Coolier - 新生・東方創想話

セルトラダートの吸血鬼

2022/06/03 23:13:36
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『――入る前にひとつだけ聞かせて、蓮子。まさかアナタ、昨晩ニンニク食べたりしてないわよね?』

 マンションのエントランスで指紋認証(FP-Auth)を通した途端、インターフォン越しにメリーの刺すようなトゲトゲ言葉を浴びせられた。押っ取り刀で駆け付けたというのに、まさか初手で口臭について釘を刺されるとは思わなかった。

「食べてない、と思う……」

 ちょっと自信がなかった。昨晩の記憶は胡乱で、旧型酒と一緒に何を流し込んだのかまでは定かじゃない。口に手を当ててハーッとやってみた感じ、たぶん大丈夫だと思う。

『よろしい』

 天からの啓示のように厳かなメリーの声がして、神殿めいた有機クリスタルのセキュリティ・ゲートが開く。ペンタゴンと同レベルの防犯性能を謳うゲートを通り、指定階以外には決して止まらないエレベーターに乗って最上階へ。エレベーターの箱が昇るにつれ、アトリウムに息づく空中庭園の緑が遠ざかっていく。つくづく、御大層な建物だ。あの庭園に誂えられた池で泳ぐ鯉は、きっと私よりも贅沢な食生活を送ってるに違いない。
 最上階で止まったエレベーターから降りて、靴音の響くフロアを進む。突き当りに位置するメリーの居住スペースに近づくと、非接触型のドアチャイムが自動で作動したのが判った。ドアホンの向こうにメリーの息遣いを感じる。

『入ってちょうだい』
「えぇ、お邪魔するわ」

 歩く速度を緩めず返答し、自動で開いたドアを抜けた私は玄関でローファーを脱いだ。見えないドアボーイでもいるみたく、私の背後で扉が閉じてロックが掛かる。

 私は首を傾げた。
 遮光カーテンが閉まっている。
 私の下宿とは話が違う。メリーの部屋において、窓からの採光は遺伝的アルゴリズムに従ってフルオートで管理されている。天気もいいし、メリーも起きているのに、カーテンが完全に日光をシャットアウトしているのは変な感じだ。エグゼクティブクラスのコンドミニアムらしからぬ閉塞感があって。

「メリー?」

 靴を後ろ向きに揃えてから、リビングに通じる廊下を歩く。リビングドアも閉まっていた。記憶にある限り、あのドアが閉まっていたことなんて一度もないのに。

 ――不意に、右肩をポンと叩かれた。
 極めて一般的な反応として、そちらへ振り返る。
 誰もいない。

「……は?」

 とっさに右肩を押さえた。誰かが身を隠せそうな物陰はない。まさか、体感幻覚を発症するほど酩酊してたはずもない。感じた手の質感はリアルで、仕掛けやトリックによるものだとは到底――

「ひぃ……っ!?」

 ツゥ、と背中をなぞられた。陸に打ち上げられた魚みたいにビクンと跳ねてしまう。粟立つ肌を誤魔化すように、触られた部分を手で押さえながら振り返る。
 やはり誰もいない。
 何が起きてるのか、見当もつかなかった。けれど、まごまごと立ち呆けているわけにはいかないと思った。あるいはそれは、単なる動物的な本能だったのかもしれない。閉じられていたリビングドアを開ける。遮光カーテンがピッタリと閉じられた室内は明かりもなく、棺の中に閉じ込められたようだった。

「メリー、どこ!?」
「――ベッドルームよ」

 彼女の声が私の耳に囁く。そういう風に聞こえたとか、そんなロマンチックな比喩表現ではない。呼吸の温度さえ判別できるほどの至近距離。もちろん、薄暗いリビングを見渡しても、メリーの姿はないというのに。
 リビングを斜めに突っ切って、ベッドルームに繋がるドアを開ける。
 果たして、メリーはそこにいた。
 まるで修道女か難民かのようにスッポリと頭から毛布を被ったメリーは、読書灯のオレンジの光に灯されて、ひどくムスッとした表情を浮かべていた。
 ベッドルームも多分に漏れず遮光カーテンが降りていたけれど、カーテンと壁の隙間にダクトテープがびっしりと貼られている様は、ちょっとどころではなく異様だった。

「おはよう、蓮子。何はともあれ、お互い、無事に再会できて嬉しいわ」
「無事……?」

 とても、そんな風には見えない。陽光がまったく差し込まないせいで、不細工に延命された夜のように暗い部屋を見渡す。

「どうしたの? 無事じゃないの? どこか怪我してるとか言わないでよね。私から、ようやく降りてきてくれた安堵を奪うような真似はしないで」
「いや、どこも怪我はしてないわ。ちょっと、二日酔い気味だけど」
「そう。安心した。お酒に溺れるほど参ってたにしては、元気そうで」
「…………」

