Coolier - 新生・東方創想話

【大正パロ】京都香霖堂異聞・一

2013/12/08 03:02:18
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 十二、

 霊夢は、霖之助が香霖堂まで背負って送った。
 服はボロボロになってしまったため、霖之助が着ていた着物を彼女に貸し渡していた。
 彼の背は男性の中でも高い方だ。その上着で霊夢の太股までを覆い隠すことは可能だったが、それでも衆人達の暮らす町中に出るには、いささか安心できないと判断した結果である。

 初め、霊夢は香霖堂に戻ることを拒否した。
 心も体も疲弊しきっているのは承知していたが、しかし、あんなことがあった場所に一人で置いておけないと霖之助が諭すと、彼女は渋々了承してくれたのである。

 救いだったのは、雨が降っていたこと。
 暗く、空を雲が覆ってくれているおかげで、他人からは見られにくかった。
 それでも、二人を奇異の目で見つめる者にも出くわしたが、望まない偶然は無視して彼らは帰路を急いだ。
 その間、霊夢は霖之助の背中と借りた上着に体を埋め、そして形見である巫女服を抱きしめながら、一言も喋らなかった。

「おかえりなさい。お風呂用意しておいたわよ。霊夢、私と一緒に背中の流しっこしましょう」
 八雲紫は努めて明るく振る舞ってくれた。浴室に入っていく二人の背中を見送りながら、霖之助は彼女に強く感謝の念を送った。

 こんなとき、自分ができることはあまりないだろうと、霖之助は息をついた。女手が居てくれた幸運に、感謝するばかり。
 元凶は断った。あまりにも低級すぎる怪異だったため、処理に何も困らなかったが、霊夢にとっては痛すぎる授業料だっただろう。
 自分がもっと管理していればと、後悔の念が押し寄せてくる。
 そのときだった。
 風呂場から号泣する声が聞こえた。霊夢だ。
 泣けるうちに泣いておいた方が良い。無責任ながらに、霖之助はそう思った。
 なぜ、夢魔は自分と同じ姿をしていたのか。これを問うのは憚れるが、考えなくてもわかることだった。

「…………」
 霊夢から特別な感情を持たれているのは知っていた。
 考えないようにしていたのには理由がある。それは、誰にも言えない秘密も含んでいるから。

「イツツ……」
 急に体から倦怠感がわき上がってきた。これもいつものことである。
 神剣――天叢雲を抜刀すると、神がかり的な力を手に入れられる一方で、その反動から体の至るところに負荷がかかってしまうのだ。
 酷いときは、ロクに箸さえ持てなくなるほど。今回使ったのは、たった一振りだけ。その分、体への負荷はマシな方であるが。
 店はすでに暖簾を下ろしている。八雲紫が気を利かせてくれたおかげ。雨に濡れた服から着替えたあと、いつもの番台に腰掛けて休憩する。
 それからどれくらいたったのか。しばらくすると、霊夢と紫が風呂場から出てきた。彼女らの着替えは、香霖堂用の着物である。
 霊夢は意気消沈したまま、紫はそれに寄り添うようにして二人は寝室へと入っていった。

 数十分後、八雲紫だけが寝室からゆっくりと出てくる。湯上がりの赤みがかった頬と濡れた金髪からは色気が醸し出されていたが、それらを打ち消すかのような神妙な面持ちで、彼女は霖之助と顔を合わせた。

「ごめんなさい森近さん、私が差し出がましいことを言ったばかりに……」
「いえ、ハーンさんが気にすることはありませんよ。全て、僕の監督不行届です。霊夢に反発されていることを知っていながら、あの子の気持ちを理解できていなかった僕が悪い」
 八雲紫に指摘されていなければ、遅かれ早かれこういう事態に陥っていたと、霖之助は反省する。
 彼女が言っていたように、言葉で抑えつけるだけでは反発されたときに痛い目を見るというのは、すでに起こりうる可能性だったから。

