Coolier - 新生・東方創想話

慈鳥の愛した巫女

2026/06/26 00:05:54
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◆◆◆

 緑茶を淹れて来た小鈴が店へと戻ると、霊夢は来客用のソファーに大人しく座っていた。
 小鈴が居ない隙に逃げ出すことだって容易だったろうに、こうして鈴奈庵に残っていたということは、本当は霊夢も誰かに縋りたかった、ということだろうか。結果的に他人、それも年下に頼ることになった羞恥からか、身体を縮こませていた霊夢に、小鈴は頬を緩ませていた。
 江戸切子のグラスに、冷茶を注いであげる。「いただきます」と小さく呟きながら一口、霊夢が飲むのを確認すると、小鈴は一度息を吸う。
「読みたい本がございましたら、持参いたします。どのような内容をお望みですか?」
 いつも通りの調子で小鈴は問いかける。霊夢のこと、此処まで来ても、何があったか素直には話してくれないだろう。もしかしたら、自分では手出しの出来ない、大きな事件が関わっているかもしれない。ならば、色々と聞きたい気持ちをぐっと堪えて、自分に出来ることを全うするのが良いだろう、と小鈴は判断したのだ。
 思わぬ問いかけに戸惑ったのか、霊夢は鳶色の眼を瞬きさせる。笑顔を崩さない小鈴をじっと見つめると、恐る恐るといった体で小さな口を開いた。
「その……アガサクリスQの新刊が出たって、聞いたんだけど」
「ふふっ。そう仰られると思って、ちょうど一冊、持って来てますよ♪」
 小鈴はにっこり、微笑みを見せると、手に持っていた本を霊夢に差し出す。桜色を基調としたはかなげな表紙には「言ノ花弁」と記された題箋が貼られている。いつも硬派で、知的な謎解きを期待させるアガサクリスQの作品に親しんできた霊夢は、題名から抱いた印象に首を傾げていた。
「なんだか、いつもとちょっと雰囲気が違うわね」
「そうですね。実はこの作品、アガサクリスQの経験がきっかけで、書かれたとのことです」
「クリスQ、の?」
 何故だろう。自分の声が震えていることに、霊夢は気付く。これ以上は聞きたくない…けれど向き合わなければいけないと、心が訴えている。

「――ある日、自分が書いた記憶のない文章が、原稿に残されていた」

 刹那、霊夢は大きく目を見開く。小鈴が語る「アガサクリスQ」の経験は、胸騒ぎの正体を明らかにするには眩しすぎる真実だった。
「それは間違いなく、自分の文字。過去の自分が、その手で書き連ねたものであることは確か――けれど、いかなる意志と構想をもって、自分はその物語を書いていたのか、全く思い出すことが出来ない。まるで、他人が文章を書いているのを、映像として見せられたような気分だった、と……」
 気が付けば、霊夢は小説を勢い良く紐解いていた。

 『言ノ花弁』――それは、今までのクリスQの作品とは、完全に空気を異にする小説だった。
 主人公は、寺子屋に通っている、平凡な少年。一年前に親から手帖を贈られてから、大切なことを手帖に書くことを趣味としていた。
 ある日、何気なく少年が手帖をめくっていると、最後のページに「桜の下で」と書かれているのが見えた。書いた記憶のないその文字は、けれど確かに自分の筆跡だった。そして、その下の行には、女性の手蹟(て)である麗しい文字で「また、明日」と書かれていた。
 居ても立っても居られなくなった少年は、自分が幼き日から親しんだ神社の桜へと向かう。自分が「桜」と書くからには、指し示す目的地はそこだと確信していたからだ。……けれど、日が傾いて、冷えた花が夕の衣を装う刻限になっても、彼女は姿を見せなかった。
 上の空となっていた少年は、その後、親や友達と会話していくうちに、もう一つ、奇妙な出来事に気付く――手帖に書かれた約束だけではない。昨日一日に起こった全ての出来事を、綺麗さっぱり忘れてしまっていたのだ。
 「桜の下で」「また、明日」――昨日、自分は誰と出会ったのだろう。何を想って、この約束を交わしたのだろう。何故彼女は、約束の場所に現れなかったのだろう。
 何故、自分は。こんな大切な想い出を、忘れてしまっていたのだろう――

「ぁ…」
 ページをめくっていた指が、ぴたりと止まる。それは、物語の中盤に差し掛かる場面のこと。
 このページでも、少年はふらふらと誘われるように神社の桜を見に来ていた。
 満開の桜をぼんやり見つめていると、ひらり、一枚の花弁が、少年の肩まで迷いこむ。薄桃色の温もりを持ったひとひらを優しく指でつまみ、少年は考える。
 『あの手帖の文字さえなかったら、自分は忘れていた記憶に、気付けただろうか』――と。
 もし、あの文字さえなかったら、少年は今ごろ、いつもと変わらぬ日常を過ごしていただろう。記憶の違和感も「気のせいだ」なんて片付けて、友人たちと遊んでいたに違いない。
 ところが、たった一つのやり取りが、少年を失われた時間へと誘う。一枚の花弁から桜が満開に咲いていた絶景を想像させるかのように、幻想ともいえる相手への恋慕を、狂おしく滾らせている。
 辛い。痛い。憎い。一刻も早く全てを忘れて、何も知らなかった日常に帰ってしまいたい。

