Coolier - 新生・東方創想話

緋焔のアルタエゴ 第三章_下

2025/08/06 00:28:26
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獲物は必ずしも単体とは限らない。

むしろ単独の場合の方が珍しい。
ターゲットはしばしば複数で、
それも互いに利害関係がある場合が多い。

商会傘下の殺し屋も少なくないけれど、
特に私たちはそういった状況で活躍してきた。

お燐の頭が背景や相関関係を洗い出し、
私の銃が的確に速やかに複数の標的を始末する。

捕食者も被食者も、死ねば骸。
利害も恩讐も関係ない。
骸は等しく屍肉漁りの獲物に過ぎない。

今、お燐はいない。
スカベンジャーも片手落ち。

けれど、お燐の代わりに
私を動かしてくれるブレインがいればーー

【さとり】ーーここが、旧血の池地獄ですね。

のっぺりと眼下に広がる赤。
それを長屋の屋根から見下ろしつつ、
さとりが眉根をひそめる。

溶岩地帯みたいな熱気はない。
なのに、池はポコポコと湧き上がる。
廃棄されたとは思えないほど活発に。

是非曲直庁が打ち捨てた
かつての地獄は旧都の活性化と共に
解体も進んだけど、全部が全部じゃない。

再利用の目処が立ちやすい施設は
瞬く間に消え去ったけど、
そうじゃない施設は放置されっぱなし。

針山地獄はすぐに消えた。
金属は利用価値が高く、
乱獲の対象になった。

でも、血液なんて何に使えばいいのか。
マイナーな吸血妖怪ならいざ知らず、
普通の妖怪は利用価値を見出せないんだろう。

もしかしたら、何か考えれば
使い道もあるかもしれないけど、
少なくとも私には何も思いつかない。

【さとり】血の獣の縄張りとのことですが……。
お空さん、何か違和感は?

【空】いや、別に何も。

煙草に火をつけて、首を横に振る。

この場所に来ているのは、私とさとりだけ。
ぬえとナズーリン、そして雲山は
別の獣の縄張りに向かっている。

【ぬえ】『ーーアイツら、
それぞれ縄張りがあるんだ』

煙を吐き出しながら、
ぬえの言ってたことを思い出す。

【ぬえ】『虎の獣は、旧舌抜き地獄。
拳の獣は、旧釜茹で地獄。
血の獣が、旧血の池地獄』

【ぬえ】『この街はアイツらの
三つ巴の均衡状態の上に、
辛うじて存続しているようなもんだ』

【ぬえ】『その一角が落ちたとすれば、
他の獣がどう動くのか予想できない』

【ぬえ】『私たちは、残された信者たちの身も
守らなきゃいけないからね』

【ぬえ】『頼りにしてるよ』

【空】(……何だかなぁ)

監視と実働を分けるのは道理だと思う。
作戦の割り振りにも異論はない。

さとりと私が実働で然るべき。
ぬえとナズーリンと雲山が監視で然るべき。
この形になるのは必然と私でさえ思う。

……でも、何かがしっくりこない自分がいる。

何か、ボタンを掛け違えているような。
何か、歯車が噛み合ってないような。
違和感と断ずるには些細に過ぎる感覚。

どうしてそう思うのか、
自分でもまったく見当がつかないけれど。

【さとり】お空さんの目から見て、
どうでしたか?

【空】何が?

【さとり】あの方たちは信用できますか?

【さとり】私は正直、計りかねています。
なにぶん、心が読めないもので。

さとりが血の池を見下ろしながら、
胸の前の第三の瞳を片手で撫でる。

けっきょく、
さとりの読心能力は回復してない。

それが何故なのか、
ぬえたちも判らないとのこと。

【ナズーリン】『妖怪固有の能力が
使えなくなる例なんて、
聞いたことないけどね』

ナズーリンが首を傾げていたのを思い出す。

【ナズーリン】『確かにこの街は、
他の街とは様子が違うことは把握してる。
あの嗤う月や咲く花とかね』

【ナズーリン】『でも、そういった事情が
君の不具合と関係があるとも
思えないのだがね』

【ナズーリン】『この街に住む我々は、
影響を感じたこともないし』

【ナズーリン】『そういうの、
まず我々が気付くものだと思うけどね。
役に立てなくて申し訳ないが』

私は頭を横に振って、

【空】……信用できるかどうかは判らないよ。
そういうの、私の役割じゃないし。

【さとり】そうですか。

【空】ただ……。

【さとり】ただ?

