家に帰ったのは午後9時のことだった。陽は沈み、辺りには静寂が漂っている。部屋の暖炉が冷えた体を温め、居心地の良い空気を作り出してくれる。座り心地の良い椅子に腰かける。紅茶を淹れようとしてくれるアリスさんのことを見ていると、不思議と今日の一連のことが思い出されるように思われた。思えば、最初はこの人形の持ち主すらわからなかった。それが、今ではあと少しというところまで来ている。あと少し。これで、全てが解ける。私にはそんな自信があった。
「アリスさん。まずは今日わかったことを振り返ってみませんか?」
私はそう提案する。謎解きで大事なのは、得た情報を整理すること。それと、頭から事件を振り返ること。まずは前者から進めてみようと考えた。
「良い案ね。では、お願いするわ」
「わかりました。まず、私は朝冥界に人形の幽霊がいるのを見つけました。それを幽々子さまに聞いて、この人形が殺されたことを知りました──」
私は丁寧に言葉を選びながら、今日一日に歩みを振り返る。頭の中で絡みそうになっている記憶の糸をゆっくり解くように。
「──それから、この人形がリサということ、アリスさんの人形であることを知りました」
「続けて」
湯を沸かしながらアリスさんは促す。
「アリスさんと話して、魔法を使ってもリサは見つからなかったこと、リサが命を得た時刻がわかりました」
それを聞くと、アリスさんは手を止める。やかんの先端、湯気が出始めるのを待ちわびるかのように、彼女は静かに語りだした。
「魔法が反応しなかった理由、もう今ならわかるわ」
パチュリーさんの言葉。「あなたは人形が命を持つかなんて考えたことはなかった」と、確かに言っていた。パチュリーさんの指摘は、アリスさんが命を得たリサを人形だと思っていなかったと、そういうことだった。私はそれを思い浮かべて、耳を傾ける。
「当時、私は命を得る人形を私の人形だと思っていなかった。自律人形を作りたいと思いつつも、人形に命なんて要らないと。私の人形であり続けてほしい、とそう思っていたのね」
「アリスさん……」
そう語るアリスさんの表情には、堅苦しさも悲しさのようなものもなかった。自分の気持ちに整理をつけて、淡々と話せるようになったという風であった。私はそのことにひどく驚いて、でもそれを顔に表さないようにして、続きに進んだ。
「さあ、続けましょうか。次はメディスンのところに行ったのよね」
「はい。私たちはメディスンさんのところに行きました。そこでわかったのは、リサが命を得ることになったのは、愛情、願い、そしてリサ自身の夢、この三つがきっかけだと」
「そうね。私は、リサの思いにようやくそこで気が付いた。リサが人形遣いになりたがっていることはわかっていたけれど、それはあくまで役割だからだと思っていた」
リサがふとアリスさんの方を向いた。
「でも違った。リサは、誰よりも人形遣いになりたがっていた。簡単にわかることのはずなのに、私は見落としていたのね」
アリスさんはポットに茶葉を入れながら、過去を懐かしむかのように優しく語る。茶葉の香りが私の鼻腔を遠目からでも刺激する。爽やかですっきりとしていて、過去を洗い流すような香りだった。
「そして、私たちは殺人の真相を知るべく、三途の川に向かった」
「はい。そこで新たな事実を知りました。それは、リサは記憶喪失などではなく、最初から殺人の事実を知っていたこと。それを私たちに隠していたこと。リサが大きな罪を背負っていること。加えて、映姫さまは罪を罪として認識していないかもしれないとおっしゃっていました」
「誰かが殺したかまでは知ることは出来なかったけれど、知るべきことを沢山知れたような気がするわね」
アリスさんはしみじみと語る。そうだ、これは私たちが解くべき問題だ。教わってばかりじゃいられない、重要な問題なんだ。
「きっと、それはリサが私たちに与えてくれたヒントなんだと思います」
「ええ、そうね。リサは私たちの敵なんかじゃない。私の大切な人形で……大切な味方よ」
アリスさんは紅茶を注ぎながら答える。ことことと静かにカップに注がれる音が、私の耳を、心を癒してくれる。紅茶を沸かすのと真相を解き明かすのは似ていると思った。茶葉にお湯を注いで紅茶の成分を取り出すのは、無数にある要素から真実を掴み取ることのように思えた。そうだ、私たちは前に進んでいる。三人で、確かに真相に近付いているんだ。
