Coolier - 新生・東方創想話

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2021/09/05 21:28:55
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『Good Enough』
・依神女苑



 これは、私達が幻想郷の外、現世に住んでいた頃のお話――。



 姉さんは並盛一杯352円(税込387円)の牛丼をとても嬉しそうに食べる。
 ぱさぱさの安っぽい牛肉を白飯と一緒にかき込むその姿は、まさに至福の一時と言えよう。

 牛丼程度でこんなに喜べるのだから、姉さんはある意味世界一の幸せ者だ。

「あれぇ? 女苑、食べないのー?」


 みっともない、と、私は心底思った。


 私達、依神姉妹は揃ってお金がない。
 それは、生まれ持った性質が原因であった。


 私の名は女苑、人の姿をしているけど、こう見えて疫病神。
 近寄る者全てを不幸にする性質を持っている。

 そして、私の横でパクパクと旨そうに牛丼並を頬張るこの意地汚い女が……私の姉、紫苑。
 人から財を遠ざける貧乏神。



 私達は、人々から厄介視される最悪の『不幸姉妹』なのであった。

 姉さんはこんな安っぽいチェーン店の安っぽい飯を大袈裟に有り難がるが……私から見れば、品の欠片もない、惨めな光景にしか思えなかった。こんなのが私の姉だと思うと泣きたくなるよ。

「姉さん、みっともないから……もうこんな場所で食事するのやめましょうよ」

 こんな安価の飯屋なんて、利用するのも恥ずかしい。
 しかし、姉さんはどうしてー? なんて首を傾げる。

 私は、姉さんなんかとは違う。
 こんな無様な生き方は断じて認めない。

「私は……姉さんなんかとは違う!」
 
 会計を済ませた後、一文無しとなった姉さんに向ってありったけの怒りをぶつけた。

「ど、どうしてそんな事言うのさ! ひどいー!」

「……ッ! ああもう、イライラするッ!」

 その間延びした喋り方、癪に障るのよ。
 私がそう言うと、姉さんはむうっと頬を膨らませた。

「うーっ、女苑だって昔はこんなんだったじゃん! 一体どうしたのさー。昔は私の事、「姉さん」じゃなくて「お姉ちゃん」って甘えんぼさんみたいに呼んでたくせに!」


 そんなの、もうだいぶ昔の話だ。
「お姉ちゃん」だなんて……そんなガキっぽい呼び方、今更出来るもんですか。


「もういい、元々私達って合わなかったのよ」


 さようなら、そう言って私は姉さんの元から遠ざかる。


「ちょ、ちょっと女苑。何処行くのさーっ!」

 姉さんと一緒にいても幸福にはなれない。

 ……私達は腐っても神なのだ。人々を騙し、陥れ、成り上がる資格を持っている。
 こんなところで、めそめそと底辺の飯を食らっているような身分ではないのだ。


 情けない姉を見て、私は心の底から決意した。


 いつかきっと、想像も出来ないような幸せを掴んでやる。
 誰もが羨むような、幸せの絶頂を手に入れてやる。


 生まれ変わった私の姿を見て、姉さんは何処までも卑しく、物欲しそうな表情を浮かべるのだ。
 そして、私は仕方なさそうな顔で、姉さんに少しばかりの富を恵んでやるのだ。


 きっと、姉さんは泣いて喜ぶに違いない。
 もみ手して、ひたすら私に傅くに違いない。


 その時、ようやく姉さんは己の愚かさに気付くだろう。


 安っぽさに甘んじるのは馬鹿だ。
 もっと上を目指さなければ、堕落の一途を辿るのみだ。


 私のゴージャスな様相を見て、姉さんは思い知るだろう。





 その日から、私の富豪計画は始まった。





 計画と呼ぶには単純過ぎるが、私の描く、少なくとも今の私が明確にイメージ出来る幸せの絶頂の姿は、やはり「お金持ちのイケメンと結婚する事」であった。



 そうと決まれば行動するしかない。


 自分で言うのも何だが、私も姉さんも顔の素材自体は良い方だ。
 では、この容姿をより輝かせ、尚且つ活かせる場所を探さなくてはならない。


 私は夜の街へと忍び込んだ。
 初めは小さな場末の飲み屋で泥臭くお金を稼ぎ、その資金を元手に自分を磨き続けた。


 一流の衣服を身に纏って、一流のメイクを施して、一流の自分を作り上げた。
 そこでようやく、水商売の女はステップアップの機会に恵まれるのだ。


 容姿を磨いた事により、私の評判も自ずと上がっていった。
 次第に上流の店舗への移籍の話が持ち上がった。



 だが、選ばれるキャストは一人だけ。
 私と、ライバルの女の子の二択に絞られた。

 私は、もう一方の女の子にあらん限りの嫌がらせをした。
店内での陰湿ないじめは勿論、彼女の知り合いを通し、身辺の情報等を秘密裏に割り出し、様々な手を尽くして彼女のプライベートをずたずたに引き裂き、精神的に追い込んだ。


