ーー侵食は静かに始まっていた。
静かで、しかし劇的だった。
誰も彼も、異変の兆候すら悟れないほど。
既に『壁』の加護は打ち破られていた。
街と街、世界と世界を分離する『境界』は、
しかし誰にも気取られることなく権能を喪っていた。
蟲群街の蟲妖たちは、自らの団結を守るべく
余所者の侵入を常に警戒していた。
朝も夜もなく、交代で見張りをつけ、
余所者の姿がないか厳しく確認していた。
しかしーー
侵入してきたモノたちが、
視認することの敵わない
不可視のモノであったならばーー
【蟲妖A】ーー聞いたか、モランの奴のこと。
【蟲妖B】正直、納得いかねぇよ。俺は。
いくらリグルさんの命令でもよ。
【蟲妖A】まぁな。でも、モランもよ、
きっと恨んでねぇよ。リグルさんの
力になれてよかったって、思ってるだろ。
【蟲妖B】アイツ、いい奴だったもんな。
盛大に弔ってやれて、良かったよな。
【蟲妖A】あぁ、そうだよな……。
…………。
【蟲妖A】……………………。
【蟲妖B】おい? どうした?
【蟲妖A】……ぁ。
【蟲妖B】あ?
【蟲妖A】ああ、あ、ああああああぁぁぁぁッ!!?
【蟲妖A】何だテメェ!? 何なんだよ!!?
【蟲妖A】化け物!! この、化け物がぁッ!!
【蟲妖B】おい!? どうしたんだよ!!?
【蟲妖B】な、お前、おい!!
馬鹿、お前!!! 手を下ろせ!!
やめ、お、ぐぅ……っ!?
【蟲妖A】死ね! 死ね死ね死ね、死ねっ!!!
死んでくれ!!
ひぃ、来るな、来るなぁああああっ!!
【蟲妖A】あああああぁぁぁっ!!!?
男が悲鳴をあげる。
蟲群街の南東端付近で局所的に
同じように悲鳴があがっていた。
『壁』を越えて押し寄せるそれが、
心なき不定形の獣の如くに人々を嚥下し、
恐慌の奥底へと誘っていく。
穏やかに過ごす人々には気付けない。
密かに警戒していた者も気付かない。
それは不可視のモノ。
有り得べからざる奇跡の残骸。
即ち、閻魔のオーパーツ。
そう。
時計閻魔の巫女の助力を得て、
この地へ降り立った”彼女”のーー
【???】踊れ、踊れ、虫ケラ共。
神も仏もないお前たちにはお似合いだ。
『壁』の頂点に腰掛けた”彼女”が、
自らの権能が行使され行く様を、
まるで顔のない神のように見下ろして。
【???】この世界で生を謳歌しようなど。
恥知らず共め。
せいぜい、自分たちの愚かさを思い知れ。
【???】深く、深く、落ちていけ。
団結など、何の意味もない。
平穏など、何の意味もない。
【???】例えば、喰らってしまえば、何の意味もない。
【???】なぜならーー
【???】ーーここは、辺獄なのだから。