アフリカ、オーストラリア、そして日本列島。先ほどまで私の中にイメージが無かったものの名前が、何故分かるのだろう。
「う、うーん。多分海外にはいなかったと思いますけど…」
「じゃあ日本のどこですか?ちなみに私は長野です」
そういって早苗さんはもう一枚紙を取り出した。今度は日本地図だ。北海道、青森、福島、茨城、東京、長野、岐阜、京都、愛媛、兵庫、岡山、香川、山口、高知、福岡、大分…なんとなく西日本の方が目につく気はするが、どれもなじみが薄いというか、しっくりこない気がする。
「早苗…さすがに地図から記憶をってのは無理があるんじゃない?」
「えー、いいアイデアだと思ったんですけど。そういう諏訪子様は何かいいアイデアないんですか?」
「いや、普通に早苗が通っていた学校の話とか、友達の話とか。小さい頃何が好きで、こんな思い出があるとか。そういう話をすれば、ぱっと思いだすこともあるんじゃない?あといくつか外の世界で取った写真があるでしょ?それを見せるとかさ」
「むっ、普通にいいアイデア…」
「早苗は私のことを何だと思っているのかな~?」
それから、諏訪子さんの助言に従って、早苗さんととりとめのない会話を始めた。学校の話。小学校から中学校、そして高校。小学校では放課後友達とシールを集めて交換していたり、クラスの友達の恋愛模様を観察していたり。五年生の時にリレーのアンカーに選ばれて逆転優勝したのは今でもいい思い出なのだそうだ。あと、他の人には見えない神奈子さんと諏訪子さんが見えると言って霊感があると周囲に怖がられたり。
中学校では新しい友達が増えたり、逆に小学校時代の友達と疎遠になったり。バレー部に入って全国大会まで後少しのところまで行ったらしい。奇跡を起こせる自分を特別な人間だと言ってはばからなかったのは黒歴史らしい。いや、実際現人神なのだから特別な人間なんだけど。
高校は、そこまで思い出がないらしい。高校に入ったあと割とすぐに幻想郷に来たそうだ。それでも仲の良かった友達が今どうしているか、時々気になることがあるという。私にも、そんな友達が居たのだろうか。残念ながら早苗さんの話からぴんと来る部分は無かったが、もし私の帰りを待つ人たちが外の世界に居るのなら、申し訳ないことをしていると思った。
「ちょっといいかい、かさね?お前が腰に下げているその刀は…」
それまで一言も話さなかった神奈子さんが、おもむろに口を開いた。
「これですか?」
刀を手に取り、神奈子さんに見せる。
「これは…毛抜形太刀だな。また珍しいものを」
「ケヌキガタタチ?神奈子様、何ですかそれ?」
「平安の頃の刀だよ。柄の部分に透かしが入っていて、刀身が少し湾曲している。日本刀の原形になった刀だな」
「え、日本刀に原形なんてあったんですか?」
「最初からあんな精巧な形の刀が作れるわけがないだろう。そもそも昔の日本の刀は直刀、刀身に反りの無いまっすぐな刀だった。それに対して、当時は日本と別の文化圏だった東北地方の蝦夷たちは柄の部分が反った蕨手刀を用いていた。後者の方が柄が反っている分斬り合い時の衝撃を吸収するから、疾走する馬上で戦うのには有利だった。降伏した蝦夷、俘囚を通じて、蕨手刀が日本に広まり、透かしのついた毛抜形蕨手刀、蕨の装飾が取れた毛抜形刀、そしてそれが長大化した毛抜形太刀という風に改良されていったのよ。」
「ふーん、神奈子様、博識なんですね」
「お前なあ…これでも私は神様なんだぞ。実際に見てきているんだから、これくらいは分かるよ」
なるほど、全然気にしていなかったが、私の持っている刀はどうも少し古いタイプの物らしい。それにしても平安時代、か。
「しかし、毛抜形太刀なんてどこから持ってきたのやら。今外の世界にある毛抜形太刀なんて、土の下に埋まっているか、神社に奉納されたもののどちらかだろう。前者は使い物にならないし、後者も文化財なりなんなりに指定されているだろうから、簡単に持ち出すことは出来ないはずだ。持ち出せたって前者と同じで使い物になるかどうかはわからんしな」