 数日も経たないうちにその女は店を辞めた。
 私は見事に栄光へのチケットを手に入れたのだ。

 そこは日本の経済を回すお偉いさんが出入りする高級の店だった。
 私は安上がりのキャストから始める事になった。

 それでも、挫けている暇など無かった。

 私は血反吐を吐くような思いで客に媚びを売り続けた。
 次第に、私を指名する客が増えていった。


 入ったばかりの新人のくせに出しゃばって――等と、先輩である年増のクソ女達から口にするのも嫌になるような壮絶ないじめを受けたが、そんなの、別に痛くも痒くもなかった。


 この程度の苦難で己の夢を手放すのは雑魚だ。
 はなからこの仕事に向いていない。
 私は涙を堪え、現場に齧りつき続けた。

 やがて、チャンスが到来する。
 店の常連客の中でも指折りの金持ちが、私をお気に入りとして選んだのだ。

 そいつは、都内の病院に務めている医者だった。
 愛人欲しさに幾人の「夜の女」と関係を持っているような、財力以外何の魅力もない男であったが、少し甘えたようにお願いすれば気前良く金を出してくれる人だった。

 この機会を逃す手はない。
 この人を篭絡すれば、私は、これ以上ないほどの幸福を手にする事が出来るだろう。



 私は仕事抜きで彼と何度もやり取りをし、距離を縮めていった。

 店の外で客と接触して金を貰う、いわゆる「裏引き」と呼ばれる行為であった。店側の意向でそれは全面的に禁止されているが、私はそれを破り、何度も何度も直接彼と繋がろうとした。
 
 店側にバレたらお終いだが、それでも、今更リスクを恐れている場合ではなかった。


 あともう少し、もう少しで、念願だった幸せが手に入る。
 もう、後の事を考えている余裕などなかった。






 ……しかし、そんな時だった。

 夜、早めに仕事が終わり、例の医者との待ち合わせ場所に向っている道中での事。



 路地裏で、誰かに思い切りぶん殴られたのだ。




 突然過ぎて、悲鳴を上げる事も出来なかった。
 一瞬、何が起きたのか分からなかった。私は路上に倒れ伏し、ひたすら混乱し続けた。


 顔を上げると、そこには一人の男が鬼の形相で立っていた。

 確か、こいつは……。


 その男は、前の小さな店で働いていた時、私が散々いじめ続けた女の恋人だった。
 男は私の胸倉を掴み、涙交じりに罵詈雑言をぶつけてくる。


 私のせいであの女は精神的に病んでしまい……先日、自殺未遂まで起こしたのだとか。

 一命は取り留めたらしいが、それでも、未だに塞ぎ込んだままらしい。


 この男はそれが許せず、せめてもの復讐として私を待ち伏せし、思い切り横っ面を殴ってきたのだ。

 

 ……。




 この瞬間に思ったのは、一つだけ。




「顔だけはやめて」




 顔が腫れてしまったら、もうあの人に近付けなくなる。
可愛くなければ、見向きもされなくなる。
 せっかく掴みかけた夢が、一つ、また一つと遠ざかっていく。



 だから、顔だけはやめて。
 顔だけは、傷付けないで。


 お願い。
 お願いだから――。



 男は馬乗りになり、私の顔にめがけてその拳を振り下ろし続けた。


 何度も。何度も。
 何度も。何度も。
 何度も。何度も。



 私の顔は醜く腫れ上がった。
 今夜はもう、あの人とは会えない。

 こんな顔、あの人に見られたら、もう二度と指名してもらえない。


 次第に雲行きが怪しくなり、街に冷たい雨が降り始めた。
 それでも、男は私を許す事なく、殴り続けた。


 意識が朦朧とする。
 私は顔を両手で塞ぎ、無様に泣きじゃくった。


 あの人に買ってもらったブランドの服が雨に濡れて台無しになる。
 高級なバッグが千切れて路上に転がる。
 美容室で丁寧にセットしてもらった可愛らしい髪が水たまりに溶けていく。
 化粧が、血と涙で剥がれていく。





