Coolier - 新生・東方創想話

セルトラダートの吸血鬼

2022/06/03 23:13:36
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「名前は、夕辻ミナです」

 そう言って彼女は微笑みつつ、右手を差し出してきた。私がその握手に応じなかった理由は実にシンプルだった。高校三年間で培われた孤立と人間不信が、私という人格から単純接触に対する積極性を、すっかり消失させていたのだ。

「蓮子さんは握手が嫌いなのね。これは失礼」

 ミナには洗練された気品があった。それは彼女が生まれも育ちも京都であることに起因するのだろう。そう思った。
 酉京都大学のカフェテリアには、様々な制服を纏った学生たちが集っていた。まるで全国の高校生の展覧会みたい。さすがは国内屈指の大学。オープンキャンパスの参加者も多種多様だ。もちろん、はるばる東京からやってきた私も、その一人。

「あぁ、いや、違うの。ちょっと面食らっちゃっただけで。握手くらい、別に」
「うぅん、大丈夫。私が舞い上がっていたんだわ。ごめんなさいね」

 ミナは照れくさそうに目を伏せて、紙コップの珈琲に口をつけた。宇宙のように真っ黒な液面からは、ローストされた豆の香ばしい匂いが漂っている。私も、自分の分の珈琲を傾ける。すっきりとした苦みが心地よかった。

 きっかけは、午前に行われた伝承民俗学の模擬授業。『街談巷説から紐解く死者蘇生の信仰』という講義。
 要は、肉体と精神の完全な復活には、尊き者という特権が不可欠だという論だった。
 ファラオやイエスの復活と、ゾンビやグールの蘇りをまったく異なる蘇生観であると定義し、両者の差異は個人に寄せられた信仰の多寡だと説いたもの。
 私はそれが気に食わなかった。神や民衆に選ばれた偉人だけが不滅の恩寵を得られるなんて差別だと思った。夢もロマンもない。だから最後の質問時間で吹っ掛けたのだ。

「――なら、吸血鬼伝承については、いかがお考えでしょうか? 蘇生の際に人間を超越する能力を付与される存在は、ファラオやイエスよりも高貴であると?」

 教室は水を打ったようになった。幾十もの視線が私に向けられる感覚。私は変にキョロキョロせず、壇上の教授を睨みつけることに終始した。

「……あぁ、うんうん。えーと、君は?」
「東深見高校から参りました。宇佐見蓮子と申します」
「宇佐見くんね。ブラム・ストーカーを連想した発想は悪くない。入学できたら僕の講義を受けると良い。伝承とファンタジーの違いも判るようになる」

 アカデミズムの権化め! 私はほとんど憤慨していた。典型的なモダンカルチャー軽視。化石のような権威主義。ハナから議論の余地すら持ち合わせない頭の固さに、虫唾が走った。

「……噂通りの人ね。退屈で、凡庸で」

 むしゃくしゃしていた私の気を緩めたのは、たまたま隣の席に座っていた女の子の独り言だった。唇を尖らせる横顔は幻滅を絵で描いたようで、私の胸の内でくすぶる感情を写し取ったみたいだった。

「そもそも吸血鬼をブラム・ストーカーの創作と定義すること自体がナンセンス。血を吸う怪物という意味なら古代ギリシア時点でラミアやエンプーサがいるし、ヴィクトリア朝時代には既に、吸血鬼が永遠の若さを持つという言い伝えもあったわ。
 それに論点は、肉体と精神の完全な復活という蘇生観そのものの是非。そうでしょう?」

 と、彼女は不意に視線を私に向けてきた。琥珀色の瞳が、値踏みするみたく愉しげに。促されるように同意を求められた私は思わず頷いて、

「信仰は大多数の同意という、相対的な正しさでしかないわ。それを論拠にすると、イエスよりもツェペシュを信じる人の方が多くなった時、完全な復活という価値観に矛盾が生じる」
「恐らくコミュニティの無謬性を神聖視してるんでしょうね。研究者の怠慢よ。観測者としての自分の絶対性を信じて疑わないタイプ。ダーウィンの進化論も否定されちゃうかも」
「確かに異端審問を彷彿とさせるわね。ガリレオもこんな気分だったのかしら」
「正しさに盲目的なのは考え物よね。ソクラテスじゃあるまいし」

 彼女がそう言って肩を竦めたタイミングで、講義の終了を知らせるチャイムが鳴った。私が席を立つと、彼女はスッと細めた目で見上げてきて、

「蓮子さん、どちらへ?」
「どこにも。けれど、この教室からは出ないと」
「時間が空いてるようなら、少し話さない?」

 荷物をまとめる手が止まる。不意を突かれた私は、思わずまじまじと彼女を見つめてしまった。何の気なしのお誘い。最近聞かなかったから、絶滅したとばかり思ってたのに。

「…………」
「お嫌かしら?」
「いや、そんなことは」
「なら決まり。それじゃカフェテリアへ向かいましょ」

 じゃれつく子猫のように、彼女はニッコリと笑った。
 それがきっかけ。私とミナがカフェテリアの一角で珈琲をご一緒するに至った経緯。
 珈琲の入ったコップをテーブルに戻す。ふぅ、と人心地つくと、ミナが待ちかねたように口を開く。

「やっぱり蓮子さんも、伝承民俗学部志望?」
「いいえ、私は超統一物理学部志望なの」
「うそ、理系志望なの? どうして文系の模擬講義を?」
「そういうの好きなんだ。フォークロアとか、オカルトめいたもの。非科学的だって、馬鹿にされがちだけど」

