Coolier - 新生・東方創想話

人形殺人

2025/07/04 03:25:38
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 その日、信じられないものを見た。死ぬはずのない人形が、幽霊になって漂っている光景を。



 冥界は秋の模様を映し出し、死した場所には似合わしくないような紅葉たちが、まるでそこを囲い込むかのように包んでいる。赤に橙、黄の葉々が細い枝に辛うじて留まり、風もなくそこにある。その木々が映えるのは、きっとこの冥界が白いからだろう。幽霊の色。死の冷たさ。辺りを覆う白い霧。まるで一面のキャンバスに紅葉の絵を壮大に描き出したような、冥界はそんな景色をしていた。
 いつも通りの午前6時。目を覚まし、庭の巡回を始める。私、魂魄妖夢は庭師だ。普段は冥界で幽霊の管理をする西行寺幽々子さまに仕えている。こうして早くに起きているのは、早朝、まず異変がないか確認するのが私のルーティンだからだ。異変。この静かな冥界だからというわけではなく、それは常に静かに忍び寄る。まさしく幽霊のように音を立てずに近寄ってきて、あっという間に世界を変えてしまう。冥界が白いキャンバスなら、異変は黒いインクだ。たった一滴垂れるだけで滲み出し、辺りを黒く染め、作品の形を変えてしまう。私はインクのボトルと、絵筆に似合わぬ万年筆を持ち込ませないよう、昨日までの景色を頼りに異変をまじまじと探していた。

 けれど、"それ"は既に迫っていた。白玉楼の正面入り口のすぐ横──まだ灯っている灯籠の下、そこに何かがいた。視界の端で捉えた時、最初は小鳥か蝶かと思った。ふわふわとしていて、そこに羽を休ませているのかと。でも違う。休ませているのは羽ではなく、足だ。それは、人の形をしているように見えた。私は反射的に歩みを止め、私の勘が告げる方にはっと向き直り、身構えるように再び歩き出した。近寄って、それをはっきりと視認して、理解する。いや、理解なんてしたくなかった。そこにあるのは、明らかに本来あってはおかしいもので、率直に言ってしまえば異変だった。そこにいたのは、幽霊だった。ただの幽霊ではない。きめ細やかな糸で編み込まれた金髪には、艶のある大きな赤いリボンが付いており、絹のように柔らかい服は青と白で、リボンと合わせて鮮やかなトリコロールを描き出している。そして、綿で出来たように柔らかそうな肌。いくら目を疑っても、それは、人形の幽霊だった。

 理解が追いつかなかった。死とも生とも無縁のはずの人形が、死に、幽霊となって冥界にいる。生きることがなければ、死ぬこともない。それは誰でもわかる当然の摂理だ。どんなに賢くない妖精だって1秒もすることなく理解できるだろう。けれど、私の目の前にいるそれは私の知識を覆している。確かに、死した人形は私の方を向き、ガラス玉のような瞳は寂しがるように私の瞳をじっと見つめていた。
 背筋がしんと冷える。手が小刻みに震える。吸い込む息さえ、重々しい。伝えなくては。これを私の主に報告せねば。しかし、足は動かなかった。私の足も死んでしまったように、凍り付いて動かない。お願い、動いて! あまりに理解できないものは、恐怖の喚起よりも先に支配へと至る。既に私の体は、出会ったばかりのこの人形に支配されてしまっていた。私はそれを断ち切ろうとする。頭の中で白楼剣の短刀と、私の体に絡みつく糸のイメージをする。そして、その刀が、糸を一刀両断するイメージをして──私の強張った体をぷつんと解き放つ。どたどたと冥界を走る足音が、朝の静寂を打ち破るように私の耳に鳴り響く。それでも、私はその音を置き去りにしながら、走った。白玉楼に向かって、一目散に。

「……幽々子さま、大変です! 人形の幽霊がいます! 人形の!」
 廊下を駆ける。人形が死ぬなんてありえない。こんなの、今まで冥界で過ごしてきて一度も見たことのないもので──異変だった。私の中の警鐘が鳴っていた。これは何か大事なことだと。解決させなくてはならないものだと。そう予感していた。だから、それは強く、強く私を急かさせた。