「霊夢は?」
 一番気になっていたことを尋ねる。
 八雲紫に居場所を特定してもらったとき、博麗神社に自分と瓜二つな男がいると聞かされたときは非常に焦った。

 夢魔である可能性は、事件を調査している段階で予想していたのだが、色街に潜んでいた可能性の見当はついていて、明日にはそこへ赴こうと踏んでいたところでの出来事は、彼を大いに後悔させていた。
 夢魔にとって、色街は居心地の良い場所、もしくは身を潜めるのに絶好の環境だった。それを少しでも霊夢に注意喚起していればこの事態は防げたかも知れなかったが、霖之助はあえて伝えなかった。
 余計な情報を与えれば、霊夢に勇み足を出させる危険性があったから。咥えて、彼女は元凶を退治しようと躍起にもなっていたから。
 結局は、全てが裏目に出てしまったわけだが。

「あの子の純潔は保たれていますわ。夢魔と接触していたときも魔術で監視していましたし、風呂場でも……直接、私が確認しましたから、間違いありませんわよ」
 一番気になっていたことを、八雲紫は最初に答えてくれた。
「でも、だからといって、女としての初めてをほとんど夢魔に奪われていますわ。その点はひどく、ショックを受けている様子ですし」

「…………」
 男である霖之助は、何とも口を挟めなかった。
 霊夢は少女雑誌に憧れを抱くような、普通の女の子である。
 だから、口づけはもとより、その体を夢魔へと預け任せていた事実は、これから先ずっと彼女を苛み続けるだろう。
 それが、非常に口惜しかった。
 唯一の救いは、同じ女性である八雲紫がいてくれたことか。異性である霖之助には、犯され乱れた霊夢の性感情をなだめる自信は皆無だったから。

「首筋にあった怪我の心配はいりませんわ。痕も残らないでしょう。心が疲れ切ってしまっているだけなんですけど」
「けど?」
「……あの子は、ずっとこればかり気にしていましたわ。霖之助さんに迷惑をかけた、言うことを聞かなかったからバチが当たったんだ、と」
「そうですか」
 しかし、霖之助には今の霊夢に「そらみろ」と罵るつもりは毛頭ない。反省は十二分以上にしているし、この結果を招いたのは己の失敗である。彼女との接し方を改める必要があることを、霖之助は痛感もしていた。
「ハーンさん。僕は、どうすれば良いんですかね?」

 口走ってから、ひどく弱気になっている自分に気づいた。その言葉も、保護者でありながら無責任にも思えて、後悔が彼の胸を締め付けた。
「森近さん。あなたは霊夢の気持ちに気づいてらっしゃるんでしょう? どうして、それに応えてあげようとしないのか、まずはその理由が聞きたいですわ」
 尋ねられて、固まる。
 霊夢の気持ちは知っていた。一緒に生活をするうちに、彼女が慕ってきていたことは、その上でも感じていたから。

「私と霊夢にしている隠し事と、関係あるのではなくて?」
 敵わないなと、霖之助は観念した。八雲紫の洞察力や発想力は、先代と一緒に活躍していた頃からさび付いていない。
 自分の浅はかさに、思わず失笑が漏れる。

「彼女の両親が死んだ、というのは僕の嘘です」
 自業自得。よかれと思って背負った、彼の罪である。
「正確に言うと、亡くなったのは神主だけ。おそらく、先代はどこかで生きてます」
「……っ」
 告げられた真実に、紫は動揺を隠せない。それはつまり、霊夢と暮らし始めるときから、彼女を騙し続けているということになるから。

「博麗神社が正体不明の妖怪に襲われたのは事実です。そいつに神主は霊夢を庇って亡くなり、先代は神主の仇を取ろうと一時期は奮起していましたが、ある時を境に彼女は姿をくらましたんです」
「話が見えませんわね。だったら先代はどこへ?」
 ここから先を口に出そうかどうか、霖之助は非常に迷った。
 先代は心も体も強く、まさかあんな行動を取るとは、当時思いもしなかったから。

「新しく作った男と一緒に、京都を出て行きました。霊夢を置いて」
 言って、霖之助は懐から小さな鍵を取り出し、それを番台のとある棚にはめ込み、カチリと回した。
 そこから古びた紙を取り出し、八雲紫に手渡す。

「先代が出て行った時の書き置きです。それを見つけたときは信じられませんでしたが」
 真実なのだろう。
 その手紙を要約すると、次のようなことが書いてある。

 ――夫を亡くし、生きるのに辛くなったこと。
 ――霊夢を育てる勇気が全く持てなかったこと。
 ――新しい人を見つけたこと。
 ――そして、その人と一緒に旅に出たいと思ったこと。

