Coolier - 新生・東方創想話

雨を見くびるな

2020/04/23 20:18:20
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 藤原妹紅
 
 相も変わらず待ちぼうけの雨。時刻は深夜帯、小傘は欠伸をしながらバス停のベンチに座り、心地良く響き渡る雨音を楽しんでいた。

 そんな時である。

「……えっ、うわっ! うわーっ!」

 突然、小傘の目の前に、血だらけの少女が姿を現したのだ。

 妖怪にでも襲われたのだろうか?
 しかし、異様だったのはその傷の程度である。

 死んでいてもおかしくないほどの傷痕が全身に刻まれている。
 その一つ一つが致命傷になりえるほどである。
 小傘は口元を手で隠し、真っ青な表情で少女を見つめた。少女は、無表情であった。
 
 どうして立っていられるのか、もっと言えば、どうして生きていられるのか、小傘は恐る恐る少女に近付く。その表情は血塗られていて遠目では分からなかったが、彼女の名は藤原妹紅、竹林の案内人である。絶句する小傘をよそに、妹紅は何も言わずにバス停へと入り、そのままベンチ、ではなく、床にだらりと寝転んでしまった。そして――。

「しんどい」
 
 と、ただ一言だけ呟いた。しんどい、で済む状態ではない。
 小傘は慌てて妹紅の手当てをしようと彼女に近付く。

 すると驚いた事に、妹紅の身体に刻まれている傷が徐々に熱を帯びながら塞がっていくではないか。そこで小傘は、以前人里で耳にした「とある噂」の事を思い出した。

 竹林の案内をしている少女、藤原妹紅は不老不死ではないか? という噂である。
奇々怪々な種族が跋扈するこの幻想郷でも、不老不死と言われる存在は滅多にいない。

「だ、大丈夫なの……?」

 よく見ると、妹紅の腹部からどす黒い袋のような物がはみ出ている。それが彼女の内臓だと分かった瞬間、小傘はサーッと血の気が引いたような表情で悲鳴を上げ、じりじりと妹紅から後退る。小傘は人に危害を加える妖怪ではない。故に、人体の壊れた姿は見慣れていないのだ。小傘はこみ上げてくる吐き気を抑え、涙目で妹紅の目を見つめた。

「悪いわね……変な物を見せて」

 妹紅は無機質な表情で笑い、臓物をぴちゃぴちゃと腹の中に押し戻した。
あまりにも現実離れした光景である。

「ああ、今夜は一段と治りが遅い……」
「い、痛くないの? あなた……」

 妹紅は小傘の言葉を無視し、力なく笑うばかりであった。人形のように白い肌に、鮮やかな血飛沫が目立つ。狂ったように笑い続ける妹紅を見て、小傘は恐怖を覚えた。

 しばらく経ち、妹紅の身体の傷が完全に塞がる。
 すると、妹紅は先ほどと打って変わり、何処か剽軽な態度で小傘に語り掛けてきた。

「ごめんなさいね。私ってちょっと変な体質なのよ。だから心配いらないわ」

 妹紅のケロッとした態度に、小傘はポカンと口を開いた。

「どうしてあんなに傷だらけだったの?」

 あれだけの負傷だ。残忍で凶暴な妖怪の手によるものだろう。だとしたらこれは大問題だ。ここから人里までそんなに距離があるわけでもない。下手したら里の人間が襲われる可能性だってある。場合によっては霊夢に報告しなければならないだろう。

「いいえ、そんなに大した理由じゃないわ。ちょっと自殺に失敗しちゃって」

 自殺、という言葉を聞き、小傘は自分の耳を疑った。
 日常において、それは決して軽く出て良い言葉ではない。

「私はね、死にたいんだ。だから、私を殺してくれる人と会ってきたんだよ」

 だけど、失敗した。

 妹紅は笑いながら言葉を続けるが、小傘は内心気が気ではなかった。

(なんで、そんなこと……)

 恐怖よりも、疑問が勝った。小傘にとって、生き死にの話は軽々しく口にしていい物ではなかった。まして、死にたがる事など、在って良い事ではない。

 だが、咎める事が出来なかった。
 悲しげな眼をして笑う妹紅に対し、全くの部外者である自分に、一体どんな事が言えるだろうか?何かを口にしようとする度に、喉の奥で言葉が死んでいくような感覚がした。

「気にする事はないわ。いつもの事だもの」

 妹紅はそう言いながら煙草を取り出し、指先を擦り付けて火を点した。
 美味そうに煙を肺いっぱいに吸い込み、薄い紫煙を吐き出す。

 その仕草を見つめながら、小傘は何となく妹紅について考える。

 妹紅にとって、死とは日常の一部でしかないのである。

 不老不死、そう仮定した場合、死の意味は変わる。生の価値が変わる。小傘は一生懸命になって不死の世界を想像するが、どれだけ考えても、妹紅と同じ境地にはたどり着けなかった。

「どうしたの?」

 難しい顔をしていると、妹紅が首を傾げながら問いかけてきた。
 小傘は無言のまま、静かに妹紅を見つめ続ける。
 

 ただ、あなたの事、可哀そうだなって。

 
 率直に、小傘はそう想った。だが、言わなかった。言えなかった。無言を貫く小傘に対し、妹紅もまた何も言わず、鼻で笑うばかりであった。妹紅は再び煙草を咥え、煙を吐いていく。

「あなた、名前は?」

 妹紅にそう聞かれ、小傘は弱々しく名乗った。それだけ聞くと、妹紅は一度だけ頷き、小傘に向って笑みをこぼした。それは、他の人間たちと変わらない笑顔であった。

 それだけに、空恐ろしいものがあった。
 藤原妹紅は不老不死、この人に、気休めの言葉など無意味だ。

「他の奴と違って、あなたはあまり余計な事を言わないのね……小傘」

 妹紅がそう呟くと、次第に雨が弱まりだしてきた。そろそろ雨が止む。
 妹紅はゆっくりと立ち上がり、バス停から出ようとした。

 しかし――そこで、咄嗟に小傘は妹紅に向って質問を投げてしまった。

「それだけ傷ついて、何度も死ぬような思いして、辛く、ないんですか?」
 痛く、ないんですか?

 小降りの雨に打たれながら、妹紅は少しだけ悩んだ。そして――。

「ええ、ちっとも」

 私にとっては、痛みこそが「命」だから。
 簡単に返答し、妹紅はバス停から去っていった。

 ……痛みがない。それが事実なのかどうかは妹紅本人でないと分からないが、その表情を見る限り、彼女には、本当に痛点が無いのかもしれない。
 小傘は悲しそうな顔で遠くなる妹紅の背中を見送った。

「……私、多分、あなたの事は一生理解出来ない……」

 雨の雫が、ぽとりと小傘の肩に落ちる。衣服にじわりと滲み、冷たさが広がる。

 死ぬなんて、怖すぎる。
 痛いのなんて、真っ平ごめんだ。

 肩にじんわりと小さく広がるシミを見て、小傘は何となくそう思った。

 今夜も、待ち人は来ない。

 ……。

 じめじめとした雑木林の中、妹紅はずぶ濡れになりながら歩き続ける。
 先ほどバス停で出会った少女、小傘の言葉を頭の中で反芻させながら……。



「辛くない筈ないだろ」
 痛くない筈、ないだろ。



 誰かに、それを気軽に言えたらどれだけ楽になれる事か。……しかし、それは決して許されない事だ。妹紅は寂しそうに、カラカラと乾いた笑みを浮かべる。

 私は大罪人だ。

 私に「雨宿り」は似合わない。


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