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「そうそう。小窓越しに構図を決めたら、あとはこのボタンを押すの」
「う、うん」
「撮影する瞬間は、手を動かしたり、レンズの前に指を出したら駄目よ。ちゃんとした写真が撮れなくなるから。良い?」
「わかった」
「よし。先ずは一枚、この子を撮ってみなさい」
緊張に縮こまった霊夢の肩に手を置きつつ、文は準備万端と構える鴉へ彼女を促す。視線を合わせるために霊夢がしゃがみこむと、まん丸で可愛らしい鴉の瞳が、まじまじと彼女を見つめ返す。
「えっと……よろしくお願いします?」
首を傾げながら霊夢が挨拶すると、鴉は「ガァ!」と元気いっぱいに返事をする。威勢の良い鳴き声にちょっと気分が楽になったのか、霊夢は柔らかく微笑むと、持ち帰って来たカメラを、鴉に構える。
小窓を覗きこみながら、これで良いかしら、此処の方が良いかしら、としばらく動いてみて。ちょうど二歩下がったくらいの正面と位置を決めると、先程文に教えられた通りに、ボタンに指をかけて。
「そ、それじゃぁ、撮るわよぉー…」
上ずった声で霊夢が合図をすると、鴉はさっと背中を向けて、翼をいっぱいに広げる。翠に紫、紺青と、金属質な光沢を持つ羽根を見せつけるポーズに、期待に応えたい、という気持ちが霊夢の中で膨らんでいく。
「――はい、チーズっ」
ぱちり、しっかりと写真が撮れた音が、霊夢の耳に響く。温かいものが流れ込むような感覚が全身を包みこんで、霊夢はほっと息を吐く。
そんな霊夢の安堵が伝わったのか、鴉は嬉しそうに鳴きながら、霊夢の袖まで羽ばたいて来る。労わるように嘴で甘くつつかれて上機嫌に破顔する霊夢が可愛らしくて、文も思わずぱちり、カメラに手をかけていた。
「あっ。ちょっと、なんでアンタまで写真を撮ってるのよ」
「教えてあげたんだから、これくらいの役得は良いでしょう?『初めて霊夢が写真を撮影した記念』の写真です」
「やめてよ。子供扱いされているみたいで恥ずかしいじゃない」
「ふふん。私から見れば、貴方はまだまだ『子供』ですよ」
目標を一つ達成したからか、やっといつも通りの空気が二人を満たしていく。この機にと、文は当初から気になっていたことを聞くことにした。
「それで、霊夢。そろそろ聞かせていただけますか?」
「もちろん」
一通り鴉と戯れた霊夢は、いつでも来なさい、とばかりに胸を張る。
「先ず、一つ。そのカメラ、一体何処から手に入れて来たのですか」
「あー…ほら、アンタの好敵手(ライバル)の「はたてのことでしたら、決して好敵手(ライバル)などではありません」……はいはい。とにかく、ソイツから貰ったのよ。自分は念写で十分だから、私にあげるって」
「はぁ…道理で見たことがあると……」
今も涼しい自室から呑気に念写しているだろうはたてを想起しつつ、文は頭を抱える。
「本当は、最初アンタに直接話して譲ってもらうつもりだったのよ?だから、山まで乗り込んで大声で呼んだの――『馬鹿鴉、出て来ーい!!!!』って」
「ばっ――ちょっと貴方、なに危ないことしているのよ!そんなことしたらまた騒ぎが」
「だからよ。こうすればアンタは、私のために出て来ざるを得ないでしょう?」
「……二度と、やらないように。良いわね?」
語気強めの忠告にも、霊夢は「はいはい」と軽くあしらうだけ。…まったく、こちらの翼が何本あっても足りない。
「そうしたら、いつもの白狼天狗が私のところへ来てね。アンタは上から呼び出されているところから、今は出て来れないだろうって」
あぁ、つまりはちょうど入れ違いになっていたという訳だ。いつもの白狼天狗……ということは、彼女に応対したのは犬走椛だろう。生真面目な彼女のこと、帰れ帰らないの押し問答になって、また弾幕勝負にもなったのかしら。
「だから、代わりに事情を聴いてやろうって持ちかけてくれて」
「……は?」
「びっくりしたわ。やたら神妙な面持ちで、私の話に耳を傾けてくれてさ。カメラが欲しいならはたてに聞くと良いだろうって」
「ちょっと」
「それで、自分の見張りつきという条件で、はたてのところまで案内してくれたの」
――何してくれてるんだあの馬鹿犬ぅ!!!!!