【空】…………。

私は自分の中の身分化な感情を
言葉にするかどうか悩んで、結局やめた。

疑念と呼ぶにも足りない。
違和感と言うにも決め手がない。
そもそも気のせいかもしれない。

今の私には言語化のしようがなかった。
そんな曖昧なモヤモヤを口にするほど
ニュービーでもない。

もしかすると、さとりが心を読めたなら
この私の感覚を理解できたかもしれないけど。
それも叶わない。ままならないな、と思う。

【さとり】血の獣は見当たりませんね。
天使を狩りに行っているのでしょうか。

【さとり】……天使を狩りに行くという
行動原理は、よく判りません。

【さとり】天使は罰の代行者ではありますが、
罪の裁定者ではありません。

【さとり】ただ無尽蔵に破壊を振り撒くモノ。
多少の個体差はあれど、
襲う対象を選定するなんてないはず。

【さとり】この街の獣は、
私の知る天使とは違うのでしょうか……。

さとりが首を傾げる。
私は自分が目にした
獣たちのことを思い出す。

どれも、巨大な怪物。
蟲群街のそれよりは小規模だとしても。

でもーー

【空】あの蜥蜴が天使になったとき、
私やリグルさんのときとは違ったよね。

【空】仮面の者も来なかったし、
略式裁判がどうとかって話もなかった。
私には、何のことか判らないけど。

【さとり】そう。私が気になっているのは、
そこなんです。この街の獣たちは、
裁かれたわけではないところが。

さとりが私の方を見て、

【さとり】時計閻魔がこの世界に
干渉できるのは、閻魔としてのみのはず。

【さとり】裁判を介さず、
他者を天使に変えることは
できないと思うのですが。

【空】私はどうなの?

深く考えず口にした途端、
ぞわりとあの時の感覚が胸のうちに蘇る。

暗がりに光が灯ったような。
チョコレートみたく、心が融解するような。

嫌いな誰かが無様に死ぬのを
目の当たりにした時にも似た感情。
一方的に力を行使できる気持ちよさ。

抗いがたい快感。
もしかしたらDeSの中毒者は、
こういう感覚を求めてるんじゃないかって。

私は浮ついた心を抑えるように、
胸に手を当てながら、

【空】……私も、特に裁判しないで、
あの姿に変わった、と思うけど……。

【さとり】お空さんは違います。
アナタはすでに私から、
弾劾裁判の開廷権を付与されています。

【さとり】理論上、お空さんは
いつでも弾劾裁判を開廷できる。
いつあの姿に変われてもおかしくない。

彼女はまるで自分の無力を責めるように、
ギリ、と拳を握りしめながら、

【さとり】ーーですが、もう私がやらせません。
アナタも力に飲まれないで。

【さとり】その力は、制御できないものです。
昏倒する程度の代償じゃ済まないときが、
使えば使うほど早く、必ず来ます。

【空】……うん、判った。

【空】でも、大丈夫なの?
さとりの力だけで、
本当にあの獣たちを調伏できる?

【さとり】そこはお任せを。
最後の現象数式体が残っています。

【さとり】アレの召喚はリスクも大きいですが、
お空さんに背負わせるよりマシですから。

言って、さとりが小さく笑う。
その様子は儚げで、
不安が払拭されたとはとても言えない。

でも私は何も言わなかった。
彼女の覚悟を踏み躙りたくなかった。

それは確かに私が見た、
美しいもののひとつだったから。

ーーUUUUUuuuーー

【空】っ!

前にも聞いたあの呻き声がした。

私は銃を構えて、声のした方を見る。
一体の血の獣が虚に窪んだ
眼窩と思しき穴で私たちを見てる。

すぐに襲いかかってくる気配はない。
ふらふらと不安定な挙動で
呻きながら佇んでいる。

ーーUUUuuUuuuーー

【空】どうする? 撃っていい?

