『ANATAGAITANATSU』
・古明地さとり
「心で私達は生きている」
「心に生かされている」
「心だけが私達の存在理由で」
「心こそが、私達の意味だから」
「私達から心を奪ったら、何が残る?」
・・・
「今年の夏は暑いわね」
こいしは赤色の飴玉を手にする。
「私、夏って嫌い。汗で身体がべたつくし、日差しで肌が焼けちゃうし。本当に、夏って嫌い。大嫌い」
こいしは青色の飴玉の包みを開く。
「夏になると憂鬱な気持ちになるんだ。真っ赤な夕日を見ていると、何だか気分が沈んじゃうの」
こいしは白の飴玉を手の平で転がす。
「でもさ、私、何だかんだ言って夏って結構好きだよっ! 夏って楽しいイベントがいっぱいあるじゃん、お祭りとか、花火とか!」
黒の飴玉を手にしたこいしがつまらなそうに呟く。
「どうでもいいよ、季節なんて、暑いか寒いかってだけじゃん。どうでもいい。そんなのに一喜一憂すんのって、何だか馬鹿みたいじゃん」
こいしは、透明な飴玉を手に取る。
「そうだね、去年よりも暑いね」
五つ並んだ飴玉の内、こいしは赤色の飴玉を選んだ。理由は、赤い飴玉をイチゴの味だと思ったからだ。こいしは、イチゴの味がする飴玉をとてもおいしそうに頬張った。まったりと甘く、心落ち着く味であった。
・・・
「今年の夏は何処に行こうか?」
青色の飴玉を手にしたこいしが、不安げな表情を浮かべた。
「何処にも行かなくていいよ。外は危険でいっぱいだよ。何処にも行きたくない。お部屋から出たくない」
こいしは白色の飴玉を見つめながら、嬉しそうにはしゃいでいた。
「今年はいろんな所に行こう! たくさん、たくさん遊ぼう! 大冒険だ! お外には楽しい事がいっぱいだよ! 綺麗な物が山ほど待っているんだ! せっかくの夏なんだし、楽しまなくちゃ!」
こいしは手を滑らせ、黒の飴玉を床に落としてしまう。
「そんなテンションにはなれないよ。何だか、楽しんでいる自分を想像すると気持ち悪くなる。そんなの、私らしくない。ムカつく。嫌だ。絶対嫌。考えただけで死にたくなる。夏らしい事なんか、絶対したくない」
こいしは無色透明な飴玉をポケットに入れて、何処か遠慮がちに返答した。
「お姉ちゃんと一緒なら、何処でもいいよ。お外でも、お家でも」
四つ並んだ飴玉の内、こいしは青色の飴玉を選んだ。青い飴玉は、ソーダ味のイメージがあった。ぱくりと、こいしは青い飴玉を口に入れる。口内にしゅわしゅわとした爽快感が甘酸っぱさと共に広がった。
・・・
「もうすぐ、夏が終わるわね」
白色の飴玉を大きく掲げながら、こいしが不満そうに頬を膨らませた。
「えー、もう終わっちゃうのー? 全然遊び足りないよーっ! あ、じゃあさ、最後にみんなで、今年一番楽しそうな事をしようよ! 夏の最後の思い出作りにさ。そうだよ、それがいい! けってーいっ!」
指先で黒の飴玉を突きながら、こいしは冷めた顔をしていた。心底、うんざりした表情であった。
「知らないよ、そんなの。どうだっていい。夏とか、いつだって始まるしいつだって終わるじゃん。そういうものじゃん。全部そうじゃん。だから、どうでもいい。くだらない。終わるならさっさと終わればいい」
無色の飴玉を持っていたこいしは、何処か寂しそうに呟いた。
「……終わっちゃうんだね、何だか、切ないね」
三つ並んだ飴玉の内、こいしは黒色の飴玉を選んだ。どんな味なのだろう? という、何処までも純粋な好奇心から、こいしは、黒色の飴玉を選んだ。シンプルな黒砂糖の味がした。とても、とても甘かった。単純だが、どの味よりも優しかった。
・・・
「来年の夏は、何をしようか?」
白い飴玉を持ったこいしは、うんうんと頭を抱え、額に汗を浮かばせながら悩み始めた。
「うー、やりたい事がいっぱいあり過ぎて選べないよーっ! アレもやりたいし、コレもやりたいし……とにかく、最高の夏を過ごしたい! ところで……お姉ちゃんはどうしたい? 何かしたい事はある?」
地面に転がる無色の飴玉を見つめながら、こいしは何かを言おうとした……が、寸前に思い直し、結局何も喋らなかった。
二つ並んだ飴玉の内、こいしは白色の飴玉を選んだ。ハッカの味がした。その純白である見た目とは裏腹に何処までも冷たくて素っ気ない味であった。これまで食べたどの飴玉よりも「大人」らしい味がした。全然、甘くなかった。
・・・
「こいし、去年の夏はどうだった?」
無色透明な飴玉、その包みを開きながら、こいしは無表情で応えた。
『何も良い事なんて無かったわ』
『憂鬱なだけだった』
『すっごく楽しかったよーっ』
『別に、どうでもいい』
……。
「あの夏は、ひたすらに暑かった」
こいしは、たった一つしかない飴玉を口に含んだ。
無色透明な飴玉は、驚くほどに、味気なかった。
何の味もしない。何の感動もない。
どうしようもないほど、無意味な味であった。
・・・
「心で私達は生きている」
古明地さとりは、妹のこいしを抱きしめながら想う。あの時は答えられなかった質問も、彼女が立ち去った今なら答えられる気がする。
「心に生かされている」
それが、覚妖怪の全てだった。私達は心を暴く妖怪であり、感情を糧として生きる妖怪であり、誰よりも心豊かでなければならない。心だけが、私達の生きる上での指針だった筈なのだ。
「心だけが私達の存在理由で」
だが、古明地こいしは心を手放してしまった。その結果、彼女の瞳は閉じた。その経緯は分からないし、そこにどういう意図があったのかも、今となっては問いただす事も出来ない。大切な物であった筈なのに、こいしは、どうして心を閉ざしてしまったのか。
「心こそが、私達の意味だから」
あの夏、彼女は確かにそこにいた。たくさんの声が聞こえていた。まるで飴玉のように、甘く、瑞々しい声が鳴り響いていた。あの夏、彼女は、確かにそこにいた筈なのだ――。
「私達から心を奪ったら、何が残る?」
そう、今なら答えられる。
「何も残らないから、あなたは美しいの」
それはきっと、飴玉を食べるように簡単なきっかけだったのだろう。
こいしは、さとりを抱きしめ返しながら、明るい表情で返答する。
「あの夏、私が、私達が何を考え、何を想っていたのかはもう忘れちゃった……もうね、全然、覚えていないんだよ」
あの夏は、ひたすらに暑かった。
あの夏の日、古明地こいしは、飴玉のように消えていった。
・・・
暑さによる寝苦しさでさとりは目を覚ました。
宵闇の中、さとりは目を閉じ、そっと耳をすます。
隣の部屋で、妹のこいしが小さく寝息を立てている。
何故か、ホッとため息をつく。
ひたすらに暑かったあの夏、あの子は何も言わずに消えてしまった。……こいしの中にいた筈の「あの子達」はもういない。
壁越しに、さとりはこいしに向って小さく問いかけた。
「今年の夏はどうだった? こいし」
時刻は0時52分――。
聞こえるのは、安らかな寝息だけ。