Coolier - 新生・東方創想話

「非」幻想系ククロセアトロ或いはデウスエクスマキナ

2023/05/04 08:30:36
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月、或いは紅

はじまりは、気紛れの類であった。

「――――」
「……こんばんは。どうしたの? 迷っちゃったのかしら?」

アリス・マーガトロイドは、誰の目にも見目麗しいと評価される長い睫を瞬かせながら呟いた。自宅玄関のドアを開けた其処に立っていたのは、まだ年端も行かない幼年期、といって差し支えない少年だったのだ。
ここはアリスの自宅。
即ち、魔法の森である。
深夜に差し掛かろうという時間帯に、“まっとうな”人間が出歩いて良いはずがない。それが許されるのは極々一部、異能を携えた人間だけである。
夜は魔の時間。
そして、人里から離れたこの魔法の森は、正しく魔の領域であった。
“餌”がのこのこと歩き回れるはずもない。それなのに――。

「――――」
「どうしても……? 私に? ……逢いたくて?」

その言葉は、いとも容易くアリスの心を灼いた。
少年の純烈が、危険を顧みず犯された蛮行であった。それをどうして責められようか。だが、それでも愚行は窘めねばならない。
少年がいまここに、無事に此処に立っていられるのは、運が良かったという言葉でしか片付けられないのだから。
とにかく、家の中に招き入れる。
森の夜闇のその奥に、ひっそりと蠢くものを見付けたからだ。
ドアを閉じ、少年が安堵の息を漏らしたときに、アリスは二つの選択を迫られた。

即ち、襲うか、襲わぬか、である。

アリス・マーガトロイドは妖怪である。
魔法使いとカテゴライズされる、極めて人間種に近い生態を有するそれではあったが、だからといって妖怪の本分を忘れたわけではない。
時折、忘れ物を拾うかの如き心持ちでそれを成す。
それはここ最近、概ね紅魔館で嗜む食人によって果たしているつもりになっていた。
彼の場所は、アリスを賓客と持て成してくれる。主賓の友人は来賓というわけだ。
そして、そこで招待されるメイド長の見事な業前による食卓には、時折人肉が並ぶ(気付かない内に食べていることもあるのが困りものだ)
紅魔館の貴人達は、それをいとも楽しげに、語らいあいながら食す。
だが、紅魔館の主が最近になって人肉を忌避するようになってからは、その“御馳走”が出なくなったとのことだった。彼女の決定に、紅魔館という存在は“概ね”同調する。
極稀に、メイド長が手慰みに狩ってきたと食卓に並ぶことがあったが、それももう随分前のこと、彼女にしつこく言い寄ってきた里人の成れ果てであったらしい。
あの肉は、酷く脂ぎって不味かったから憶えている。

少年の小さな肩にそっと手を添え、食事に誘う。
嬉しそうに、無邪気に、何一つ危機意識を持たない少年は、素直に誘われしその夕餉を主催と共に楽しんだ。
献立はシチュー。魔女はやはり鍋を使わなくては、などと気取っているが、ただの面倒くさがりだ。適当にぶち込んで煮れば美味しくなる。調理人形の練習にも向いていた。
勿論、使われているその肉は唯の鶏肉である。
アリス・マーガトロイドは妖怪だが、紅魔館の主と似た理由で人を襲わない、どちらかといえば友好的に接する傾向にすらあった。
そう、白黒の魔法使い、“人間”。
人という者を想う自分が人を襲うことに躊躇いを感じるようになっていた。勿論、それを源流とした理由にまでする気はないが、やはり、なんとなく、そんな気にはなれそうにない。
それは、彼女が尊敬する魔女にとっては笑い種なのだろう。
図書館で静かに佇み続けるあの魔女の心理は理解しきれない部分がある。
ただ、明らかに白黒の魔女を嫌ってはいる。魔女の評する言葉の中には、時折憎悪すら混じることがあるからだ。
アリスには、些か理解できない。だが、それをこそ自分が人間に寄っていることの証左といえるのだろう。
結局、少年が美味しそうにシチューを平らげるのを微笑みながら見届けることになる。
――嬉しそうに微笑む少年を見るのは楽しい。
元よりアリスは人間に極めて友好的な妖怪である。
それと、個性、性格としても、穏やかで女性的な面が強い少女なのだ。
至極当然の流れと言えよう食卓風景。

「――――」
「――ダメよ、明日になったら里に送り届けるわ。親御さんが心配しているでしょう」

自分でも、随分と薄っぺらい言葉だとは思う。
どれ程親に恵まれているか――いや、それはよそう。
アリスは想い馳せそうになるのを止める。
自分はこの少年を笑えない。
飽くなき想いこそが、衝動こそが、踏み出す足に力を与える。
自分が魔法使いになった理由を忘れてはいけない――。

「――――」
「……いいわ。でも、本当に、それだけだからね? これは、私のおうちを怖がらなかった御褒美よ」

壁一面を埋める人形、人形、人形。
悪趣味にも程があるぜ、などと言われたこともあるがどの人形もアリス手ずからの愛着在る子供達だ。
少年はそのどれもを、目を輝かせながら質問してくる。
元来無口なアリスが困惑するくらいには、少年の質問責めは続いた――だが、不思議と不快ではない。
これは戦闘用、これは料理用、これは雑多な掃除用、これは……そんなことを話す内に夜は深けていった。

――結局、アリスは少年を人里へと戻す間に三日の時間を費やした。
少年の強い強い要望、そして羨望が、アリスの決意を揺らがせたのだ。
里まで送ることを決意したのは、少年が自然とアリスのベッドに入ってくることに愛おしさを憶えたからだった。これ以上、情を遷してはいけない――。
泣き、嫌がり、愚図る少年をなんとか説き伏せ、里で逢ったときにはきっと特別扱いをするとまで約束させられてしまった。
只管に尻尾を振って擦り寄る子犬を振り払う術を、アリスは識らない。
そして、ただ人里まで送るのではなく、博麗の名を借りることとした。
妖怪である自分が家に送るのはとても危険なことだ。少年の、後々の人生すらを左右しかねない。
博麗神社まで赴き、断わられたらどうしようか迷いながらも頼む。
霊夢は、あっさりと引き受けてくれた。
翌朝、アリスの家をわざわざ尋ね、少年を保護して立ち去ろうとする。

だが――。

「アリス、解ってはいると思うけど、貴女はあまり……必要以上に人に近付きすぎない方が良いわ……なんというか……貴女は優しすぎるから」
「そうね、ごめんなさい。面倒まで押し付けてしまって。今後気を付けるし、この借りはきっと返すわ」

霊夢の意味ありげな台詞に此方は意味なく応える。
それは、霊夢の役割からして当然の言葉だと受け止めた。

かくして、少年のいなくなった部屋で一人。
アリスは再びの孤独を楽しむことになるのだった。
誰もいない部屋がいつもよりもの寂しく感じるのは、あの少年へ抱いた感情の重さの表れだ。
元よりアリスは情に深いきらいがあった。
こうなるのを怖れたから、早めに返そうとしたのだが。
それなのに、あの少年は頑なだった。そしてその頑なさを溶かせるほどアリスは老獪でもなかった。暗く静かな部屋に、柱時計の音だけが響く。

「……駄目ね、気分を変えましょう」

こんな時に相談できる相手がいるのは助かるものだ。
だが、それを打ち明けるのはやんわりと想いを傾ける白黒の人間ではないだろう。
アリスは人形達と共に紅魔館へと飛び立った。

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