「……お前みたいなクズは、死んじまった方が世の中の為だッ‼」





 男はそれだけ言い残し、降りしきる雨の中へ走り去っていった。

「……かはっ……こほっ……」


 口の中に鉄の味が充満している。
 奥歯が何本かイカレてしまった。



『死んじまった方が世の中の為だ』



 男の怒声が、何度も何度も頭の中に反芻される。


「……っ」


 血だらけになった私は、しばらく路上に横たわり続けた。
 全身が鉛のように重たい。




 別に、因果応報、とは思わなかった。
 私は己の野望の為に、ただ必死だっただけだ。

 罪悪感なんて、微塵も抱かない。
 願いを成就させる唯一の方法がソレなのだから。

 だって、そうしなきゃ何も手に入れられない。
 誰かを踏み潰さなきゃ、前に進めない。
 
 私が悪いんじゃない。
 この世の中の『システム』が全部悪い。



 だってそうじゃん。



 仕方ないって、それは。




 だが、いつまでも無様に倒れている訳にはいかない。
 あの人を、大事なお客を……大事な金づるを待たせているのだ。

 私はすぐに身を起こし、待ち合わせしている例の医者に連絡を取る。


 こんな腫れあがった顔を見せる訳にはいかない。
 こんな顔で会っても、きっと喜ばれない。
 こんな醜い顔でおねだりしても、何も買ってもらえない。


 しかし、向こうが電話に出た瞬間、そいつの第一声はこうだった。



『妻にバレた。もう連絡はしないでくれ』



 彼は、続けてこうも言った。


『君も……お金にばかり執着するんじゃなく、もっと真っ当に生きる道を考えなさい。その方がお互いの為だ。世の中は、お金で買えない事が沢山あるんだよ。君はまだ若いんだから、もっと慎ましく、君らしい生き方を見つけて、もっと自分に素直になって――』






 ――。





「……ッ‼ 死ねッ‼ 死ね――ッ‼」



 
 死んでほしい。
 マジで死んでほしい。
 頼むから、本当に頼むから死んでほしい。
 全部、全部死んでほしい。


 私は電話を切った。



 冷たい雨に混ざろうとするかのように、両目から悔し涙が溢れる。
 しかし、泣いている場合ではない。
 次は、働いているお店の方に連絡をしなければ。


 血に塗れた顔を拭いながら、店に電話する。
 こんな顔じゃお客の前には出れない。


 怪我を治し、一刻も早く復帰しなければ……。
 夜の世界は浮気だ。
 輝きを失えば、すぐに幸福が遠ざかっていく。


 私なんて、いくらでも代わりがいる。
 お客は皆、私の事などすっかり忘れ、簡単に別の女に靡いていくに決まっている。


 そんなの、みじめ過ぎる。



 店に電話し、マネージャーに事の顛末を伝える。
 すると……マネージャーは何処までも冷たく、淡々と返答する。


『お前さ……例の医者だけじゃなく、いろんなお客とプライベートで連絡取ってるだろ? 他の女の子からいくつも証言が上がってんだよ。店の売り上げに全く繋がらないし、何より信用問題に響くから、ウチが『裏引き禁止』だって事は、お前も知っているよな? 知っててやってたんだよな? ……ハッキリ言う。今日でお前はクビだ。もう来なくていい。悪く思うなよ。全部、お前の自業自得だからな?』


 それと――。


 マネージャーは何処までもうんざりしたような口調で言葉を続けた。



『本来なら多額の違約金が発生するとこだが……お前に熱心に貢いでいた医者がな、どうしても目を瞑ってくれって言うんだ。違約金を肩代わりするっつってよ。ウチとしても、懇意にしてくれる御方の頼みだ。そのご厚意に免じて、お前からは何も請求しない。……とりあえず、後で礼くらいは言っとけよ』



 はい。


 ごめんなさい。



 すいませんでした。



 ……なんて、力無く相槌を打ちながら返答し続けた。



 だが、正直、マネージャーの言っている事の意味が分からなかった。



 それってつまり……。
 これまでやってきた事が、全部、無意味になったって事だよね?
 