【さとり】いえ、待ってください。

さとりが私を左手で制しつつ、
懐から悔悟の棒を取り出して言う。

彼女の3つの瞳が血の獣を見る。
第三の眼は機能してないだろうけど、
癖のようなものなのかもしれないと思った。

【さとり】……現象数式体(クラッキング・ビーイング)
なのは間違いないようです。
私の知る天使と同じ。

【さとり】ですが、規模が小さいですね……。
やはり違和感があります。
時計閻魔の裁きとは比較にならない。

【さとり】獣と天使は似て非なるもの……?
どうやって獣は発現するのでしょう?

【さとり】裁判を介さず現象数式は扱えない。
そうなると、何者かが小規模な裁判を
開廷しているとしか……。

【さとり】だとすると、誰が……?
DeSの流通元と関係があるのでしょうか……?

【空】ちょっと、ぼんやり見てて良いの?
危なくないの?

【さとり】観察も重要ですから。

【さとり】再審請求にも必要です。
普段は心を読んで罪状を確定させますが、
今はそれができないので。

ーーUUUuuuUUUUUUu!!!ーー

突然、血の獣が
狂ったように呻き声を大きくする。

両手を宙に上げ、
バタバタと暴れさせて。

【さとり】っ!

さとりが後方に飛び退く。
悔悟の棒を血の獣に向けたまま。

じゅくじゅくと濡れた音。
血の獣の足元に、血液の支流が伸びて。

鉄錆びた血液のうねりの上に、
苦悩するように頭を抱える血の獣たちが、
凄まじい速度で増産されていく。

ーーUUUuuUuuuUUu!!ーー

【空】っ。

明らかな殺気を感じて、私は引き金を引く。
身体を揺らしていた血の獣の頭に当たり、
盛大に頭部らしき形が弾け飛ぶ。

でも、それでも何の意味もない。
瞬く間に血の獣は形を修復して、
周囲にどんどん仲間達を増やしていく。

頭に1発ぶち込むだけじゃ駄目なのかも。
そう思って、全身に穴を空ける要領で
1体の血の獣を集中的に狙う。

頭、胸、腹、両足。
それでも効果はなかった。
再生速度が落ちることもない。

むしろ、飛び散った血が
さらに多くの仲間たちを招いてしまう。
長屋の屋根が重さに軋んで。

【空】さとり、どうしよう!?
ぜんぜん効かないよ!

【さとり】……何がトリガーなんでしょう?
私たちに反応したのは確かですが、
観察以外に何をしたわけでもない。

【さとり】いや、むしろ観察こそが?
見られること自体がトリガーになった?

【さとり】けれど、あのときの小さな獣は
血の獣を見たわけではなかった。

【さとり】ふむ……やはり行動原理が
ハッキリしませんね。
よく判りません。

【空】なにブツブツ言ってるの!?
早く何とかしないと!!

ーーUUUuuUUuuuUuu!!!ーー

数えきれないほど大量に増えた
血の獣たちが、銘々に手を伸ばして
私たちの方に傾れ込んでくる!

私はまだ何事かブツブツ呟いてる
さとりを抱えて、長屋の屋根を走りだす。
ベチャベチャ血の撒き散らされる音を背に。

【空】なんで動かないの!?
あのまま飲まれるところだったじゃん!!

【さとり】すみません。
考え事をしてたら、逃げるのが遅れました。

【空】そう! それはそれは!
呑気でけっこうなことですね!!

【空】重いんだけど!?
自分で走ってよ!

【さとり】私、走るの苦手で。
すみませんがもう少し、
このまま運んでくれませんか?

【空】ムカつく!!
投げ捨ててやりたいなぁ!

