私たちは今、無名の丘に向かっている。夕暮れ前特有の涼しげな空気が、図書館の空気で若干酸欠になった肺を満たしていく。心地良い。顕界の空気は冥界のそれと随分違っている。
私は時おり幽々子さまとお花見をすることがある。花見と言えば春の季語だが、幽々子さまにとっては四季の季語だ。年がら年中、季節を選ばず花見をする。春は桜に梅を。夏は青葉に向日葵や紫陽花を。秋は月に紅葉を。冬は雪に冬桜を。勿論、両手に和菓子を持って、だ。でも、幽々子さまと鈴蘭畑に来ることはなかった。あの人はここを極端に避けていた。それが何故かはわからないけれど、メディスンさんと、毒の花の存在は理由になっているのだろう。たまにはこういうのも悪くないな、と思いながら、隣を歩く人物の方に顔を向けた。
「空気が美味しいですね」
「鈴蘭畑に着けば、空気も毒になるわよ」
アリスさんはあっさりと返す。前ばかりを向いて、ただひたむきに歩いている。リサもただその後ろをついていくだけだ。単純で、身勝手な感じ。こんなのアリスさんらしくないと思った。
「アリスさん。私たちはどこに向かっているのでしょうか」
「突然何を言い出すのよ」
困惑するように彼女は返す。困惑したいのは私だって同じだ。だってアリスさんはこんなにも焦っていて、私だって先が見えぬまま言われたとおりに進んでいるだけのような気がするから。私は意を決して悩みを打ち明けることにした。
「私たちの謎は、リサがなぜ命を授かって、そして誰になぜ殺されたかをはっきりさせることです」
「ええ、そうね」
彼女は端的に返す。私ははっきり続ける。
「でもなんか……このまま進んでも悲しい事実ばかりが待っていそうで、とても謎に追いつけるような気がしないんです」
「随分悲観的なのね」
そういうアリスさんの声すら悲観的だった。
「だってリサだって知りたいはずじゃないですか、それなのに私たちばかり頑張って。リサを置いてきぼりにしているような感じがしませんか?」
「……妖夢」
「私は」
「妖夢」
そこまで言って、止まった。否、止められた。私の名を呼ぶその声には覇気があって。
「あなたはリサが悪いって言いたいの?」
……まるで私が悪いことをしているような気がしてきてしまったから。
「違います! 私が言いたいのはそんなことじゃなくって」
「じゃあ何?」
「アリスさんはリサのことを、一体どう思っているんですか?」
「あなたはリサにどうしてほしくて、どうなって欲しいんですか?」
答えはなかった。私はアリスさんがもう答えるのを止めてしまったものだと思った。
太陽が傾き、木々の影がそれとは逆向きに倒れるように見える。風は吹き、葉を揺らす。影も揺れ、まるで蛇が面を這うように形を変える。影すら不気味だと思った。
私はふとアリスさんの方を見た。泣いていた。泣きながら、答えていた。
「そんなの……」
「何を思ったって、もう変わらないじゃない」
「死んだらもう戻ってこない。どこにいても。誰の物であっても。私の人形なのかすら……もうわからないわ」
戻ってこない。確かにそうだった。でも、私はそうは思わなかった。だって──。
リサの方を見た。沈黙の人形は、持ち主の涙をぬぐっていた。