アリスさんが注いでくれた紅茶に手をつける。一口含むと、先ほどの茶葉の香りと同様、爽やかな甘味が口の中に広がって、ふわりと溶けていった。
「アールグレイよ」
「ありがとうございます。とても美味しいです」
「それなら良かったわ。紅茶を淹れながらこんなことをしていると、イギリスの探偵にでもなった気分ね」
「シャーロック・ホームズですか?」
「ええ、私がホームズ、あなたがワトスンね」
紅茶を飲みながらアリスさんは話す。どんな難事件でも解決するあの探偵なら、この難事件も絶対に解決できるだろう。
「今日の流れはこんなところね。それじゃあ、リサ視点でこの事件を振り返ってみましょうか」
そう言って私に続きを促した。
「わかりました。54日前の深夜、リサは唐突に命を授かりました。授かった理由は言った通り、愛と願いと夢の力によってです。そして、リサは49日前まで何かをして過ごしていました。その間、アリスさんや人里の誰かに見つかることはありませんでした」
「もし、見つけられていたらもっと話は単純だったのかもしれないわね」
「……そうですね」
アリスさんは夢を見るように答える。私にとっては、なぜリサが見つからなかったのか不思議で堪らなかったが、一旦それは後回しにして続きを話す。
「命を受けたリサですが、49日前、突如として誰かに殺されてしまいました。そして、三途の川を渡り、閻魔様の裁判を受け、今日の朝、冥界にやってきたんです」
「こうしてみると、リサが何をしていたのかすら全然はっきりしていないのね」
リサは興味津々でふむふむと話を聞いている。それは生徒に問題を教える先生のようだった。でも、一方的に授業をしてくれるわけじゃない。私たちに任せてばかりだった。そうかと思っている、空になった私のコップに気付き、そっと紅茶を注いでくれた。
「リサ、ありがとうございます」
リサは当然のこと、と言わんばかりに当たり前に過ごしている。やはり、このリサが本来の姿に見える。アリスさんの家にいて、アリスさんの家で過ごすリサこそ、正しいリサの正体なのだろうか。
「アリスさん。リサ、落ち着いていますね」
「ずっと過ごしてきた家だからかしら。それに、彼女の中にも心境の変化があったのでしょうね」
「嘘を明かしてくれたのも、きっとそういうことなのでしょうね」
私は答える。リサが最初、記憶喪失を装っていた理由。それもきっと何か意味があることなのだろう。私にはそれはまだわからないけれど、きっと私たちのためなんだ。一度騙されたはずなのに、それは確信できる。二度目の信頼をリサに向けて、私はいよいよ本題に向き合おうとした。
「アリスさん。やはり、リサが生きていた間何をしていたのかを探りませんか?」
「名案ね」
私たちは意気投合して、謎を解き明かし始める。生きていたとき何をしていたか……いつ、というのはわかっている。次に考えるのは「どこ」だろう。
「まずはリサがどこにいたのかですね。アリスさん。戸締りはされていたと言っていましたが、人形はそもそも外から鍵をかけられるんですか?」
人形の施錠可能性。もし人形が鍵をかけられるのなら、戸締りされていたからといってリサが自分で外に出ていないとは限らない。逆に、人形が鍵をかけられないのなら、戸締りされていることは、即ち人形が家の外に出ていないということを意味する。候補を絞り込むためにも、私は「鍵をかけられない」という返事を期待していた。しかし、返ってきたのは、
「鍵はかけられるわ。私が鍵をかけ忘れて外出した時用に、人形に鍵をかけさせに行くことがあるの」
という苦い言葉だった。
「となると、家の外にいたとしても不思議じゃないですね……」
場所の特定からならいけるだろうと考えたが、これではとても候補が多くて絞り切れないような気がする。私は目の前に霧が現れ出して途方に暮れるような、そんな気持ちになってしまう。
「ねえ妖夢。候補を考えすぎるときりがないわ。逆に考えましょう」
「逆に?」
よく聞く言い回しだけど、その言葉が何を意味するのか分からず、私はすかさず聞き返す。
