二、
「女の子の扱いがへたくそですわね、森近さん」
「面目ない……と言いたいところですが、僕はあれで良いと思ってるんです」
「あら、どうしてですの?」
「彼女を危険に巻き込みたくないからですよ」
霊夢が去ったあと、霖之助は紫に、さきほどのようなやり取りは日常茶飯事であることをおどけながら告げた。
退治屋稼業をやめて欲しいこと。
普通の女の子として生きて欲しいこと。
この二つをいつも言い聞かせているのだが、反発されている格好となっている。
それらを説明したところで、霖之助は「どうして、うまくいかないんでしょうね?」と苦笑して紫の意見を伺った。
「……いくつか、尋ねてもよろしいかしら?」
そう返されるのを予期していたのか、霖之助は無言のまま頷いて彼女の質問を待った。
「博麗神社ですが……どうして、社務所を残してズタズタに崩れていたんですの?」
「やっぱり、先に神社へ行かれてましたか」
観念したように霖之助は虚空を見つめ、神社の有様を思い出しつつ口を開いて説明を続けた。
「二年ほど前です。正体不明の妖怪が神社に突然あらわれ、先代が迎撃にあたりました。ですが戦いの最中、神主が今の霊夢を庇うようにして犠牲になり、先代もまた力を使い果たし息絶えました。神社が崩壊しているのは、戦いのあおりを喰らったからですよ。僕も、駆けつけるのが遅かった」
先の話から予想していたとはいえ、改めて聞く事実に紫は落胆の色を隠せない。裏稼業とは、大なり小なり命の危険が伴うことを二人は知っていて、どれだけの実力を持っていたとしても、突然の訃報はいくらでもやってくる。
そのことを二人は熟知していた。
「あの子が先代の仇をと言っていたのは、そういう意味でしたのね」
首肯して、霖之助はさらにこう補足する。
「以降は、僕が彼女を預かることになりました。博麗神社以外に身寄りの無い子でしたから、放っておくわけにもいかなくて……」
「それで森近さんは、先代のようになってほしくないと、そう彼女に言い続けて?」
「はい」
二年間、博麗神社は社が潰された状態となっていて、博麗霊夢はそれを再建したいと思っているがために、先ほどのような衝突が頻繁にあるのだと霖之助は言う。
「先代の最期を看取れなかったのは、残念でなりませんわね。あの子は今年でいくつになったんですの?」
「霊夢は十六になりました。とは言っても、まだまだ子供なんですがね」
「その認識は頂けませんわね。あの年頃の女の子は多感な時期なんですから、あれもこれも禁止にしてしまったら、逆に反発されちゃうのがオチですわ」
努めて話題を明るくしようとしてくれてるのだろう。そんな八雲紫の気遣いには感謝しつつも、この件に関して彼は引くつもりもなく。
「いえ、しかしですね」
「可愛いと思わなくて? 少女雑誌に憧れるくらいの普通の女の子なんですから、少しくらいわがままを聞いてあげても良いと、ワタクシは思うんですの」
それは、多少なりとも裏稼業に手を染めても、まだ引き返せる猶予が彼女にはあるということ。
「それとも、あの子には、破邪の力が備わっていないのかしら?」
「いえ、そういうわけではありません。巫女の力は先代から受け継がれています。毎日、神社の境内で稽古をしてもいるんですが……ただ、実戦経験が一度も無いだけで」
「なら、森近さんが一緒についていれば、問題ないのではなくて? あなただって、先代の補佐を立派に務められた実力の持ち主じゃないですか」
「…………」
言われて、霖之助は番台の脇に忍ばせてある刀に目をやった。紫もその存在には気づいており、そして、その長物には破邪の力が秘められていることも知っている。
「まあ、迷う気持ちもわかりますわ。今のご時世、妖怪退治なんて儲かりはしないですものね」
科学を信仰し始めた世界。
欧州大戦の特需により、この国は豊かになった。しかしその一方で、欲だけが先走り、世相が乱れているという見方も出ている。
そのほか、震災により壊滅した東京に代わり、ここ京都を政の中心地にするのではないかという噂まで出始めている。始末に負えないのは、それを嬉々として喜んでいる者が多いという事実。
政界人達が集う場所は、街の発展が約束される。
犠牲者が出たことよりも、東京の復興を願うよりも、京都の権力者たちは政府に対し、国家機関の誘致に力を注いでいるのだとか。
そんな世の中である。
「だからこそ、人の欲に目を付ける怪異が出てもおかしくはないのですけど」
刀を気にした霖之助と同様、八雲紫は足下に置いてあった自らの荷物に視線を落とした。
「話の続きをしてもよろしいかしら?」
彼女の問いに、霖之助は頷く。
話の続きとは、霊夢が香霖堂に来る前に交わしていた依頼のこと。
皮革製の大きめのバックを拾い上げ、中から十数枚の書類を取り出し、彼女はそれを霖之助に手渡した。