 この四つ。

「霊夢は置き去りにされたんです。夫を亡くした先代の気持ちを、僕は察してやれなかった。取り乱してはいましたが、あの人に限って、まさか他の男と逃げるなんて、思いもしませんでした」
 人間は弱い。強いように見えても、強いように振る舞っていても、人外に比べれば不安に充ち満ちている。
 仇を討つことよりも、娘を育てることよりも。
 先代にとって、最愛の人を亡くしたショックは計り知れないものだったということ。

「森近さん、これ……」
「はい、その手紙は霊夢宛てです」
 だから、ずっと保管していた。いつか見せられる日がくるかもしれないと思い、今の今まで自分以外触れてもいないものだ。
「父親を亡くしたあと、こんな手紙を見せられれば、自分は捨てられたと誰もが思うでしょう。だから、僕は嘘をでっち上げました。先代は、夫の仇を討ちに行って帰らぬ人となった、と」
 その選択が正しかったのかどうかは今でもわからない。

「霊夢には退治屋なんかやめて、普通の暮らしをと言い続けてきました。嘘をついている僕に、あの子の気持ちに応える資格はないと、そう伝えたかったんですが」
 その望みは、逆効果の一途を辿り、そして今日のような結果を生んでいる。
「納得しましたわ」
 渡された手紙を霖之助に返し、八雲紫は一つため息をついた。

 お互いがお互いを想い、その気遣いがすれ違ってしまった皮肉に、紫は何とも言えない気分になる。
 正しいか正しくないか、その判断を決められる権利を持つ者は、おそらく一人もいないのではないか。少なくとも、今は正否を決められる段階ではないと、紫は考えるが。

「森近さんはどう想っていらっしゃいますの? あなたの気持ちさえ確かなら、あの子を救ってあげられるのではなくて?」
「わかりません」
「あの子をどうするつもりですの? そのまま騙し続けて嘘だと知られたとき、一番苦しむのはあの子ですのよ」
「わかりません」
「話になりませんわね。あなたは問題を先送りにして、答えを誤魔化してるだけにすぎませんわ。霊夢が襲われてるときに言った言葉も嘘だったんですの?」
「……そうかも、しれませんね」

 霖之助は八雲紫が魔術で霊夢を探索したとき、自分に化けた夢魔と彼女との会話を耳にしていた。二人がどこにいるか、どこに向かっているかを把握したとき、彼は刀を持って香霖堂を飛び出したわけだが。
 霊夢が退治屋を目指す真の理由を、霖之助はその時初めて知ったのである。
 霖之助への恩返し。
 そして、両親がこの世にいた証明をするため。

「本当のことを話すつもりはあるんですの? まさか、それもわからないって仰るつもりじゃないですわよね」
「…………」
「呆れましたわ。森近さんは、もっと物事を弁えてる方だと思ってましたのに、とんだヘタレですわね」
 霖之助は紫の罵倒にも何ら反応を示さない。
 興味がないのではなく、それは霊夢を引き取った二年間、ずっと自身に言い聞かせ背負ってきたものだから。彼女の評価は当然と受け止めているのである。
「まあ、今のあの子には黙っていて正解ですわ。黙り騙し続けていた結果の、不幸中の幸いかもしれませんけどね」
 そこで言葉を切った紫は踵を返し、霊夢が眠る寝室へと足を進める。

「発端を作ったワタクシが言うのもおかしいですが、霊夢は強い子ですわよ。あなたが思っている以上に。それを明日、証明してみせますわ」
 おやすみなさい、と。
 それを最後に、紫は寝室へと足を進めた。霖之助はその背中を見送り、脱力したように項垂れる。
 天叢雲を使った反動以上に、彼女の言葉は霖之助の体に堪えた。

 それに、去り際に語った言葉の真意は、今の彼にはわからない。これから霊夢に対してどうするべきか、それを考えるより先、強い眠気が霖之助を襲う。
 問題を放棄するつもりはなかった。ただ、霊夢の幸せを願っての嘘だったことは、確かである。
 紫の指摘もわかる。そして、それはいつか必ず答えを出さなければいけない問いかけだ。

 しかし、今は……。
 番台の椅子に腰掛けながら、霖之助は瞼を落とした。せめて明日は、今日より幸せな一日でありますようにと願いながら。

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