「逆に考える。つまり、『リサならどこで何をするか』を考えるのよ」
「なるほど。私たちの視点からではなく、リサの視点に立ってみるのですね」
私は良い案だと思った。リサだって味方なんだ。味方の立場から考えることは、人を理解する上で最も大事なことだから、と私は思い、頭の中でリサの様子をじっと思い浮かべた。
「リサは愛情と動いてほしいという願いと、人形遣いになりたいという思いから命を授かったのよね」
「はい、その通りです」
「ねえ、それなら、命を授かった後も人形遣いらしいことをしようとするのが当然じゃないかしら?」
「……! 言われてみればそうですね!」
私が勢いよく同意すると、アリスさんは深呼吸してから答えた。
「私が思うのはね。リサはずっとこの家にいて、私の見えないところで人形を作ろうとしていた。そういうことだと思うの」
リサがこの家にずっといて、一人で人形を作っていた。確かに、人形遣いの夢を持つリサならそうするだろう。でも、だとしたら……彼女はきっと孤独だったんじゃないかな。そんな辛い選択肢を選んでまで……? それに……。
「あの、アリスさん。もしそうだとして、なぜリサはアリスさんから隠れ続けていたんでしょうか」
リサの行動の理由は、まだそれで全部説明できるわけではない。
「わからない。人形制作に集中していたからかもしれないし、単純に私を避けていたのかもしれないわね」
「避けていた? アリスさんを?」
私にはそれは信じられなかった。リサはアリスさんの家でこんなにもリラックスしているし、リサはアリスさんに懐いている。何より、リサはアリスさんの愛と願いで生まれた存在だ。こんなにも親に愛された子が、親を嫌うようには思えなかった。
「"あくまで"可能性の一つよ」
と、自身の言葉を否定するように彼女は言う。私にはその「あくまで」という前置きが、どうにも嫌な響きだと思った。そうあってほしくないという願いの表れだろうか、そう語るアリスさんの顔は重苦しかった。
リサが人形遣いとして、この家の中でずっとアリスさんから隠れ続け人形を作っていた。確かにそれはリサだったら一番取ろうとする選択肢かもしれない。でも、もしそれが正しかったとして、誰にも見つけられなかったリサを誰が殺せるんだろう? 殺人の謎はあまりにも遠いように思えた。
「アリスさん。もし仮にリサがずっとこの家にいたとして、それじゃあ誰がリサの命を奪ったんですか? 55日前から49日前、来客はあったんですか?」
「来客は、一人もいなかった。この家にいたのは、私と、私の人形たちと、リサだけね」
アリスさんは口をはっきり開かずに言った。ランタンの光がアリスさんに差して、髪の裏側が薄暗い黒を作り出していた。
「じゃあ誰がリサの命を奪えたっていうんですか? そんなことできる人物なんているわけ……」
私の言葉を遮って、冷たくアリスさんは言った。
「その三人の中の、誰かよ」
「えっ?」
アリスさんは繰り返し、伝わっていない私にはっきり伝わるように言った。
「私か、人形か、リサか。犯人は、この三択よ」
アリスさんはリサから目を合わせようとしなかった。冷静さを取り繕おうとしていたけれど、やはりアリスさんの声はどこか震えていた。彼女は自分を保つので精一杯で、壊れそうになってしまっているのではないかと、私にはそう見えた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 話が飛躍しすぎていませんか?」
「飛躍なんてしていないわ。考えられる可能性を絞り込んだだけ。そうでしょう?」
「それはそうですけど!」
私には信じられなかった。主による殺人、即ち娘殺し。内部犯による殺人、即ち仲間殺し。それに、自らによる殺人、即ち自殺。どれも考えたくなかった。それになにより、私は目の前にいる人物が犯人かもしれないなんて、アリスさんが犯人かもしれないなんて、考えたくもなかった。それは、リサについても同じだ。リサが自分を殺したかもしれないなんて、私は信じたくなかった。
「じゃあ、いよいよ一つずつ可能性を消していきましょうか」
「そんなのって!」
「……始めるわよ」
