Coolier - 新生・東方創想話

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2021/09/05 21:28:55
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『ぬえの鳴く夜は』
・封獣ぬえ



 Aは思う。
 Bの奴は頭がいい。誰よりも一歩先を進んでいるつもりなのか、常に物事の全てを見透かし、周りに対して冷めたような態度を取っている。だが……俺が思うに、Bはその才能を持て余している節がある。もしも自分がBの頭脳を持って生まれていたら、もっと上手く活用していた筈だ。ああ、俺も、あいつの頭が欲しい。あいつの持つ知識が欲しい。



 Bは思う。
 Cはとても世渡り上手だ。分け隔てなく全ての人間に愛想を振舞い、取り入り、その者の懐に潜り込む事に長けている。その器用な生き方は、とてもじゃないが自分には真似出来ない。もしも自分がCの才能を手にする事が出来たら、きっと、誰からも愛されるような、そんな幸せな人生を送る事が出来た筈なのに。



 Cは思う。
 Dは天才だ。他とは違うセンスを持っている。あの芸術の才能がとても妬ましく、恨めしい。もしもあの才能を奪う事が出来たら、きっと自分も……誰かに媚びを売る事もなく、誰かの視線を気にする事も無く、ひたすら我が儘に自分らしく生きられるかもしれない。あの才能が欲しい。あの才能が羨ましい。



 Dは思う。
 Eは誠実だ。あの人は嘘をつかない。多少不器用なところもあるが、あの筋を通した生き方には憧れてしまう。あの人のように素直に生きる事が出来たら、もっと素晴らしい人生が待っているに違いない。自分を偽る事なく、自分らしく、あるがままに――。故に、妬ましい。故に、憎らしい。



 Eは思う。
 Fは容姿が良い。彼は全ての人から好かれている。その洗練された姿に、誰もが心を奪われる。実に妬ましい。もしも自分が彼の顔を持って生まれていれば、きっと何一つ困難のない人生が待っていたに違いない。故に、あの顔に憧れてしまう。自分も、あの美しい顔が欲しい。自分も、誰かに愛されてみたい。



 Fは思う。
 Aは野心家だ。多少人に劣る部分もあるが、あの人はその逆境に抗う強靭な心を持っている。負けっぱなしでは終わらない泥臭さを持っている。故に、誰よりも前に進む事が出来る。常に何かに挑戦する事が出来る。自分も、あの人の根性が欲しい。あの人の、不屈の精神が欲しい。



 あいつの才能が欲しい。
 あの人の力が欲しい。


 
 あれが欲しい。
 自分も欲しい。



 あの人になりたい。




 妬み嫉みの疼く夜――。
 宵闇の彼方にぬえは鳴く。



 ・・・




 その人の名はXとしよう。

 Xは頭がいい。どんな不都合が起きようと、その明晰な頭脳によって瞬時に正解を導き出し、冷静に対処してしまうのだ。何も間違いなどない、正しい道を確実に選ぶ事が出来る。



 Xは性格がいい。彼がいるだけで場の風通しが良くなる。器用に人と接し、誰からも好かれる。故に信頼される。皆の輪の中心となる。彼は何の苦労もなく人の心を開かせる天才だ。



 Xは類稀なる才能を持っている。独自の価値観があり、他とは違う審美眼を持っている。個性的で、通常の人間では考えられないような奇抜な発想で人々の心を掴む。



 Xは正直な人間だ。決して人を騙したりはしない。実直に己の意見を述べ、それを淡々と実行する。信用に値する。誰もが彼のひたむきな姿に好感を持った。



 Xは年頃の美青年だ。全ての女性の憧れの的であった。誰もが彼を愛していた。瞬き一つで、誰もが彼に瑞々しい恋心を抱く。彼を取り巻く世界は常に青春で彩られている。誰も、彼を放ってはおかない。



 Xは努力の天才だ。彼の目の前にはいくつもの壁が存在する。しかし、彼はその全てを乗り越える強さがある。前に進む力がある。彼はこんなところでは決して立ち止まらない。彼の身体はエネルギーに満ちている。






 Xは、まごう事なき「完全無欠」の存在であった。彼には何一つ欠点などない。誰もが彼を羨望の眼差しで見つめる。妬む事すら烏滸がましいと思えるほどの才に溢れている。世の中はどうしてこんなにも不平等なのだろう。明らかに彼は神様とやらに愛されている。天から与えられた二物、三物を抱え、この世に存在する全ての栄耀栄華を極めてしまったのだ。たった一つだけでも十分なはずなのに、彼の腕は、神様からの素晴らしい贈り物でいっぱいであった。



 きっと、この世の誰よりも幸せな人生を送っているに違いない。



 ・・・




 ……。
 

 真夜中――。
 Xは自殺願望に苛まれた。



 こんな夜は初めてではない。Xの中には常に憂鬱があった。
 息をする事さえも苦痛に感じる程の、世界との絶望的な差異に吐き気を催す。


 Xは、自分の聡明さが嫌いだった。頭が良過ぎる事が嫌で仕方なかった。彼には苦悩がない。何かが起きた時、それに対する完璧な答えを瞬時に導き出す事が出来る。つまり――結局、彼の絶望の根本は他者との差異にある。どうしてこんな簡単な事も分からないんだろう? という、至極単純な疑問であった。世の中に生きる人間は馬鹿が多い。無知な輩が多過ぎる。彼らを見ていると悲しくなる。愚かな人間を見ていると、苦しくなる。決して相容れたくない。彼らと交わるのはどう考えても間違いだ。正しくない。そんな侮蔑の精神が、彼に一層の孤独を与えるのだ。



