八、
霊夢に批難されるのは覚悟の上だった。
元々、彼女にはこの件に関わって欲しくはなかったし、妖怪退治に関しても経験はなく、何より精神的に未熟だったがために、あの状況は彼にとって願ったり叶ったりではあった。
嘘はついていない。
人外を相手取ろうとしているのに、守るべき人間に怯えているようでは退治屋として務まらない。これは真実である。
しかし、霖之助は同時に正しくないなとも思った。
この世でもっとも恐ろしく醜いのは、人間そのものなのだと、そう教えても良かったのだが、それを受け止めるには彼女はまだ幼すぎたから。
霊夢が傷つくことを自分は願っていた。
そう考えると、自らのあくどさから自己嫌悪に陥りそうになるが、危険を彼女から遠ざけるためと考えば特に苦しくもない。
そんな言い訳を内心呟きつつ、霖之助は帰路についていた。
「おかえりなさい。霊夢と何かあったのかしら?」
「…………」
香霖堂に着いた途端、留守を頼んだいた八雲紫から出迎えの言葉が投げかけられる。
霊夢以外の「おかえりなさい」は新鮮だと感じつつ、霖之助は身につけていた菅笠と蓑を外し、傘をたたんだ。
「霊夢は?」
八雲紫の質問には答えず、彼は服についた雨露を払いながら尋ねた。彼女の口ぶりから、すでに事情を聞いているような気がしたから。
「帰ってきた途端、そこの番台の引き戸をいじってすぐに出て行きましたけど?」
「そう、ですか……」
少し予想外ではあった。霖之助はてっきり、八雲紫に仕事の不満をぶちまけているのかとも思っていたが、そうではなかったみたいで。
同時に、霊夢の行き先も把握した。博麗神社の社務所である。番台の引き戸には、いつも霊夢から預かっている鍵を入れているのだ。
霖之助と霊夢、二人の決め事だった。
お互い心配をかけさせないようにする処置。鍵を預ける行為にはこんな意味がある。
鍵を預けていれば、社務所以外の場所。
鍵がなくなっていれば、社務所に霊夢はいる。
そうしておけば、彼女は必ず香霖堂に立ち寄る。その日の夜はどこに泊まるのか。香霖堂か、博麗神社か。
しかし、霖之助は霊夢をよく香霖堂に泊めたがった。京都の街に隣接しているとは言え、夜半、山中の神社に女の子を一人っきりにさせるのは気が引けたから。
今日のようにケンカしたときになると、霊夢は鍵を持ち出して神社に向かう。それ以外の場合は、香霖堂で寝泊まりするのが常ではあるが。
「あの子、泣いてましたわ。女を泣かせるだなんて、森近さんは罪作りな方ですわね」
「勘弁してくださいよハーンさん。霊夢とは、道中言い合いをしてしまいましてね。少し、いろいろあったものですから」
「なるほど、だからですか。森近さん、酷く疲れた顔をしていますわよ?」
「…………」
自覚のないことを指摘され、蓑に隠していた刀を取り出して番台に向かう。頭をかきながら座ってみると、なるほどなと、急に疲労感が増した。気負っていたつもりもなかったのだが、紫の言うとおり顔に出ていたのだろう。
おそらく、自分なりに気を張っていたのだ。霊夢があまり傷つかないよう配慮していたつもりで。
ふ~、と。深くため息をつき頭の中を整理しつつ、紫にこう続けた。
「僕も意地になってたんだと思います。あの子を危険からどう遠ざけようか、そればかり考えていましたから」
配慮なんてものは偽善だ。内心、霊夢をわざと傷つけるための口実じゃないかと自らを罵った。
霊夢とどういったやりとりがあったのか。離魂病事件の状況報告も交えつつ、霖之助は今日の成果を紫に報告した。
男女ともに同じ症状。体が虚脱する発端となったのは、同じく同様で、その両親や親族などが、被害者の婿や嫁にするために自分の家に連れ込んでいること。
「ハーンさんの考察通り、この怪異は人間に化けています。タチが悪いのは、そいつに関わる側にとって、都合の良い人間として見えることなんですが」
人の欲につけ込んだ変化であり、欲に反応する化かし方だと、霖之助は付け加えた。
被害者の親族が口を揃えて言っていたこと。
性別や印象の違いはあれど、美男美女に見える。