彼女はもう止まらなかった。いや、わざと止めようとしなかったんだ。それだけアリスさんは真剣なんだ。アリスさんだってこんなことやりたくないに決まってる。私が今止めたら、その覚悟を無駄にするのと同じ。それなら私がやるべきは……。
「わかりました、やりましょう」
今の彼女についていくことだろう。
「……ありがとう、妖夢」
今にも涙ぐみそうな声だった。壁の木々がギーッと軋んでしまうような音がした。運命の消去法が始まる。
「なら、まず他の人形たちによる殺人の可能性だけど。これは可能性が一番低いと思っているわ」
「何故ですか?」
最初の候補は、人形による人形殺人だった。
「まず、人形たちはとても仲が良い。喧嘩をすることなんてないし、元々皆が仲良くなれるように私が作っている」
「仲良くするという本能にあらがうことは出来ない、と?」
本能。アリスさんによれば、人形は他の人形と仲良くするのが本能だった。でも、それは人間だって同じなんじゃなかろうか。きっと人間を作った神様だって人間同士仲良くしてほしいと願ったはず。それなのに、殺人は起きてしまう。人形による殺人がない理由には弱すぎると、私は内心思っていた。
「まずそれが第一の理由。理由は他にもある」
「他にも?」
私の疑念を払うように、アリスさんはテンポ良く進める。
「次に、私たちが誰もリサのことを見つけられなかったということ。その中で特定の人形だけがリサを見つけて、なおかつ殺人に至るだなんて不自然すぎる」
今度のアリスさんの意見は至極真っ当だった。
「そして第三の理由。リサはずっと姿を現さなかった。これはつまり、家の中で、私も人形たちも見つけられない場所にいたということよ」
「二つ目の理由と同じことを言ってるような気がしますけど、違うんですか?」
返ってきたのは意外な返事だった。「誰も見つけられなかった」と「誰にも見つからない場所にいた」のは同じようなことだと思った。でもアリスさんはそれを明確に区別している。私の返事を聞いて、アリスさんは手帳のメモを一瞥するような目つきで言った。
「妖夢、考えてみて。リサは家の中のどこにいたんだと思う?」
「えええ、そんな急に言われても」
私はうろたえる。どこだろう。家の中と言われても、候補が多すぎて……。と、困っている私にアリスさんは意外な一言。
「妖夢。あなたはすでに、その場所のことを今日どこかで聞いたはずよ」
聞いたはず? 今日の会話の中に答えがあるということだろうか。私はアリスさんとの一日の会話……特にリサを探した場所のことを思い返す。家の中はくまなく探したと言っていた。居間、寝室、ベランダがその例だ。きっとそんな簡単に目につく場所ではないだろう。倉庫は鍵がかかっているらしいから人形たちには入れない。他にはどこがあったかな。
そういえば屋根裏……作るのに失敗した人形や、使わなくなった舞台装置を置いておく、過去の場所と言っていた。アリスさんや他の人形も近寄らなくて、あまり探さなかったと言っていた。そうか。
「屋根裏部屋、ですか?」
算術の答えを解答欄に書き込むように、私は一字一句間違えないよう丁寧に発した。
「おそらくそうね」
アリスさんはゆっくり頷きながら答える。
「あそこなら、私や他の人形が近寄ることはない。考えてみて? 服が破けていたり、腕や足が欠けていたりする人形が置いてある場所。そんな墓場みたいなところに、私の人形がいくらリサを探すためとはいえ近付くと思う?」
「それは……ちょっと嫌ですね」
……どうやら、屋根裏部屋は私が思っている以上にえげつない場所みたいだ。
「何より、あそこは私ですら探すのをためらった。正直、目を向けることすら嫌な場所なの。そこの中にリサがいたとしても、不思議じゃないわ」
その言葉には、すごく納得感があった。
「じゃあ、リサは屋根裏部屋に隠れていたんですね」
「ええ。だから、人形による殺人はあり得ないのよ」
屋根裏部屋を嫌う人形と、屋根裏部屋に隠れるリサ……この二者が出会うのは確かに無理だ、と今の私は納得していた。そうして、恐る恐る続きを促す。
「それじゃあ、次の候補は……」
「私による、アリスによる殺人ね」
アリスさんはため息を吐くように言う。ああ、ついに始まってしまう。正直、私はもうこれ以上聞きたくなかった。
