森近霖之助
燦々と太陽が照り付ける中、幻想郷に突如雨が降り出した。狐の嫁入りである。
雨は匂いでわかる為、小傘は前もって例のバス停が出現する場所に待機していた。
この分だと雨はすぐに止む。今日は早く帰れそうだ。
小傘はバス停のベンチに座り、天気雨特有の煌びやかな光と雨の穏やかな音色を楽しんだ。
予想通り、雨はすぐに上がった。
小傘はサッとベンチから立ち、バス停が消失するのを待った。
その時、誰かがこちらに近付いてくる音がした。だが、気配が奇妙である。
人でもなければ、妖でもない。
小傘は不審そうに音のする方を見る。
そこには、白髪で長身の男性が立っていた。
……彼は混血種、人と、妖怪のハーフである。
彼の名は森近霖之助、魔法の森の入り口付近にある店、『香霖堂』の亭主である。
小傘もその店の名は知っていた。人里では有名な道具屋である。
……まぁ、無論、風変わりで、という意味だが。
「なるほど……雨の降る時にだけ具現する空間か……」
霖之助は顎に手を添えながら、興味津々と言った様子でバス停を見つめる。
しかし次の瞬間、雨が上がった事により、バス停は音もなく消え去ってしまった。
後に残るのは小傘と霖之助のみ。小傘は気まずそうに霖之助を見つめた。
「……君は、誰かを待っているのか?」
「そうですけど……貴方は?」
霖之助は小傘を見つめながら、何やら難しそうな表情を浮かべた。
「名乗るのが遅れて申し訳ない。僕は森近霖之助、君は確か、忘れ傘の付喪神……小傘君だね?」
話を聞くと、どうやら彼は霊夢同様、この異変の調査の為にここまで出向いてきたらしい。だが、霖之助の様子から察するに、彼の目的は異変解決ではなく、「迷子のバス停」その物らしい。外の世界の道具を扱う為、その手の話には目がないという。ところで――。
「僕は、物を見ただけで名称と用途が分かる能力を持っているんだが……どうもおかしい……」
霖之助は、先ほどまでバス停が存在していた空間を見つめる。
「バス停について、何か分かったの?」
「……『バス停留所』、名称は確かに合っているが、その用途が聞いていたのと少し違ってね」
バス停とは、本来その名の通りバスを待つ場所の筈。
しかし、霖之助の目には少々異なる用途が映っていた。
用途
『あの人を待つ場所』――と。
「あ、『あの人』って……?」
「分からない……だが、何となくこの異変の全容が見えてきた気がする。恐らく、あのバス停は誰かの思念によって生み出された物だ」
小傘にとっても、その情報は有益な物であった。
つまり、このバス停は無意味に発生している訳ではなく、何者かの意志によって存在しているのだ。それは異変解決において重要な要素となるに違いない。
「ところで、君は一体ここで何を?」
霖之助に問われ、小傘はこれまでの経緯をかいつまんで説明する。
最初にバス停を訪れた時の事や、その時に感じた不思議な感覚の事。すると、霖之助はまじまじと小傘の事を見つめながら、何かを閃いたような表情をする。そして――。
「小傘君、不躾な事を言うようで申し訳ないが……少し、君の事を鑑定してみてもいいかな?」
「……か、鑑定?」
つまり霖之助は、先ほどのバス停と同じように、忘れ傘、多々良小傘の名称と用途を確認したいのだという。別段、拒む理由も見当たらないので小傘はこくりと頷く。
しかし、妙に気恥しそうである。
その途端、霖之助の目が変化する。変化といっても、物理的な物ではない。
その眼から微量の妖力が溢れだしたのだ。その途端、小傘は自身の内部を見透かされているような感覚に陥った。自分を形成する全てを詳らかに読み解かれている感覚である。
ほんの数秒の出来事が、まるで永遠の事のように感じられた。小傘にとって、それは裸体を晒すような羞恥であった。小傘は紅潮しながら、俯き気味に霖之助から顔を逸らした。
「うぅ……は、恥ずかしい……」
一方、霖之助は相変わらず澄ましたような表情を浮かべていた。が、それは何処か、まるで引っかかっていた物が綺麗に取れたかのような晴れやかな顔であった。
「そ、それで、どうなの?」
「……ああ、君は『忘れ傘』、用途は『雨を凌ぐ事』だよ」
それは、わざわざ能力を用いて鑑定するまでもない事であった。
あまりの拍子抜けな結果に、小傘は呆けた顔のまま固まってしまった。
霖之助は頭を掻きながらため息をつく。
「それでは、調べる物も調べたし、僕はこの辺で失礼するよ」
霖之助は踵を返し、そのままスタスタと小傘から離れていく。
遠くなっていく霖之助の背中に、小傘は慎ましく手を振った。
……待ち人は来ず。
何だか妙な一日であった。
……。
香霖堂への帰路の途中、霖之助は例のバス停と、そこで待ち続ける小傘の事を考えていた。
恐らく、この異変の解決はもう目の前である。
だが、不安はあった。未だに異変の理由は分からないままだし、何より問題は小傘である。
彼女は特別な能力を持っているわけではない。彼女はあくまでも『忘れ傘』なのだ。
用途は『雨を凌ぐ事』。
……だが、霖之助の目に映った小傘の用途はまるで違っていた。
下手をすれば小傘も、この異変の一部になってしまうかもしれない。
「……杞憂であればいいのだが」
いずれにせよ、彼女がこの異変解決の鍵である事は間違いない。
それに、全てにおいて用途とは『在り方』次第で容易に姿を変えるものである。
道具屋の店主として、それは霖之助自身が一番よく理解している。
得体の知れない不安を拭いきれないまま、霖之助は雨によってぬかるんだ道を歩き続けた。
多々良小傘――。
名称『忘れ傘』
用途
『私は、君を想う』