【空】なんだか大変なことになっちゃったね。
縁側に腰掛けてお茶を飲みながら、
私は小さく息を吐く。
隣に座ったお燐が目を三角にして、
【燐】他人事みたく言うんじゃないよ。
どんな陰謀論だってんだ。
【燐】はー、やだやだ。
天使なんか見てなきゃ、
馬鹿馬鹿しいって一蹴できたのに。
【空】…………。
【空】……ごめんね、お燐。
【燐】あ? 何に謝ってるんだい?
【空】私が、その、巻き込まれなければ……。
【燐】お馬鹿。
そんなん、謝ることじゃないよ。
お前さんのせいじゃないだろう?
【燐】むしろ、コイツはチャンスだよ。
商会の会長に謁見できるなんて、
コイツをモノにしない手はないね。
【燐】この世界の平和のために、
お空の力が必要なんだろ?
結構なことじゃないか。
【燐】一体どれだけのマージンになるか……。
考えるだけで胸が躍り出しそうさね。
お燐がそう言って笑う。
さすがに判る。
気を遣ってくれてるんだ。
お燐は確かにお金やチャンスに目がない。
けれど、それ以上に抜け目がない。
自分の命まで賭けるほどの危ない橋は渡らない。
楽観的に物事を考えたりしない。
いまの状況はお燐にしてみれば、
計算外もいいところだろう。
ただ他にどうすることもできなかっただけで。
【空】(いまの私は、
いつ爆発するか判らない、
爆弾みたいなものなのに)
さとりの言葉が脳裏を過ぎる。
コートの中の拳銃の、
冷たい感触に思いを馳せる。
さとりは言った。
私には、天使のカケラがあると。
私はまた、天使になるかもしれないと。
それをなんとかできるのは、さとりだけ。
もし今、私の中のカケラが暴走すれば、
誰にもどうにもすることはできない。
会長さんとリグルさんの約束は2日後。
あと2日。その間、私という爆弾が
爆発しない保証なんてどこにもないーー。
【燐】余計なこと、考えてるだろ。
どうせ、大した結論なんて出ないのにさ。
ポン、と私の頭にお燐が手を乗せる。
その感触が想像以上に優しくて、
私は瓢箪から駒でも出たような気持ちになった。
【燐】考えるのは、あたいの仕事だろ。
いつも、そうしてきたじゃないか。
【燐】何も考えるな、とは言わないさ。
だが、考えたって仕方ないことはある。
そこんところ、弁えときな。
【燐】無駄なことをあーだこーだ考えても、
一銭の価値にもならないんだから。
【空】うーん……。
【空】…………。
【空】……なんか、そんな気がしてきた。
考えたって仕方ない。
お燐の言う通りかもしれない。
今ここで私がどんなに悩んでも、
それによって事態が何もかも
上手くいくようになる訳じゃない。
心配の種は、見れば見るほど成長する。
成長しきってしまえば、
雁字搦めになって何も動けなくなる。
動けなくなるのは問題だ。
いざという時に、引き金を引けないと困る。
引き金の軽さこそが、私を生かしているから。
【こいし】ーーお空さん。
後ろ、隠れてもいい?
不意に、こいしが私に言う。
特に返事をする間もなく、
こいしは縁側に上がって、
【こいし】私がここにいるの、
ホタルちゃんには内緒にしてね。
言うと、スッと私の後ろで膝を抱える。
庭に目をやる。ホタルちゃんが、
両目を隠して数を数えていた。
10まで数えて立ち上がったホタルが
キョロキョロと辺りを探し出す。
かくれんぼをしてるみたい。
【燐】いやぁ、仲良くしてるじゃないか。
あたいは胸を撫で下ろす気分さね。
【燐】いったい何を考えてるんだか。
さっぱり判らないと思ってたけど、
なかなか年相応のところもあるんだね。
【燐】いいじゃないか。
ガキはガキらしくしてるのが一番だ。
【空】これ、褒めてるんだよ。
お燐ったら、口が悪いんだから。
【燐】あ。
【ホタル】こいしちゃん、見つけた。
【空】あ。
思わず私がフォローした途端、
ホタルちゃんが私の後ろを指す。
……しまった。
ついつい、やっちゃった。
【燐】あーあ。
【こいし】あーあ。
【空】お、お燐のせいじゃん……。
【燐】えぇ〜?
あたいはそうは思いませ〜ん。
こいしさん、どうですか〜?