「ワタクシが調べたところ、正確な日付はわかりませんでしたが、少なくとも震災直後から、この街で離魂病らしき怪異がはびこっていますわ。そこまではお話ししましたが、どういった事件かは……説明しなくてもよさげですわね」
「はい、霊夢から何度も聞かされていますよ。なんでも、霊夢のような若い女の子ばかりがその症状を見せているのだとか」
意思や感情がなくなってしまう病気。それに患っている人間が、ここ京都の至る所でその噂が散見されている。
不思議なのは、その罹患者全てが女性である点であるところなのだが。
「これは……」
八雲紫から渡された書面を見て、霖之助は目を細めた。その内容は、離魂病事件に関することが記述されている。
しかし、霊夢や巷から耳に入れていた情報と大きく食い違うところがあったのだ。
「隠したがるのも無理はありませんわ。名家の御曹司が不能になってしまっただなんて、世間には知られたくないですものね」
不能、の部分にいささか同情の念を抱いてしまったが、巷には出回っていないであろう情報に、霖之助は鑑定屋としての血が騒いだ。
「女性だけでなく、男性も離魂病に?」
「ええ。しかも、女性とは違って年齢は関係ないようで。一応、ワタクシなりにまとめた考察を最後の項に書き連ねておきましたので、それも参考にしてくださると嬉しいですわ」
離魂病を患っている人間のリストと彼ら彼女らの生い立ちを頭に入れつつ、紫の言った頁に霖之助は目を通した。
罹患者を年齢別に分けると、女性はほぼ一五歳から二〇歳前後の若い世代に対し、男性の場合は二〇歳から五〇歳の老齢に近い者がいる。
これだけでは単に無差別の可能性を否定できなかったが、次の項目――罹患女性の所得率に対し、罹患男性の所得とを比較したところで明らかな違いが出ていた。
女性は貧民が多く。
しかし男性の場合、庶民とはかけ離れた、所謂名家と呼ばれる姓名がずらりと並んでいる。紫の言うとおり、生気をなくし、跡継ぎが子供を作れなくなったと世間に知れれば困る者達ばかりだ。
「ハーンさん、こんな情報をどうやって?」
「人の口に戸は立てられません。魔術を使って、スキマから使用人達のひそひそ話を聞かせてもらいましたわ。離魂病の噂が出回ったとき、他にも体調を崩した者がいないか個人的に調べていたらボロボロと出てきたんですの」
クスクスと笑う彼女からは、その方法がごく容易であったことを窺わせる。
人外的な方法――魔術。それを、八雲紫は会得しているのだ。
「霖之助さん、これは離魂病ではありません。症状が似ているからと、そこの金持ち達が自分たちの身を守るために自ら流したものなんですのよ。何らかの怪異が関わっているのは確実でしょうけど、それはこの街の欲がおびき寄せた類のものだと、私は推測していますわ」
名家の後継ぎ問題を一時的にうやむやにするための、人間が流した噂。原因は不明だが、八雲紫は離魂病事件をそう捉えていた。
その考察に、霖之助は思わず舌を巻く。
「『魔術師メリー』の異名は健在でしたか。ですが、ここまで調べることが出来たなら、僕に頼る必要もないのでは?」
「二つ、誤解があるようですわね」
霖之助の指摘に紫は人指し指を立て、感情を交えず、端的にこう説明した。
「一つ。魔術師稼業は引退しています。これは以前、京都を去るときに申し上げた通り、魔術を会得したのはそうしなければ生きていけなかったから。今はその必要もなくなりましたが……」
次に中指を立てて話を続ける。
「二つ。私は父が愛したこの国とその怪異や幻想を、父同様に愛しています。しかし昨今、その文化が死滅しかけているのを見て悲しくも思ってはいますが、時代の流れなら仕方がないとも捉えていますわ」
言いながら、紫は懐から少々厚みのある茶封筒を取り出した。それを提示しながら、霖之助に淡々と語り続ける。
「ワタクシは妖怪の退治や事件の解決を望んでいるのではなく、一連の事象の『鑑定』をお願いしたいのです。異文化が濁流のごとく導入され、古き良き時代が呑まれていくこのご時世に、必要な怪異かどうか。その判断は元異人である私より、この国に長く住まう住人に任せるべきだと思いませんこと?」
妖怪も怪異も、時代の流れと共に新しく生まれては消えていく。
新しい文化がそこに根付けば新しい怪異が発生し、その分だけ、旧い文化や怪異は人々から忘れ去られていく。
この事件自体が新しい怪異なのか、旧くからいる怪異なのか、その差違に興味はなく、大正という時代に存在して良いモノかどうかを見極めてほしい。
紫は霖之助にそう依頼している。
「ワタクシの私利私欲と捉えてくれても構いませんわ。あくまでビジネスとして動いていますのよ。外道と罵って頂いても結構。これは前金です。鑑定が終わったら、その書面通りの金額をあとでお支払いたしますわ。いかがかしら?」
目尻を細くして妖艶に見つめてくる女からは、その決意の表れか、強い威圧感があった。父が愛したこの国……その詳細を霖之助はよく知らない。
