――思うに、狩り(ハンティング)とは、ニンゲンに為し得る究極の欺瞞だ。
自らの糧とするべく、他の生物の命を簒奪する行為。
本来ならば、そこには嘘も真もない。食事は、生物という機関に組み込まれた一部のプロセスに過ぎず、それ以上も以下もない。正義はなく、悪もない。倫理(moral)や規則(rule)。作法(manner)や敬意(honor)。果ては感謝(thank)でさえ。
すべて後付けの理屈だ。ニンゲンが理屈を唱えるとき、そこには必ず覆い隠したい下心がある。それは罪悪感であったり傲慢であったりするが、重要なのは知覚される罪のディテールではなく、罪が見出されること。ニンゲンの知性が意味を見出そうと活動することそのものだ、というのが私の見解だ。
呼吸に罪や意味を見出す者は、ほとんどない。
心拍に罪や意味を見出す者は、ほとんどない。
それらの活動に他者の生命が介在しないから、ではない。それらの活動が基本的には意識のステージに昇ってこないから? それは半分くらい正解だろう。生命活動が無意識に行われるのは、意識という選択機構の介在する余地がないほど自明だからだが、こと食事に限っては、ニンゲンは無自覚ではいられない。
思うにそれは、人類種の宿痾なのだ。人類の文明は農耕から発達した。村が生まれ、町が育まれ、国が形作られた。狩りによる食事が、自明な生命存続プロトコルではなくなった。ニンゲンが生きるために他の生物を自らの手で殺害することは、必然ではなくなった。その発展を礎に、意識や知性が誕生した。罪や意味の発生は、それよりずっと後のことだ。
純粋な意味における狩りは、遥か昔に人類と袂を分かっているのだ。獣の狩りとニンゲンの狩りは、似て非なる概念だ。前者は自明であり、後者はそうではないことが、ハッキリとその差異を示している。
だからこその、欺瞞。
人類種が知恵の実を嚥下して楽園を追放された時、霊長の覇者を自称する権利と引き換えに、循環する摂理から排除され、円環をなす食物連鎖から蹴落とされ、それでも他者を喰わねば生きられないという醜態を晒す。
その原罪を覆い隠すために、祈りが生まれた。
――そう、そこが人間と非人間を分かつ境界線だ。
ニンゲンは、ただ生きるために食べることにすら、みっともなく許しを請うようにデザインされている。なんという欠陥! 醜い、情けない、気持ち悪い。愚劣で無粋で無様。無駄、無駄、無駄、無駄!
「……ねぇ、私。うっかりアナタに同情してしまいそう」
私の前に立ち尽くす女に微笑みを投げかける。女は応えない。魅了の魔眼(チャーム)で縛った獲物は、身じろぎひとつできやしない。怯えた視線を向けてくるのが関の山。
怯えも恐怖も、実に甘美だ。
怖がらせるのは愉しい。手慰みの愛玩にしては上々の悦楽だった。
「ほら見て? 私、ニンゲンじゃないの。本物の吸血鬼なのよ」
蒼白な女の首筋を、爪の先でなぞる。柔らかな皮膚を突き破れば、甘い甘い血液が吹き出るのだろう。ちょっと力加減を誤れば、私の指は容易く肉を抉ってしまう。細心の注意を払いながらも、女の返り血で血まみれになる自分を想像すると、口元が歪んでしまう。
「いま、アナタの気持ちを想像することで必死なの。人外を見たのなんて、きっと初めてでしょう? 脈拍がとても速いわね。緊張してる? 瞳孔も死体みたいに開いてるわね。そんなに喘いで、欲しがりさんみたい。悲鳴を聞いてみたいけれど、そこまでシちゃったら私、我慢するだなんて、とてもとても……」
そっと瞳を閉じて、じっくりと女の震えを堪能する。空気が張り詰め、魂が振動する音だ。血潮が沸き、奔流する調べだ。脆弱で滑稽な独唱曲(アリア)。できれば終わりまで聴いてあげたいところだけど、残念、私は忙しいのだ。
「……それじゃ、御機嫌よう。眠れない夜を、せいぜい祈りながら過ごすといいわ。ニンゲン」
パチン。指を鳴らして魅了の魔眼(チャーム)を解いた私は、翼を広げて一息に夜空へ飛びあがる。風を切り裂く感触が心地いい。星々の輝きは弱いけれど、眼下に広がる文明の灯は天の川めいて、嫌いじゃない。
今宵の『狩り』も赤子の手をひねるように他愛なく、キュウリのサンドイッチみたいにお手軽で、持て余す退屈を紛らわせるには及第点という感じだった。
――あぁ、やれやれ。まったく。
破廉恥に光り輝く京都を見下ろしながら、心の中でひとりごちるのだ。
――反吐が出そう。
って。