四季映姫・ヤマザナドゥ
時刻は昼、幻想郷に通り雨がやってきた。まばらに泳ぐ雨雲の切れ間から眩い日光が顔をチラつかせている。あと数分もすれば上がる筈だ。しかし、降ったからには、例のバス停も必ず現れるだろう。小傘はいつものように迷子のバス停が出現する場所へと向かう。
すると、そこには先客がいた。人間の里では見かけないような珍しい服を着ている。
しかも、何処か厳かでやんごとなき気風がある女性であった。
「……あなたは確か、多々良小傘さん……ですね?」
不思議な事に、その女性は小傘の事を知っていた。小傘は目を丸くし、頷いて見せる。
「初めまして……私の名は、四季映姫。こう言えば分かるでしょう。四季映姫・ヤマザナドゥと申します」
その名を聞き、小傘は一瞬硬直してしまった。この幻想郷で、もっと言えばこの土地に住む妖怪の中で、彼女、四季映姫の名を知らぬ者はいない。彼女は、この幻想郷の死者の審判を担当する閻魔様の一人であった。道理で小傘の事を知っている筈である。彼女は閻魔の務めとして、小傘だけでなく、この郷に住む全ての妖怪を把握している。小傘はごくりと唾を飲み込み、小さく会釈をしながら四季映姫の横にちょこんと腰かけた。
「……えっと、閻魔様は、どうしてここにいるの?」
「……そうですね、あなたの舌を引っこ抜きに来た、と言ったらどうします?」
四季映姫は若干意地の悪そうな表情を浮かべて小傘に囁いた。小傘はびくっと肩を震わせた。どうやら、四季映姫は誰かにこうやって脅しに近い冗談を言って委縮させるのが好きなようだ。
「ふふ、心配しなくてもいいですよ。別に、あなたには何の用もありません」
冗談だと分かり、小傘は安心しながら、しかし不満そうに頬を膨らませた。
(……うー、どうしよう。この閻魔様、ちょっと意地悪かも……)
小傘はじとーっとした目つきで四季映姫の顔を見つめた。
四季映姫はとても愉快そうな顔で笑っていた。
「あなたこそ、傘の付喪神のくせにこんなところで雨宿りですか?」
四季映姫に尋ねられ、小傘はしどろもどろしながら経緯を説明する。
一通り聞くと、四季映姫はすぐに興味なさそうな表情を浮かべた。
……四季映姫の顔には随分と疲労が見える。
「私は……そうですね、本来この時間は勤務中なのですが、まぁ、有り体に言えば「サボり」というやつですよ」
意外だった。幻想郷での共通認識として、閻魔である四季映姫は堅物であり、不真面目な事を嫌っている印象があった。
「私だって、こうやって何もせず、物思いにふけりたい時があるんですよ。……でも、サボったのはこれが初めてですけどね……」
四季映姫は、聞かれてもいないのに仕事の愚痴をつらつらと小傘に語り始めた。
どうも、ここ最近ずっと激務続きだった様子で、ロクに休息も取っていなかったらしい。
それに加え、書類整理でミスを犯してしまい、それが引き金となって思わず職場から逃げ出してきてしまったのだとか。
「それだと語弊がありますね。……正確には小町、……いえ、部下に無理やり「サボれ」と言われたからです。でも、もう戻りますよ。私がいないと、裁判が進みませんから……」
谷底みたいに深いため息をつきながら、四季映姫はベンチから立ち上がろうとする。
……しかし、すぐに眩暈を起こしたようにふらついてしまう。
見るに見かねた小傘は、そのまま彼女の袖を掴み、無理やりベンチに座らせた。何となく、このまま四季映姫を行かせてしまったら、四季映姫が、彼女が脆く壊れてしまうような気がした。だから、小傘は咄嗟に四季映姫の手を掴んだのだ。
「駄目だよ! 休む時はしっかり休まなきゃ!」
四季映姫は驚きと困惑の半々といった表情を浮かべ「しかし……」と呟く。
「いいから、せめて、この雨が通り過ぎるまではここにいなよ。初めてなんでしょ? お仕事サボるの。だったらとことんサボっちゃいなよ。今まで散々真面目に働いてきたんだから、たまにはこういう日があったっていいじゃん!」
小傘がそう言うと、四季映姫は少々仕方のなさそうな顔で笑った。
四季映姫にとって、小傘の意見はあまりにも刹那的であった。どちらかというと人間側の思考に近い。肉体、時間、あらゆる制限が課された者の言葉だ。長い時を生きる者に、その言葉は当てはまらない。四季映姫がソレだ。ヤマザナドゥの名を背負う以上、小傘の甘い意見は切り捨てなければならない。それが閻魔である。そこから外れる事は許されない。
閻魔として、それは決して、あってはならない事なのだ。
……しかし。
彼女の言う通り、この雨はまだやみそうにない。
「……じゃあ小傘さん。責任取って、少しだけ肩を貸してくださいね」
今日は、全部雨のせいにしましょう。
四季映姫はそう呟くと、そっと小傘の肩へもたれかかり、そのまま瞬時に眠ってしまった。おそらく、今まで睡眠も不十分だったのだろう。四季映姫はそのまま、とても安心しきった様子で眠り続けた。
……人を裁くのは、一体どれほど大変なんだろう?
小傘はふとそう思った。
恐らく、能天気な自分には想像もつかないような重圧があるに違いない。
……だったらせめて、少しくらいその重みを肩代わりしてあげよう。
例えば、安らかに眠りながら肩にもたれかかる彼女の、疲労の重み程度なら――。
しばらくして、雨は止んだ。それと同時に四季映姫はゆっくりと目を覚ます。時間にしてほんの数分の事であったが、それでも彼女にとっては十分な休息であったらしい。目を擦りながら、四季映姫はとても嬉しそうな顔で小傘に礼を言う。
「何か困った事があれば、いつでも相談してください」――。
そう言い残し、四季映姫はバス停を後にする。
雨が止むと同時に、バス停はすぐに音もなく消失した。
それにしても、ちゃっかりとんでもない人と友達になってしまったような気がする。
雨水に反射する日光に照らされながら、小傘はゆっくりと帰宅する。
待ち人は、今日も姿を現さない。