仕事に戻り、暫くの間黙々とやるべき事をこなしていると、若いメイド達が咲夜を見つけて「メイド長メイド長!」と連呼してきた。
妖怪のメイド達にはフランクなノリの者達もいるし、古参の者達ならこんな話し掛け方くらいするが、若いメイド達が自ら咲夜に話し掛けてくるのは珍しい。
なんでって、妖精メイド達のほとんどが咲夜を怖がっているからだ。
なので、こうして騒がしく声を掛けてくる場合は良い予感がするわけもなく。
咲夜は小走りで近寄ってきた、おしゃべり好きでお祭り騒ぎが大好きな妖精メイド達に、溜息を押し殺しながら「何?」という視線を向けた。
そこには前も、メイド長がどーのこーのと騒いでいた若いメイド達がいた。
「聞きましたよ! 結婚って本当ですか!?」
「ってか子供って!!」
「マジなんすかどーなんすか!?」
「特に相手についてkwsk!!」
このノリはあれだ。
さっきのお嬢様だ。
誰が結婚して、誰に子供がデキたのか勘違いしているノリだ。
ってか、最後のやつは一体なんて言ってるんだろうか?
(kwsk? ……クールな私すごいかっこいい? でもそれだったら「C」よね?)
あとでパチュリー様に聞いておこう。
咲夜はそう思いながら、妖精メイド達に訂正してやる。
もう変な噂は懲り懲りだ。
「「「うっそ! あの子が!?」」」
妖精メイド達が放った第一声はそれだった。
確かにぽやっとした印象が強いメイドであったが、何も揃って「信じらんない!」なんて叫ぶことはないだろう。
「で、で! 結婚式とかって挙げるんですか!?」
「いつ!? いつ!?」
「わー」とか「きゃー」とか甲高い声で騒ぐメイド達。
頭痛を誘発するような声音に、咲夜はこめかみをトントンと指先で叩いてやり過ごす。
「さぁ? お嬢様は挙げようってはしゃいでらっしゃったけど、本人達は別段挙げる気はないみたいだし」
「えー!」
「そんなことないっしょ」
「だってドレス着たいじゃないですか。ウェディングドレス!」
「やっぱ乙女の夢っしょ!」
妖精のクセに、なんでこんなに人間じみているんだか。
まぁ、妖精だろうが妖怪だろうが、女は女ということだろうか。
自分も「結婚」と聞いて、ウェディングドレスを思い浮かべて、ちょっとだけはしゃいでいたので、気持ちは分からないでもない。
だから、微苦笑で「そうね」と返すが、メイド達は意外そうな顔をした。
「……何よ?」
きょとんとするメイド達に、咲夜は若干睨むように目を向ける。
メイド達は慌てて首を横に振って、ぎこちない笑みで「だって、ねぇ?」と仲間同士で顔を見合わせた。
「いやぁ~、なんてーか……」
「その、メイド長もウェディングドレスとか、そういうのに興味があるんだなぁとか思って……」
「う、うん。ねぇ?」
「うん」
失礼な部下たちだ。
「私だって、それくらい……」と思うが、まぁ、柄じゃないのは承知している事。
咲夜は文句は言わずに、むっと唇を尖らせて眉間に皺を寄せた。
「でもいいなぁ~、結婚」
「いいなぁ~、ドレス」
「私も彼氏欲しい~」
一人がそう言えば、一人が「じゃあ作ればいいじゃん」と軽い拍子で返し、それに一人が「んな簡単に出来たら苦労してないしぃ~」とダルそうに言葉を吐いて、そうして「まぁ、ここってろくなヤツいないもんねぇ~」と一人が苦笑する。
いつも通りの終わらぬおしゃべりが始まった。と、咲夜は呆れる。
別にしゃべるなとは言わない。コミュニケーションは大事だ。楽しいおしゃべりはストレス解消になると、お嬢様も仰っていた。
『まぁ、私とパチェくらいの間柄になると、言葉もいらないけど』
『引っ付かないで、暑苦しい。それに本が読めない。さっさとアッチに行って』
しかし、そう言いながらパチュリーに抱きつき、そうして全力で拒絶されてしまった時にレミリアがした、捨てられた小犬のようなしょぼくれた顔まで思い出してしまった咲夜。
記憶の中にいる主があんまりにも情けない顔をしているもんだから、流石にその言葉の信憑性までもが揺らぐ。
(って、そうじゃないわね。今はお嬢様の仰る事についての信憑性を吟味している時間じゃないわ)
咲夜は『おぜうさまのカリスマ発言について』という議題で、今度魔女や妹様を交えて討論でもしようかと思いつつ、下らない思考に終止符を打った。
「貴女達、おしゃべりは程ほどにして、さっさと仕事に戻りなさい」
そうだ。こんなところで時間を浪費してる場合じゃない。
とっとと仕事を済ませて、美鈴におやつを作らないと。
しかしメイド達はおしゃべりに夢中なのか、咲夜の言葉に何の反応も示さなかった。
(あぁ、もう……あの子達は……)
溜息半分、憤り半分。
確かに結婚とは目出度いことだ。
浮かれるのも分かる。分かるが、これは浮かれすぎのはしゃぎ過ぎではないだろうか。
(……お仕置きが必要かしらね?)