神奈子さんがううんと首をかしげる。
「…あ、そういえば」
私は懐から一枚の写真を取り出す。そういえば、何かの役に立つかもしれないと言ってこの写真を文さんにお願いして撮ってもらっていたことを忘れていた。
「それは…甲冑か?」
「はい。私が幻想郷に流れ着いたときに着ていたものです。神奈子さん、何か心当たりは…?」
私が幻想入りしたときに着ていた甲冑。後できちんと調べてみたのだが、私が「金属板」と自分の甲冑を表現したのには少し誤りがあった。実際には小さな短冊状の鉄の板が糸によって縫い合わされたもので、一枚の金属板ではなかった。
「ぼろぼろになっているから分かりにくいな。だがこれは…胴丸…いや、挂甲といったほうがいいのか?なんとも中途半端だな。これもやはり平安の頃の物だろうか…」
「えーと、つまり?」
「――お前、平安時代から飛び出して来たんじゃないか?」
「え?」
「もー、神奈子様。そんなわけないじゃないですか。どっちもきっとレプリカですよ。なんでそんなレプリカがあるかは知りませんけど」
そうかなぁという顔をする神奈子さん。確かに私も神奈子さんの言葉を聞いた瞬間ドキリとした。しかし、早苗さんの言う通り、そんなことはあり得ない。もっと地に足をつけて考えなくては。それから早苗さんと外の世界についてあれこれと話したが、特別思いだしたことは無かった。せっかく時間を取ってもらったのに、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「おっと、もうこんな時間か」
「あれま」
気が付くと、既に日は落ちていて辺りは暗くなっていた。
「ご、ごめんなさい!そろそろお暇しますので」
「いやいや、それは無いだろう、かさね?まだ大事な事が残っているじゃないか」
退出しようとしたところで、神奈子さんに呼び止められる。
「な、なんですか…?」
「宴会に決まっているだろう。客人をもてなさず帰らせたとなれば、守矢神社の名折れだ。…諏訪子!」
「もちろん!準備済みー!」
そういって諏訪子さんはまず机を私たちの目の前に持って来てどんと置くと、次にガスコンロをその上に置いた。そしてさらに鍋つかみをはめて、鍋をガスコンロの上にセットする。そして四人分の皿とグラスを配り、それぞれのグラスにビールを注いでいく。
「ふふふ、こっそり外の世界に行って買ってきたのさ。「とりあえず生」というやつだな。かさね、まさか飲めないとは言うまいな?」
にやりと神奈子さんが笑う。
「ちょっと、神奈子様。そういうのはアルハラですって。大体、私もほとんど飲めないんですから」
「い、いえいえ。私もお酒は好きですから」
これまでも何回か霊夢さんにつき合わされて、お酒を飲んでいる。でもビールはまだ飲んだことが無かったような。
「何歳なんだろう、かさねさん。背が高くて大人っぽく見えるから全然予想つかないです。でも多分外の世界じゃまだ飲めませんね」
「あはは。自分でも気になっています」
「それじゃあ、準備はいいかい?」
神奈子さんがグラスを持つ。私も慌ててグラスを持った。
「かさねの記憶が戻る事を祈って…乾杯!」
「「「かんぱ~い!!!」」」
こつんと互いにグラスを当てた後、ビールを口にする。おお。これはまた。のどごしがいい。この苦さとすこしシュワっとした感じ、癖になりそうだ。
「ところで諏訪子様、この鍋は?」
「おっと、忘れてた。いやぁ、何にするか悩んだよ。せっかくだし信州の郷土料理とか幻想郷っぽい料理がいいかなとか色々考えたんだけど。でもシンプルに、外の世界のごちそうと言えばこれだと思って。それじゃあ、御開帳~」
諏訪子さんが鍋の蓋を取る。立ち上る湯気。それが晴れると、ぐつぐつとした鍋の中で、肉や野菜が揺れているのが見えた。まだ少し赤身が残っている肉は牛肉だ。他は豆腐、ネギ、白滝、エノキ、シイタケ、春菊…。
「おお!」
「すき焼き!久々ですね!」
「どう?みんなで食べるならやっぱり鍋だよねぇ」
それから諏訪子さんは一度席を立ち、全員分の取り皿といくつかの卵を持ってきた。
