巻之参 慈鳥
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幾筋もの汗が、湯気の放つ頬から滴り落ちる。身体に溜まった熱をなんとか逃がそうと、口から荒い呼吸を何度も繰り返す。
天下の鴉天狗とあろうものが、なんてザマか――そう苦笑しつつ射命丸文が顔を上げると、朱色にそびえる大鳥居が彼女を出迎える。
飯綱丸の屋敷から飛び立った文は、衝動に突き動かされるまま、博麗神社まで辿り着いていた。
「霊夢は…」
目に滲んだ汗を拭いつつ、文は大鳥居を潜る。暑気の名残が未だに揺蕩う境内はしんと静まり返っていて、人の気配が感じられない。
「ガァ!」
刹那、翼の薙ぐ音が聞こえる。振り返ってみると、若い鴉が一羽、文の来訪に驚いたようにこちらへ飛んできて。頭の羽毛が寝ぐせのように立っていたその鴉は、霊夢の見張りのために文が神社へと使わせていた子だった。
「お疲れ様。霊夢は神社(ここ)に居るかしら?」
視線を合わせるようにしゃがみ込んで、文は鴉に問いかける。鴉はすぐに意図を読み取ったように顔を上げると、元気良く首を横に振る。
「ガァガァ、ガァッ!」
「…そう。ありがとう」
身ぶり足ぶりを使った鴉の説明を、文は相槌を打ちつつ聞く。ご褒美にと首元の羽毛をゆっくり撫でてあげると、鴉は気持ち良さそうに嘴を半開きにさせる。
どうやら、霊夢は今朝に慌ただしく神社を出てから、まだ帰って来ていないらしい。
「はぁ…どうしたものかしらね」
霊夢が居ないと聞いて安堵した自分に気付き、文は自嘲気味に笑う。正直なところ、勢いで飛び出して来たのは良いものの、いざ霊夢と会って何を話せば良いのか、全く決めていないのだ。
何気なく口にした話題が、実は過去の「射命丸文(わたし)」も話していたことだったりするかもしれない。元気付けるつもりでかけた言葉が、また霊夢を傷つけてしまうかもしれない。
もしかしたら、本当はしばらく霊夢に会いに行かない方が良いんじゃないか。そんな考えさえも、頭をよぎってしまう。
…けれど、それは駄目だ。
たとえ、異変の影響による不可抗力だったのだとしても。配慮に欠けた言動で霊夢を傷つけてしまったのは、間違いなく射命丸文(わたし)だ。その「真実」から目を背けてはいけない。
ならば。射命丸文(わたし)の手で、しっかり解決させないといけない。
記憶の消えてしまった自分に出来ることは何か、まだ分かっていないけれど。霊夢に正面から目を合わせて、考えるのだ。
「…アァ、アァ~」
「……ん?まだやって欲しいの?相変わらず、お前は甘えん坊さんね」
撫でる指を離そうとした刹那、鴉が蕩けた声でおねだりをする。自分から喉を文の手に擦りつけにいく仕草が可愛らしくて、文は口端を綻ばせる。
まぁ、霊夢が居ないのならちょうど良い。せめて、心の準備だけでも整えておこう。あの子が帰って来たらすぐに出て来れるよう羽を休めて、いつもの「射命丸文」として――
「――文っ!」
直後。聞き覚えのありすぎる声が、露草色の晴天に響き渡った。
「ガァッ!」
先程まで撫でられていた鴉が、力強い声で促してくる。
再び翼が出そうになる背中をぐっと伸ばしつつ、文はゆっくりと声の方向へと振り返る。
瑞々しい艶をたたえた黒髪。深紅の蝶々を思わせる大きなリボン。紅白の装束をすっきり着こなした少女は、紛れもなくこの神社の巫女――博麗霊夢だった。
「ちょうど良かった!アンタに聞きたいことがあるの」
「っ…な、何よ、急に」
なんて挨拶を返せば良いか迷っているうちに、霊夢がぐんぐんと距離を詰めて来る。背を仰け反らせた文を鳶色の瞳に映し出すと、霊夢は手に持っていた小さな箱を、大きく掲げてみせて。
「私に、写真の撮り方を教えてっ!!!」