Coolier - 新生・東方創想話

「非」幻想系ククロセアトロ或いはデウスエクスマキナ

2023/05/04 08:30:36
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火、或いは橙

「酷いことをしたわね、貴女」

ヴワル図書館の主、パチュリー・ノーレッジは静かにそう呟いた。

「え……ただちょっとだけ長居させただけなのだけど……いけなかったかしら」
「違う。感情のもつれには興味が無いわ。問題なのは……貴女とその子の会話」

静謐だけが支配する、書架に埋もれた世界。
その中央と思しき場所に設えられた机に座り、今日も魔女は研鑽を続けている。
豪奢な書机に置かれる皮の装丁の成された、いかにも重そうな本のページを捲りながら彼女は言った。
それも珍しく、その言葉には感情が露わになっている。
それはアリスに向けられるのは珍しい、批難めいた拒否の色合い。白黒の話題になるとよくこの響きを聞いたものだが。
尊敬する相手からこれを向けられるのは、中々にきつい。

「ただ人形と、その使い方と、そして……魔法の事を話しただけよ?」
「何もかも駄目じゃないの。その子の質問から、貴女、危機感を憶えなかったの?」
「……え」
「はーっ……その子は何故人形が自然に動くのかと聞いたのではなく、どのようにして動かしているのか、その原理を聞き、魔法と応えた貴女にこういったのね? “魔法とは、どのようにして到るものなのか”と。一字一句、違いないわね?」

魔女の嘆息と共に告がれる質問に、アリスは胸中に不安を産み始める。

「え、えぇ……でも、子供の言うことだし」
「貴女は人が良過ぎるわ……そこは嫌いな点ではないけれど、いいえ、むしろ其処が気に入っているのだけれど……今回は良くないかもしれない」

魔女は……アリスはパチュリーを、いいや、パチュリーをこそ魔女と心の中で思っている。無論、自分もそのカテゴリに入りはすれど、恐らく魔法という概念に対するスタンスが違う。

自分は手段、彼女は摂理。

この違いは、大きい。
いつしか其処に到達し得るのだろうか。
いやさ、そこに到らねば、自分の目指す“自我”の生成はできないのではなかろうかとも思う。だが、人形の技術を学びつつ魔法の奥義を究めるという二種の道を並行するのはとても難しい。時間は彼女に味方してくれるが、知識はどうにもならない。
――そして、気付く。

「到る……?」
「そう、その子は既に“踏み出しているのかもしれない”」

そんな馬鹿な。
あんな小さな子供が? それじゃあまるで魔法使いなる種、そのものではないか。
人からそんなものが生まれることがあるというのか。

「魔法使いが、人から生み出されたと言うことなの……?」
「違う。貴女は人間をあまりに軽く観ているのね……貴女のお気に入りである、前例は既に存在するというのに」

心臓が跳ねた。
彼女と、同じ……?

「貴女、かつて人間だったクセに忘れてしまったの? 人の情熱は、可能性は、時としておぞましい化物に変化するわ。可能性の獣(化物)。それが人間という種なのよ」
「……私は、其の頃のことを良く憶えていなくて……」
「貴女のことは良いわ。詮索する気もない。ただ、悪手を打ったかもしれない危機意識は持っておきなさい……とはいえまあ、さんざ脅かすようなことを言っておいてなんだけど、博麗が気付きもしなかったのなら、問題はないのかもね」

巫女の名を字(あざな)で呼ぶパチュリーの言葉に背筋を震わせる。
私は……なんということを霊夢に頼んでしまったのだろう……!
博麗が気付いていたら、その時起こることは想像に容易い。
気付かなかったとはいえ霊夢に“それ”をさせようとしていた。そして、気付かなかったとはいえあの子を危地に追い込んでいた……!
己の無知を怨み、軽率を恥じた。奥歯を噛み締めていると、パチュリーが静かに本を閉じる。

「アリス・マーガトロイド。貴女は優秀よ。そして優しい。人と魔、人と妖怪の間で揺れ動く貴女には素直に好感が持てる。私からは、喪われて久しいものだから」
「でも、あの子にもしもの事があったら私――」
「それなら会いに行けば良いわ……気に掛けてあげなさい。或いは道を踏み外さぬように」

本を閉じた魔女は椅子に座ったままで、アリスを見上げるようにしながら酷く優しげな声で囁いた。失敗した弟子を優しく窘めるような、そんな声。
アリスは時折解らなくなる。
彼女がどこまで人の性を棄てたのかを。
こんなに優しそうな紫瞳を向けてくる彼女を人でなしと呼ぶのは難しい。

「それから……自分では対応できそうにないと判断するほどに困ったことが起きたなら……此処に連れてきなさい。咲夜には伝えておくわ。人里であの子を見付けて声をかければ上手く事を運ぶように手配しておく」
「それじゃあ、貴女に迷惑が……」
「いいのよ。正直、興味がある」

パチュリーは、それだけ言って、唐突に今日のお茶菓子の話題へと話を移した。
問答無用という意味なのだろう。
アリスはそれ以上の話題を避け、パチュリーの気遣いにあわせることとした。
……焼きたてのマカロンは確かに美味しかったが、紅く造られたそれは、何処か血の味を連想させられた。

その後は、いつものようにゆったりとした魔法談義と日常の会話が綴られていく。
アリスは自分がパチュリーを頼っていることを隠す気はないし、また公言もしている。
パチュリーも又、アリスを「大事な客人」とメイドや紅魔館の面々に伝え及んでいることを識っている。
友人同士、そう呼べれば気軽なことだが、自らを未だ道半ばであると自認するアリスにとって、誰も彼もがその存在を魔女であろうと認める「動かない大図書館」と自分が同じ視線に立っているとは俄に考え難いものがあった。
だが、その想いがあるからこそ素直に彼女を頼ることが出来るというのもある。
未熟者と捕らえている白黒の人間にはとてもこんな話はできない。
なによりも、この静謐を閉じ込めた黴の匂い仄かに漂う空間で、魔女の、自分の為に、喘息を気にしながらも静かに紡がれる声を聞くのがとても好きだった。

「それじゃあ、お邪魔様」
「ええ……くれぐれも、認識と判断には注意をはらいなさい」
「ありがとう、パチュリー」

魔女の名を呼んで、別れる。
帰宅する頃にはすっかり陽も落ちかけていた。
今夜の夕飯はどうしようかと考える。
彼女は殆ど食事の要らなくなった種と成っても尚、毎日のそれを欠かさずにいた。毎日のメリハリのためだと思っている。
ともすれば、永き日々に己の有り様が溺れていくことが怖かった。
だから、人とも関わる。
短命種の彼等に関わるのは、けして情だとか気紛れだとかではない。
結局、自分自身の為なのだ。
時間というものがどれだけ貴重なものなのかを忘れないために。
だが……自分は間違っていないだろうか?
妖怪と人は相容れないものだ。自ら擦り寄ることに何の意味があるというのか。
パチュリーは、好感が持てると評してくれた――本心かどうかは解らないが。
悩んでも、答えの出ない問いだった。或いはいずれ己が命題にすべき永き問いなのかもしれない……。
そんな小難しいことを考えながら、自分の家に降りようとしたとき……先から顰めさせ続けていた媚美の、その端麗な貌に困惑が追加されることになる。

少年が、明るく微笑みながら家の庇の下に蹲りつつ見上げていたからだ。

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