 だが、それでも人間である以上、他者と交わる事なく生きる事など出来ない。Xは、周りに気を遣い過ぎる自分が嫌いだった。決して波風は立てたくない。争いなど愚かな事だ。間違っている。故に、周りにいる人間達の性格や感情の流れを常に把握しておかなければならない。一人一人の事を理解し、彼らの逆鱗を常に意識し、嘘で塗り固められた愛想笑いを振りまき、自分の立ち位置を確保しなければならない。当然だが、息が詰まる。どうして、こんな下らない雑務に追われなければならないんだ。それもこれも、全ては平穏の為だ。感情で話をする奴は嫌いだ。心の熱い人間は死ねばいい。



 そんな嫌悪から生まれたのが芸術なのだとすれば、これはきっと愚行に等しい。Xは絵を描くのが好きだった。小説を書くのが好きだった。音を奏でるのが好きだった。でも、それを媒体に出力する己の『テーマ』は反吐が出るくらいに嫌いだった。描きたいのは人間の姿。もっと深い、肉体の奥に隠された本性の部分であった。Xには才能があった。己の中にあるイメージを意のままに具現化し、可視化し、作品として生み出す天才であった。だが、それはあくまでも研磨し続けた末に身についた技術の延長線上で成り立った張りぼてでしかない事を、X自身、痛いほど理解していた。誰もが彼の美術を褒め称えたが、誰も、その作品に孕んだ本質に目を向けようとしない。私は、芸術などという下らない娯楽を執拗にありがたがる貴様ら能無し共の愚かさをテーマにこの作品を描いたのに、あろう事か、賞賛を送るとは一体何事だ。価値をつけるとは何事だ。



Xは己の中に蠢く自己矛盾の胎動に苛まれていた。彼の中には少なからず「真摯」でありたいという願望があった。何を着飾る事も無く、嘘をつく事も無く、誤魔化す事も無く、ありのままの自分でありたいという願いがあった。素直に、誠実に、不器用でありたいという願いが――。だが、そんなのはゴミだ。Xは、正直でいる事の恐怖を知っていた。自分を偽り、他者を騙し、そうやって己を殺してようやく人間は「人間」と呼べる。そうでもしなきゃ人生は生き恥の連続だ。後悔の積み重ねだ。そんなの、生きているとは言えない。正直である事は裸体である事と同義だ。全てをさらけ出す行為は無礼者の極みだ。たとえそれがどんなに素晴らしい生き方だとしても、待っているのは地獄だけだ。願望と現実の狭間に、Xは苦痛を覚える。



 この孤独はきっと誰にも理解されない。己の胸の内を吐露する事など無意味だし虚しいだけだ。誰も、自分の事は理解出来ない。だから、Xは己を好いてくれる人間の事を内心で軽蔑していた。Xは容姿が良い。しかし、自分を好いてくれるのは上辺だけしか見ない人間ばかりだ。浅く、薄っぺらい女ばかりだ。彼女達は自分の事をただの「装飾品」としか見ていない。横においておけば絵になる、都合の良い置物としか思っていないのだ。容姿の奥底、腹の中にある本心など、微塵も興味ないのだ。この憤慨を拭い去る為に、幾人の女と身体を重ねた。毎日毎晩、己に好意を抱く女性達と交わり続けた。だが、残る物は虚しさばかりだ。Xは多くの女を抱いてきたが、その心臓を抱かれた事はただの一度としてなかった。



 憂鬱をかき消す最大の術は「困難」だ。困難に直面するには挑戦しかない。しかし、Xにはもう目指すべき頂などなかった。Xは生まれながらに全てを手にしていた。その実空っぽであるというに、Xにはもう向かうべき場所など存在しないのだ。Xは聡明だ。Xは世渡り上手だ。Xには才能がある。Xは誠実だ。Xは全ての人間に愛されている。これ以上、彼には手に入れたい物などない。故に付き纏う苛立ちや葛藤だけが、彼の全てだ。彼には夢がない。その全てが薄汚れて見えるからだ。完全であるが故の不完全。間違っている。完璧である筈なのに、何かが足りない。その穴を埋める為に足を前へ出すが、それが空虚である事をXは感覚で理解していた。この先には何もない。嘘と言い訳で濁した「納得」を以て彼の旅は終了する。分かりきった未来だ。故に、野心は無意味だ。




 こんな事なら、聡明さなど、器用さなど、才能など、誠実さなど、容姿など、無い方が良かった――。




 自身の才能に食い殺されるなど愚の骨頂だ。
 こんなの、まともではない。


 自分のここが嫌いだ。
 自分のここが醜い。


 まるで矛盾だらけの配合だ。利点だけを掛け合わせた末に生まれるのが、こんなに醜い化け物(chimera)だなんて、誰も教えてくれなかった。何者かになろうとしたなれの果てが、結局、何者でもない存在だなんて、こんなに質の悪い冗談はない。完璧さを追い求めた結果が、正体不明だなんて、そんなの、いくら何でも悲劇が過ぎる。




 私は、一体何者なんだ?




 ・・・



 神が与えた唯一無二の取り柄、その裏に潜んだ代償や苦悩など、他人の知った事ではない。

 故に、人は身勝手に誰かに嫉妬するし、身勝手に誰かを恨んでいる。



 己の手の中にある切り札には見向きもせず、その価値を知ろうともせず、誰かを羨んでいる。


 その方が、うだつの上がらない人生の言い訳には丁度良いから――。




 その事に、誰も気付かない。




 時刻は0時52分――。




 寝静まった人里の路地にて、一人の少女が乾いた笑いを漏らす。


「上手くいかないもんだね。人間ってのは不条理の塊だ」




 妬み嫉みの疼く夜――。
 宵闇の彼方にぬえは鳴く。



 己である事すらもままならない世を嘲笑うかのように、ぬえは鳴く。



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