Coolier - 新生・東方創想話

緋焔のアルタエゴ_第一章

2024/08/23 18:12:35
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【さとり】――『天使』とは、閻魔が操る権能です。
罪を裁く御使い。閻魔の能力によって顕現した術式。
かつて1人の閻魔がもたらした奇跡の産物。

大通りは混乱の極限にあった。
押し合いへし合い、ひしめき合う妖怪ども。
悲鳴と絶叫が濁流となって押し寄せるよう。

そんな混沌に逆らって、
あたいたちは進んでいく。
黒煙の立ち上る場所へ。混沌をもたらす熱源へ。

【さとり】すなわち、裁きという概念の具現。
閻魔のみに扱える、この世の黒白を分かつ能力。
”現象数式”という、世界さえ切り取る唯一無二の力。

【燐】へぇ、そいつは初耳だ!
それで――

【さとり】どうして閻魔の裁きがここに、って?
僕にも判りません。
この地下世界に、もはや閻魔はいないのに。

【燐】それじゃ――

【さとり】『天使』とお空に何の関係が、って?
まだ何も判りません。何も。
判るのは、彼女が『裁かれた』ということだけです。

【燐】話が早いねコンチクショー!
なーに言ってんだかさっぱり判んないよ!

【さとり】判ることは2つあります。
1つ、空さんが大変危険な状態ってこと。
2つ、コレは僕が対処する問題ってこと。

【さとり】現象数式。
あらゆる事象に干渉する、形持つ方程式。
本来、閻魔だけが振るうことを許された力。

【さとり】……そうだ。僕しかいないんだ。
こんなの、間違ってる……。
この世界はもう、彼岸の理から外れてるのに……。

こいしと手を繋いだまま、
さとりが振り絞るような声で言う。

結局、あたいには何も判らない。
お空に何が起きているのか。
こんなガキに、お空を救えるのか。

【燐】(お空……)

徐々に避難する妖怪どもの数が少なくなって、
前へ足を踏み出すのが苦じゃなくなっていって、
それに比例するように周囲の気温が上がってく。

……お空。
あたいは。あたいという妖怪は。
あたい1匹じゃ、何もできやしないんだよ。

死体を盗むだけが能の、火車の猫1匹。
死者の気配を察知するのが関の山。

この街で、あたいは何者にもなれなかった。
何の夢も見ることができなかった。
金も稼げない。腕っぷしも強くない。

奪われるだけの存在。
疎まれるだけの妖怪。
歯牙にも掛けられない、ただの野良猫。

そんなあたいでも、夢を見ることができたんだ。
何者かになることができると思えたんだ。

……あの日、初めてお前が銃をとった日に。
哀れに泣いていたお前に手を差し伸べた日に。

そうだろう? お前だって、そうだったろう?
なぁ、あたいの、生まれて初めての――

何かが崩落する音で、あたいはふと我に返る。
積み立て長屋が燃えている。
燃えて、ガラガラと崩れて、地響きを立てる。

どこもかしこも燃えていた。
何もかも燃え上がっていた。
まるで、灼熱地獄をここまで押し上げたかのよう。

ここが熱源だ。ここが爆心地だ。
誰も彼も避難して、
あたいたち3人以外、誰も居ない。

【燐】うぐ……こりゃ、ひどいね……。

天蓋までも舐め尽くそうとするように、
緋焔がごうごうと燃え盛っている。
炭と灰の臭い。炎に熱された空気が痛い。

こんな規模の火事、見たことがない。
この炎の中じゃ、火車猫であるあたいも、
無事では済まないに違いない。

…………これじゃ、お空だって……。

【さとり】こいし?

【こいし】うん。居るよ。

激しい焔を吐き出す路地を見て、
さとりとこいしが端的に言う。

居る。何が? お空のこと?
いや、きっと違う。

それは、神の意志を伝搬するという者だ。
それは、罪深きを断罪せんとするモノだ。

【こいし】――来る。

ジッと炎を見つめるこいしが、呟く。
揺らめく炎。轟音を立てる灼熱。
それが不意に、奇妙な震えを見せて。

――最初は、白い輪っか。

炎を意にも介さず浮かぶそれが、
ゆっくりと路地の奥から姿を現す。

白く輝く光の輪。無垢な輝きを放つそれ。
けれど、あたいの心はざわついた。

清らかな? 違う、そんなんじゃない。
神々しい? 違う、そんなんじゃない。
あれはそう、もっと禍々しい――

白き光の輪に付き従うかのように、
ひときわ眩い炎が意思を持った。
長屋を燃やす焔の中で、光が蠢いて。

――AAAAAAAAAAA――

ヒト型に結ばれた光が叫びをあげる。
光臨をいただくそれが、鋭く澄み切った声で。

それは祈りの声に似て。
それは何かを崇拝する呪の言葉に似て。
そして、激烈な叫び声のようでもあって。

熱い。空気が、熱い。
ヒト型が姿を現した途端、
周囲の空気がそれまで以上に猛り狂う。

ヒト型の背中に、炎でできた3対の翼。
それが僅かに揺れるたび、
周囲の長屋から火の手が上がる。

【燐】な、あ、あ……ッ!?