投げナイフの的にするぞコノヤロー。
と、ホルダーからナイフを取り出す二秒前、
「まぁ、確かにアレだよね。門番隊のヤツらもアホばっかしだしねぇ」
「そうそう。マシっていったら隊長くらい?」
なんて会話が聞こえてきたので、咲夜はピタッと手を止めてしまった。
「だよねー。いっつもボーっとしてるけど……まぁ、いい妖怪さんみたいだし?」
「うんうん。それに気が利くし、力持ちだし、マッサージも上手いらしいし?」
「えっ、マッサージできんの!? それチョー得点高いって!」
「……あんた肩こり酷いもんねぇ」
「あとさ、なんかあったら守ってくれそうじゃん。なんか今は怪我して静養中らしいけど」
――――あとさ、なんかあったら守ってくれそうじゃん。
その軽い言葉に、咲夜はムカッときた。
違う。
そんな軽いモノじゃない。
美鈴が言う“守る”というのは。
美鈴が行う“守る”というのは。
そんな風に軽く言っていいものじゃない。
美鈴が言う『まもる』は、命を賭してという意味だ。
美鈴が行う『まもる』は、己自身の全てでという事だ。
そんな風に便利扱いしていいものじゃない。
そんな風に軽いモノじゃない。
なのに。
気付けば、ナイフを抜いていた。
「今の言葉、撤回しなさい」
メイド達の小さな悲鳴が一つ、二つ、三つ、四つ。
小柄なナイフがメイド達の隙間を縫って、床に深々と刺さる。
咲夜の瞳はそのナイフのようにギラギラと冷たく光って、メイド達を見下ろしていた。
「め、メイド長!?」
「い、いきなりな、なにを!?」
腰を抜かして床に尻餅をついたメイド達が、裏返った声で発する。
「今の言葉を、撤回しなさい」
咲夜は繰り返す。
一体どの言葉を撤回すればいいのか、メイド達には分からない。
今にも刺し殺しかねない程の殺気を纏った咲夜に、メイド達は声すらも上げられなくなっていく。
「ど~したんですか?」
「!」
冷たく澱む空気を平然と割ったのは、酷く呑気な声だった。
それはとてもよく知っている、のんびりとした穏やかな声で。
剥き出しとなった敵意が引っ込んでしまうような。
心にチクチクと生った棘を柔らかく丸めてしまうような声。
咲夜がその声を追って振り返るよりも早く、それは咲夜に背後から纏わりつき、「何騒いでるんですか~?」と尋ねた。
「っ、め、美鈴!?」
「はーい?」
呼ばれて、嬉しそうな顔で返事をする美鈴。その足元には白猫もいた。
犬みたいな素直な反応を返されて、咲夜は少しだけ言葉を失う。
だって、そんな風に素直に嬉しそうにされたら、なんか逆にコッチが嬉しいというか・・・・・・その、照れてしまうというか。
そんな心境なんてお構いなしに、美鈴は「眉間に皺が寄っちゃってますよー」と人差し指で眉間を軽く突っついてくる。
「やめなさいよ」とその指をペチッと軽く叩(はた)いて、一歩二歩下がり距離を置く。
だって、熱くなってくるほっぺを間近で見られたら堪らない。
「どうもしてないわよ。ただこの子たちが・・・・・・」
後ろを振り向きながら言うが、言葉は「ぁ・・・・・・」と小さく漏れた声と共に止まる。
そこで腰を抜かしていた筈の妖精メイド達の姿がなくなっていたから。
「メイドの方達ならさっき物凄い勢いで走って行きましたよ?」
アッチに。という風に美鈴が長い廊下の先を指さす。
咲夜は美鈴の指さす方を睨みながら「そう」と短く返し、床に深く刺さったナイフを抜いてホルダーに戻した。
「メイド達がまた何か?」
「別に、何も・・・・・・」
顔を背けたまま、素っ気なく返す。
――――あとさ、なんかあったら守ってくれそうじゃん。
メイドの放った無神経な言葉がまだ喉の奥の方に蟠っているようで、気分が悪い。
あの言葉は、確かに本当だ。
美鈴は自分の部下だろうがメイドだろうがペットだろうが、何かあったら守るだろう。
それは本当だ。
嘘じゃない。
でも、それを驕っていいわけじゃない。
それに甘えていいわけじゃない。
傷を負うのは“盾”なのだから。
「えー。でも、その割には随分怒ってませんでした?」
「だって、美鈴のこと……」
「ほへ? 私ですか?」
「!」
咲夜は口を慌てて手で押さえる。
話を簡潔に纏めると、要は美鈴の事をバカにされたから怒っていたというわけで。
そんな事言えるわけがない。
いや、言えるけども……でも、だって恥ずかしい。
それに「なんでそんなことで怒ったんですか?」とか聞かれたら、堪ったものじゃない。
聞かれたら、いいわけするよりも早く言ってしまう。
――――好きな人が悪く言われてたら誰だって怒るに決まってるでしょ!?