 ……何。



 ……何それ。



 ……嫌。



 ……嫌だ。




 そんなの、意味わかんない。


 何で……そんな……。


 心が理解を拒んでいる。


 顔面が焼け付くように痛い。
 腫れた目尻から、涙が伝う。


 情けなさと、悔しさと、悲しさと……。
 私は――一体何をやってるんだろう? そんな自問が、涙になって溢れ出てくる。


 また一からやり直さなければならないのか。
 もう一度、あの苦しい日々を耐えなければならないのか。


 そう考えただけで、身体から力が抜けていく。
 私の中にある魂が、燃えカスのようにくしゃくしゃと砕けていく。



 だけど、ちゃんとしなくちゃ。
 ここで挫けても何にもならない。
 何処にも行けない。





 ……。





 ……。





 ……死にたい。





 今すぐこの世界から消えてしまいたい。

 



 ……。





 ……新しい仕事を探さなくちゃ。

 何か行動しなくちゃ。





 そう、そうだよ。
 傷付いてる場合じゃない。




 金。金が要るのよ。
 誰よりも、何よりも、金が要るのよ。



 泣いてる場合じゃないって。
 金が必要なのに、こんなとこで躓いている暇はないのよ。





 だけど、でも、どうしよう……。




 ちゃんとしなくちゃ。
 幸せにならなくちゃ。





 ここで全てを投げ出したら、本当に可哀想なだけだ。



 だけど……。




 そうやって、自分を鼓舞すればするほど、苦しくなる。




 私、何で今までこんなに頑張っていたんだっけ?





 痛む胸を必死に抑える。




 瞳から、ボロボロと涙が溢れてくる。




 ……。
















「……お姉ちゃん……」
 













 何も我慢せず、自然と吐き出した言葉がソレであった。

 耳障りに鳴り続ける雨音が街中に溢れる。
 顔中が痛みと共にじんじんと熱を帯びていく。

「……ひぐっ……ぐすっ……うぅ……お姉ちゃん……お姉ちゃん……」


 散々、無様に思い続けた姉の顔が心の中に何度も過る。あれだけ見下し続けていた姉が、あんなに情けないと思い続けていた姉が、今になって、私に優しく微笑みかけてくるのだ。








 ……お姉ちゃんに、会いたいよ……。








 ・・・

「わぁーい、五百円玉みっけ」

 その時、路地の奥にひっそりと佇んでいる寂れた自販機の前で、誰かが妙なテンションではしゃいでいるのを見つけた。一瞬、何処かの浮浪者と思い、私は見ぬふりをしようと思った。


 けど、出来なかった。
 その声が、あまりにも聞き慣れ過ぎている声だったから。


「……姉、さん……っ?」


 私が声をかけると、そいつはパッと明るい表情をしながら駆け足でこちらの方へ近付いてきた。


「あれれ、女苑、久しぶりだねぇ」


 最初は呑気な表情を浮かべていたが、私の傷付いた顔を見た途端、姉さんは慌てふためいた。


「わわわわーっ! 女苑、どうしたのその傷!」


 咄嗟に、私は姉さんから顔を逸らしてしまう。

 こんなみっともない顔、姉さんには見られたくなかった。
 しかし、姉さんは今にも泣きそうな顔で私に詰め寄ってきた。


 本当の事は、言えなかった。
 今の姉さんに、そんなの、言える訳がなかった。

「ただ転んだだけよ。何も、そんな喚くほどの事じゃない」


「そんなの嘘だようっ! 一体誰にやられたのっ! 絶対許せない!」


 姉さんは手にしていたコンビニのボロ傘と五百円玉を地面に放り、不器用な手つきで私の頬に触ってくる。


「痛い痛い痛いっ! ちょっと姉さん、痛いってば! 傷に触らないで!」


 わわわ、ごめん、ごめんっ! と、姉さんは両手を放す。


 相変わらずどんくさい。
 相変わらず無神経。
 何もかもが、相変わらずだ。

 しばらく二人でワタワタとお互いに言い合い、ようやく姉さんは落ち着いてくれた。


 何だか、慌てている人を横で見ていると妙に冷静になれる。本当は、私自身も全然平気なんかじゃないけど……姉さんが私以上に慌てふためいてくれたから、何だか精神的に余裕を持つ事が出来た。


