Coolier - 新生・東方創想話

セルトラダートの吸血鬼

2022/06/03 23:13:36
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 サイアク。
 端的に言って、目覚めはその一言だった。

 軽い頭痛と、胸の辺りでアセトアルデヒドが澱んでいるような不快感。昨晩はシャワーも浴びずに寝てしまったから、髪がパサついてる。指を通すと枝毛に引っ掛かった。新鮮な酸素と水分が必要だ。窓を開けてベッドから降りて、散逸する合成酒の空き缶を右へ左へ足蹴にしながらキッチンへ。

「……あー、脳細胞が息してないわ……」

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、そのままラッパ飲みする。ブラのストラップが肩からズリ落ちていたのを直しながら。床に脱ぎ捨てた昨日の服は皺くちゃで、私に恨めしげな視線でも送ってるようだ。
 こういう朝を迎えると、いい加減、アルコールとの付き合い方を見直さなきゃいけないとは思う。思うだけ。旧型酒は依存症に陥るリスクが存在するのだから、安易に溺れるのも考え物だ。考えるだけ。もちろん昨晩のように潰れるまで飲むなんて稀なわけで、気にするほどではない。生命主義(ライフイズム)の教義(ドグマ)を振りかざして健康ぶれば、自分が賢くなったように錯覚できるだけだ。
 でも、まぁ、だからと言って、こうして翌朝まで引きずるくらい破廉恥に酩酊したことも、まったくのマイナスではなかった、と思う。
 頭痛は現実のプレゼンスを否が応にも認識させてくるし、不快感は私が人間というミクロな枠組みから外れていないことを自覚させる。
 少なくとも昨日の事後より、私は落ち着けている。
 ミネラルウォーターのボトルを空にして、意識的に息を吐き出す。大きく、長く。ブレていた軸が、誤差として許容できる範囲内に収まっていることを確認する。
 パシンと両手で頬を打つ。
 うん、私。まだ、立てる。
 とりあえずシャワーでも浴びようかな、と欠伸を漏らしながら脱いだ服を拾い上げる。ふと、違和感。妙な重さがあった。すぐさまそれが、ポケットに突っ込んでいたデバイスによるものだと思い至る。
 何気なくデバイスの通知を確認して、一気に血の気が引いた。

 実に四十二件もの不在着信が来ていた。
 メリーから。

 狼狽える私に構わず、デバイスが勝手に私の生体情報(メタデータ)を認証して、フォン回線をリンクし始める。フォン・リンクはすぐアクティブになった。

「メリー!?」

 慌てて呼びかける。返答はなかった。その代わり、メリーのデバイスからHealth pingが発信された。ping対象である私の身体のステータスを、洗いざらい白状させられる無慈悲なコール。体温も脈拍も、栄養状態も感情曲線も主要な病原菌の感染情報も、ついでに私の体内のアセトアルデヒド残留状況も。

「…………」
『…………』

 pingで返ってきた私の生体情報を見ただろうに、メリーは何も言わなかった。否、見たからこそかもしれない。そりゃ、昨晩から何十回もコールした相手が、大いに酔ってたせいでオフ・デバイスになってたことが判明すれば、呆れ果てるに決まってる。女神様でもなければ、本気の説教か痛烈な皮肉のどちらかは避けられまい。

『……蓮子』
「ひ、ひゃい!?」
『ひとまず、無事でよかった。安心したわ、本当に』

 裏も含みもなく、本気で安堵している雰囲気がデバイス越しに伝わってきた。どうやらメリーは女神様だったらしい。意表を突かれて呆けそうになったけど、私はグッと唾を飲み込んで、

「メリーこそ、いったいどうしたの? 大丈夫なの? 昨晩から、ずっと……あぁ、もう、出れなくて本当に申し訳ないんだけど……」
『大丈夫ではないし、完全に手遅れだけど、まぁ、それは蓮子の落ち度ではないから気にしないで』
「え……」

 聞き間違い、じゃない。
 理解が追い付かない。頭が真っ白になる。まるで宇宙空間のような虚無に囚われそうになった。脳細胞の回路が完全にフリーズする前に、振り絞るような気持ちで問う。

「……待って、どういうこと?」
『詳しいことは直接話したいわ。私の下宿まで来れる?』
「もちろん構わないけれど……今から?」
『えぇ、今から』

 月にも星にも頼れないから、デバイスで時間を確認する。時刻は10時過ぎ。もう一限はとっくに始まってる。
 今日は水曜日。私の知る限り、水曜日のメリーは、9時から始まるマクロ幻想社会学への出席を欠かさない。

「判った、すぐに行くから待ってて」
『よろしくね。赤の女王よりも待ちかねてるわ。ASAP』
「それは怖いわね。首を刎ねられないよう、ハートの女王様の寛大さに期待したいところね」
『そういうの良いから、早く』
「あっ、はい」

 言うか言わないかくらいのタイミングでフォンが切断されて、秘められたメリーの怒りに慄く。ボヤボヤしてる場合じゃない。迅速にメリーのもとへ向かわないと秘封倶楽部解散まで有り得る。

 デバイスを放り投げて、シャワールームへと私は駆けた。

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