「それに、被害にあった人間達の体を見てわかったんですが、魂が抜き取られていたのではなく、どれも邪気に汚されたような症状だったんですよ」
「邪気?」
「ええ。行為の際、無理矢理魂に触れられたのでしょう。この怪異の目的は、おそらくそこにあります」
確信めいたものはない。
しかし、今までの経験則と怪異の知識を積み重ねてきた予測である。
「この国の妖怪の仕業じゃありませんね。十中八九、海外から日本に入ってきた怪異の仕業だと推測されます」
やはり、と言いたげに紫も相づちを打った。
明治より大正と時代を経たこの国は、海外の技術や文化が大量に流れ込んできていた。そこに、怪異が紛れ込んできていてもおかしくはない。紫が霖之助に告げた通り、旧き良き時代というのは新しい文化の奔流に呑まれているのである。
「それを踏まえた上で、明日はまた別の場所に行ってみようかと思っています」
「……? 残りの訪問先に行くのではなくて?」
「いえ、怪異の潜伏場所に思い当たるところがあるんですよ。富豪たちと同様、生気をなくした人間を隠したがるような場が、この京都には他にもありましてね。特にそこには、霊夢だけに限らず、女性にはあまり足を踏み入れて欲しくもない場所なんですが」
そうぼかされると、八雲紫も思い当たる節を見つけ、大いに得心したようだった。そこで話を聞くことができたなら、調査はさらに進展するだろう。
「それを踏まえてなんですが、ハーンさんに一つお願いがあります」
「何かしら?」
「これと似た現象を起こしてる海外の怪異を調べてほしいんです。『鑑定士』をしてはいますが、なにぶん、海の外の知識は浅くてですね」
もちろん、その労力分は依頼料から差し引いても良いと、霖之助は紫に告げる。
「お安いご用ですわ。それにしても、森近さんもイケズですわね」
「……?」
どこでそんな日本語を覚えたのか問い質したくもあったが、霖之助は紫の言葉の意味がわからなかった。首を傾げて次の言葉を待つ。
「それだけ鋭く状況を見極められるなら、女の子一人くらい守れるのではなくて? 霊夢はまだ普通の女の子かもしれませんが、普通の女の子よりは、神社で稽古をつけている分、守りやすいのではなくて?」
「またその話ですか」
うんざりするように霖之助は肩を落とした。
紫はクスクス笑いつつ彼の顔をのぞき込む。
霊夢と何があったのかは、霖之助が成果を報告したときに全てを話している。その時は特に口を挟まれなかったが、霊夢の扱いについては敬遠したいことだった。
「僕を高く評価して頂くのは結構ですが、そんなに立派なモノだとは思っていませんよ。彼女は、普通に暮らすべきなんです」
「ほうらムキになった。森近さん、あなた、霊夢やワタクシに何か隠し事をしているのではなくて?」
喉が詰まる。
すぐさま反論しようとしても、のぞき込まれた瞳からは、早々に逃げられそうにもない鋭さがあった。
自分を持ち上げたのは、おそらく嘘。
「なんでもかんでも背負おうとしているのが見え見えですわ。自分を悪者にして、その影で隠し事をする性格、昔から変わってませんのね」
――先代だったら、持ち前の勘ですぐに見抜いていましたけど。
八雲紫は呆れ果てたように付け加えて、肩を上下させた。
霖之助は舌打ちをして己の浅はかさを呪った。同時、魔術師メリーに嘘は突き通せないことを悟る。
「この仕事が終わったら、あなたにはお話しします。それまでは勘弁してください」
「承りましたわ。森近さんって、割と単純な思考回路をしてますわね」
そう見抜けるのはあなたくらいですよと、霖之助は胸の内で悪態をついた。
とりあえず、今日のところは一段落と言ったところか。
一番の懸念は、道中ケンカして別れた霊夢と今後どう接するかだが。
「ハーンさん、仕事とは関係ないんですが、一つお願いが」
「知り合いの娘としてあの子は可愛くも思ってますけど、甘えられても困りますわよ。ワタクシは、あの子の親でも何でもないんですから」
頭から否定されて、霖之助は再び出鼻を挫かれる。