「そうそう。帰り際に、アイツらから助言されたわよ。『アイツ、また一人で勝手に塞ぎこんでいるみたいだ。私たちが言ってもどうせ聞かないから、お前から一発叩きこんでくれ』ってさ」
憤りを抑えようと頭を抱える文に、霊夢は眉尻を下げる。
「良いヤツらじゃない。アンタ、本当に大切にしなさいよ」
……うるさいわよ。
「まぁ、良いでしょう……では、もう一つ」
ふぅ、と淡くため息を吐き、文は再び顔を上げる。むしろ、文にとっては此処からが本題だ。
「何故、写真を撮りたいだなんて、言い出したのですか?」
刹那、真剣な表情を見比べた鴉が、気を利かせるように羽ばたいていく。
今度こそ、二人きりの沈黙が流れる境内。夕も近くなった透き通った空気をいっぱいに吸い込んで、霊夢は口を開く。
「文を……」
凛々しく開かれた鳶色の瞳が、文の姿をぱっと映し出す。呆気にとられたように立ち尽くす天狗の顔をじりじりと網膜に焼き付けると、持っていたカメラを素早く構えてみせて。
――ぱちり。
「文の写真を、撮りたかったの」
…ん。きっと、良い写真が撮れたわ。先程よりもはっきりとした手応えに、霊夢は口端を綻ばせる。
今すぐに足を軽やかに弾ませて、全身いっぱいに喜びを表現したい――その衝動を我慢して、霊夢は再び、毅然とした表情を向ける。
まだよ、博麗霊夢。絶対に、これで満足したら駄目。
これはまだ、私が文を助けるための始まりに過ぎないんだから。
「わたしの?」
一方の文は、固まったままぱちぱちと目を瞬きさせている。いつもだったら決して見せないだろう滑稽な姿が、ちくり、微かな痛みをもたらす。
「うん。射命丸文という鴉天狗の『現在(いま)』を――アンタのありのままを映した写真を」
「そんなもの、何のために」
「別に難しいことじゃないわ。文(アンタ)が霊夢(わたし)の写真を撮る理由と一緒」
だからこそ、文にとってきっと当たり前である答えを、霊夢は告げる。
「私が写真を撮れば、今日、博麗神社(ここ)まで来たって『記憶』を、残すことが出来るでしょう?」
射命丸文の現在(いま)を、幻想郷に刻みつけるために。
「文ってさ。私とか、幻想郷に住む皆のことは数えきれないくらい撮っても、アンタ自身が映っている写真はほとんどないでしょう。だったら私が、文の『真実』を映してあげたいの」
夕陽色をした彼女の瞳は、なおも動揺に震えている。きっと文(コイツ)は、ちゃんと考えたことがなかったのだ。文が護りたいと志している「幻想郷」には、「射命丸文」自身も居ないと意味がないことを。
「だから、文。今日起こったことを忘れたら、迷わず博麗神社(ここ)まで来て。私に話して」
「…それは」
「駄目っ。絶対に、自分だけで隠そうとしないで」
なおも躊躇いを顔に出す文の袖を、霊夢は強く引き寄せる。
『何度でも抱きしめてあげるんですよ――『貴方は、私の一番大切な友達だよ』って』
…えぇ、そう。そうよね、小鈴ちゃん。私からちゃんと、決意を伝えないといけないわよね。
だって文ってば、本当に分からず屋なんだもの。自分が私にとってどれ程大きな存在になっているか、まともに考えてくれないんだもの。
何度でも、骨の髄にしみこませるまで、叩きつけてやらないといけないわよね。
小鈴ちゃんみたいに上手く出来るか、分からないけれど。私も頑張ってみる。
「私は、絶対に忘れることなんてないもの。『射命丸文』が今までどれだけ頑張って来たのか、全部教えてあげる」
文は、自分の目で見て来たものこそ信じる鴉天狗だ。記憶を失った文が、見覚えのない、しかも自分が神社(ここ)で撮られた写真を見かけたとしたら、きっと文は、此処に来ずにはいられない。消えた「真実」を、求めずにはいられない。
だって、謎の中心に霊夢(わたし)が居ると気付けば、文(こいつ)はぜーったいに放っておけないもの。
いわば、博麗霊夢の名残をつないでくれる、一枚の「花弁」。それが、霊夢の撮った写真だ。
そして、導かれるまま文がやって来る度に、霊夢は両腕を広げるのだ。
「そうしたら、『射命丸文』という鴉天狗は、絶対に消えることはないでしょ?」
文のことを、全力で抱きしめてあげられるように。「真実」をもって、記憶の束縛から彼女を解放してあげられるように。
これが、博麗霊夢(わたし)の出した答えだ。
「れい、む…」
――ほんとうに。この子はいつから、こんなにも頼もしくなったのだろう。
目頭に熱が滲んでいくのを感じながら、文はじっと考える。
きっと貴方が、一番辛かったでしょうに。独りぼっちの戦いを乗り越えたばかりで、息を吐きたいところでしょうに。
こうして、文の――幻想郷の皆が「忘れられる」ことのないよう、頑張ってくれている。
もう、ただ皆に愛されるだけではない。巣立ちを迎えた慈鳥(からす)が、今度は親鳥へご飯を運んで来るように。自分の出来る最大限の愛情を、返そうとし始めている。
あぁ。笑顔が眩しい。枝から羽ばたいた山桜の花弁が、ちらちらと白に輝く景色が幻視される――そうだ。御神籤を渡していた時も、こんな顔をしていた。
「……まったく、」
口許を綻ばせ、参ったと首を横に振る。
今度こそ、自分から何か出来ることを、なんて飛び出してきたのに。またしても、霊夢に先を越されてしまった。
本当にこの子は、立派になった。――…けれどね。知ってる、霊夢?