 けどそれは、他ならぬ自分自身が許さない。人間として生まれついた本能が、燃料となって幻影の記憶へ身体を駆り立てさせる。
 やはり、どうしても自分は。「真実」を追わずにはいられない――

(……そっ、か)
 ずっと霊夢の中で立ちこめていた疑問が、かちり、つながった気がした。
 今回の異変。ほとんどの者が、異変が起きていた事実にさえ、気付いていなかった。ほんのり違和感を抱きかけたとしても、時と一緒に容赦なくかき消され、全て「気のせい」として処理された。そうして、何の変哲もない「日常」として、繰り返されることとなった。
 けれど、アガサクリスQは、そうではなかった。彼女は、作品の構想や原稿を、毎日欠かさずに書き続けていた。だからこそ、自分が現在進行形で「忘れている」事実に、気付くことが出来た。
 決して避けることの出来ない、強大で理不尽な異変と自らの肌で向き合い、魂の叫びを綴ったのが『言ノ花弁』という作品なのだ。

 ……射命丸文(アイツ)も、そうだったのだ。

 『確かに手帖には異変は霊夢の手によって解決?と書かれています』
 文は、取材に当たって手帖を携帯していた。取材先で見聞きした情報を手帖に欠かさず記録して来た。
 だからこそ、文は異変の存在に気付くことが出来た。自分が「忘れている」という事実を、認めざるを得なくなった。
 『私が調べても何故かすぐに忘れてしまうのです』
 その目で、耳で、己の精魂を賭して集めて来た情報が、命の宿らぬ文字へと風化させられて。やっとつかみ取った「真実」が指の間からすり抜けていく感覚を、何日もずっと――その実感さえも忘れさせられながら、味わわされて。
 けれど、文は諦めなかった。己の信念に従い、化石となった飛跡を羽ばたき続けた。来る日も、来る日も、同じ情報を。「真実」を今度こそその手から離さぬようにするために。
 それは文にとって、どれ程の苦痛だったのだろう。どのような想いで、文は博麗神社まで取材に訪れたのだろう。
 …それを、よりによって自分は。

 『あんたら妖怪はみんな忘れて、安定した日常のまま、のほほんと暮しやがって!』

 なんて、無神経な言葉を――
「…ねぇ、小鈴ちゃん」
「はい」
 叫び声をあげたくなる衝動を喉もとでぐっとこらえながら、霊夢は小鈴に問いかける。返事が聞こえたことで、霊夢が読んでいる最中、小鈴が一度も口を挟まないでいてくれた事実に改めて気付かされる。愛書家故の細やかな気遣いに心の中で感謝を述べながら、霊夢は言葉を続けた。
「小鈴ちゃんは、もうこの作品を読んだのよね?」
「はい。もちろん」
「その…どう読んだ?」
「そうですね……実は私、クリスQの話を聞いた時、彼女の話を荒唐無稽と一蹴することが出来なかったんです」
 遠慮がちな問いに対し、小鈴は少し恥ずかしそうな微笑みを向ける。
「そんなこと現実にあるはずないって判っているのに、自分も本当は同じ経験をしていたんじゃないかって、考えるようになって……忘れ物を取りに行くみたいに、この作品を読んでいました」
 小鈴の話を聞き、霊夢は再び桜色の表紙に視線を落とす。やっぱり、皆確信はしていなかっただけで、漠然と違和感みたいなものは抱いていたのだろうか。だからこそ、皆、自分を主人公に重ねるような共感を持って、この物語を読んでいたのだろう。
「もし…もしも、よ」
 躊躇いがちに霊夢は問い続けようとする。喉がからからに乾いて、声が掠れそうになる。
「ある日、私とか…今まで知り合って来た皆が、貴方のことを忘れるようなことが起こったら…小鈴ちゃんはどうする…?」
 怯えを秘めた、真剣な目で問いかけられ、小鈴はそっと瞼を臥せる。
 ちょうど、何日か前。この作品の原稿が、鈴奈庵まで持ち込まれた時。一人の少女が、全く同じことを聞いて来たのだ。
 握りしめた拳をぎゅっと震わせながら、菫色の瞳を真っ直ぐに向けてきて。ずっと室内に居たのだろう白い頬から、細い体躯が、はかなげだった彼女を、さらに幼く見せていた。
 多分、小鈴が考えるよりもずっと重く、彼女は憔悴していたのだと思う。彼女の言っていた「記憶の欠落」が本当に起こっていたのだとしたら…それは、神代から長く転生を繰り返してきた中でも、初めてのことだったはずだから。
「決まっているじゃないですか」
 だからあの時、小鈴は一切の躊躇なく、彼女に手を差し伸べた。
 そして、今もまた。彼女に語りかけたのと同じ返事を。自分は霊夢に贈る。