と、きっとそう言ってしまう。
だって好きなんだもん。
猫にだって嫉妬しちゃうくらいに。
他人に悪く言われたら、思わずナイフを抜いてしまうくらいに。
(だって……好きだもん……)
そんな自分が恥ずかしくて、頬に熱が収束する。
零れそうになる言葉を押し留めようと、唇に力を入れる。
美鈴は「私がどうしました~?」と、聞きたそうな顔で目を瞬かせているが、咲夜はわざとらしく咳払いをして誤魔化した。
「というか、貴女なんでこんな所にいるの? 安静にしてなさいって言ったじゃない」
軽く睨んでやりながら咎めるように言う咲夜。
そんな咲夜に美鈴は「い、いや、あのですね……」と口をごにょごにょさせた。
「その、別に咲夜さんの言いつけを破りたかったわけじゃなくてですね。えと、おなかのムシさんが泣くので、これは寝てる場合じゃないなあーと思いまして・・・・・・ほら、おなかがすいては安眠できぬって言うじゃないですか?」
「それを言うなら、腹が減っては戦は出来ぬ。でしょう?」とは咲夜は突っ込まず、代わりに特大サイズの溜息をついて、額に手を当てた。
美鈴の場合、空腹では本当に戦えないし眠れもしない。お腹を満たす以外はもう何も出来なくなる。
かと言って、空腹でなければ何でも出来て怖いものなしなのかと言えば、あんまりそうでもない。
お腹がいっぱいになったらなったで、今度は居眠りをし始めるのだから。
咲夜はチラリと美鈴を見る。
美鈴は深い溜息を吐いている咲夜に、声をかけずらそう口を開けたり閉じたりしていた。
怒られた子供みたいな、そんな姿。
(ぅっ……そんな顔、しないでよ……)
やめてよ。
ほら、頭を撫でてあげたくなる。
大丈夫だよって、安心させてあげたくなる。
いつも美鈴がしてくれてたみたいに、大丈夫だよって。
撫でてあげたくて、思わず伸ばしそうになる腕。
堪えるように拳を握ると、それに気づいた美鈴はもっと不安そうな顔をして。
「あ、あの……怒ってます?」
握った手のすぐ傍。袖口をきゅっと掴んで控えめな声音でそう聞いてきた。
しかも、まるで子犬みたいな情けない顔で。今にも「くぅん」と泣きそうな顔で。
(っっ!)
咲夜はパッと顔を背ける。
トクントクンと跳ねる心臓に「落ち着け落ち着け!」と繰り返す。
今のは不意打ちだ。
卑怯だ。
ズルい。
(あ、あんな……!!)
可愛い顔されたら、ぎゅってしてあげたくなってしまう。
だって好きだもん。
好きだから、ぎゅっとして、くしゃくしゃって頭を撫でて、よしよしって背中を撫でて。
不安そうにしていたら、安心させてあげたくなって。
そして、そんな姿まで可愛いと思うから、その頬に、手に触れたくなるんだって。
そんなコトを今更ながらに気付いて、咲夜の方が内心で子犬みたいに「くぅん……」と呻いた。
胸がきゅぅぅっとなって、苦しかった。
「咲夜さん?」
どうしたの?