 言い訳みたく零した私の顔は、きっと憮然としてただろう。オカルト好きを公言すると、たいていの場合は苦笑いで流されるという経験のせいだ。これで体感7割の人間が、積極的に私と関わることを避けるようになる。
 残り3割は、私が本気でオカルティズムに傾倒していることを悟った段階で離れていく。これで打率は10割。我が愛すべき東深見高校においては、結果的にひとりの打ち漏らしもなく、友人はおろか、退屈しのぎの話し相手としての候補からも外れていった。

 私の『好き』に、誰もついてこれない。

 それは周囲の人間が悪いわけじゃなくて、単に私の嗜好が尖りすぎているだけ。その自覚はあった。どこもかしこも科学のメスによって素因数分解される世界で、未開の大地に焦がれるフロンティア精神は、夢物語のジャンルに押し込まれてしまうという、それだけの話。

「オカルト、ね」

 ミナは、その単語の舌触りを確かめるように呟いた。両目を静かに閉じた彼女の感情がどのようなモノなのか、私には判らなかった。
 少し間を置いて、彼女は自分の胸元にスルリと手を差し込んだ。

「いいもの見せてあげる」

 言って、ミナは服の下からペンダントを手繰り寄せる。彼女の指に摘ままれたペンダントトップは、3センチ程度の動物の牙の形をしていた。

「それ、本物の牙?」
「そう言われてるわ。いちおうね。触ってみる?」

 チェーンの留め具が外され、私の手にペンダントが渡される。
 エナメル質だ。歯根はないので、割れたか折れたかしたのだと推測できた。尖った先端は、かなり鋭い。径は1センチ程度だろう。肉食動物、それも結構大きい生き物の牙であることが窺える。
 いちばん奇妙なのは、湾曲がほとんど無いことだった。サーベルタイガーまで行くと極端ではあるけど、肉食獣の犬歯は往々にして手前に湾曲する。噛み付いた獲物を逃がさない、返しの機能がついているためだ。でも、この歯は歪みのない円錐形をしている。

「どう?」
「……これ、本当に本物?」

 ツルツルした牙の表面を弄りながら首をひねる。

「形状的に肉食動物のモノなんでしょうけど、歪みが無さ過ぎて右犬歯なのか左犬歯なのかも判らない。これじゃ獲物を固定する機能を果たせない。矛盾だわ。それにちょっと鋭すぎかも。咬合力はそんなに強くない生き物なのかしら……うーん、駄目ね。バイオはちょっと専門外。何の牙なの?」
「吸血鬼の牙」
「え?」

 あまりにあっさりと言われたせいで、聞き違いかと思った。というか、冗談か何かだと思った。吸血鬼の牙をモデルにしたレプリカ、とか。
 でも、ミナは曖昧に微笑むだけで、私を揶揄ってるような雰囲気はなかった。

「父方の家系に伝わるモノなの。父がルーマニア人でね。エクソシストだった先祖が、吸血鬼と戦ったときの戦利品らしいわ」
「そ、それ、本当……?」
「本当――って言われてるけど、どうかしらね」

 軽く首を傾げたミナが、珈琲に手を伸ばす。

「さすがに鵜呑みには、してないかな。話半分ってところ。でも、少なくとも父は本気にしてる。ねぇ、私の名前、ミナ・ハーカーから取られてるのよ。信じられる?」

 彼女は秘密めかして唇に指を当てる。ナイショだけどね、って。私はそれまで無遠慮に触ってた牙に対して、なんだか神妙な気持ちになって、おずおずと返却した。

「アナタが伝承民俗学部を志望してるのは、吸血鬼の研究のため?」

 ミナが吸血鬼の牙のペンダントを元通り首に掛けなおす。大事そうに服の内側に仕舞われたペンダントを、彼女は服の上から指でなぞって、

「半分くらいは。もう半分は、家業のための勉強。ウチ、骨董品屋さんなの。下鴨の方にあるんだけどね。西洋のアンティークが多いのだけど、取り扱う品の歴史とか由来とか、そういうのが判るようになったら、楽しいだろうなって」
「へぇー、面白そうね。すっごく素敵」
「蓮子さんは、たぶん好きだと思う。錬金術に使われた道具とか、黒魔術のアイテムとか、銀の十字架とか、色々あるから。やっぱり、謂れのあるモノの存在が身近だと、現実の捉え方が人とは異なる形になりやすいと思うの。物質主義的だとは、自分でも思うけど」
「……んーん、判るわ」

 なぜなら、私にもあるからだ。人とは異なるもの。現実の捉え方を変えるもの。夜空を見上げることで時間と場所を理解する、現代科学では説明のできない能力。
 窓から外を見上げる。雲ひとつない青い空。月は浮かんでなかった。
 対面にある教室棟の壁を、いやにレトロなデザインのヒーローが駆け上がっていく。きっとプロジェクションマッピングだろう。壁を破壊しながら戦う怪人とヒーローのホログラフ投影を見上げながら、制服姿の人だかりが歓声を上げる。

「きっと、楽しいでしょうね」

 私と同じように、壁面で繰り広げられるヒーローショーを眺めながら、ミナが言う。
 同じことを考えてた。私はうん、と彼女に頷いてみせて、

「見たことがないものを見たい。いまとは違う景色を眺めてみたい。誰も辿り着いたことのない場所へ行ってみたい。始まりの衝動は、きっとそんな単純なものなんだわ」
「大学生活は人生の夏休み、だって聞くわ。受験勉強、頑張らないとね」
「えぇ、本当にね」

 彼女に微笑みかける。その所作が自然にできたことに、誰でもない私自身が一番驚いていた。久しぶりに他人とコミュニケーションを取って、楽しいと感じたことそのものに。

 こんな風に誰かと他愛なく話せる日が来るなら。
 こんな風に好きなことを思う存分語れる日が来るなら。
 大学生になるのが待ち遠しい。大学生活が心の底から楽しみ。
 まだ高校三年生だった私は、心を弾ませて――

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