引っ張られながら連れてこられたのは、当然の如く大図書館。
ただっ広い図書館の一角には、使い古された机が重く鎮座している。
机の上はパチュリーが普段作業に没頭している場所。机の上には分厚い資料に、幾枚もの書類に、無数のメモ書き、インクに羽ペンが散らばって無法地帯となっていた。
そこから少しだけ離れた、というか、無造作に積み上げられた本の山を避けるようにして、丸いテーブルとさり気な装飾がお洒落な椅子がひっそりと並んでいた。
パチュリーは咲夜に座るように促し、小悪魔に視線を合わせて何かを伝えた。小悪魔はそれにこくんと頷くと、咲夜に会釈して奥に引っ込んだ。
「落ち着くまで此処にいなさい」
「で、ですが」
「貴女は此処にお茶を淹れに来て、私の暇潰しの相手になっている。そうでしょう?」
ぶっきら棒な言葉ながらも「貴女はいつも通り仕事をしているだけ」だと言外に言われ、大人しく返事をする。
上司に気を遣わせてしまった申し訳なさが募る。でも、パチュリーのそんな優しさが嬉しくて、微かに苦笑が漏れた。
「お待ちどうさまです」
隣にパチュリーが座ると、小悪魔が手にトレイを持って戻ってきた。
トレイの上には三つマグカップ。湯気がほわほわと立って、甘い匂いを運んでくる。
『おかえりなさい、咲夜さん。外は寒かったでしょう。あったかいココアでもどうですか?』
甘い甘い匂い。
それが優しい記憶までも呼び起こして、また泣きそうになる。
その人は思い出の中でもやっぱり優しく微笑んでいたけれど、胸がきゅぅっとなって仕方がなかった。
「紅茶なら間違いなく咲夜に負けるけど、ココアならいい勝負になるんじゃない?」
「ま、間違いなくって……あの、それは確かですけど、もうちょっと言い方ってものが……」
パチュリーの言いように、小悪魔が口を尖らせる。
小悪魔は「どうぞ」と優しい顔で咲夜の前にココアを置き、パチュリーの前にもそっと置くと、トレイを脇に置いて席に着いた。
丸いテーブルを囲むように、くるりと三人。
咲夜はマグカップを両手で包むように手を寄せる。
冷えた指先には少し熱い、その温度。それでやっと、自分の手が冷えてしまっているんだと気付いた。
唇を寄せて、慎重にココアを一口。
温かくて、甘くて、優しくて。それがまた誰かさんを連想させるから、胸がまたきゅぅっとなった。
このきゅぅって痛みを、なんていうんだったか。
パチュリーは、何も言わない。
ただ咲夜の隣で静かにココアと睨み合いをしていた。
「パチュリー様、もう熱くないです。大丈夫です」
「そう?」
そんなパチュリーに小悪魔が言う。
そういえば、この魔女も猫舌だった。
慎重にマグカップに口を付け、ゆっくりゆっくりとココアを啜るパチュリーがなんだかおかしくて、咲夜はそっと笑みを漏らした。
――――熱いですから、気を付けて下さいね。
ココアを差し出す、あの大きな手。
視線を合わせるようにしゃがみこんで、冷えた手に熱くないようにとその手はマグカップを包み込んだまま口元まで運ばれる。
温かな手に手を重ねると、一緒になって「ふーふー」とココアを冷ましてくれた。
あぁ、また胸がきゅぅってなる。
痛いような、苦しいような、締め付けられるような。
咲夜はため息を小さくついて、ココアをもう一口飲む。
なんでこんなにも、あの妖怪の事を思い出すんだろうか。
なんで、想ってしまうんだろうか。
あの妖怪は……誰とも結ばれなくていいと、そう言ったのに。
ポタリ。
ココアに波紋が広がる。
甘い水面が揺れた。
それで自分が泣いていることに気付いて、慌てて下を向いた。
「……咲夜」
静かな声で、呼ばれる。
と、同時に目許に冷たくて、柔らかな感触。
パチュリーの魔法で冷やされたゼリー状の物を目に当てられていた。
「腫れると困るでしょう?」
パチュリーはそれだけ言って、一度だけ咲夜の濡れた頬に触れた。
「……はい」
困る。目が腫れてしまったら、困る。
だって、心配する。あの妖怪が。
きっとすごく心配する。
とっても真剣な顔をして、理由を聞いてくる。
そうしたら、もっと困る。
だって、貴女のことで泣いているんだもの。
そしてそんなこと言ったら……ほら、あの妖怪がもっともっと困ってしまう。
「……申し訳ありません」
そう一言呟いたら、「えぇ、ほんとに」という抑揚のない声が返ってきて。
咲夜はそんな素気なくも優しい魔女と、傍でおどおどしている小悪魔と……それから、情けない自分に少しだけ笑った。