「すごい…こんな豪勢な鍋、食べたことありません」
「ふふふ、これが守矢神社の本気だよ。博麗神社のご飯とどっちがいい~?」
「そ、それは…霊夢さんの料理もおいしいですよ」
でもあんまり肉類は食べられないんだよなぁ。いやいや、居候の身分で文句は言えないだろう。でも、こんなもの見せられたら、私…。
「さあさあ、遠慮せずに。どうぞどうぞ」
早苗さんに進められるがまま、卵を割って取り皿に入れて溶き、火の通った肉を箸でつかみ、卵に絡ませて口に入れる。
「…美味しすぎる!!!」
甘じょっぱい割り下の味に、卵のまろやかさと肉のうまみが組み合わさって、天にも昇る気持ちになる。脳から全身に「おいしい」という情報が伝えられ、幸福感に包まれる。ごめんなさい霊夢さん、私戻れないかもしれません。
それから私はすき焼きを食べに食べ、ビールを飲みに飲んだ。途中から日本酒も飲み始め、終いには神奈子さんと飲み比べをする始末。当然、私が神様に飲み比べで勝てるはずもなく、ふわふわとした心地のまま、その場に寝転んでしまった。
「おいしかったれふ~。神奈子さぁん、おさけ、つよ~い。早苗さぁ~ん、こっちきてくださ~い。さみしいんですぅ」
「あーあ、完全に出来上がっちゃって。これじゃあ博麗神社に帰るのは無理ですね」
「まあ、私と飲み比べしたからな。こうなるのも無理はない。今日はうちに泊まらせるか。早苗、かさねを寝室まで運んであげて」
「はーい」
私は早苗さんに肩を貸される形で、よろよろと寝室に向かって歩いていく。
「早苗さん、あったか~い。そしてやわらか~い」
「…自分の限界量くらい知っておきましょうよ」
そのまま私は朦朧とした意識の中、ころんと布団の上に投げ出され、眠りにつくのだった。
少し涼しくなってきた昼下がり、私は鳥居の前で呟いた。鳥居の前で一礼してから、境内に足を踏み入れる。すると、奥の方から一人の少女がやって来た。
「――ようこそ、守矢神社へ!」
歓迎の言葉を述べた少女は、霊夢さんと同じような、巫女装束を着ていた。ふわりと風に揺れるボリュームのある緑の髪に、デフォルメされた蛙のカチューシャと、蛇の形をした髪飾りをつけている。ぱっちりとした目に、鼻筋の通った血色のよい顔。霊夢さんから聞いていた特徴と一致する。東風谷早苗さん。妖怪の山にあるこの守矢神社の巫女さんだ。
「霊夢さんから話は聞いていますよ!さあ、どうぞどうぞ」
早苗さんに促されるまま、本殿裏手の玄関口に通される。博麗神社と同じく、早苗さんも神社に住居を構えているらしい。
「お邪魔します」
玄関で草履を脱ぎ、早苗さんについていくと、居間に通された。
「やあ、お前が霊夢のところにいるっていうかさねか」
「うわー、背が高―い。私より二回りはあるかな?」
居間には既に二人の女性が座っていた。先に声を発した方の女性は、紫がかった髪に、注連縄を茨の冠のように身に着けている。赤い上着にゆったりしたスカート。もう一人の女性は、頭に珍妙な帽子…目玉つきの市女笠を身に着けている。黄金色のショートヘアに、大きな瞳と柔らかそうな頬。蛙の描かれた上着とスカート。八坂神奈子さんと、洩矢諏訪子さん。どちらもこの守矢神社の祭神である。
「きょ、今日はよろしくお願いいたします」
「はは、そんなに緊張するな。私もお前とは一度話してみたいと思っていたのだ。山を荒らしていた彭侯を退治したという人間が、一体どのような人物なのか知りたかった」
一体どこまで拡散力があるのだろう、文さんの新聞は。
「それじゃあ、早速始めましょう!かさねさんの記憶を取り戻そう会!」
そう、私が守矢神社を訪れたのは、記憶喪失である私の、外の世界に居た頃の記憶を呼び起こすためである。私が幻想郷に流れ着いてから、それなりに月日がたった。しかし、私がどこの誰なのかということについては、まるで進展が無い。博麗神社への居候生活も、区切りを見出せぬまま、ずるずると続いてしまっている。