何だ。何だ、コレは。
妖怪じゃない。
こんな熱量、妖怪の限界を超えている。

まるで、広大な灼熱地獄が、
ヒトの形にまで圧縮されたかのよう。
歩く地獄。動く地獄。そうとしか表せない。

【こいし】――綺麗だね。
地獄が、私たちを見てる。

微かに、こいしの声が聞こえた。
燃え上がる轟音に遮られて、
ほとんど聞こえない程度の音量。

ゾッとする。その声に、怯えの響きがなくて。
無邪気で、純粋で、無垢な喜びを感じる声音。

こいしの横顔。炎の輝きを反射する白い顔。
彼女は、形容しがたい表情を浮かべていた。
それを何と呼ぶか、あたいの中に答えはない。

【さとり】こいし。

白く輝く異形を睨んだまま、
さとりが妹の名前を呼ぶ。
途端、こいしがスッと表情を変える。

さとりは妹の顔を見ていない。
気付いていないのだろうか。
自分の妹が、どんな顔で怪物を見てたのか。

【こいし】……うん、そうだよ。

【こいし】アレが、空さんだよ。

【燐】――ッッ!!?
ハァ!?

その言葉が、あたいの感情や思いを、
何もかも吹き飛ばしてしまう。

あんな表情を浮かべたこいしの抱く感情。
そんなもの、どうだって知るもんか。
ありえない。その一念に、塗り潰されて。

あれが、お空? あの化け物が?
冗談じゃない。そんな筈はない。
だって、あれじゃ、あんなのは……。

――AAAAAAAAAAAA――

グラリ、と倒れ込むかのように、
真っ白に燃える炎の怪物が歩を進めてくる。
そして、こちらに手を伸ばしてきた。

白く輝く炎によって形作られた右腕。
それが、まるで助けを求めるように、
あたいたちを目がけて、伸びて。

【さとり】――ッ!
危ない!!

さとりが鋭く叫ぶ。
あたいはほとんど反射的に、
2人を抱えて横へと跳んだ。

その瞬間――

――――――――――!!

あたいたちの居た場所を、
一筋の光線が、
ものすごい勢いで横切った。

地面を、残骸だけになった積み立て長屋を、
白く輝く軌跡が断ち切るように走る。
そして数拍の間をおいて、

――――――――――ッ!!!!

【燐】おわぁッ!!!?

鼓膜をブチ破るような音と、
皮膚が焼けるような爆風に襲われる。
抱えた2人諸共、あたいは吹き飛ばされた。

空中で体勢を崩したあたいは、
もつれるように地面へ叩きつけられる。

たっぷり1ブロックほども
離れた場所まで転がされて、
ようやくあたいたちの身体は止まった。

【燐】うぐぐ……ゲホ、ゲホ……ッ!

極限まで熱せられた爆風を、
もろに吸い込んじまった。
眼も鼻も、火傷したように痛む。

さとりとこいしのダメージも軽くない。
2人とも涙を滲ませながら、
しきりにあたいの腕の中で咳込んでいる。

【さとり】ぐ、ゴホ、ケホ……!
こ、こいし……?

【こいし】えほ、けほっ……!
う、ケホゲホッ! ゴホッ!

あたいは、自分たちが居た方を見る。
立ち上る炎の熱で、空気の層が歪む、
その向こう側を。

……何も、ない。
いっそ笑えるほど、跡形もなかった。

光線の横なぎを喰らった地面には
クレーターが穿たれ、積み上げ長屋は、
燃える瓦礫の山と化していた。

あの攻撃の余波に過ぎない爆風でさえ、
あたいたちをここまで吹き飛ばしたんだ。
まともに食らえば、骨さえ残るまい。

【さとり】ゲホ……ち、がいます……。
アレは、攻撃、ですら……。

【さとり】攻撃する意思が、なかった……。
ただ、手を伸ばしただけ……。
ゴホ、ゲホ、それが……こんな……。

ヨロヨロとさとりが立ち上がる。
あたいは自分の血の気が引くのを、
これ以上なく鮮明に感じた。

【燐】じ、冗談じゃないよ……。
あんなに滅茶苦茶なのに、
アイツは襲ってきたんじゃないだって……?