【こいし】空さん、迂闊。
【燐】だってさ。
【空】……むぅ。
2:1で私の負け。
そもそもお燐が変なこと言わなきゃ
良かったのに。釈然としない。
私がむくれていると、
こいしが私の手を取って、
【こいし】空さんもやろ。
次、私が鬼。
と、庭の方に引っ張ってくる。
【空】え、でも……。
チラとホタルちゃんの方を見る。
明らかに狼狽えていた。
彼女、こいしとは仲良くなったかもだけど、
人見知りらしいし、
私が一緒にいたら気まずいんじゃ……。
【燐】おぅおぅ、責任とって行ってきな。
ただ、くれぐれも失礼のないように。
【空】お、お燐……!
【燐】そんな目をしても駄目だよ。
こいしがご所望なんだから。
【燐】ちょっと頭を空っぽにしといで。
余計なこと考えなくて済むようにさ。
真っ先に反対するとばかり思ってたのに、
お燐に背中を押されてしまって、
私は当てが外れたような気持ちになる。
こいしに引かれてホタルちゃんの元まで。
彼女は伏し目がちにモジモジしている。
こいしだけが何も気付いてないかのように、
【こいし】二人とも、隠れて。
【空】ちょっと、こいし……。
【こいし】早くしないと、数えちゃうよ。
【空】いや、でも……。
【こいし】いーち、にーぃ……。
【ホタル】お、お姉さん……その……。
えと……こ、こっち……。
ホタルちゃんがおずおずと
私のコートの端を掴んでくる。
【空】(やだ、思ったよりも積極的?
それとも早く隠れなきゃ、
って焦りが勝った感じ?)
彼女は控えめに私のコートを引いて、
屋敷の中へと誘導し始める。
お燐の生温かい視線を背中に感じた。
【空】いいの? 邪魔じゃない?
【ホタル】あ、そんなことない……。
ない、です……。
【ホタル】お姉さん、お客様だから……。
その、隠れる場所、
判らないと、思って……。
【空】うん、確かに、判らないかも。
入っちゃいけないとことか、
あるらしいし……。
そういうことなら、
確かに彼女が私を案内した方がいい。
なるほど、と納得する。
思ってたより、しっかりしてる。
私の事情や問題についても、
気遣ってくれた上での申し出。
【空】(人見知りだろうに、
私を連れてくるの、勇気いっただろうに、
なんだろう。責任感?)
【空】(私じゃ無理だろうな。
自分のことだけで、
いっぱいいっぱいになっちゃうから)
小さなホタルちゃんの勇気に
心の中で拍手しながら、
屋敷の中を歩いていく。
やがて彼女は、二階の一室の戸を開ける。
私とお燐に用意された客間の二つ隣。
化粧台が置いてあった。
箪笥と、花の生けてある床の間も。
ホタルちゃんが奥の襖に手を掛ける。
【空】ここ?
【ホタル】うん。
あの、お先に、どうぞ……。
【空】あ、ありがと。
促されて、布団の仕舞われてる
押入れの中に入っていく。
後から彼女も一緒に入ってきた。
【空】一緒に隠れるの?
【ホタル】あ、もうきっと、こいしちゃん、
探し始めてると、思うから……。
【空】そうかも。
なんだか納得させられっぱなしの私。
妖怪の年齢なんて見た目じゃ判らないけど、
それでも、私の方がお姉さんっぽいのにな。
いや、関係ないか。
精神の習熟に必要なのは、立場と経験だから。
私は、真っ当に精神が育つ環境になかった。
彼女は違う。彼女は、今まさに成長してる。
きっと、そういうこと。なんだろう。
襖を閉めた薄暗がりの中、
息を殺してジッとする。
こいしが来ている気配はない。
……どうしよう。ちょっと気まずい。
何か、気の利いた話でもした方がいいかな。
【空】ねぇ。
【ホタル】しーっ。
【空】あ、はい。
【空】(注意されちゃった……)
空回る私。
しょんぼりする。
声、大きすぎたかな。
でも、そんな私の気落ちを察したのか、
ホタルちゃんが私の耳元で、
こしょこしょと小さな声で、
【ホタル】……どうか、しましたか?
【ホタル】お腹、痛いとか?