という美鈴の視線が、背けた顔の側面に当たる。
既に充分熱くなっているほっぺた。その熱が美鈴の視線を感じて耳へと移動する。
(ぅぅっ。きっと耳赤くなってる……)
これはまずい。
だって美鈴の位置からだと、そんな耳が丸見えだ。
咲夜は頑張って顔の位置を元に戻す。
美鈴はまだ不安そうな顔をしていたから……我慢できずに、手を伸ばしてしまった。
「…………」
「?」
背の高い美鈴の頭に手を伸ばして、くしゃりと頭を撫でてみる。
美鈴の髪は凄くしなやかで、なのにふにゃふにゃというよりは芯があって。
とても柔らかくてしなやかな針金というか、そんなイメージだ。
頭皮は温かいけれど、髪先は外気に冷やされてやっぱり冷たいから、火照ってしまっている手の平に心地よかった。
(これ、いつもと逆よね……)
慣れないから、なんだか少しだけ変な感じがする。
美鈴も不思議そうな顔をしていたが、その内「えへへ」と嬉しそうに笑った。
あぁ、なんだろう。
胸がきゅぅってなる。
「怒ってないんですか?」
「……怒ってないわよ」
呆れてはいるけれど。
そう付け加えたら「あぅぅ」と唸って、そんな顔も可愛くて思わず吹き出したら、美鈴はきょとんとした顔をして。なんだか、その表情も可愛くて。
美鈴のどれもこれもが可愛く感じてしまうから。
だから「あぁ、この人のこと本当に好きなんだなぁ」とか、恥ずかしいことを思ってしまった。
「そ、そういえば、部下が来たわ。子供がデキたって。貴女の部下と一緒に」
恥ずかしさを紛らわしたくて、唐突に話題を変える。
さっき、美鈴の部屋に行った時には、その……色々といっぱいいっぱいで出来なかった話題。
美鈴は「私のところにも来ましたよ」と微笑んだ。
「上手くいったみたいで良かったです」
「……貴女は知っていたの?」
「そりゃ勿論。大事な部下の事ですから」
美鈴はそう言ってへらりと笑うけど、知っている。
美鈴が部下の健康状態だとか、精神状態に常日頃からどれくらい気にかけているのかを。
自分には全然足りない所だ。
別に大事に思ってないわけじゃないけれど、忙しくいとどうしても見落としてしまいがちになるというか。
そもそも人の機微に鈍感だから、どうしても上手くできない。
今日会った美鈴の部下は、きっと「隊長、どうしよー!」なんて真っ先に相談に行ったのだろう。
嬉しいような少し困ったような顔で、美鈴に相談する姿が容易に想像できる。
そして部下の話を聞いた美鈴が「おめでとうございますっ!」と、自分のことのように喜んでいる姿も。
「それでですね、ちょっと提案なんですけども……」
無邪気に何も考えずに大喜びしている美鈴を想像して、「しょうがないなぁ」なんて思って。
でも緩みだそうとする口元を必死に抑えていると、美鈴がやや真面目な声音で話しかけてきた。
頭を撫でていた手を離して、耳を傾ける。
「なに?」
「宿舎を作りたいなって思ってるんですけど、どうですかね?」
「……は?」
寝泊まりできる場所ならばもうあるだろうに。
そう思って首を傾げると、美鈴は「違いますよ」と苦笑した。
「今まで、おめでたとかってなると館を出ていく者達が多かったんですが、あの子達がどうやら此処に残るみたいででして」
「そうなの?」
「はい。なので、そうしたらやっぱり家族の居場所って必要じゃないですか?」
内勤のメイドならば、館の南東側にあたる区域が寮となっており、門番隊ならば外の詰め所がある。
どちらとも部屋は大体が三~四人の相部屋となっているが、勿論副メイド長や門番隊副長などの幹部は一人部屋が与えられている。
咲夜もレミリアの部屋からそれほど離れていない場所に部屋があるし、美鈴ならば館一階の窓のある部屋で寝泊りをしている。
だから、咲夜は「ふむ」と顎に手を当て考えてみた。
雨風凌げる部屋はある。でも、確かに夫婦の居場所というとか、子育てというか。そういう場所は足りていないかもしれない。
「実は、他にもいるんですよね」
「何が?」
「身ごもってる子とか、卵をひっそり温めてる子とか、隠れて子供を育ててる子とかが」
「はぁ!?」
いや、それってマジっすか!? と、そんな心境で美鈴を見る。
美鈴は「まぁ、その……妖怪だって色々ありますよね~」とかなんとか言いながら苦笑して、頬を掻いた。
「なんなのよ、それ……」
知らなかった。自分はそんなにずぼらだったのか。
咲夜はこめかみを人差し指でとんとんと叩く。
(メイド達が寮として使っている区域を少し広げて、そこを子持ち使用人たちの宿舎に……そうなると、結構大々的にリフォームすることになるわね。お金はなんとか工面がするからいいとして、工事費は……まぁ、そこは門番隊達に頑張って貰って……あ、そうしたら託児所的システムも必要になってくるの? だとしたらメイド達の何人かをそっちに回すとして……育児班とか作った方がいいの? というか、メイド達の中に子供の面倒をまともに見れる子達なんかいたかしら……)
難しい顔をして、咲夜は止めどなくグルグルを思考を巡らせる。
一通りの事を思案してレミリアに報告すべき事項を頭の中で纏め終えると、咲夜は微かに溜息を吐いた。
だって、コッチが真剣に考えているのに、美鈴は足元でじゃれついてくる白猫と遊んでいたのだから。
「……美鈴?」
「はひっ! す、すみません。なんか難しそうなこと考えてそうだったので……」
苦笑しつつ、白猫を抱きあげ咲夜と向かい合う美鈴。
(そう言えば……この猫、随分と大きくなったわね……)
美鈴の腕の中で尻尾をぱたりぱたりと揺らす白猫を見て、咲夜は内心で訝る。
美鈴の部屋に行った時は気にしなかったが、猫にしては成長が早すぎる気がした。
白猫と、視線が遭う。
“さくや”は咲夜を見て目を細め、そしてふいっと顔を背けた。
(な、に?)