「それじゃあ、お話にならないわ」
慈鳥(からす)という鳥はね。子供が巣立った後もずっと、世話を焼きたがる鳥なのよ?
「む。なんでよ」
「当たり前でしょう。大体、お聞きしますがね。貴方は『今日のことを絶対に忘れない』なんて、どうして言い切れるのです?」
「…ふふん?なぁーんだ、そんなこと。それなら心配いらないわ」
頬を不満げに膨らませていた霊夢は一転、にんまりと目を細める。そうして、思わせぶりに文に背を向けて、ふらふらと歩いてみせて。たっぷり、どう考えてもやり過ぎなくらいに溜めた後、満を持して決め顔で振り返る。
「なんてったって、私は『頭が良いから』!」
「――………はぁ…」
「もうっ!!!だから、冗談でも良いから乗りなさいよっ!!!!」
ぽこぽこと肩を殴ってくる霊夢があまりにも可愛らしい。ほら、今更恥ずかしくなったのか、柔らかそうな頬をいっぱいに赤らめちゃって。そのもちもち、いっぺん捏ね繰り回してやろうか。
「申し訳ありませんが、曖昧な感情論に身を委ねる訳にはいきません――…ですから、」
けれど、今はしゃきっと背筋を伸ばして。視線をしっかりと霊夢に合わせる。
「私も、しばらく博麗神社(ここ)に通わせていただきます」
潤んだ鳶色の瞳が、呆気にとられたように見開かれる。文は、新調した文花帖を取り出すと、まだ真っ白な一ページ目の最初の行に「霊夢に写真を教えに、博麗神社まで行く」と、はっきり刻みこむ。
もし今日のことを忘れてしまったとしても。己のなすべき使命を「射命丸文」に託すために。
「たとえ、今まで異常がなかったのだとしても。明日からも、貴方に影響が出ないとは、決して言いきれません」
夕陽色をした瞳に、今度こそ鋭い光が宿る。邪なる者を決して近寄らせまいとする気迫に、霊夢はぞくり、胸を高鳴らせる。
「だから貴方も、身体や記憶に違和感を覚えたら、迷わず私に話しなさい」
異変は既に解決された。今さらこんな忠告をしたところで、何事も起きない可能性の方が、既に高いだろう。
けれどそんなこと、文には決して関係ない。
迷うな。自分の声で、決意を告げろ。自分が霊夢の前に立つ覚悟を持て。
もう、霊夢を悲しませることのないように。霊夢が危機に陥った時、すぐに気付けるように。
「貴方こそ、絶対に一人で抱えたりしないこと」
今度こそ、射命丸文の手で、博麗霊夢を助けることが出来るように。
「――もちろん!」
歓喜に突き動かされるように、霊夢は勢い良く文へと飛びつく。爛漫に咲かせた笑顔をぐりぐりと身体に埋めていると、幸福感がみるみるうちに胸の中で膨らんでいく。
やっと。やっと、言葉にしてくれた。ようやく此処まで辿り着いた。
ずっと前から気付いてはいたけれど。正面からはっきり言葉にされると、こんなに安心するんだ。
「約束だからね」
念押しするように霊夢がぴしっと指切りをせがむと、文は躊躇なく自らの小指を絡める。決して解けることのないように、互いに強く堅く結びつけて。
「…えぇ。約束」
雄大に膨らませた紫黒の翼が、霊夢の身体をすっぽりと包み込む。宵闇に包まれたように視界を失った身体を、細くも逞しい腕がしっかりと抱き止める。
とろん、と微睡みに揺蕩いながら、霊夢は慣れ親しんだ安らぎに身を任せる。焚きしめられる文香にも似た、落ち着いた匂い。温もりに浸っていると、一羽の鴉が祝福するように鳴きかけているのが聞こえてくる。
あの声は、さっき私が写真を撮った子かな。……ん。若々しくて、元気の良い声。きっとそうだ。
ありがとう。私は、これからももう、絶対に大丈夫。だって、文が居るから。
けれど、この頼もしさに甘えるだけじゃいけない。
「ねぇ、文」
「うん?」
「もう一枚、練習してみても良いかな」
何度、壁にぶつかったって構わない。その度に文の眼をちゃんと見て、想いを打ち明けて、今度こそ私が文を助けられるように強くなって。
いつか「霊夢が居るから大丈夫」って、文から言わせてやるんだから。
「アンタのとびっきりの笑顔、写真に撮ってあげる!」
だから。その時まで絶対、私の傍に居てね。文。