『き※と※夜※』
・十六夜咲夜
またあの夢を見た。
紅魔館のメイド、十六夜咲夜は自室で目を覚ます。
全身汗だくであった。この嫌な汗の原因は夏の夜の暑さによるものではない。
昨夜は頭を抱えながら徐に起き上がり、ベッドのすぐそばに備えてある薬に手を伸ばす。
「どうにも上手くないわね」
咲夜は、人には言えない病を抱えていた。
決して無視してはならない、重大な病であった。
十六夜咲夜の中には、無数の「世界」が存在しているのだ。
あらゆる工程を省き、簡潔に説明をすると、運命を操る吸血鬼、この紅魔館の主であるレミリア・スカーレットと出会った事により、咲夜の分岐された世界が彼女の精神に統合されてしまったのである。
前提として、咲夜はレミリアと出会い、彼女の従者となる訳だが……彼女には元々、「それ以外にも」幾つもの運命、未来が用意されていたのだ。
ただの一人の女性として真っ当に人生を謳歌する未来。
訓練を受けてヴァンパイア・ハンターになる未来。
娼婦として嬲られ続けた挙句、無残に殺されてしまう未来。
人殺しの快楽に囚われ、世間を脅かす殺人鬼と化してしまう未来等――。
幻想郷に流れ着く前の話、孤児であった咲夜はとある経緯でレミリアに保護される事になる。
それが本来の咲夜の世界である。
だが、レミリアの運命を操る力が作用しているのか、弊害として、完全に分離した筈の別世界の咲夜の意思が、夢の中に現れるようになってしまったのだ。
「早く……早く何とかしないと」
咲夜は焦っていた。彼女の精神の中には、別の運命を辿る筈だった咲夜の意思が渦巻いている。表に出る事なく、そっと己の中の存在として留まっていてくれるのであれば何の問題もないが、事態はそう簡単にはいかない。
……いるのだ、一人。
主人格である咲夜の意思さえも殺害し、この身を乗っ取ろうと企てている、恐ろしい咲夜(殺人鬼)が――。
・・・
今の咲夜とは違う、全く別の世界の話だ。
咲夜は孤児であった。そこまでは全世界の咲夜の共通事項である。
そこから、彼女の運命は分岐する。
幻想郷で生きる咲夜はここで吸血鬼であるレミリアに拾われる訳だが、別の世界の咲夜は違う。
別世界の彼女達は千差万別に未来を歩む。
善良な人間に拾われて幸せに生きる咲夜もいれば、外道に引き取られ、売春を繰り返す羽目になった不幸な咲夜もいる。または教会の使者に見初められ、特殊な訓練を受けて対吸血鬼専門の兵士として育てられた咲夜、変態によって金に買われ、散々身体を弄ばれ人の身を保てなくなった咲夜など、挙げればきりがない。
しかし、その中でも特に恐ろしい運命を辿った咲夜がいた。
経緯は不明だが、幼いながら、人を殺す事に快楽を見出した咲夜である。
彼女は子供という立場を利用して人々を油断させ、欲の赴くままに殺人を愉しんでいた。
幻想郷の咲夜とは全く異なる、完全に理性を失ってしまった怪物である。
そこには何の合理性もない、良心の呵責すらも生じない。
子供が自らの手で小動物を嬲り殺して命の散り様に魅入られるのと同じだ。
愉しいからやめられない。
殺人鬼の運命に選ばれた咲夜は何の罪もない人々を殺した。
男も女も一切差別なく、老人も子供も一切分け隔てる事なく。
ナイフを滑り込ませれば、人間、立場や地位など関係なく悲鳴を上げて絶命する。
その平等性が堪らなく愛おしかった。
「あんな恐ろしい私なんて、この世に生きていてはいけない。あんな私を、このまま野放しには出来ない」
深夜の紅魔館、咲夜は薬を飲みこみ、少しずつ息を整える。
忠誠を誓った我が主、レミリアにもこの症状の事は話していない。
義理堅い彼女の事だ。自身の能力のせいだと分かれば、要らぬ責任を感じてしまうだろう。
そうなった時、何をしでかすか分からない。
それに何より、咲夜は敬愛する主との出会いを、病の原因になどしたくないと思っていた。
