三、
突然降り出した雨に、京都の住人達の足並みは忙しなさを強要されていた。
洗濯物を急いでしまう主婦、商品などが濡れないよう店内に片付ける商人、客の利用が見込めなくなった馬車の馭者は詰め所に戻っていく。
そんなバタバタとした町の片隅で、二人の男女がそれらを横目に見つつ、とある露店の軒下で雨宿りをしていた。
男の方は、眼鏡をかけた長身で菅笠と蓑を身に纏っている。
女の方は小柄で、男のような雨具は身につけていないが、両手には生八橋が握られていた。
それを頬張りつつ、何やら機嫌悪そうに、彼女――博麗霊夢は森近霖之助を睨んでいる。
「私も安く見られたものね」
「…………」
残りの八橋を食べ終わったところでひと息。アルミの水筒を傾けて喉を潤し、霊夢は言葉を続けた。
「あれだけ拒否してた霖之助さんが、どうして急に声をかけてきたのか大体の事情はわかったわ。だけど、その詫びが八橋だけで収まると思ってるんなら、大きな間違いなんだからね」
「君を蔑ろにしたことに対しては、素直にすまないと思ってるさ」
菅笠を深く被り直し、蓑に隠した刀の鞘を握ってその感触を何度も確かめながら、彼女からの文句をかわす。
実際、甘味モノをおごるだけで霊夢の機嫌が直るとは考慮していない。大切なのは誠意だと、霖之助は自分に言い聞かせてるわけで。
「相変わらず時代遅れな格好よねそれ。みんな霖之助さんのことジロジロ見てるわよ」
「君だって人のこと言えないじゃないか。祭や神事でもないのに巫女服を着て出歩くなんて、恥ずかしくないのかい?」
「この服は神社に伝わる由緒正しき巫女装束なの。霖之助さんみたいにあからさまな不審者姿じゃないんだから、それよりはマシでしょ」
「それはどうかな。大体の人たちは僕を修験者と見てくれるさ。これには理由が――」
「ていうか、お母さんにもそんなこと言ってたの? 霖之助さんの女の人に対する意識って、結構低い部類に入るわよね。お嫁さんが見つからないのも無理はないか」
「…………」
「…………」
そして二人は気づく。互いに放たれていた言葉の針は、会話の進展を阻害していることに。もちろん、道行く人間に注目されているのは彼か彼女かではなく、二人セットとして見られていることも。
単に、二人は慣れない状況に困惑しているだけ。
仕事は今まで霖之助一人で賄っていた。付き添いを管理することに、そして、管理されることにお互いがどういう立ち振る舞えば良いのかわからないのだ。
「この格好をしているのは――」
踏み出したのは霖之助だった。紫に助言されたとはいえ、霊夢を連れ出すと決断したのは自分なのだ。そう自らに言い聞かせ、先ほどより語気を緩やかにして口を開く。
「白髪とこの刀を隠すためさ。僕の顔立ちは結構若く見える方だろう? それなのに白髪だと気味悪がられるからね。刀の方は、まあ廃刀令を知ってるなら説明は不要かな」
「そうね。霖之助さんの髪って、一般の人から見ればなんだか不気味だものね。私は嫌いじゃないんだけど」
歩み寄りを察知してくれたのか、霊夢の方もそれを受け入れてくれる。というより、
「あ、あのね霖之助さん。話が変わって申し訳ないんだけど、ちょっと聞いて良いかしら?」
唐突だった。
彼女には仕事とは関係なく聞いてみたいことがあったようで。それを聞けずに悶々としていたため、本人に八つ当たり行為をしていたらしい。
「紫さんとは、こ、恋人同士だったりするのかな?」
「はあ?」
思いも寄らぬ質問に、素っ頓狂な声が漏れる。再会したときから何かを気にしていた素振りには気づいていたが、あまりにもどうでも良いことに霖之助は呆れかえった。
「ハーンさんとは別に恋仲じゃないよ。あの人には東京に恋人がいるし」
「じゃ、じゃあ、あの人は、別に、霖之助さんの恋人……ってわけじゃないのよね?」
「ああ、そう言ってるだろ?」
答えると、彼女は安心したように胸をなで下ろした。それが一番気になっていたようで、以降はハキハキと話すようになった。
「君は変なところを気にするんだね」
「い、良いじゃない。紫さんはとても綺麗だし、霖之助さんはあのとき、なぜだか私を追い出そうとしてたみたいだし」
それでか、と彼は大いに納得した。
「追い出したかったのは事実さ。それについても謝るよ。でも、理由はさっき言ったとおり、仕事に君を巻き込みたくなかったからなんだけど」
「紫さんに説教されて、私を連れて行くに至ったわけね」
ちなみに。
霊夢は霖之助と紫との仕事の話を全て聞いている。
紫が魔術師であることには驚いていたが、先代の手伝いをしていたという触れ込みを踏まえれば、それは当然の帰結なのだとも思い、素直に受け入れていた。
「だけど霊夢。さっきも言ったけど、これは退治の依頼じゃない。あくまで『鑑定』だ。仕事をどう処理するかは『鑑定士』である僕の指示に従ってもらうからね。こればかりは譲れない」
「わかってるわよ。霖之助さんや紫さんからみれば、私は新米のひよっこだってこと、ちゃんと痛感してるんだから」
「なら、良いんだけど」
彼女の引き締まった顔を見て、霖之助は懐から預かった書類を取り出し、それを手渡した。
八雲紫とのやりとりは全て説明はしているが、調査書類をまだ見せてはいない。一件一件の状況を鑑みながら、もう一度事件の概要を彼は話した。
「この付箋が着いているところは?」
「訪問の許可が下りてる家さ。そこで情報を聞き出して、これからの方針を決めるんだよ」
紫の情報収集能力は優秀だった。
被害者の身元からその家族、交友関係までキッチリ書き込まれている。そこから纏められた考察には、自身の能力におごらない、優れた洞察力が見え隠れしていたのだ。
妖怪退治の依頼を担ったことのない霊夢にでも、すんなりと頭に入るほど。
「霖之助さん……これ、本当なの?」
しかし、一通り読み終えた彼女はひどく気分を害していた。紫の考察にではなく、説得力を帯びた文面を見て、その上で事実に怒りを覚えていて。
「本当かどうかを確かめるのも仕事のうちだよ。まあ個人的に、この案件は若い君には出向いて欲しくないとも思ってるけど、やめるかい?」
「へ、平気よ。このくらいで狼狽えてちゃあ妖怪退治はつとまらないわ」
「妖怪退治じゃなく、『鑑定』なんだけどね」
明らかに空元気なのは見て取れたが、霖之助は霊夢の忍耐力を信じることにした。
とりあえず、この場のみ、ではあるが。
「まずはここから一番近いところから行こう。それから順に訪問してまわる。良いね」
霖之助は蛇の目傘を差し、雨降る中に一歩踏み出した。霊夢もそれに倣い、彼の隣を歩く。
空はどんよりと、鈍色だけが不気味に広がっていた。