【さとり】……えぇ。

――AAAAAAAAAAAAAAAAA――

天使の叫び声が、遠く離れたここまで響く。
その響き。その声が、あたいの記憶に、
微かな波紋を立てた。

どうすればいいのか、判らない。
辛くて苦しくて、気が狂いそうになる。

そんな感情が伝わって。
そう。それは、泣き叫ぶ声だ。
あの日のお空と、同じ……。

【燐】お、空……。

あぁ、チクショウ。畜生め。
判っちまった。あたいにも。
痛いくらいに、伝わっちまった。

アレは、あの化け物は、確かにお空だ。
どうなったのかなんて判らない。
何が起きたのかも。

でも、間違いないんだ。
あたいは、確かに聞いたんだ。
アレはお空だ。どうしようもなく、お空なんだ。

【燐】ク、ソ……ッ!!

冗談じゃない。
あぁ、まったくもって冗談じゃない。

まだ、全然ダメだ。
あたいたち2人は、
まだ、これからじゃないか。

のし上がると約束しただろう。
お前さんのお陰で、
少しずつそのための金も集まってきた。

これからだった。
まだ、これからだったんだ。

……なのに、何してんだよ。
そんなどうしようもない化け物になって。
なんで、こんなことになっちまったんだよ。

【さとり】――御使い。神の裁きの伝搬者。
輝く白。白きモノ。
罪業を裁き、世界の在り方さえ変える力。

【さとり】翼ある焔。
強欲に、何もかも焼き尽くす災厄の火。
この街に蔓延る罪を裁くカタチが、それか。

息を荒げながら、さとりが言う。
その横顔には、決意の色が窺えた。
まっすぐ怪物を見つめ、目を逸らさない。

【さとり】でも――もう、ここは地獄じゃない。
もう、ここは彼岸じゃない。
閻魔の裁きがまかり通る道理はない。

【さとり】……そうでしょう? 燐さん。

ふと、さとりがこちらを振り向いて笑う。
それは、とても優しい笑みだった。
暗闇に差す光のような、柔らかな微笑み。

――その暗闇を、絶望と呼ぶのならば。
――差し込む光は、きっと希望と呼ばれる。

【さとり】……神の炎を騙るモノ。
『強欲なる神の焔(ウリエル=アルタエゴ)』。
しかし、僕はその審判を拒絶しよう。

【さとり】閻魔代行者、
古明地さとりの名において――

さとりが、朗々と声を響かせる。
スーツの中から、何かを取り出して。

……それは。
あぁ、見間違えたりするものか。
ここが地獄だった頃、何よりも恐れた御印。

――閻魔の、悔悟の棒。

【さとり】――再審を、請求する!

その声を合図にして、
カチリ、と悔悟の棒が起動する。
歯車が回転を始め、蒸気が噴きだし始める。

チクタク。
チクタク。
チクタク。

歯車同士が噛み合って、
時計のような音を奏で始めて。

あたいは目を疑う。何もできず竦んだまま。
どうしてここに閻魔の道具がある。
どうしてこいつが閻魔のモノを持つ。

判らない。あたいには、何ひとつだって判らない。
だが、さとりは毅然と立っていた。
白きモノに相対して、少しも怯むことなく。

【さとり】――被告、銃使いの空!
判決は『有罪』!
刑の名は『強欲なる神の焔』!

【さとり】汝に問う! 判決に正当性ありや!?
否! ヤマの権能、恣に振るわれたるを
疑わざる由なしと知れ!

【さとり】故に、此度の裁判、無効とすべし!
裁定の撤回を! 断罪の返上を!
甚だしき越権に正当なる審判を下さん!

【さとり】見よ! 見よ!
これこそは天使を喰らう者!
ヤマの権能宿せし水の神龍なり!

【さとり】――現象数式『ヨルムンガンド』!!

起動した悔悟の棒で、
さとりが空間にスゥと円を描く。

描かれた円は空中で線を結び、
魔法陣のような模様を紡いだ。

複雑怪奇なパターンが形を為し、
その周囲で無数の数式が躍り出す。
凄まじい速さで、数式が演算を繰り返して。

途端、何かが爆ぜるような音がして、
浮かぶ魔法陣に亀裂が走った。
ゾクリ、と何かの存在をその向こうに感じる。

――AAAAAAAAAA!!!――

不意に、化け物が悲痛な叫びをあげる。
1ブロックも離れているというのに、
その叫び声はあたいの耳をつんざいた。

天使は。燃え上がるお空は。
あたいたちなんて見てすらいなかったのに、
魔法陣がひび割れるに連れ、こちらを向く。

3対6枚の翼を羽ばたかせ、
周囲の長屋群を一気に炎上させ、
魔法陣向けて手を伸ばしてくる。

【燐】おいおい! またアレが来るよ!