人形による殺人はあり得ない。つまり、犯人はアリスさんかリサのどちらかだ。私はもう一度脳内で繰り返す。「犯人はアリスさんかリサのどちらか」。
そして当然、アリスさんは、自分が犯人か犯人じゃないかを知っている。それはリサも同じだ。つまり、もう二人は誰が犯人なのかを知っているということ。犯人を知らないのは私だけ。私だけなんだ。私は疑わなくてはならない。アリスさんか、リサを。最後に取り残された私が、真実を、本当の犯人を見極めないといけない。こんな苦悩は他にない。それでも真実のために向き合わなくてはならない。私は、ぱんぱんと自分の頬を2回叩いて、覚悟を決めた。
「当然だけど、私は犯人じゃないわ」
アリスさんは答え始める。予想できた反応だった。まさか、誰も「自分が殺した」なんて言いはしないだろう。リサの髪が温かな空気に揺られて震えた。
「これは弁明みたいになってしまうけれど、一応説明させてもらうわね。私はそもそもリサの死どころか生も知らなかった。屋根裏に居たであろうリサを見つけることもできなかった。何より、私が犯人ならここまで犯人を捜してきたのは一体なんだったのという話になるわ」
アリスさんはそう淡々と告げた。
アリスさんの説明は一見正しそうだった。でも、どうしよう。今のアリスさんの説明には簡単に反論できてしまう。だって……。
そもそもアリスさんが「知らない」「見ていない」と言っているのは全部アリスさんから語られた話だ。それが最初から嘘だったと私が言ってしまえば、全部瓦解する理屈。だから、アリスさんの話はアリスさん目線でしか正しくない話で、第三者の目線、つまり私にとっては全く信頼性の無い情報なんだ。
でもそれは……アリスさんを信じないと、アリスさんが犯人だと告げる行為になる。もっと。もっと何かアリスさんの潔白を証明する証拠はないの?
そうだ、小町さんと映姫さまの話だ。リサには大きな罪があると言っていた。リサの罪ばかり指摘して、殺人を犯したアリスを責めないのはおかしい。それに、何よりリサが命を授かったのはアリスさんの愛情があったからだ。娘のように愛した存在なら、自分の手で殺す理由はないはず。でもこれらのことを考えるなら……。この証拠が告げるのは……。まるでこの事件の犯人は……。
「アリスさん。アリスさんが犯人じゃないのはわかっています……」
「ええ、そうね」
アリスさんの声に、もう抑揚はなかった。
「アリスさん。この事件の犯人って……」
「もう、わかっているみたいね」
私もアリスさんも、"それ"から目をそらさなかった。"それ"はこちらに優しく微笑むように見つめて来て、目が合った。ガラス玉のような瞳は、寂しがるように私の瞳をじっと見つめていた。初めて出会った時のことが思い返された。きめ細やかな糸で編み込まれた金髪。艶のある大きな赤いリボン。絹のように柔らかい服。そして、綿で出来たように柔らかそうな肌。
「リサを殺したのは」
私は告げる。
「リサ自身、です」
暖炉の火ががくんと揺れる。それはまるで一瞬火が自然に消し飛んでしまうように暗くなって、なびいた。しかし火は消えることなく、元の大きさに戻って、まるで定位置を獲得したかのように安定して再び燃え始めた。
「信じたくない結論ね」
アリスさんは返す。でも、その後に続く言葉は私と同じ意見だった。
「でも、そうとしか考えられないわ」
私は順を追って説明する。
「はい、それに、そう考えれば全ての辻褄が合うんです」
「命を得たリサは、屋根裏で人形遣いとして過ごしていた。でも、なんらかのきっかけで生きることを諦めて自ら命を絶ってしまった。その"自殺"という行為は小町さん達が言うところの"大きな罪"だったんです」
「それを知られたくなくて、リサは私たちの前で記憶喪失のようにふるまっていた。でも、真相を解き明かそうとする私たちを見て、心持が変わった。そういうことだと思います」
私はそこまで正直に伝えて、後悔した。アリスさんの目から涙がこぼれ始めていたからだ。
「情けない主ね、私は。自分の人形を自殺させてしまうなんて」
違う。アリスさんはそんなんじゃ……。
「大切な人形の苦しみにも気付けないなんてね」
違う。私はこんなことを言いたかったんじゃない。考えなきゃ。リサはなんのために?