とは言いつつ、流石に
本当にそうするわけにも行かず。
私は長屋の屋根の上を走り続ける。

背後の呻き声がどんどん大きくなる。
気付けば血の池にも、通りにも、
血の獣たちの姿。

このままじゃ、すぐに囲まれちゃう。
焦燥が喉元を競り上がってくるタイミングで、
さとりが小さく息を吐いて、

【さとり】……駄目ですね。
これ以上は考察できそうにないです。

【さとり】今はこの場を切り抜けるのが先ですね。
お空さん、降ろしてください。

【さとり】血の獣の罪は判りませんが、
審判妨害罪での請求を行います。
なるべく私から離れないように。

私は言われた通り、
さとりをその場に降ろす。

起動した悔悟の棒が、
チクタクと駆動音を奏でて。
さとりの周囲に紫色の数式が瞬き始めて。

四方八方から、血の獣たちが迫ってくる。
もう逃げ場はどこにもない。

そんな中、彼女はそれでも
平静を保ったまま。

【さとり】閻魔代行者、
古明地さとりの名において。
ーー審判妨害罪を請求する。

【さとり】忌まわしき四大のひとつ。
あるいは誤りて出づる漆黒よ。
ヤマの権能喰らいし怨敵よ。

【さとり】御身の穢れを顕現せよ。
其の力の片鱗を零し注ぎたまえ。
我が身、悍ましき門とならん。

【さとり】ふんぐるい、むぐるうなふ。

さとりの周囲に展開された
紫色の数式たちが、
彼女の身体に収斂していく。

彼女の手。
悔悟の棒を持っていない左手に、
びっしりと網目のような陣が敷かれて。

空気が張り詰める音がする。
閻魔の悔悟の棒が演算する音がする。

チクタク。
チクタク。
チクタク。

【さとり】開門。

【さとり】『劫火を灯す黒き左手(イォマグヌッソ・シニスター)』

途端、さとりの左腕が燃え上がる。
見たことのない色の炎。
無間地獄よりも濃密な、黒い炎。

周囲の空気が一瞬で沸騰する。
灼熱地獄で生まれた私さえ、
触れればただでは済まないほどの熱。

【さとり】ーーッ!

さとりが声にならない叫びをあげる。
見開かれた瞳が、
その熱の壮絶さを物語っている。

かつての地獄の亡者たちでも、
これほどの顔を晒しはしなかった。

周囲に湧き立つ血の獣たちが、
端から焼け焦げて崩れていく。
それでもなお、群がることをやめず。

もうほとんど黒い炎に
飲み込まれそうになりながら、
さとりが燃える左手を掲げる。

【空】ッ!!

私は察した。
彼女のやろうとしてること。

皮膚を焼かれる感覚に耐えながら、
髪の毛の焦げる臭いを堪えながら、
さとりの受ける苦痛を思いながら。

それでも、いま私にできることは、
ただ這いつくばるように
伏せることしかなかった。

瞬間、

ーーーー!!!!!

鼓膜が破れそうな猛々しい音を立てて、
とんでもない灼熱が頭上を通り過ぎる。

頭が割れるくらいの耳鳴り。
全身を襲う火傷のような痛み。
信じられない。私は地獄烏なのに。

ーーもしも、
もしも。

あのとき私を焼いた炎が
これだったなら、
私は1分も保たず狂っていたと思う。

【さとり】っ、……。
閉、門……。

さとりの声が、
耳鳴りの彼方に、微かに聞こえて。

すべての音が途絶えて、
ようやく私は立ち上がる。

立ち上がって、そして、
周囲の惨劇を目の当たりにする。

【空】……これは。

燃えている。
目につく限りすべての長屋が、
悉く燃えている。

あの黒い炎ではない。
それでも、火の勢いは凄まじい。
まるで溶岩に投げ込んだ豆炭みたいに。

私たちのいる長屋だけが、
孤立したかのように残っていて。

【空】さとり!!

倒れ伏す彼女の元に走り寄る。
急いで抱きかかえようとして、
まだ彼女の宿す熱量の高さに身が竦む。

左手。
彼女の左手は、見るも無惨だった。

消し炭よりもずっと酷い。
服は少しも焦げていないのに。
むしろそれが、異常さを掻き立てて。

【さとり】う、あ……おく、さん……。

【空】喋らないで!!
どうしよう、こんなの……!