最初の頃は苦手だった家事も今ではすっかりうまくなったが、いつまでも居候の身分に甘んじるわけにはいかない。霊夢さんは気にしないでと言っていたが、財政的にも心理的にも負担はかなりのもののはずだ。記憶を取り戻せば、私は外の世界に帰ることが出来る。
…正直、幻想郷を離れると考えるのは辛いものがある。人・妖怪・神が入り乱れる神秘の世界。心が震える弾幕ごっこ。そして霊夢さんや魔理沙さん、妖夢さんなど、ここで出会ったたくさんの友人達。外の世界に行けば、もう二度とそれらを見ることはない。
だが、それでも私は自分が何者なのかを知らなければならない。先日の異変で、残無が私に残した影。私の内に潜む獣。あれから不安が止むことはない。もしあの残虐性が、霊夢さんや魔理沙さんに向けられたら。そうならないために、自分に責任を持つために、私は過去を思いださなければならない。そう思って私は霊夢さんに(残虐性うんぬんというのは言わずに)記憶を取り戻したいと相談したところ、早苗さんたちを紹介してくれたのだ。商売敵なのに私の為にアポを取ってくれた霊夢さんには感謝してもしきれない。早苗さんたちはつい最近まで、外の世界で暮らしていたのだという。彼女たちと会話することで何か思い出すことがあるのではないかということだ。
「まず確認です。「外の世界」が、どんなところかというのは理解していますか?イメージがつきますか?」
「え、うーん…?」
思わず答えに詰まる。確かに、「外の世界」の具体的ビジュアルイメージが私の中には無い。「外の世界」にも人間が暮らしていて、幻想郷と違い神や妖怪は普通見えないということくらいは分かっているのだけれど。
「そもそも幻想郷は、博麗大結界によって外の世界と分け隔てられていますが、場所としては地続きで日本に存在しています。この当たりはもしかしたら霊夢さんから聞いているかもしれませんが」
「日本に…」
「まずはそこでしょう。その顔立ちと話している言葉から、かさねさんはほぼ間違いなく日本人だと思いますが、念のため」
そう言って早苗さんは大きな紙を一枚広げた。
「世界地図です!さあ、あなたの出身地はどこですか!」
――妙な感覚だった。早苗さんに見せられるまで、頭の中にこの世界地図の図像は思い浮かんでいなかった。しかし、それらが何を意味するのかは分かる。アメリカ、ユーラシア、アフリカ、オーストラリア、そして日本列島。先ほどまで私の中にイメージが無かったものの名前が、何故分かるのだろう。
「う、うーん。多分海外にはいなかったと思いますけど…」
「じゃあ日本のどこですか?ちなみに私は長野です」
そういって早苗さんはもう一枚紙を取り出した。今度は日本地図だ。北海道、青森、福島、茨城、東京、長野、岐阜、京都、愛媛、兵庫、岡山、香川、山口、高知、福岡、大分…なんとなく西日本の方が目につく気はするが、どれもなじみが薄いというか、しっくりこない気がする。
「早苗…さすがに地図から記憶をってのは無理があるんじゃない?」
「えー、いいアイデアだと思ったんですけど。そういう諏訪子様は何かいいアイデアないんですか?」
「いや、普通に早苗が通っていた学校の話とか、友達の話とか。小さい頃何が好きで、こんな思い出があるとか。そういう話をすれば、ぱっと思いだすこともあるんじゃない?あといくつか外の世界で取った写真があるでしょ?それを見せるとかさ」
「むっ、普通にいいアイデア…」
「早苗は私のことを何だと思っているのかな~?」
それから、諏訪子さんの助言に従って、早苗さんととりとめのない会話を始めた。学校の話。小学校から中学校、そして高校。小学校では放課後友達とシールを集めて交換していたり、クラスの友達の恋愛模様を観察していたり。五年生の時にリレーのアンカーに選ばれて逆転優勝したのは今でもいい思い出なのだそうだ。あと、他の人には見えない神奈子さんと諏訪子さんが見えると言って霊感があると周囲に怖がられたり。
中学校では新しい友達が増えたり、逆に小学校時代の友達と疎遠になったり。バレー部に入って全国大会まで後少しのところまで行ったらしい。奇跡を起こせる自分を特別な人間だと言ってはばからなかったのは黒歴史らしい。いや、実際現人神なのだから特別な人間なんだけど。