それに、私は腐っても神様だ。
傷の治りは人間よりはるかに早い。
話している間に痛みも引き始め、傷口もだいぶ塞がっていた。


……しばらく、痕は残るだろうけども。



「……こんなとこで何してんの?」

 無言でいるのも何だか嫌だったので、私は姉さんに問いかけた。
 すると、姉さんは何処までも呑気に応えた。

「良い夜だったからねぇ。ちょっと散歩していたんだよー。何か良い事が起きそうな予感がしたんだ。そしたらさ、そしたらさ、ほら見てよ、さっそくラッキーな事が起こったの!」


 姉さんはそう言って、先ほど放り出した筈の小銭を意地汚く拾い上げる。

 泥で薄汚れた、五百円玉であった。


「凄いよ凄いよ、五百円玉拾っちゃったよー」


 ……。

 
 こんな事で幸せになれる姉さんがほんの少し羨ましい。
 この程度の事で笑っていられる姉さんが恨めしい。

 見ていて悲しくなる。

 私は侮蔑の眼差しで姉さんを睨んだ。

 すると突然、姉さんは頬を膨らましながら私を見つめてきた。


「……でも、全然ラッキーなんかじゃなかったよー。女苑がこんなに傷付いているんだもの」


 心配させないでよーと、姉さんは悲しそうな顔で言う。

 
 私がどんな日々を過ごしてきたのか知らない癖に。
 

 私が、ここまで、どれだけ苦しい想いをして生きてきたのか、知りもしない癖に。




「……悪いけど……私、もう用事あるから、これで」




 違う。
 本当はもう行く場所もない。
 やる事もない。

 先ほど、何もかも失ってしまったばかりだ。
 それでも姉さんに対し、気丈に振舞うのは、私なりの意地であった。


「うえぇー、そんなー。せっかく久々に会ったんだし、一緒に何か美味しい物でも食べに行こうよー」


 そんな私の事など一切気にせず、何も慮らず、姉さんはずけずけと私に提案してくる。



 何だか、無性に腹が立った。



「……私はっ……私は姉さんと違って忙しいのよ!」

 私が声を荒げると、姉さんはビクッと身体を震わせ、叱責を受ける子供のような表情になる。
 いや、その実……姉さんは「子供」だ。何も成長していない。


 恥ずかしい。姉妹として情けなくなる。
 こんな恥知らずが姉だと思うと、心臓が張り裂けそうになる。



 言葉の弾みもあったが、私は、いっそ、自分と姉さんの間にある絆のような物を切り裂くつもりで言い放った。もう、後戻り出来なくたって構わない。姉さんの純粋さを、この手で壊したくなったのだ。




「私はさ……姉さんみたいに、たかが五百円玉程度の事で「わぁーい」なんて喜べるような女じゃないの! 分かるでしょ? 流石に、姉さんだってそこまで馬鹿じゃないよね? ……あのさ、あんまこういう事言いたくないけどさ、もう、子供じゃないのよ、お互いに! 姉さんもいい加減、そんなみっともない、みすぼらしい生き方すんのやめてよ! 一緒にいて恥ずかしいのよ……ッ! イライラするのよ……ッ!」




 私が叫ぶと、姉さんは途端にシュンと委縮してしまう。
 申し訳なさそうな顔を浮かべ「ご、ごめん」と弱気な声を漏らす。



「大体、五百円で何が買える訳? 五百円じゃ、こんな高い服なんて買えないわよ! 一流のブランド品なんか夢のまた夢よ! あーあ、姉さんは安上がりで良いわね! 女ってのは生きるだけで金がかかるの! いつになったら分かるのよ⁉ ほんと、バカなんだから、ほんとに、惨めったらないわ! ……ねぇ、今の姉さんにこれが買える? 無理よね、絶対無理。姉さんなんかじゃ、私の足元にも及ばないのよ!」


 私は雨に濡れてぐしゃぐしゃになった洋服と、引き千切れて無残に路上の片隅に転がっているバッグを指差しながら言う。……姉さんはそれらを見ても、何一つ羨ましそうな顔をしなかった。


