『迷いの森』
・霧雨魔理沙
深夜。
魔法の森で少女が歩いている。
目的は分からない。だが、その少女は何を語る事も無く、ただひたすら何処かへ向かって歩き続ける。
「何処に行くんだ?」
魔理沙は少女に向って問いかけた。しかし、少女は交わす言葉を持ち合わせていない様子で、魔理沙を無視して先を急ぐ。魔理沙は胡乱そうな表情を浮かべながら彼女に声をかけ続ける。
「そんなに急ぐ事ないじゃないか」
少女は何も語らない。魔理沙は呆れ果て、しかし、それでも彼女の後に続く。
彼女は一体何者で、何が目的でこの魔法の森を歩いているのか?
少女は魔理沙に構わず、森の奥深くへと歩いていく。
「それ以上は、戻れなくなるぞ」
魔理沙は魔法の修業の為にこの森に住み着いているが、その彼女でさえこの森の全容を完璧に把握出来ている訳ではないのだ。この森は妖怪の賢者の手すら届かない迷いの領域である。どんな危険が潜んでいるか分からない。
「おい、いい加減にしなって」
魔理沙はこの森が危険である事を重々理解している。
歩き続ける少女の背中に向って魔理沙は何度も叫んだ。
これ以上、何の用意もなく森の奥へと進むのはいくら何でも無謀過ぎる。
別にこの少女の事など知ったこっちゃないが、このまま見て見ぬふりをして放っておいて、万が一この少女が命を落とすような事にでもなれば、そんなの、まるで自分が殺してしまったみたいで後味が悪いじゃないか。
しかしその瞬間、少女はまるで力尽きたようにその場に跪いてしまった。
散々無鉄砲に歩き続けた挙句、結局何処へ行くのかも分からないまま、少女は立ち止まってしまった。
魔理沙はやれやれと鼻を鳴らす。
「お前さ、一体何がしたいんだよ?」
そう問いかけてはみるが、少女はまるで迷子のようにひたすら狼狽えるばかりであった。
「なぁ、そろそろ戻ろうぜ」
魔理沙は穏やかに語りかけるが、少女は一向に返事をしない。
その意図の分からない態度に、いい加減、魔理沙も苛立ちを覚え始めていた。
「何とか言えって。……ああもう、いいよ。私が家まで送ってやるよ」
恐らく、少女は人里の住民だろう。何があってこんな場所に居るのかは分からないが、仮に無事にこの森から脱出できたとしても彼女一人ではきっと里に戻る道中で妖怪の餌食になってしまうだろう。どうせ面倒を見るなら、最後まで付き合ってやるのが正解だ。魔理沙は蹲る少女に手を差し伸べる。
「ほら、行こうぜ……って」
その時、少女が何かを大事そうに握りしめているのに気付いた。
そのまま、魔理沙は伸ばした腕でそれを引っ手繰る。
握りしめていた事によってぐしゃぐしゃに歪んでしまっているが、どうやら、それは一枚の写真のようだ。
「……お前、これ……」
その写真を見た瞬間、魔理沙は一拍ほど思考停止してしまった。
意味が分からなかった。理解が出来なかった。
瞬時に、うすら寒い恐怖心が魔理沙の身を包んだ。
「何で、お前がこの写真を持っているんだ?」
そこに写っていたのは、幼い頃の魔理沙の姿であった。
まだ人里の実家で暮らしていた頃の写真であった。
今よりもずっと幼い魔理沙の姿と、その横には実の父親、兄貴分である香霖堂の店主、森近霖之助の姿が写っている。
赤の他人がこの写真を持っている筈がない。
この子は、この少女は、一体何者だ?
どうして、この子がこの写真を持っているんだ?
魔理沙はぐっと息を呑み、恐る恐る少女の顔を見た。
・・・
ここは人を迷わせる魔法の森。果たしてその少女は何を求めてこの森を彷徨っているのだろうか?
霧雨魔理沙は何故こんな場所にいるのだろうか?
「何処へ行くんだ?」
魔理沙は本音を語らない。
実家を飛び出したきり、彼女はこの森でひたすら魔法の研究を続けている。
「そんなに急ぐ事ないじゃないか」
誰もが魔理沙にそう言い聞かせてきた。他人だけでなく、魔理沙自身、何度も自分に問いかけ続けた。
人里での穏やかな日々を捨て去って、大事な物を切り捨てて、そうやって彼女はこの森を歩き続けた。
「それ以上は、戻れなくなるぞ」
そんなの、言われなくたって分かっている。
それでも、魔理沙は振り返る事はしなかった。
自分の下した決断に迷いを生じさせたくなかったからだ。
覚悟がブレてしまいそうだから。
意思がぼやけてしまいそうだから。
あの時の選択を、悔いたくないから。
「おい、いい加減にしなって」
ああ、我ながらガキな事してんな。
魔理沙は自嘲気味に笑った。
後悔のない選択なんて、この世にある訳ないのに。
「お前さ、一体何がしたいんだよ?」
魔理沙は、怖かったのだ。
もしここで切り捨てた筈の選択を掬い取ってしまえば、きっと、楽な方を選び直してしまう。
だから、だろうか。
「なぁ、そろそろ戻ろうぜ」
だから、魔理沙は戻れない。
戻る道はもう、選べない。
・・・
「……あれ?」
魔理沙は辺りを見渡す。
自宅で酒を飲んでいた筈なのに、気付けば森の中を寝間着姿で徘徊していたのだ。
何をやっていたんだ、私は。
頭の中がぐわんぐわんと揺れている。酔いが全身を支配している。
随分と歪な夢を見ていた。
あの夢の中の少女は一体何者で、何処へ行くんだろう?
それにしても、瞼が重い。身体中が軋んでいる。
時刻は0時52分。
……気持ち悪い、吐きそうだ。