「何度だって抱きしめてあげるんですよ――『貴方は、私の一番大切な友達だよ』って」

 呆気に取られた霊夢に微笑みかけると、小鈴は「私、ずっと考えていたんです」と、言葉を続ける。
「『闘う』力を持っていない私に、結局何が出来るんだろう…――って」
 本居小鈴は、妖怪の言語をも読み解くことの出来る「眼」を得たことがきっかけで、色んな事件や出会いを経験して来た。その度に、未知の世界への憧れを膨らませて、自分でも妖怪との関係について考えるようになって。そして、遂に霊夢たちの「仲間」として認められた。彼女たちのように「闘う」自分を、夢見るようになった。
 …けれど、自分には「眼」しかない。特別な霊力を得た訳でも、目を見張るような体術を持っている訳でもない。結局、霊夢達から見れば、本居小鈴は脆弱な人間の一人に過ぎない。
 そんな自分に、霊夢のように大規模な異変に挑むなんて期待は、これからも出来ない。ならば自分は、彼女たちの「仲間」として、何が出来るというのだろう――
「けど、やっと分かった気がします。私にしか出来ないことは、ちゃんとあったんです」
「それは…?」
「此処に生きる皆について、一人にでも多く『語り継ぐ』こと」
 小鈴は懐からもう一冊、本を取り出してみせる――蜜柑色の表紙が丁寧に施されたそれは、先程の子狐が持参して来たノート。
 ぱらり、ページを開いてみれば、図形を組み合わせた暗号のような文字が羅列されている。けれど茜色の瞳は、彼の勉学に対する真摯な想いが綴られていることを、滑らかに読み解く。書庫で見つけた本について熱く語っているところなど、あまりに可愛らしくて頬が緩んでしまう。
「私は、妖魔本(このこ)たちを見つけることが出来る。誰にも読めず忘れられるだけの筈だった『声』を、私なら聞くことが出来る」
 連綿と綴られた文字は、ただの墨の跡にあらず。書いた者がその時点まで生きた証が、はっきりと刻まれている。そしてそれは、誰かから読まれ続ける限り、決して「忘れられる」ことはない。そういう意味では、妖魔本にとって「読まれる」とはきっと「生きること」と同義なのだ。
 時代と共に読まれなくなって、仲間だったはずの存在にさえ、意味を汲み取ることが出来なくなったとしても。本居小鈴は、妖魔本(かれら)を読むことが出来る。妖魔本(かれら)が生きて来た事実と、向き合うことが出来る。
 それが「判読眼」という、自分が何よりも誇る能力。
 だから、

「自分が選び取った『真実』を一人でも多くへと『語り継ぐ』。それが、私のやるべきことだと、考えているんです」

 ――今度は、自分の番。
 小鈴へとつながれた彼らの「真実」を、しっかりと渡していくんだ。
 今度こそ「忘れられる」ことが、起きないように。独りぼっちに、させないように。
「……そっ、か」
 しばらくして、霊夢は穏やかに息を吐く。
「小鈴ちゃんは、自分の進むべき道を、見つけられたのね」
 あんなに危なっかしかった子が、いつの間にここまで成長していたのだろう。あたたかな感慨が胸から溢れ出るのを感じて頬を綻ばせていると、小鈴は照れくさそうにはにかんだ。
「私がそれに気付けたのは、霊夢さんのおかげでもあるんですよ?」
「……私の?」
 ぱちぱち、眼を瞬きさせて、霊夢は過去の自分を振り返る。深紅の蝶を右へ、左へとゆっくりと傾かせながら小鈴との時間を遡るも、やがてどこか申し訳なさそうに、首を横に振る。
「ごめんなさい。私、小鈴ちゃんの役に立つようなこと、何かしていたかしら…」
 言葉にして情けなく感じたのか、だんだんと声を萎ませる霊夢に、小鈴は緩やかに微笑む。そんなに自分を卑下しなくても。むしろこちらこそ、霊夢さんからはたくさん貰ってばかりだというのに。
「確かに、霊夢さんからはピンと来ないかも――ちょっと待っててください」
 足早に店番の机へと駆ける足音につられ、霊夢は顔を上げる。程なく、目的のものを見つけた小鈴は、大切そうにそれを手に包むと、髪飾りの鈴を鳴らしながら、霊夢に差し出す。
 白い掌に置かれていたのは、縦に何回も折り畳まれていた一枚の紙。緊張に固まっていた霊夢が手に取ってみると、ざらりとした手触りが、まるで電流のように一つの記憶へとつなげていく。
「これ…」
「はい」
 鳶色の瞳を丸くさせた霊夢に、小鈴は強く頷いてみせる。
 「中吉」と大きく書かれているのは、一枚の御神籤。そして運勢の真下には「本居小鈴」――目の前の少女と同じ名前が、はっきりと記されていた。

「霊夢さんが配っていらっしゃった――『私たちのことを書いた』御神籤です」

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