高校は、そこまで思い出がないらしい。高校に入ったあと割とすぐに幻想郷に来たそうだ。それでも仲の良かった友達が今どうしているか、時々気になることがあるという。私にも、そんな友達が居たのだろうか。残念ながら早苗さんの話からぴんと来る部分は無かったが、もし私の帰りを待つ人たちが外の世界に居るのなら、申し訳ないことをしていると思った。
「ちょっといいかい、かさね?お前が腰に下げているその刀は…」
それまで一言も話さなかった神奈子さんが、おもむろに口を開いた。
「これですか?」
刀を手に取り、神奈子さんに見せる。
「これは…毛抜形太刀だな。また珍しいものを」
「ケヌキガタタチ?神奈子様、何ですかそれ?」
「平安の頃の刀だよ。柄の部分に透かしが入っていて、刀身が少し湾曲している。日本刀の原形になった刀だな」
「え、日本刀に原形なんてあったんですか?」
「最初からあんな精巧な形の刀が作れるわけがないだろう。そもそも昔の日本の刀は直刀、刀身に反りの無いまっすぐな刀だった。それに対して、当時は日本と別の文化圏だった東北地方の蝦夷たちは柄の部分が反った蕨手刀を用いていた。後者の方が柄が反っている分斬り合い時の衝撃を吸収するから、疾走する馬上で戦うのには有利だった。降伏した蝦夷、俘囚を通じて、蕨手刀が日本に広まり、透かしのついた毛抜形蕨手刀、蕨の装飾が取れた毛抜形刀、そしてそれが長大化した毛抜形太刀という風に改良されていったのよ。」
「ふーん、神奈子様、博識なんですね」
「お前なあ…これでも私は神様なんだぞ。実際に見てきているんだから、これくらいは分かるよ」
なるほど、全然気にしていなかったが、私の持っている刀はどうも少し古いタイプの物らしい。それにしても平安時代、か。
「しかし、毛抜形太刀なんてどこから持ってきたのやら。今外の世界にある毛抜形太刀なんて、土の下に埋まっているか、神社に奉納されたもののどちらかだろう。前者は使い物にならないし、後者も文化財なりなんなりに指定されているだろうから、簡単に持ち出すことは出来ないはずだ。持ち出せたって前者と同じで使い物になるかどうかはわからんしな」
神奈子さんがううんと首をかしげる。
「…あ、そういえば」
私は懐から一枚の写真を取り出す。そういえば、何かの役に立つかもしれないと言ってこの写真を文さんにお願いして撮ってもらっていたことを忘れていた。
「それは…甲冑か?」
「はい。私が幻想郷に流れ着いたときに着ていたものです。神奈子さん、何か心当たりは…?」
私が幻想入りしたときに着ていた甲冑。後できちんと調べてみたのだが、私が「金属板」と自分の甲冑を表現したのには少し誤りがあった。実際には小さな短冊状の鉄の板が糸によって縫い合わされたもので、一枚の金属板ではなかった。
「ぼろぼろになっているから分かりにくいな。だがこれは…胴丸…いや、挂甲といったほうがいいのか?なんとも中途半端だな。これもやはり平安の頃の物だろうか…」
「えーと、つまり?」
「――お前、平安時代から飛び出して来たんじゃないか?」
「え?」
「もー、神奈子様。そんなわけないじゃないですか。どっちもきっとレプリカですよ。なんでそんなレプリカがあるかは知りませんけど」
そうかなぁという顔をする神奈子さん。確かに私も神奈子さんの言葉を聞いた瞬間ドキリとした。しかし、早苗さんの言う通り、そんなことはあり得ない。もっと地に足をつけて考えなくては。それから早苗さんと外の世界についてあれこれと話したが、特別思いだしたことは無かった。せっかく時間を取ってもらったのに、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「おっと、もうこんな時間か」
「あれま」
気が付くと、既に日は落ちていて辺りは暗くなっていた。
「ご、ごめんなさい!そろそろお暇しますので」
「いやいや、それは無いだろう、かさね?まだ大事な事が残っているじゃないか」