 メリーからの皮肉を真摯に受け止める。全面降伏による反省表明。昨晩の私がデバイスを確認する気も起きないほど衝動的になってたのは彼女の推察通りだけど、それが切羽詰まっていたに違いないメリーを放置した言い訳にならないことは百も承知だった。メリーはしばらく私の様子を窺うみたく無言で見つめてきたけれど、やがて小さくため息をついて、

「……単刀直入に言うわ」
「うん」
「吸血鬼に襲われた」
「なんて?」

 思わず聞き返したのは、もちろん聞こえなかったからじゃなくて、あまりに端的すぎて理解が及ばなかったからだった。メリー自身、その一言で私が事態を飲み込めるとはサラサラ思ってなかったらしく、自嘲気味に肩を竦めた。

「昨日のソロ活動は、結果的に言えば大収穫だったと思うわ。実際に、京都みたいなメガロポリスに出没する、奇特な吸血鬼に遭うことはできたのだから。惜しむらくは、能動的な出会いじゃなくて受動的な遭遇だったことと、対吸血鬼用の武装を怠ったことの2つかしら」
「えっと、メリー、それはつまり……?」
「なに? 蓮子のクセに歯切れが悪いわよ。喉の奥にアセトアルデヒドを詰まらせたみたいな顔をしないでちょうだい。
 ……つまり、私は吸血鬼に遭ったの。
 遭ったというか、正面切って襲われたわ。で、噛まれた……と、思う。たぶん」
「たぶん……?」
「こう、ガバッと襲い掛かられて、グッと口を塞がれて、ドンと押し倒されて、グワッと覆い被さられて、首元がチクッとして、ああ、もうダメだ、と思ったら、こう……フッと」
「フッと?」
「気絶したわ」

 微笑を浮かべたメリーが、両目を閉じて嘆息する。気絶したという事実をステータスだと思ってる感が透けて見えた。そんなどこか得意げなメリーの顔を見つめたまま、私はまったく事態を飲み込めずにいた。オウム返しするばかりで、出来損ないの山彦にでもなったみたい。

 状況を整理する。
 状況を整理する。
 ……状況を整理する。

 いや、無理だコレ。ぜんぜん意味が判らない。オーバーヒート気味な脳細胞が、倦怠感も露わに、新鮮な酸素をくれと喚いてる。

「幸い、意識はすぐに取り戻した。そのときにはもう吸血鬼の姿はなかったけど、噛まれたことは確実。間違いなく、私は吸血鬼化してる。吸血鬼ドラキュラにおけるミナ・ハーカー。HELLSINGにおけるセラス・ヴィクトリア。化物語における阿良々木暦」
「待って、メリー。ちょっと待って」
「その証拠に、ほら」

 言って、メリーが何もない空間にスッと人差し指を滑らせる。
 その指の軌跡が、まるで安物のAR空間描画アプリみたいに黒色の線を描いた。

 黒い線。それは裂け目のように見えた。
 裂け目。それは神秘と禁忌を内包して。
 此方と彼方を分かつモノ。夢を踏破し、現を蹂躙するモノ。私が探し、メリーが見つけてきた結界の解れの具現。

 すなわち境界。
 それを事もなげに精製したメリーは、現れたスキマへ無造作に手を突っ込む。
 立ち尽くして呆ける私の右手が、もぞもぞと弄られる感覚があった。
 見れば、何もない空間からスルリと伸びた白い手が、私の右手を握っている。掌の皮膚感覚が、メリーの手の温もりを伝えて。

「――こんなことまで、できるようになっちゃった」

 ポツリと零し、メリーは妖しく笑う。
 その笑みに既視感があった。
 それは、人ならざる領域へ至った超越者のそれだ。
 それは、進化の系統樹から解放された者のそれだ。
 
 ――昨日の夕辻ミナと同じ。
 あまりにも人外極まる、おどろおどろしいほど凄惨な笑顔――。

『安心して。このまま死ぬより、もう少し趣向を凝らした見世物を用意してあるから』

「……あぁ、そう」

 吸血鬼の噂。吸血鬼を自称する旧友。吸血鬼に襲われた親友。
 京都を象るストラクチャは、昨晩を機に狂うことを決めたみたいだ。
 ファンブルの螺旋だ。ひとつの過ちが別の過ちを生み、さらに別の過ちへと繋がっていく。グルグルと連なる回転悲劇。ズルズルと陽の目を見ない連鎖不条理。
 その中心に、吸血鬼を名乗るオカルトが居座っているのだ。
 運命も狂気も綯交ぜにして、きっと妖しく笑っている。

 叡智に対する宣戦布告。
 いい度胸だ。褒めるに値する。でも、噛み付いた相手が少々悪かった。
 なぜなら宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンは、単なる女学生ではないのだから。数多の不明を解体し、幾百の奇怪を分解してきた私たちの手管を照覧あれ。

 さて。
 少しばかり本気で、秘封倶楽部を始めるとしよう。

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