四、
今現在、京都の街で起こっている離魂病事件の概要はこうである。
突然、若い女性が「生気をなくし、まるで魂を抜かれたかのように放心してしまう」というもの。その原因は不明とされており、複数箇所で散見される突発的な病だと噂されていた。
しかし、八雲紫の考察によると、それは大きな誤りであると断言している。被害にあった女性の家族を調べてみると、ある共通点が浮上していた。
貧困、である。
欧州大戦の特需は、全ての国民に行き渡ったわけではない。成金と呼ばれる人種が増えたことも事実だが、それにより貧富の格差が広がったのも違いないわけで。
そして、困窮に喘ぐ人間は富豪たちを当然羨んだ。
何不自由のない生活がしたい、借金返済に怯えない生活がしたい、など。
国が豊かになった反面、おこぼれすらつかみ損ねた者たちは、そんな憧憬の念が強かったのである。
「どうぞ。うちみたいなところじゃあ、大したモノはだせませんが……」
「いえ、お構いなく」
霖之助と霊夢が訪れた一件目は、町外れにある長屋の一室に住む家族だった。
母親とその娘の二人暮らし。
父親とは縁を切ったらしく、母親の内職やたまの出稼ぎで生活を支えている。そんな中、娘は病床に伏せっている状況だ。
六畳ほどしかない狭い一室に、霖之助と霊夢、母親と、その背後には娘が寝込んでいる。そんな四人が居座っている様は、部屋の狭さもあってかひどく息苦しい。
出された茶も、何番煎じかわからないほど薄く透明で、それでも来客用のふるまいなのだろう。礼儀を払ってくれたことに感謝し、霖之助は湯呑みを手に取りそれを一口啜った。
霊夢も、一礼だけして頂く。
味もなく、白湯と何ら変わらなかった。
「調査のご協力感謝します。まずは、娘さんの状態を聞かせてもらいたいんですが」
「……はい」
訪問した当初は、当然不気味がられた。時代遅れな蓑姿に白髪、そして廃刀令が施行されて半世紀以上が経っているというのに刀を携行しているという出で立ち。
しかし、この場合に関しては時間が経つにつれ、逆に信頼へと繋がった。
八雲紫は「離魂病事件を解決する使者」と紹介したらしい。科学を信仰し始めた昨今において、霖之助の出で立ちはその道の専門家として映り、警戒はあまりされなかったのだ。
霊夢にしても同様。巫女が随伴しててもおかしくはないと、母親には判断された様子。
そして、まずは状況の改め。
紫の書類に誤りがないかを確認する。
それによると、調査の差違は特になく、概ね正しいとのことだった。
娘が生気を失う原因を作ったのは、他でもない母親であること。
(間違いであってほしかったけど……)
母親が連れ込んだ男に娘を紹介し、一夜を共に過ごさせ、その後に、娘は突然離魂病を患ってしまったとのこと。
(親のやることとは思えないわね)
霊夢は内心で毒づく。これが自分の親なら離魂病じゃなくとも、ショックで寝込んでしまってもおかしくない出来事だと思ったから。
ちなみに、医者にはすでに診せているという。なけなしの生活費を診察代として払ったものの、薬をもらうどころか治療法すらわからず仕舞いという結果に終わったところで、離魂病の噂を聞いたらしい。
娘は離魂病を患ったと思った。そんなとき、八雲紫に声をかけられたのだとか。離魂病の情報を提供してくれるなら、金一封を支払うと約束したとのこと。
霖之助達は、その情報料をすでに預かっている。この会談が終われば支払いを行うよう、八雲紫から指示もされていた。
霊夢は寝込んでいる娘の方へ視線をやってみた。
眠ってはいない。目は薄く開いたままだ。
見知らぬ男女が来たというのに、身じろぎ一つもしない彼女が、ひどく可愛そうに見えた。
その原因――母親が連れ込んだ男というのは、近くの第三高等学校に通う生徒とのこと。
(あの、やたらにでかい学校の、ねえ)
京都、東一条通と東大路通の交差点近くに建つ、国の支援を受けている施設。そこでは、丸帽にマント、下履きと言ったバンカラ風の三高生や、角帽に詰め襟姿の帝大生が多く見受けられた。
大正時代における日本の高等学校生の人数は、同じ年齢の男子の一パーセントにも満たなかった。それはつまり、富裕層、裕福な家庭でしか高等学校へ自分の子供を通わせられなかった時勢だったということ。
その中でも第三高等学校は、政財官界に人材を送り込んでいる名門校で、関西近隣の富豪や権力者の子供が通う場である。
「確認しますが、その男と娘さんとは顔見知りではないんですね?」
「……ええ、先週に私が連れて娘を紹介しました。とても親切な好青年で、顔立ちも良い学生に見えたんですが、まさか、こんなことになるなんて」
落ち込む母親の様子に、霖之助は霊夢と同様、同情を念を抱かなかった。
顔見知りではなく、第三高等学校生……三高生だから、懇ろになって結婚ということにでもなれば、玉の輿は確定となる。
それを自らの娘に期待した結果とのこと。
母親が事情を説明し終えると、三人の間で沈黙と静寂が部屋を包んだ。数十秒か数分か。どのくらい誰も口を開かなかったのか正確な時間はわからない。
しかし、返事の無い静けさは、事態の非常識さをより強調させた。
途端、母親は自らを擁護するように口を尖らせる。
「で、でも他の家だってやってることなのよ!? 何ヶ月か前は、隣の長屋一家が三高生の玉の輿になって……べ、別に良いじゃないさ。うちみたいな貧乏はこうでもしないと食いっぱぐれるんだよ!」