故に、咲夜は人知れず、迷いの竹林の奥深くに存在する屋敷、永遠亭、そこに住む薬師、八意永琳に相談し、己の中にある殺人鬼の意思を精神という名の檻の中に閉じ込める薬を処方してもらったのだ。
これまでは何とかそれで症状を和らげていたのだが、ここ最近はそれも意味を成さなくなっていた。
現在、殺人鬼の咲夜が意識の檻を抜け出そうとしているのだ。
永琳の薬によって、何とかその被害は無意識下でのみに留まっている。
眠りについた時、咲夜は夢の中で自分と同じ姿をした殺人鬼と対面する。
その度に、咲夜は何度もその殺人鬼に殺されかかっているのである。
これ以上、こんな夜は続けられない。
薬の効力にも限界がある。
早く手を打たなければ、この平和な幻想郷に狂った人殺しが解き放たれる事になる。
自分が殺されるのはまだ良い。だが、愛する主と、この館の住民を巻き込む事だけはしたくない。
「早く、私の中の私を殺さなければ」
それが例え、別世界の自分自身だとしても、その存在は決して容認してはならない。
咲夜は底知れぬ焦りを感じていた。
私に、あの怪物を殺す事は、可能なのか?
咲夜は、己の中の怪物に対し、恐怖を抱いていたのだ。
時刻は0時52分――。
いつかの夜、それは確実に起きるだろう――。
皆それぞれ、腹に一物を抱えているようなキャラばかりで、それが綺麗に見えることも不気味に映ることもあり、とても魅力的でした。やはり夜は良いものですね。
個人的にはぬえの話とかぐもこの話が特に好きでした。
一言に夜と言っても様々な色があるのだと教えてくれ、それが凄く魅力的に映りました。個人的には女苑のぎらぎらに輝いていながらもどこか暗い夜が好きです。
女苑の話が一番好きでした。
素晴らしかったです。
ギャグは全体的に汚い感じのものが多くてあまり好みではありませんでした。
シリアス面は解釈が色々とあわなかったものの、解釈を除けば全体として良かったかなと思います。
ぬえの話は良いところ集めたらむしろ悪くなっちゃったという展開が少し安易でご都合的かなと思いました。ただ長所を集めてるようでその実もっとも重要なところが、悪い要素で構成されていたように見えた為、それが意図的だとすると凄いなと思いました。
全体として合わなかった部分はあるものの、完成度は高かったかなと思ったのと、熱量をとにかく感じて良いなという印象でした。
有難う御座いました。
あと、輝夜と妹紅の話の最中で唐突にボケに走ってから急に我に返ってしんみりさせてくる展開もそうでしたが、多岐に渡るジャンルを通して深夜の持ち得る独特の雰囲気を醸し出しながらも、合間合間に暴走気味の話を投げ掛けてくる事によって読んでいるこちら側の緩急に彩を持たせ、重めの展開ばかりにならずに清涼感が出ていた点が全体的に良かったとも思います。
霊夢とあうんの話で最初に瞬間最大風速を叩き出した上でお待たせとばかりにコンセプト紹介してきたのも流石の手腕でしたね…。
ありがとうございました、शुभ रात्रि!!
強く感じたのが、最初こそ『東方二次創作のオムニバス、あるいはアソート』と思い読んでいたのですが、その内それ以上に『AM0:52を縫い付けた物語』に見えたのでです。
それは多分にお話の端々にある文明の光のせいなのかもしれません。ですが、私はこの作品は『AM0:52を東方の世界から見たもの』であり、現実も、それこそ別の作品のAM0:52の入り口も見えるように感じたのです。もしかしたらインターバルだったり後書きだったりがそういうことを考えて書いていらっしゃるのであれば、とてもとても悔しく、そして面白く思うのです。
この物語の瞬間には、私たちが過ごしたAM0:52も縫い付けられていると信じたいですね。
ご馳走様でした。面白かったです。ありがとうございました。
〆に不気味な話を持ってくるのも丑三つ時っぽさがあって良かったです