退出しようとしたところで、神奈子さんに呼び止められる。
「な、なんですか…?」
「宴会に決まっているだろう。客人をもてなさず帰らせたとなれば、守矢神社の名折れだ。…諏訪子!」
「もちろん!準備済みー!」
そういって諏訪子さんはまず机を私たちの目の前に持って来てどんと置くと、次にガスコンロをその上に置いた。そしてさらに鍋つかみをはめて、鍋をガスコンロの上にセットする。そして四人分の皿とグラスを配り、それぞれのグラスにビールを注いでいく。
「ふふふ、こっそり外の世界に行って買ってきたのさ。「とりあえず生」というやつだな。かさね、まさか飲めないとは言うまいな?」
にやりと神奈子さんが笑う。
「ちょっと、神奈子様。そういうのはアルハラですって。大体、私もほとんど飲めないんですから」
「い、いえいえ。私もお酒は好きですから」
これまでも何回か霊夢さんにつき合わされて、お酒を飲んでいる。でもビールはまだ飲んだことが無かったような。
「何歳なんだろう、かさねさん。背が高くて大人っぽく見えるから全然予想つかないです。でも多分外の世界じゃまだ飲めませんね」
「あはは。自分でも気になっています」
「それじゃあ、準備はいいかい?」
神奈子さんがグラスを持つ。私も慌ててグラスを持った。
「かさねの記憶が戻る事を祈って…乾杯!」
「「「かんぱ~い!!!」」」
こつんと互いにグラスを当てた後、ビールを口にする。おお。これはまた。のどごしがいい。この苦さとすこしシュワっとした感じ、癖になりそうだ。
「ところで諏訪子様、この鍋は?」
「おっと、忘れてた。いやぁ、何にするか悩んだよ。せっかくだし信州の郷土料理とか幻想郷っぽい料理がいいかなとか色々考えたんだけど。でもシンプルに、外の世界のごちそうと言えばこれだと思って。それじゃあ、御開帳~」
諏訪子さんが鍋の蓋を取る。立ち上る湯気。それが晴れると、ぐつぐつとした鍋の中で、肉や野菜が揺れているのが見えた。まだ少し赤身が残っている肉は牛肉だ。他は豆腐、ネギ、白滝、エノキ、シイタケ、春菊…。
「おお!」
「すき焼き!久々ですね!」
「どう?みんなで食べるならやっぱり鍋だよねぇ」
それから諏訪子さんは一度席を立ち、全員分の取り皿といくつかの卵を持ってきた。
「すごい…こんな豪勢な鍋、食べたことありません」
「ふふふ、これが守矢神社の本気だよ。博麗神社のご飯とどっちがいい~?」
「そ、それは…霊夢さんの料理もおいしいですよ」
でもあんまり肉類は食べられないんだよなぁ。いやいや、居候の身分で文句は言えないだろう。でも、こんなもの見せられたら、私…。
「さあさあ、遠慮せずに。どうぞどうぞ」
早苗さんに進められるがまま、卵を割って取り皿に入れて溶き、火の通った肉を箸でつかみ、卵に絡ませて口に入れる。
「…美味しすぎる!!!」
甘じょっぱい割り下の味に、卵のまろやかさと肉のうまみが組み合わさって、天にも昇る気持ちになる。脳から全身に「おいしい」という情報が伝えられ、幸福感に包まれる。ごめんなさい霊夢さん、私戻れないかもしれません。
それから私はすき焼きを食べに食べ、ビールを飲みに飲んだ。途中から日本酒も飲み始め、終いには神奈子さんと飲み比べをする始末。当然、私が神様に飲み比べで勝てるはずもなく、ふわふわとした心地のまま、その場に寝転んでしまった。
「おいしかったれふ~。神奈子さぁん、おさけ、つよ~い。早苗さぁ~ん、こっちきてくださ~い。さみしいんですぅ」
「あーあ、完全に出来上がっちゃって。これじゃあ博麗神社に帰るのは無理ですね」
「まあ、私と飲み比べしたからな。こうなるのも無理はない。今日はうちに泊まらせるか。早苗、かさねを寝室まで運んであげて」
「はーい」
私は早苗さんに肩を貸される形で、よろよろと寝室に向かって歩いていく。
「早苗さん、あったか~い。そしてやわらか~い」
「…自分の限界量くらい知っておきましょうよ」
そのまま私は朦朧とした意識の中、ころんと布団の上に投げ出され、眠りにつくのだった。