【空】っ、ひどい……。

凄惨な彼女の有り様に、
思わず戻してしまいそうになる。

グロテスクにも程がある。
生身の肉体が、こんなに炭化するなんて。

【さとり】し、し、心配、しな、ーー

さとりが、うわごとめいた声で言う。
途端、燃え尽きて失われた彼女の腕の跡に、
滲み出るように紫色の数式が灯る。

チクタク、歯車が回転する。
チクタク、時間が巻き戻るみたく。

【空】……これは。

紫色の数式が宿る左腕が、
みるみるうちに復元されていく。

ボロクズみたいな炭の狭間に
骨が隆起して、肉が膨れ上がって、
白い肌が敷かれて。

元通りに修復された腕を引っ提げて、
さとりは深く息を吐きながら立ち上がる。

もうそこに、苦悶の色はなかった。
悲痛は鳴りを潜めてた。
彼女は左手を開いたり握ったりしてから、

【さとり】……ふむ、感覚も問題ないですね。
ひと安心、というところですか。

【さとり】ーーと、まあ、こんな感じで。
自動で修復されますから、問題ありません。

【さとり】私、初めてにしては、
うまくやれたんじゃないですかね。

【空】…………。

【空】……そっか。問題ないんだ。

【さとり】はい。ほら、この通り。
何ともありません。

【さとり】行きましょう。
血の獣に変わった方が、
その辺に倒れているはずですから。

【空】……うん。

平然と歩き出すさとりの背を追って、
私も歩き出す。

一歩、二歩。
でも、三歩目は歩き出せなかった。

胸の中、もやもやが大きくなって。
心の奥底から言葉が膨れ上がって。

【空】ーー問題なくないよ……。

【さとり】お空さん?

【空】問題、ないわけないよ!!

気付けば、そう叫んでいた。

叫ばずにいられなかった。
彼女が平気な顔をしてるのも癪に障った。
我慢できなかった。

【空】あんな酷すぎる怪我までして!
問題あるに決まってるよ!!

【空】苦しかったでしょ!?
痛かったでしょ!?
平気なフリしないでよ!!

【空】どうしてそんなことするの!?
そこまでする必要ないじゃん!!

【空】お金が貰えるわけでもないのに!!
顔も知らないヒトのために!!

睨む。私はさとりを睨む。

腹立たしかった。
苦しくって、悲しかった。
怒ってた。私は、すごく怒ってた。

でも、足を止めたさとりは、
きょとんとした顔をしてたかと思うと、
私は怒ってるってのに微笑みだして、

【さとり】流石に、判りました。
心配させてしまったみたいですね。
すみません。

【さとり】けれど、大丈夫です。
私はこの通り、ピンピンしてますし。

【空】いまピンピンしててもーー!

【さとり】譲れないものがあるんです。

私の反論を遮って、さとりが断ずる。

有無を言わせない声のトーンと反対に、
その表情は切実で。

【さとり】時計閻魔の蛮行は見過ごせない。
天使だろうと獣だろうと、
私の目の黒いうちは、好きにはさせない。

【さとり】そのためなら何だってします。
苦しいことも痛いことも、
私の行動を止める理由にはならない。

【さとり】腕の一本や二本、
なんてことありません。
再生するのであれば尚更。

【空】なにそれ、義務感?
それとも正義感?
平和と秩序を守る閻魔代行としての?

【さとり】まさか。
買い被りすぎですよ。

【空】じゃあ、なに!?

【さとり】こいしのためです。

【空】っ……それは!

きっぱりと断言したさとりの両目は、
真っ直ぐ揺らぐことなく私を見つめて。

【空】それは……。

私は二の句が継げなくなる。
それは、馬鹿な私でも納得できる動機。
必死になるだけの理由があると判る理由。

怒りが萎んでいくのが判った。
叫びたい気持ちも、怒鳴りたい気持ちも。

【さとり】私はエゴイストですから。
姉馬鹿でもありますから。

【さとり】こいしは、たった一人の妹なので。
できる限りのことをしてあげたいんです。

【さとり】あの子が、平和に過ごせるように。

【空】……そっか。
そうだね。

【空】……ごめん。言い過ぎた。

【さとり】いえ、良いんです。
むしろ、心配してくれてありがとう。

【さとり】火の手が回ってきてます。
獣の元となった方を探して、
いちど戻りましょう。

【空】うん。

問答は終わり。
私は、歩き出すさとりに着いていく。

ごうごうと燃え盛る炎の音が、
どこか物悲しく聞こえてきて。

【空】(私、初めてかもしれない)

【空】(誰かに、こんな風に怒ったの)

自分のことながら、
ちょっと驚いてる。

私だって、怒ることもある。
でも、私の怒りは基本的にいつも、
自分が敵と見做した相手に発揮されてきた。

悪どいやり口で私欲を貪るやつ。
口ばっかり達者なやつ。
プライドもなく命乞いするやつ。

地下世界は、特に無限雑踏街は、
救いようのない連中には事欠かない。
イラついたり怒ったりなんて、日常茶飯事。

そんなときの私のやり方は、決まってる。
銃を構える。引き金を引く。
ただそれだけのシンプルなアンサー。

だから、声を荒げるなんて初めてだった。
鉛玉をブチ込む以外の方法を選んだのなんて。
心の思うままに、非難して。

でもーー

【空】(私、何がそんなに気に入らなかったの?)