 何だか、余計に、みじめになった。



「……それにね、こう見えても私にはお金持ちの恋人がいるの! 私がちょっとお願いすれば何でも買ってくれる素敵な人よ! ハイブランドの服だって、高級車だって、タワーマンションだって買ってもらえるのよ⁉ 私は、ぐうたらに生きている姉さんよりもはるかに偉いの! 人から必要とされているの! どう、姉さん、羨ましいでしょう? ねぇ、ねぇ、羨ましがってよ……ッ! 少しくらい、私を羨んでよ……ッ!」



 多分、それが嘘だってのは、姉さんにもバレている。
 先ほど、全てを失ったばかりだ。



 私の手元には何もない。
 誰も、私の事なんか愛してはいない



 それでも、私はこの虚しい嘘を無理やり突き通し続けようとした。

 それ以外に、自分を保つ方法が分からなかったから。



 ……今は、今だけは、姉さんに今の自分の姿を見られたくなかった。
 こんな、みっともない私なんて、見てほしくなかった。

 だから、私は敢えて酷い言葉を姉さんに吐き続けた。




「お願い、お願いだから姉さん、いい加減目を覚まして……ちゃんと、私の事を「凄い」って認めてよ! だって、絶対、私の方が正しいじゃん! いつまでもだらしない、貧乏くさい生き方してないで、少しはまともになってよ! 正しく在ろうとしてよッ! ……何か、何か、私だけ必死になってバカみたいじゃん! すっごい腹立つのよ! 姉さんがのほほんとしてる間、私だけ、こんなに無様に苦労して……何だか、私の方が間違ってるみたいじゃん! 傍から見て、私の方が情けなく見えるじゃん! ……滅茶苦茶、『可哀想』に見えるじゃん! 嫌だよそんなの‼ 絶対嫌だッ‼ ……嫌い、もう、姉さんなんか大嫌い‼ そんな幸せそうな顔、私に見せないでよ……お願いだから、そんな汚い五百円玉を、私に見せないでよぅ……ッ‼」





 こんな自分、嫌い。
 大嫌い。

 

 言い放ってすぐ、後悔がやってきた。
 思わず、その場で目を伏せてしまう。



 今、姉さんはどんな顔をしているのか。
 怒ってるのか、それとも悲しんでいるのか。



 確認するのが怖かった。
 姉さんの顔を見るのが怖かった。



 すると、姉さんは安っぽいビニール傘を私の頭上に掲げたのだ。

 今更傘を差されたところで、既に全身ずぶ濡れだってのに。


「何よ……憐れみのつもり……? やめてよ……鬱陶しいのよ……ッ」


 唇を噛みしめながら、私はキッと姉さんを睨んだ。



 姉さんは、これまたいつもの呑気な口調で言い放った。









「牛丼、奢ってあげるよー」










「……う、ぁ……」

 姉さんは五百円玉を掲げながら、いつもの緩い表情で笑っていた。





 大きな夢を掴んで、姉さんに自慢したかった。
 どれだけ頑張ったか、どれだけ苦労したかを語って。



 それでも、ちゃんとやれたんだって。
 ちゃんと、最後まで逃げずにやり通したって……。



 それで、それでさ……。


 姉さんに、褒められたかった。



 いろんな汚い手を使って、いろんな人を不幸にして、何度も悔しい思いをして、何度も無様に泣いて、それでも、何度も歯を食いしばって、散々意地汚くもがいて、何度も何度も立ち上がって、ようやく、ようやく夢を叶える事が出来たんだって、それを、ちゃんと実現させて、姉さんに報告したかった。




 認めてほしかった。
 姉さんに、褒めてもらいたかった。






 ……ただ、それだけだったんだよ。





「お姉ちゃん……私、頑張ったんだよ……? ほんとに、ほんとに、頑張ったんだよぅ……」

 


「そうだねぇ。女苑はよく頑張ったねぇ……女苑は偉い偉い。自慢の妹だよー」



 傘を差しながら、姉さんは私の頭を撫でた。
 私は、泣きながら姉さんに抱き着いた。



 その瞬間、今まで懸命に耐えてきた物が一気に崩れ落ちた。



 これまで心臓の奥に抱き続けた惨めな想いが、溶けた氷のように、瞳から零れる。



「うぅ……ぐすっ、うえええん……ひぐっ……うええええん……お姉ちゃぁん……」

「よしよし、女苑はいい子だよー」


 

 多分、それだけで……私は幸せだったんだと思う。



 十分に、幸せだったんだと思う。







 現在の時刻は、0時52分――。



 夜の雨は、いつまで経っても止みそうになかった。



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