【空】あ、そうじゃないんだけど。
【空】その、なんて言うか……。
こいしと仲良くしてくれて、
ありがと、って。
声を掛けたは良いけれど、
何を話そうか決めてなかったので、
適当に思いついたことを言う。
するとホタルちゃんは、
恥ずかしそうに笑いながら、
【ホタル】い、いえ、私も、楽しい……ので。
【ホタル】私と、同い年くらいの子、
この街には、いないから……。
【空】あ、そうなの?
けっこう大きな街なのに。
【空】無限雑踏街よりは、小さいかもだけど。
【ホタル】うん……。あ、はい。
ここ10年で育ったの、私くらいで……。
【ホタル】他の子は、生まれてもすぐに
死んじゃうんだって、パパが……。
【空】え、どうして?
【ホタル】瘴気が濃すぎる、って。
蟲妖は、強い妖怪じゃない、から。
身体が、瘴気に負けちゃうんです……。
【ホタル】瘴気がもうちょっと、
弱くならないと、
普通の蟲妖は、子供は無理だって……。
【空】そうなんだ。
瘴気。考えたこともなかった。
私はここで生まれた地獄烏だから、
あって当たり前のものだ。
だけど、彼らは違うらしい。
蟲妖は、地上から来た種族だから。
環境の違いに、適応できてない。
大人なら大丈夫でも、
まだ弱い子供は、そうはいかない。
地獄の瘴気に負けてしまう。
蟲妖がそんな問題を抱えてたなんて、
これっぽっちも知らなかった。
【空】(大変なんだなぁ……)
そんな感想を抱く。
私は無限雑踏街のことしか、
知らないから。
【空】(……いや)
【空】(『壁』ができる前なら、
知ってはいるけど……)
その頃のことは、思い出したくもない。
話題を変えよう。
嫌なことを思い出す前に。
私はホタルちゃんの方を向いて、
【空】お父さんとお母さんのこと、好き?
【ホタル】うん、好き……。
【ホタル】パパは優しくて、かっこよくて。
ママは時々、ちょっと怖いけど。
【空】そうなの?
ラルバさん、優しそうだけどなぁ。
【ホタル】怒ると、怖いの。
だらしなくしてると、怒られちゃう。
【ホタル】おもちゃ片付けなかったり、
寝る前に歯を磨かないと、怒るの。
しっかりしなさい、って。
【空】しっかりしてると、怒られない?
【ホタル】うん、しっかりしてると、
ママも優しい。優しいママは好き。
お姉さん、私、しっかりしてる?
【空】うん、してるよ。
ホタルちゃんがしっかりしてないなら、
私はきっと落第もいいところだ。
なんて心の中で、苦笑いする。
パパとママの話題になって嬉しいのか、
ホタルちゃんが目を輝かせながら、
私のコートの裾を掴んできて、
【ホタル】パパはね、お仕事じゃないとき、
私と遊んでくれるの。
鞠突きしたり、おままごとするの。
【ホタル】パパ、おままごと上手なの。
色んなヒトの役してくれるの。
でも、いつも変なこと、言うんだ。
【空】変なこと?
【ホタル】どんな役をしても、
私のこと、大好きなヒトになるの。
【ホタル】すぐお前は宝物だ、とか、
お前がいてくれて幸せだ、とか、
そういうことばっかり言うの。
【ホタル】悪いヒトの役、できないの。
やって、って言っても、
嫌だって言って、してくれない。
【空】へぇ、そうなんだ。
それはきっとホタルちゃんのこと、
本当に好きで好きで仕方がないんだろうね。
【ホタル】私もパパのこと好き。
ママのことも好き。
二人とも大好き。
ニッコリと微笑みながら言うホタルちゃん。
【空】(やだ。この子、かわいい!)
胸の奥がキュンキュンする。
失礼のないように、とかお燐に
言われてなかったら抱きしめてた。
ーーと、
不意に襖がガラリと開いて、
【こいし】二人とも見つけた。
こいしがそこに立っていた。
……そっか、かくれんぼの途中だった。
【ホタル】見つかっちゃった。
【空】見つかっちゃったね。
押し入れから出ながら、
ちょっぴりガッカリする。
もう少し、話してたかったのにな。
すると、こいしが私を見上げて、
【こいし】今度は、空さんが鬼ね。
【空】私が鬼かぁ。
鬼は嫌いなんだけどなぁ、
なんて思いつつ、しゃがんで両目を覆う。
こいしとホタルちゃんが
はしゃぎながら走り去っていく音がした。