「元同僚のよしみで言わせてもらいますわ。霊夢が一番必要としているのはあなたですのよ。今日知り合ったばかりのワタクシでもわかるほどには、森近さんを慕っていますもの」
「…………」
自惚れではないが、その自覚はあった。無理もないとも思っている。
身寄りのない彼女は自分が預かるしかなかった。世話をするうちに慕われるのは当然の成り行きではあるが。
だが、そんな資格、自分にはない。
そう言い聞かせるために、彼女には退治屋稼業を目指さず、普通に生活をしてほしいと口を酸っぱくして注意してるのも事実で。
「霊夢はどんな様子でしたか? 泣いていたらしいですが、例えば、僕のことを罵っていたとか?」
話をしなければならないのだろう。
謝罪も含め、これからの身の振り方を二人で話し合ったほうが良いはずで。
「どうでしたかしら。ワタクシが話しかけても口を濁すだけで、そこの番台をずっと弄ってたように見えましたけど。何があったのか聞いても、何でも無いの一点張りでしたし」
彼女のふてくされた顔を想像しながら、霖之助は確認のため番台の引き出しに手をかけた。
「…………」
そして、背筋が凍り付く。
社務所の鍵は、まだ収められたまま。
「森近さんどうしたんですの? 何かおかしなことでも」
「鍵が、まだここにあるんです」
「……? どこかに出かけてるのではなくて? もうすぐ日が沈みますし、確かに心配にはなってきますけど」
「約束してるんですよ、二年前に彼女を引き取ってからずっと。外出するときは必ずいつまでに戻るのか、どこに行くのかを僕に告げるように、と」
霖之助はそこで見慣れない紙切れを見つけた。同じく引き出しの中。鍵ばかりに目がとらわれがちになっていたためか、発見が少し遅れてしまったらしい。
紙を広げてそれを読む。霊夢の字がそこに数行書かれていた。
要約すると、他にも離魂病の噂が流れていそうな場所を思いついたので、そこで調査をしてみるとのこと。
そしてその場所というのが、先ほど霖之助が語った、怪異の潜伏先と思しきところと全く一致していて。
「ハーンさん!」
それを八雲紫に見せ、目配せだけで懇願する。
頼みたいのは、霊夢の捜索である。
「魔術であの子を探します。もう日没ですし、二人で市内を探し回るより、あの子の気配を探った方がまだ早いはず」
言いつつ、紫は手のひら大の水晶玉を手荷物から取り出し、それを机においてのぞき込み始めた。そこには京都を上空から望んだような景色が広がっており、紫は呪文を念じながらそれを徐々に縮小していく。
時間をかければ、知り合いがどこにいるか座標で特定できる探索魔術である。
霊夢の捜索は、時間さえかければ一応の成果は出るだろう。
だが、気になるのは彼女の安否である。よりによって、霊夢が向かったのは事件の首謀者が潜伏している可能性の高いところなのだ。
もし、その怪異と遭遇してしまったら……。香霖堂から飛び出してしまいそうになる衝動を抑え、霖之助は紫の魔術の結果を待つ。
加えて、自身の彼女に対する態度に苛立ちを募らせた。ここまで反発されることを、霖之助は予測していなかったからだ。
香霖堂に戻れと指示を出したのに、どうしてここで八雲紫と留守番をしていなかったのか。
決まってる。自分に叱責されたからだと、霖之助は舌打ちして苛立ちを露わにした。よくよく考えてみれば、今朝もすんでのところで何も告げずに出て行こうとしていたではないか。
引き止めて答えを聞き出したのは良いモノの、霊夢は少なくとも、それだけ規則を疎ましくも思っていた?
八雲紫に諭されていたこと。反発が大きくなればなるほど、独断で動かれたときが一番困る……その言葉が脳内を走り、霖之助は唇を噛んだ。
博麗神社の巫女は勘が鋭い。
が、事態は悪化の一途を辿っているようにしか彼には思えなかった。
霊夢は、霖之助に叱責されたがために、信用を挽回しようとしているのか。
「あのバカっ!」
思わず口に出してしまった罵倒は自身を焦らせるだけだった。
頭痛をこらえ、紫の探索が終わるまで無事であるように祈る。今、彼にできるのはそれだけだった。