「私は、人形遣い失格ね」
見ると、リサがアリスさんの手を握り、彼女の指を撫でている。首を横に振り、それは違うと伝えようとしているが、その様子は彼女の目には届いていないようだった。
何か、彼女の言葉を否定できる言葉はないだろうか。アリスさんが人形遣い失格だなんて、そんなはずがない。
そうだ。映姫さまの言葉。「罪を罪と認識できぬままそれを犯してしまう」と言っていた。私は感情のままに叫んだ。
「違います! アリスさんはそんなんじゃありません!」
私の声が空気を揺さぶる。
「リサは、自殺が悪いことだと気が付いていなかったんです。きっと、それがアリスさんを悲しませることになるとも気が付いていなかったんです!」
「どういうこと?」
アリスは涙をぬぐいながら震えた声で返す。
「映姫さまは言っていました。『罪を罪と認識できぬまま自殺を犯してしまう』と。三つの『ち』のうち、『知』が足りていないと。きっと、リサはそうだったんです。リサにとって自殺とは、自分を殺すこと以上の意味があったはずなんです!」
「妖夢……」
私は燃え尽きそうな火に団扇で空気を扇ぎ入れるように、必死に言った。
「もしかしたら、リサは自分で自分を殺したらそれで終わりだとすら知らなかったのかもしれない。生きていない時の自分に戻るかもと思ったのかもしれない。きっと何が意味があったんです」
私の言葉を肯定するように、リサが首をうんうんと振る。ようやくアリスさんはリサの方を向く。
「リサ、そうなの……?」
リサはもう一度首を縦に振った。しかし、そう思ったのもつかの間、急に家の奥へと飛んで行ってしまった。私にはその行動の意味が理解できなかった。
「どこに行くの、リサ……!」
アリスさんの声に返事はない。ふと、しばしの静寂が訪れた。
リサは何を思っているんだろう。何を思っていたんだろう。墓場のような屋根裏で、一週間ずっと一人で人形を作っていて。最後自ら命を絶つ時、何を望んで、何を疎んでいたんだろう。アリスさんのためにも、それを解き明かしたい。アリスさんはリサの後を追うことをせず、じっと座って考え込んでいる。私と同じようなことを考えているのだろうか。夜に呼応して森も静けさを奏でている。"音のないことが存在する"みたいに、不思議な静寂が私たちを包んでいた。
戻ってきたリサは、手に何かを抱えていた。とても重そうで、今にも落としてしまいそうだ。その様子を一目見るなり、アリスさんはリサの方に駆けていった。
「リサ、大丈夫!?」
「アリスさん、これって……」
私もリサの元に駆け寄る。これは……箱のような形をしていて、幕があって、舞台があって……。背景の部分は紙芝居? 随分埃をかぶっているけれど……、もしかしてこれは……人形劇の舞台装置?
「リサ、これどうしたの?」
アリスさんは舞台装置を机に置いて、リサは上の方を指差す。方角的に、リサは屋根裏部屋のことを言っているのだろう。
「こんなもの持ちだして、一体どうするつもり?」
そう言うと、リサは舞台装置の中に入って、何かを演じるように様々な動きをしだした。顔を洗うような動き。筆をとるような動き。そして、人形を作るような動き。リサは、間違いなく何かを演じようとしている。
「もしかしてリサ、あなた人形劇がしたいの?」
リサは喜んで首を縦に振る。そうか。リサは人形遣いだ。人形遣いの人形だ。自分で人形劇を開催するのも、人形劇の人形になるのも、どっちだってできるんだ。
「アリスさん、リサは人形劇で私たちに自分の思いを伝えようとしているんじゃないですか?」
「リサが主役の人形劇……。なるほどね」
糸から解き放たれたリサが、人形劇の主人公をやろうとしている。最初は頼りなかったリサの立ち振る舞いが、今ではとても頼もしく見えた。