冷静に考えれば、さとりのやり方は
特に文句をつけるところはない。

私がさとりでも、同じ方法を取ると思う。
多少、痛かろうが苦しかろうが、
元通りになるなら何も問題ない、はず……。

【空】(……だけど、やっぱり嫌だ)

さとりの表情が頭にこびり付いてる。
声なき叫びが鼓膜に透明の染みをつけてる。
あの熱。あの怪我。あの炭化した腕の残骸。

私がさとりなら、可能な限り避けるだろう。
あんな痛そうな苦しそうな手段、
取らないに越したことはない。

同情? そうかもしれない。
でも、それよりももっと直接的で、
もっと嫌な気持ちの方が強い。

心配? そうなのかも。
目の前であんなもの見せられて、
心配しないほど冷血でもないと思う。

【空】(でも、なんか違う……)

【空】(こんなにモヤモヤする。
これ、本当に心配で合ってる?)

こういうとき、自分が馬鹿なのが嫌になる。
もっと、お燐くらいに賢ければ、
感情の名前くらい、すぐ判るだろうに。

私には、よく判らない。
上手に言語化も分類もできない。
そのことに余計にモヤモヤして。

【さとり】ーー見つけた。
あれが、血の獣の本体……。

さとりが矢庭に駆け出す。
考え込んでいた私は、
反応がワンテンポ遅れて。

【空】あ、待ってよ……。

そう口にして手を伸ばしかけたとき、

『ーーイォマグヌッソの黒い炎』

『ーー彼女、あんなモノまで使役するんだ』

耳元で声がする。
伸ばしかけた手が硬直する感覚。

不意打ちのような囁きに
身を強張らせる私に構わず、
虚空は言葉の舌触りを確かめるみたく、

『ーーどの口が、使役できない力を使うな、
なんて言うんだろうね』

『ーー彼女、何も知らないで
あの黒い炎を喚んでるよ。
くすくす。可哀想に』

『ーー嫌だな、私。あれは嫌いだよ。
だって、下品だもん』

【空】……知った口を利かないで。

虚空へ返す言葉には棘こそあったけど、
それに相応しい感情は伴ってなかった。

だって、私には見当もつかない。
下品かどうか以前に、あの力の是非さえも。
ちっぽけな私の頭では。

『ーーくすくす。はいはい、黙りますよ』

『ーーでも、お空。
これだけは忘れないでね』

『ーーあの黒い炎は、
お空が思っているよりずっと、
忌まわしいモノなんだって』

虚空の思わせぶりな言葉を振り切って、
さとりが走っていった方を見やる。
確かにそこには誰かが倒れていて。

黒髪の、白い服の女の子。
ピクリとも動かない彼女が
まだ生きているのか定かではないけど。

さとりが女の子の傍らにしゃがむ。
その場に追いついた私は、
何をすればいいか判らないまま佇んで。

【さとり】もしもし、生きてますか。

【???】ーーう……。

微かな呻き声を上げて、
彼女は身じろぎする。

生きてる。
無事なようで何より。

いや、無事と言えるかどうか判らないけど。
煙草を咥えながら、心の中で思う。

【???】うぅ、私……は?

【さとり】もう大丈夫。安心して。
無理に話さなくて良いです。

【さとり】お空さん、すみませんが
彼女を運んでもらっても?

【空】はいはい。

肩を竦めた私は、
倒れ伏す彼女を抱きあげる。

見た目以上に軽い。そこは安心した。
ここからぬえたちのアジトまで、
けっこう距離もあるから。

【???】あ、ぐ、わ、私……。

【さとり】はい。もう心配いりません。
いま、お仲間のところまで運びますからね。

【空】私がね。

軽くツッコミを入れつつ、
優しげに微笑むさとりの横顔は
まるで聖女みたいだな、なんて思う。

【???】あ、あ、……。

けっきょく、セーラー服の彼女は、
何か言いたげに口をパクパクさせてたけど、
最後には私の腕の中で気を失った。

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