「あら、おはよう妖夢」
 寝室から顔を出した私の主は、いかにも今起きたばかりだと言わんばかりに、髪も服も乱れていた。長い薄桃色の髪はところどころ寝癖が跳ねていて、青い寝間着はしわでいっぱいになっている。枕元には昨晩食べたであろうお菓子の残骸が残っているが、彼女はそれらを気にすることなく、ぼーっとこちらを見つめている。喧騒とも異変とも無縁だと、その目は純粋に語っていた。それを見ていると、お嬢様というよりは、幼い少女のようだと思ってしまう。それでも、私は突風が吹き荒れるような声で、あせあせと言葉を伝えた。
「聞いてください幽々子さま。この冥界に、人形の幽霊がいます。生きることも、死ぬこともない人形の幽霊が、です!」
「ふーん」
 ……幽々子さまはどうにも興味なさげに一言。そのたった一言すら優雅で、まるで小鳥のさえずりのようだった。私とは正反対に。どうしてそんなに落ち着いていられるのだろうか。私の声が響いていないのだろうか。あれがどれだけ異常なことか伝わっていないのだろうか。私はぐっと歯を噛みしめる。
「ちょっと、一大事ですよ!? とにかく一度こっちに来て見てください!」
「妖夢、朝起きたらまずはご飯」
 幽々子さまはマイペースに、諭すように告げる。
「幽霊のこととご飯のこと、どっちが大事ですか?」
「ご飯」
 本当にこの方は、と嚙みしめる歯にさらに力を込めつつも、私はすぐにすっと力を抜く。そうだ、この方はふわふわとしていてすぐにどこかに行ってしまうけれど、変な決まり事には忠実に従う方だった。誰よりも死者を、幽霊を見てきた方で、きっと何かを考えているに違いない。今は幽々子さまのペースに合わせた方が良い。そう思って、私は台所の方へと静かに歩いて行った。


 結局、幽々子さまが人形の幽霊を見に来たのは午前9時のことだった。ご飯を食べ、顔を洗い、歌を詠んで。庭を散歩して、冥界の様子を確認して。幽々子さまは様々なことをして朝を過ごしていた。その際に私たちは人形の幽霊とすれ違ったが、幽々子さまは目の端にもくれなかった。まるでそこに誰もいないかのように、当然に。もはや歯ぎしりすらできず、自分の方が間違っているような心持ちさえしてしまいそうだった。
 そんな風に過ごす幽々子さまについて行っているうちに、人形の幽霊と再びすれ違いそうになった。今度こそ話を聞いてもらおうと声をかけようとしたら、今度は幽々子さまの方から声が上がった。
「あらぁ妖夢、この子随分かわいいわね」
そう言うと、人形の幽霊を掬うように持ち上げた。優しく、五本の指が人形を包み込む。やはりこの方は少女だ。幼げで、可愛らしげがある。私は親になったかのような気持ちになって説明する。
「ええ、ですからその子が人形の幽霊で……」
「ふーん」
 やはり幽々子さまは興味なさげに返事をする。しかし、言葉の感じとは裏腹に、人形の全身をあちこちから見ている。人形は少し戸惑うように体を、目をふりふりと動かしつつも、手の主からされるが儘にされることに異論はなさそうだった。そんな落ち着いた人形の様子とは対照的に、私はついそわそわしてしまう。どうしてこの子はこんなに落ち着いていられるのだろう? 怖くないのだろうか。私だったら、きっと怖い。自分の前の人が呼び出されたかのような、そんな焦燥感。心臓の鼓動が速くなっているのを、私は感じ取る。半分だけだけど、私だって生きている。でも、この子は……。果たして、この子は一体……。

 十秒ほど経って、幽々子さまは口を開いた。
「可哀想にね、この子」
「何がです?」
 私はすかさず尋ねる。可哀想、という言葉の意味がわからなかったから。
 でも、返ってきたのは、とても信じられないような重い言葉だった。私は文章を読もうとしているのに、渡されたのは楽譜だったというような、それくらい理解できない内容だった。

「この子、殺されたのね。人形なのに」

「え?」
 回りの音が聴こえなくなってしんと静まり返る感覚。椛の葉の一つがぷつんと切れ、空に舞った。
 随分とシンプルな一言。その言葉が、すっと胸に突き刺さって、残った。
「大変よ、妖夢。人形殺人ね」