霖之助と霊夢から冷たい視線を感じ取ったのか、それとも被害妄想か、母親は突然そんなことを叫びだした。
批難に対し、霖之助は何も言わない。
だが霊夢は違った。虚ろに脱力している娘を見て、その夜をどんな想いで過ごしたのか、ひどく気がかりだったから。
「食いっぱぐれるって……そんなの自分勝手だとは思わないんですか?」
「霊夢、やめなさい」
「だってこんなのおかしいじゃない! あの子が可愛そうだと霖之助さんは思わないの!?」
「人の家の事情には口を出すべきじゃない。僕たちは仕事のためにここにお邪魔させてもらってるんだ。それを弁えることができないなら、今すぐ帰るんだ」
「……っ」
霖之助は睨みつけて叱咤する。
その冷ややかな視線に、霊夢は歯がみしてその指導に耐えた。納得はしていない――そう彼に伝わるよう睨み返して。
「差し出がましい子で申し訳ございませんでした。あとできつく言っておきますので、どうかお許しを。ところでなんですが、その男の特徴を教えてもらうことはできますかね?」
雰囲気を変えるため、謝罪ののち、霖之助は質問を投げかけた。
離魂病事件の噂が流れたとき、その男の情報は流れていない。富豪達が事件に巻き込まれたときと同じく、玉の輿ほしさに娘の体を男に譲り渡した母親達が、自分の名誉と尊厳を守るため、男を連れ込んだことを隠すため、怪異的な現象を利用したのだろう。
突然離魂病を患ったと言えば、自分が原因だと気づかれずに済むから。
その結果、離魂病という罹患者が出たという事実が大きく世間に出回った。
一応、訪問先での会談は全て内密にするよう八雲紫から指示もされている。それが相手にも伝わっているおかげか、はたまた報酬のおかげか、母親は嘘も誤魔化しも無く全てを打ち明けてくれていた。
母親から語られる男の足取りを掴めば、事態は大きく進展するだろう。
しかし。
「それが、その……なぜか忘れてしまったのよ。三高生の制服は着ていたし、学生証も見せてもらったわ。なのに、あの男がいなくなったら全く思い出せなくなってしまって。良い男だったっていうのは覚えてるんだけど」
化かされた?
霊夢はそんな結論がすぐさま思い浮かんだが、霖之助の顔をのぞき込むと、自分だけにわかるよう首を小さく横に振った。
まだ断定はするな。そう言われた気がした。
先ほど反発してしまった自戒の意味も込め、霊夢は自らこんな提案を母親に口にする。
「あの、娘さんをよく見せてもらってもよろしいでしょうか? 少し、調べたいことがあるんですけど」
「……ええ、むしろあの子の話し相手になってほしいくらいです。あんな風になってしまいましたが、キチンと反応してくれるんですよ」
そうやって話すうちに、元に戻ってくれれば良いと希望を抱く母親を横目に、霊夢は布団に寝かされている娘に近づいてみた。
半覚醒状態とでも言うべきか、声をかけると視線は動かしてくれるのだが、すぐに興味をなくして虚空をみつめてしまうのだ。
(魂が抜かれたわけじゃないわね。意識はあるけど、体がずっと虚脱しつづけてる。生気がないというか……)
触診ができるわけではないが、霊夢は霊的な力を感じ取れる体質がある。そこに人外の力が働いているなら、異常を見つけられる自信はあった。
が。
(何かしらの霊が取り憑いているなら、お祓いで解決できたんだろうけど、やっぱり何か違う。魂が汚されてるような?)
推測ばかりでは埒があかないので、一番気になる点を調べてみることにした。
「あの……ごめんなさい。お願いしたいことがあるんですけど」
「……?」
霖之助には聞こえないよう母親には耳打ちをする。欲しいのは、娘の体を調べる許可。
霖之助には一時的に席を外してもらい、霊夢は承諾してくれた母親にお礼を言って、娘の衣服を脱がした。
やせ細ってはいるが、若く瑞々しい肢体。
霊夢はそのとある部分、へそのやや下あたりに自分の手を乗せて感覚を集中させた。
(やっぱりだわ。ここにおかしな気配がある。気持ちの悪い生暖かさというか……これが妖気っていうものなのかしら?)
その正体がわからない。
おそらく、話に出ていた男を受け入れたときに注ぎ込まれたモノ。それが原因で魂が汚され、離魂病のような症状を患っている。
衣服を着せ直し、霖之助を再び呼ぶ。
娘の体に気になる気配があることを耳打ちし、その正体がわからないことも告げる。母親には聞こえないように。
そして、次に霖之助も霊夢に何かしらを告げた。
彼女はそれに驚き、どこか抗議するよう身を乗り出すが、霖之助は手で制するのと同時、彼女に構わず、母親へこう伝えた。
「娘さんの状態はわかりました。あなたが教えてくれたその男が原因であることは、まず間違いないでしょう。一両日中とはいきませんが、解決できる目処はたちましたよ」
「ほ、本当ですか? む、娘は本当に元に戻るんですか!?」
満面の笑みで頷く霖之助。
その言葉を待っていたと言わんばかりに、母親は自らが犯した過ちを悔い始めた。
もう二度と、おかしな男は連れ込まない。そう泣きわめき、顔をしわくちゃにしながら二人に頭を下げた。
そして、霖之助はこうも告げた。
娘さんの将来をもっと考えてあげてください、と。
それを最後に、号泣する母親に背を向け、二人は長屋を後にするのだった。