が、八雲紫の強い想いは、先ほどの言葉が如実に物語っている。
「…………」
依頼自体に不明な点はない。
しかし、霖之助は紫から諭された理由に不快感はあった。
時代や文化とは、大衆の意思のうねりのようなもの。
それを一個人がどうにかできるほど、彼は自惚れてもいない。
「変わりませんね。情報屋の魔術師であるあなたが先代とよくいがみあっていたこと、さっき思い出しましたよ」
問答無用で妖怪を退治していた先代巫女と、妖怪全てを悪と断ずる必要はないと対立していた彼女。八雲紫と退治屋は互恵関係にあるものの、その思想は相反していた。
「残念でなりませんわ。そうやって張り合う相手も、今はもうこの世にいませんのね」
それでも、信頼し合える仲間だったことは事実。
紫は目を閉じ、かつての巫女との喧騒に哀愁を感じているようだった。
その巫女の娘の幸せを、霖之助は強く願っている。
懐が寂しくもある以前に、彼は平穏を何よりも望んでいた。
世間を騒がしている離魂病事件。
先代の巫女がこの地からいなくなった京都で初の異変である。奇怪な噂で、放っておけばすぐに収まるだろうとたかを括っていた霖之助の判断は、八雲紫が持参した資料により誤りだと言えた。
誰かが解決しなければ、いつまでも市民を怯えさせ続けるだろう。
そして、霊夢も――
「お引き受けいたします。ですが、僕はあなたの考えには些か賛同できません。これは一個人として、事件解決の糸口を探り、可能であれば処理をするという方針でやらせていただきますが」
「やり方は問いません。結果も、どうなろうと森近さんの目利きの意思にお任せしますわ。これは『鑑定』の依頼なのですから。ただし――」
紫は言葉を切ると、差し出していた前金を胸元に伏せ、こう付け足してくる。
「博麗霊夢を同伴させていただけないかしら?」
「……!?」
思わぬ条件付けに霖之助は目を見開いた。対して、紫の表情は何も変わらず、冷淡さを帯びていて。
「それは……できません。あの子には普通の生活を」
「森近さん、ただ上から抑えつけるだけでは、子供は何も言うことを聞いてくれませんことよ?」
「…………」
八雲紫には夫も子供もいない。
しかし、優しげに諭してくる彼女からは、口を挟めない確かな説得力があった。
「あの子を危険な目に合わせたくないあなたの気持ちはわかります。ですが、その気持ちを伝えるには、現場を見せる方が一番効果があると思うんですの」
「おっしゃることはわかりますが……」
「反発が大きくなればなるほど、独断で動かれたときが一番困るのではなくて? そうなると、たいていは取り返しのつかない失敗に繋がる。その前に、現場を知ってからのほうが、まだ言うことを聞いてくれるはずですわ」
博麗霊夢を妖怪退治屋に仕立て上げたいのではなく、これは霖之助の意思に基づく意見だと紫は言う。
その物言いは、一理ある。
そう感じながら、霊夢が店に飛び込んできたときのことを彼は思い出していた。
――離魂病よ離魂病!
どう仕入れた情報なのかはわからない。ただ、自分から首を突っ込もうとしているのは明白で、放っておけば、紫の指摘する未来を迎える可能性は大いにあった。
「ワタクシはあの子に退治屋として育って欲しいのではなく、森近さんの意思を尊重したいのです。世間体が気になるのでしたら、『鑑定』が終わったあとのサービスとして、あなたたちに関わった人間の記憶を魔術で薄れさせることもできますわ」
彼女の魔術は、先代の巫女が現役だった当初、事後処理に重宝されていた。その力は今も健在で、依頼達成ののちに使用してくれるという。
そして、霖之助の懸念はこれで全て払拭されたことになる。頭をかき、観念したかのように彼はこう返答した。
「……わかりました。ただ、僕が危険だと判断した場合、すぐにあの子を依頼の途中からでも外します。それが僕からできる最大限の譲歩です」
「ええ、よろしくてよ」
紫の返事を聞きながら前金を受け取る。そして、霖之助は刀を持ちだし、出かける準備に取りかかった。
もらった書類を懐に入れつつ支度をする。
「では、留守をお願いします。進展があるにしろないにしろ、どれだけ遅くなっても、日が落ちるまでには帰りますので」
「任されましたわ。それにしても、相変わらず雨男ですのね。外は快晴ですのに」
紫はその姿を懐かしむようにからかった。
なじみのある台詞に霖之助は苦笑を漏らす。外出するとき、彼は必ず菅笠と蓑、それに大きな蛇の目傘を携行するのだ。
「面倒でなりませんよ。買い物はほとんど霊夢に任せていますが、仕事で遠出するとき、彼女からは服が濡れるといつも文句を言われますし」
面倒と言えば。
もしかすると、今からがこの仕事の山場かもしれないと霖之助は内心辟易した。
なぜなら、先ほどケンカして店を出て行った霊夢に、仕事を手伝えと頼まなければならなかったから。
「良い報せを期待しておりますわ」
「なるべく、善処しますよ」