【さとり】ッ……大丈、夫、です……っ!

ギリ、と歯を食いしばるさとりが、
苦しそうな声で返してくる。

明らかに疲弊していた。
魔法陣を顕現させていることが、
しんどくて堪らないのは、見て取れる。

このまま呆けていていいのか?
凝縮された時間の中で逡巡する。
コイツを信じて、逃げなくていいのか、と。

流れでここまで来ちまったが、
そもそもコイツは得体が知れない。
このままじゃ、マズいんじゃないか――?

――と、
不意に、あたいの手が握られる。
小さくて暖かい感触。

あたいの手を握ったのは、こいしだった。
いつの間にか立っていた彼女が、
あたいの傍らに寄り添うようにして。

何の表情も浮かべないまま、
こいしは離れたところから
こちらを狙う天使を見つめている。

【燐】(こいし……?)

相変わらず、何を考えているか読めない。
でも、兄を信じて、と言われてる気がした。

そうだ。あたいは、お空と契約した。
こいしを保護する、と契約した。

それを違えることはできない。
何があったとしても。
コイツを守る義務が、あたいにはある。

こいしは逃げようとしていない。
だから、あたいも逃げられない。

無理に連れて逃げれば、
こいしがどうするかの予想はついた。

【燐】(それじゃ――)

【燐】(今のあたいには、信じるしか……)

諦めの境地にも似た心境に至った途端、
限りなく凝縮されていた時間が動き出す。
それは、死ぬ間際の錯覚か、あるいは。

天使となったお空が両手を伸ばしきる。
その両腕から、また、あの閃光が迸る。

地面を舐めて直進する光線が
あたいたちを穿つ、その刹那――

勢いよく割れた魔法陣から、
天の窯が割れたかのような水流が、
うねりを伴って噴出する!

―――――――――!!

――AA,AAAAAAAA!!!!――

迸る激流が、放たれた光線を呑み込む。
猛烈な水蒸気を噴煙のように昇らせつつ、
水流が天使の居る方へと進んでいく。

瞬く間に、大通り全体が濁流に沈む。
燃え広がっていた炎が、勢いを無くす。

――GRRRRRR!!!――

濁流の中から巨大な何かが、
飛沫をあげながら宙へ飛び出してくる。
唸り声を轟かせるのは、巨大な蛇の姿。

濁流を伴って押し寄せる大蛇が、
炎を纏う天使目がけて突進する!

―――――――――!!

――AAAAAAA!!!!!――

――GRRRRRR!!!――

【燐】はは……。
何だい、こりゃ……。

自分の眼が信じられない。
炎の化け物と水の化け物の対決だ。
冗談のような光景が、あたいの目の前に。

濁流と大蛇は一瞬のうちに、
天使を呑み込んじまうと思ってた。
だが、雄叫びをあげる天使は健在だった。

押し寄せる水を片端から蒸発させて、
通りを呑み込むほどの水量に抗っている。
体当たりをかました大蛇を、両手で受け止めて。

【燐】おいおい! マジかい!?
なぁ、本当に大丈夫なんだろうね!?

【さとり】……想像以上、ですね……。
けれど、まだ……ッ!
まだまだ……ッ!!

【さとり】――疾く、消えよ!
正当なるヤマの採決なるぞ!!

【さとり】再審は既に決している!
此度の判決は無効とすべし!
異論は彼岸の理への反逆と知れ!

【さとり】我がしもべたる現象数式よ!
不当なるヤマの冤罪を許すな!
その身の演算をもって判決を翻せ!

【さとり】――天使を、打ち砕け!!

振り絞るような声で、さとりが叫ぶ。
震える悔悟の棒が、稼働の速度を上げた。
それに呼応して、大蛇の眼が怪しく光る。

――GRRRRRRRR!!!!!――

大蛇が鎌首をあげる。唸り声が大地を震わす。
そして大きく口を開けたかと思うと、
猛スピードで再度、天使に突撃する!

――――――――――――ッ!!

――AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!――

大蛇が、ひといきに天使を呑み込んだ。
呑み込まれた天使は、それまで以上の、
鼓膜を引き裂くような叫び声をあげる。

天使を飲み込んだ大蛇が、
凄まじい速度でとぐろを巻いた。
かと思うと、次の瞬間――

――――――――――――ッ!!

破裂音と共に、
灰色雲にさえ届かんばかりの水柱と化す。
雨のように滝のように、流れる水が炎を消していく。

そこにはもう、大蛇の姿はない。
そこにはもう、天使の姿はない。

――あとには、轟々と流れ続ける、
水の音だけが残って。

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