一瞬ざわつく胸。
なんなの、この猫?
「で、どうでしょうか? やっぱりダメですか?」
「え? あ、あぁ。一応お嬢様に申し上げてみるわ。了承が出たらまた話し合いましょう」
「ほんとですか!? お願いします~!」
猫に気を取られて若干反応が遅れるが、曖昧に表情を取り繕いながらもそう伝えると、美鈴は「わーい!」と子供のように喜んだ。
まだ許可が下りたわけじゃないのに。なんて思うのに、その笑顔の為にレミリアから全力で承諾を取ろうと咲夜は思ってしまった。
「あ、それから式の準備もしないとですよね」
「でも、本人たちは挙げる気はないみたいよ?」
「えー。挙げましょうよ。御馳走もいっぱい作って♪」
「……結局食べ物目当てじゃない」
えへへ。と笑う美鈴に、咲夜は呆れながらも苦笑を零した。
だから。
だから、なんとなく思ったから、聞いてみてしまった。
「……ねぇ、美鈴は……その、結婚とかしたいと思う?」
本当になんとくなく。
深い意味は無かった。
美鈴は一瞬きょとんとして、それから「うーん」と唸った。
「正直あんまり考えたことないんですよね」
斜め上を見て、言う。
「でも、したいかしたくないかで言ったら……多分、したくない……でしょうか」
「……え?」
そうして紡がれた言葉に、声が漏れた。
「私は、お嬢様や妹様、パチュリー様にこあちゃん……咲夜さん。それから皆が幸せなら、それでいいですから」
そして、のほほんとした表情で、そう言う。
「みんなの笑顔を守れれば……それでいいんです。それだけで、私は幸せですから。だから……」
最後ににっこりと笑って、美鈴が言う。
「……そ、う」
咲夜は、静かに頷くくらいしか出来なかった。
皆を守ることが幸せなのだと。
だから、だから……誰とも結ばれなくていいと。
そんな美鈴の言葉が、ショックで、悲しかった。
結婚という言葉を聞いて美鈴を思い浮かべたのは、それはこの妖怪と結ばれたいと少なからず思っているから。
そうだと今気付いて、なのに気付かされた言葉は、同時にその願いの否定の意味で。
鼻の奥がツンとする。
目の奥が熱い。
「咲夜、さん……?」
「なん、でもなっ……なんでも、な、い……から……」
咲夜は顔を背ける。
今、まともに美鈴の顔を見ることはできない。
見てしまったら、きっと我慢できない。
そんなこと言わないで、と。
私は、私は……あなたのことが好きです、と。
そう、泣きながら訴えてしまう。
そうしたら、きっと美鈴は困ってしまう。
だって美鈴は言った。
みんなが笑顔でいれば幸せなのだと。
だから、泣いたらダメだ。
美鈴が、悲しむ。
唇を噛んで、拳を握る。
呼吸を乱さないように腹筋に力を入れて、肩がふるえぬように上半身にぐっと力を込める。
それでも目尻から零れてくる雫を留めることが出来なかったから、慌てて背を向けた。
背中に、声を掛けようか掛けまいかと、そう迷っている気配を感じながら咲夜は「じゃあ、行くわ」と小さな声で告げた。
いつかと同じようなやり取りだけど、でもこれが精一杯だった。
声が震えないようにする、精一杯の音量の声と、短い言葉が。
そうして、早足で美鈴から遠ざかった。