 人形殺人。「殺された」という言葉にそれがぶつかって、破裂する。私の心の奥が、煩く騒ぎ立てていた。質問に駆けさせられて、尋ねる。
「ちょ、ちょっと待ってください! どうしてそんなことがわかるんですか?」
「あのね、妖夢。月を見たら明るい。火に近づけば暖かい。それと同じことよ」
 幽々子さまの返答は相変わらずの調子だった。この方の言うことはいつも直接的でない。なんとなく意味は分かるけれど、でもどこか婉曲的だ。きっと「当たり前のことだ」って言いたいんだろう。でも、その意味はわからなかった。幽々子さまにだけわかる、当たり前のこと。その言葉には確かな冷たさ、死に対する暗さがあるように感じた。
 そもそも、幽々子さまの答えにはまず根本の部分が抜け落ちている。
「幽々子さま、そもそもこの子は人形なんですよ? 本来、生きることも、死ぬこともない存在なんですよ? それがどうして死んで、その上殺されただなんて言えるんですか?」
「……妖夢、どうしてこの子はこんなにかわいいと思う?」
「質問を質問で返さないでください」
 幽々子さまは自分のペースを崩さない。私はこの人形の方を見つめてみる。ガラス玉のような瞳は、やはりこちらを見つめ返す。見つめていると吸い込まれてしまうようで、怖かった。かわいいだなんて思えなかった。私は視線を目から逸らす。もっと焦点を引いて、全体の様子を見てみる。糸と布で出来た全容は柔らかく、とても丁寧に作られた人形のように見える。綿が詰まっているのだろうか。人形というより、ぬいぐるみのようだ。魂なんて宿っていなくて、ただ持ち主のいる人形だというように頭の中で仮定して、もう一度見つめてみた。確かにかわいいと思えた。幽々子さまは優しい口調で続ける。
「きっとね、それは大事にされていたから。かわいくあってほしいと持ち主に願われたから、私たちにもかわいく見えるのでしょうね」
「……幽々子さま」
「だから、より一層可哀想なのよねぇ」
 そう言う幽々子さまの瞳を見つめる。蝶の羽のように透明なその瞳からは、何を考えているのかわからなかった。本当に可哀想と思っているのかすらも、私には判別がつかなかった。

「それで、幽々子さま。この人形は、一度なんらかのきっかけで生を受けて、その後何者かに殺されてしまった、ということなのですか?」
 私は興味深く尋ねる。話を本題に戻したかった。桜の花びらがどこに落ちるかわからないかみたいに、幽々子さまの話がどこに着地するのかわからなかったからだ。
「うーん、どうかしら」
 しかし、桜の花びらは落ちることを選ばず、風に吹かれて飛んで行った。私は少々呆れながら促す。
「そこははっきりしてもらいたいのですが」
「そうねえ」
 そう言って、私の主は唐突に10歩ほど歩くようにして私から距離を取る。最初、幽々子さまが逃げていくのかと思った。でも違った。彼女は私に何かを伝えようとしている。黒板の前で教鞭を取るようにこちらを振り返って、それから幽々子さまは説いた。

「三つ調べること──」
「一つ。この人形の持ち主が誰なのか。二つ。この人形がなぜ命を授かったか。三つ、この人形が誰に、どうして殺されたのか。この三つを調べてくること。妖夢、良いわね」
「ええ? あぁ、わかりました」
 不可解な謎を唐突に投げかけられ、私は面食らってしまうが、なんとか肯定の返事をする。というより、私にはそれしかできなかった。こういう時のこの方の言うことは大体その通りにした方が良いのはわかっているし、何らかの意図があることはわかっているから。でも、その意図はわからない。なんでこの3つの謎なのか、なぜ私に調べさせるのかも、私にはわからない。幽々子さまは、この謎についてももうわかっているのだろう。それを調べることが、私にとって得になることだから、指示をくれたのだろうか。黒いインクが、紅葉のキャンバスを染め始める。新しい絵を描き始めるように、その上を桜の花びらが舞うように描かれていた。

 持ち主、命、殺人──。私はこの三つの謎を解き明かすことは出来るのだろうか。一体、何が私を待ち受けているのだろうか。

「それじゃ、妖夢、よろしくねー」
 幽々子さまは、まるで私にお使いでも頼むかのような気軽さでそう言って、どこかへ去っていってしまった。

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